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渇望

 ダリオが三人娘と睨み合っていた、ちょうどそのとき。


 シオンは突然現れたアスカと対峙していた。蒼白になって震えるレティシアを抱きしめながら、目の前の女性をじっと見据えて様子を窺う。


 相手から敵意は感じられない。浮かべる笑みはむしろ友好的とも言える。

 しかしそれでも少しのことで爆ぜてしまいそうなほどに、空気が張り詰めていくのを感じていた。息を吸うだけでも肺が軋む。


「あなたには感謝しているのよ、シオンくん」


 警戒するシオンへと、アスカはにこやかに言葉をかけてくる。

 レティシアのことを見やって、おっとりと頬に手を当ててみせた。


「ずっとその子を支えてくれたんでしょう? おかげで助かったわ」

「どういうことですか……?」

「あら、あなただってもう気付いているはずよ」


 アスカは研究室をぐるりと見回す。

 無数に並ぶガラス容器。レティシアとまったく同じ顔のホムンクルスたち。

 それらを指し示し、彼女はあっさりと真実を告げた。


「その子はホムンクルスなの。万象紋の実験体として作られたうちの一体よ」

「ひっ……」


 無情な言葉がレティシアに突き刺さる。

 顔から一層血の気が引いて、体が氷のように冷えていく。


 シオン同様に、彼女もそれは分かっていただろう。それでもなんとなく察するのと、他者から突きつけられるのとでは訳が違う。

 純然たる事実として受け止めるしかなくなるからだ。


 アスカはなおも続ける。


「その子の故郷はここ。家族はその中身たち。どう、これで満足かしら」

「そ、そんな……」


 大きく見開いたレティシアの目からとうとう涙がこぼれ落ちる。


 求め続けた故郷も家族も、元よりこの世に存在しないものだった。

 それだけを支えにしてきた彼女にとって、それがどれだけ衝撃的なことなのか、シオンには分からない。今まさに感じている胸が張り裂けそうな痛みなんて、彼女の足下にも及ばないことだろう。


「ここは万象紋を生み出すために作られた研究所なの」


 そう言いながら、アスカはガラス容器をそっと撫でる。

 まるで我が子を慈しむようなその手つき。

 うっとりと微笑みながら彼女は言う。


「ここで、いくつもの失敗が重ねられたわ。何千、何万という欠陥品の果てに生み出されたのが、その子という貴重な成功体なの。だからね、シオンくん」


 アスカはそっとシオンに目を向ける。

 ガラス容器を撫でた手を差し伸べて、命じる。


「どうかその子を返してちょうだい」

「……どうしてですか」


 シオンは静かに問う。

 腹の中で荒れ狂う激情をなだめながら、なるべく平坦な声をつむいた。


「レティシアは記憶を失って、各地をさまよっていました。大事な成功例なら、どうして放り出すような真似をしたんですか」

「成功は成功でも、まだ未完成だったからよ」


 アスカは肩をすくめて言う。


「あなたも分かるでしょう、その子の動作は非常に不安定だったの。万象紋だけでなく自我まで会得してしまったせいで、どれだけ調整しても力の制御ができなかった。だからといって、破棄するのも惜しかったし……」


 破棄。その無情な言葉に、レティシアの喉が震える。

 かまうことなくアスカは続けた。


「だから試しに、外の世界に出してみたの。ここよりは未知の刺激で溢れているでしょ。何かいい経験を経て成長するかもと思ったのよ」

「力を暴走させて大事になるとは思わなかったんですか」

「もちろんそこは気にかけていたわよ。直々に監視しに行ったりね」

「監視……?」


 彼女の言葉に嘘はなさそうだ。

 しかしシオンは引っ掛かる。


(このひと、ずっと俺たちを見ていたっていうのか? いやでも、そんな気配を感じたことはないけどな……)


 シオンもダリオも気配には敏感な方だ。

 ふたりを出し抜くなんてよっぽど隠密に長けているとしか考えられない。

 その違和感が何かに結びつく前に、アスカは声を弾ませる。


「あなたたちと出会ったことで、その子の精神は大きく成長したわ。これだけの事実を知ってもなお、力を暴走させることがない。これなら完成と言えるでしょうね」

「……そうですか」


 アスカの言葉には、無邪気なよろこびが溢れていた。

 レティシアの成長を心の底から祝福している。

 だが、それを認めるわけにはいかなかった。


 シオンは立ち上がり、レティシアを庇うようにして一歩前に出る。魔剣を抜き放てばいつも以上に鈍い輝きを放つ。それはまるでシオンの心を映す鏡のようだった。

 アスカをまっすぐ見つめながら、きっぱりと告げる。


「あなたにレティシアを渡すわけにはいきません」

「あら、どうして? ホムンクルスの所有権は、開発者にあると決まっているのに」

「約束したからです。ずっと一緒にいるって」


 明かされた真実の数々は衝撃的なものだった。

 しかし、シオンの成すべきことははっきりしていた。

 そっと振り返り、うずくまるレティシアへと声を掛ける。


「レティシア、少し待ってて。あの人と話し合ってくるからさ」

「私……私、は……」


 レティシアは熱に浮かされたように同じ単語を何度も呟いた。

 うつむいた顔から雫が落ちて床を濡らす。声を震わせて彼女は言う。


「人間じゃないのなら……シオンくんと一緒にいる資格なんて、あるんでしょうか……?」

「そんなの、俺にとってはどうでもいい」


 シオンは彼女を背に庇ったまま、力強く断言した。


「俺はきみのことが好きだ。人間だから好きになったんじゃない。きみだから好きになったんだ」

「私、だから……」

「だから待ってて。すぐに終わらせるからね」


 レティシアが呆然と顔を上げる。

 それににかっと笑いかけ、シオンはふたたびアスカに向き直った。


「レティシアのことは諦めてください。お願いします」

「そう……私と戦うのね」


 アスカはゆっくりとかぶりを振る。

 まるで出来の悪い部下に失望したとばかりの、すこし苦い表情だ。


 しかしそれも一瞬のことだった。すぐに元通りの――いや、元以上に穏やかな笑みを浮かべてみせる。右手を目の高さまで上げて、朗々と告げる。


「それならこの《極彩色の射手》。アスカ・フェイルノートがお相手いたしましょう」


 宣言したその瞬間。彼女の周囲にいくつもの光弾が現れる。


「《光矢》」


 ぱちんと指を鳴らすと同時、それらは凄まじいスピードで打ち出された。

 まるで横薙ぎの大嵐だ。通常の嵐と異なるのは、その雨粒ひとつひとつが尋常ならざる破壊力を秘めていることだろう。衝撃波だけでガラス容器が砕け、壁や床を抉っていく。


「レティシア! こっちへ!」

「きゃっ……!」


 咄嗟にレティシアを抱え、シオンは後ろに跳躍する。

 普通のホムンクルスが数多く並んだ部屋へと転がり込んで、物陰へ身を隠す。次の瞬間、光弾は弧を描き、部屋のあちこちに被弾した。


 島中に伝わりそうな爆音と震動が、研究所内を揺らす。

 もうもうと埃が立ちこめる中、アスカは悠々とした足取りで歩いてくる。

 その右手に輝く神紋は、見たこともないような神聖な光を帯びていた。


「私の神紋は光神紋。様々な属性の弾丸を無尽蔵に撃てるの。こんな感じに……《赤矢》」


 そう言ってもう一度指を鳴らせば、今度は茜色の光弾が撃ち出された。

 光弾はそれぞれジグザグな軌道を描き、あたりの物陰にヒットする。


 あちこちで火の手が上がって、あっという間にむせ返るような熱気に包まれた。シオンらの隠れた場所は幸いにして難を逃れたものの――。


「ホムンクルスが……」


 ガラス容器がいくつも割れて、中のホムンクルスが泡と化して溶けていく。

 それを見て、レティシアの顔が引きつった。自分もああなった可能性が脳裏をよぎったのだろう。


「……あんまり見ちゃダメだよ、レティシア」


 シオンは彼女の前にそっと手を翳して視界を遮った。

 そのときふと足下に目を落とせば、割れたガラスの破片に自分の顔が映り込んでいる。茜色の炎に照らされて、その顔はレティシアに負けず劣らず強張っていた。


 軽く息を吐いてから、アスカの様子を窺う。


(Aランクだとは聞いてたけど納得だなあ。威力も範囲もでたらめだ)


 広範囲狙撃の能力は、閉所だと使いづらいのがセオリーだ。

 だが、今回の場合はそうでもないだろう。アスカはここを破壊することに一切の躊躇がない。おまけにある程度軌道が変えられるらしく、遮蔽物もほとんど意味を成さないようだ。


(これまで会ったひとたちの中だと、最強の部類だ。でも……)


 レティシアを置いて、シオンはそっと物陰を出る。

 気配を消したままある程度近付いて、そこから大仰に足音を立てて駆け出した。そのときにはすでに呪文も完成している。


「《アイシクル・バーン》!」

「効かないわ」


 シオンの放った氷の礫が、深紅の光弾とぶつかり合う。

 その瞬間、じゅっという音とともに水蒸気が広がった。視界を覆う白い霧にも動じることなく、アスカは霧の中に浮かんだ影を狙い澄ます。


「そこね!」


 白い光弾が空を切り、影を切り裂く。

 すさまじい轟音が響き渡り、アスカが薄い笑みを浮かべて――その笑みが凍り付いた。


 霧が晴れたあと。そこには巨大な氷柱が屹立していた。光弾を受けてヒビだらけだが、たしかにアスカの影を映し出している。

 そのときには、すでにシオンはアスカの背後に回り込んでいた。


「あなたは強い。でも……俺には遠く及ばない!」

「ぐあっ……!」


 袈裟懸けのひと太刀がアスカを襲った。

 鮮血の花がばっと宙空に咲いて、彼女は肩を押さえて後ずさる。

 したたり落ちた赤い血が、床を汚していく。


「ふっ……ブラフを張るとはやるじゃないの」


 アスカは薄く微笑んだ。

 斬れたのは薄皮一枚。まともなダメージとはとうてい言えず、彼女ほどの遣い手ならば、動きが鈍ることすらないだろう。


 だがしかし、今のでシオンの力量は分かったはず。

 これ以上戦っても勝機はないと、アスカならば理解できるだろう。

 彼女と対峙しながら、シオンは剣を握る腕に力を込める。


「どうしてそこまで万象紋を求めるんですか。そんな力に手を出さなくてもあなたは強い。夢を叶えるのには……それで十分なんじゃないんですか!」


 彼女の口からは数々の真実が語られた。

 だがしかし、肝心なことはまだ聞かせてもらっていない。すなわち――動機だ。

 故郷であるこの島を蘇らせたかったというアスカの言葉は、本心としか思えない。

 そのまっすぐな夢と万象紋は、どう考えても繋がらなかった。


「万象紋を求める理由……? そんなの……っ」


 アスカは顔を歪めて笑う。

 ふたたび彼女の周囲に光弾が浮かび上がって――。


「私が知るはずないでしょう!」


 アスカが悲痛な声とともに叫ぶと同時、小さな人影が飛び出した。


「もうやめて! 姉さん!」

「なっ!?」


 それは間違いなくプリムラだった。

 シオンとアスカが目を瞠ったその瞬間、彼女の体は撃ち出された光弾たちによって貫かれた。


 水の詰まった袋を叩き付けるような、耳障りな音がいくつも響く。

 先ほどとは比べものにならない血飛沫が上がり、プリムラはぐしゃりと倒れた。


「いっ……いやあああああああ!」


 壮絶な叫び声が研究所内にこだまする。

 アスカの目は、もはやシオンやレティシアを映してはいなかった。

 蒼白な顔で、倒れた妹へとよろよろと歩み寄っていく。


「そんな、嘘でしょ……どうしてあなたが、こんなところに……!」

「ねえさんがここに入るのが、見えたから……あとを、つけて……」

「ダメ! 喋らないで、プリムラ!」


 倒れた妹へとすがり付き、アスカは泣き叫ぶ。

 たまらずシオンも駆け出した。アスカを押しのけて、プリムラのそばに膝を付く。


「どいてください! 回復魔法を使います!」


 急いで呪文を唱える。

 ぽうっと淡い光が彼女の体を包み込み、ゆっくりとその傷口に染みこんでいく。傷はじわじわと塞がっていくものの、それ以上に流れる血の方が多かった。


「そ、そんな……プリムラさんが……」


 レティシアも頼りない足取りで近付いてくる。

 こうしている間にも血だまりは広がっていた。

 アスカはプリムラの手を握ってぼろぼろと泣き叫ぶ。


「嫌……! 嫌よ、あなたはだって、私の大事な妹で……!」

「ねえさん……」


 そんな姉へ、プリムラは息も絶え絶えのままうっすらと微笑む。

 シオンは胸が詰まる思いのまま、魔法を使い続けるのだが――。


(あれ……? ほんとにこれ、俺の魔法が効いているのか……?)


 剣や拳といった物理攻撃だけでなく、魔法にも手応えというものがある。

 効果があるかどうかが肌で分かるのだ。そして今現在、目の前でみるみるうちに傷が塞がっていくというのに……自分の魔法が効果を発揮しているようには思えなかった。


 まるで傷が勝手に治っているような、そんな感覚だ。

 シオンは戸惑いつつも魔法に専念する。

 その隣ではアスカが相変わらず悲痛な声ですすり泣くばかりだが――。


「プリムラ……! プリム……ラ……?」


 不意にアスカの声が弱まって、突然はっと息を呑んだ。

 目を大きく見開いてじっとプリムラを見つめる。

 目の前の霧が突然晴れたような、見知らぬ地へ突然放り出されたような、そんな表情だ。


 彼女は血だまりに沈む妹を見つめたまま、戸惑い気味にこう言った。


「あなた、だれなの……?」

「えっ」


 シオンが目を剥いた、その瞬間。

 体のあちこちに穴が空いたまま、プリムラは突然身を起こしてシオンの首にするりと腕を回した。わずか十センチほどの至近距離で目を合わせたまま彼女は告げる。


「《眠れ》」

「っ……!?」


 途端、凄まじい虚脱感がシオンに襲いかかった。

 血だまりに勢いよく倒れ込むと同時、アスカもまたくたりとくずおれて動かなくなる。


(な、何が起こったんだ!?)


 明らかな異常事態。すぐにでも立ち上がって行動しなければならないのに、指一本ですら動かせず、声も出ない。抗いがたい眠気が襲いかかり、急速に視界がぼやけていった。


「……まったく手間を取らせてくれたものね」


 そんな中で、プリムラは平気な顔で立ち上がった。

 血をぺっと吐き捨てて、ごしごしと口元を拭う。


「ここまで近付かないとまともに術が効かないなんて……精神まで強靱だなんて恐れ入ったわ。アスカだってもう少し簡単だったのに」


 忌々しげに舌打ちをひとつ。

 その声はいやに落ち着いていて、シオンのよく知る彼女からはかけ離れたものだった。


 ただひとり残されたレティシアは、得体の知れない恐怖におののいて後ずさる。


「プリムラさん……? い、いったいどうしたんですか?」

「『プリムラさん』か。他人行儀な呼び方はよしてちょうだい」


 くすりと微笑んで、プリムラはゆっくりとした歩調でレティシアに近付いていく。

 シオンは彼女らの元に駆け寄ろうとした。

 しかし、起き上がることすら叶わない。泥に沈むような眠気が危機感を上書きしていく。


 意識が途切れるその寸前、シオンはたしかにプリムラの告白を聞いた。


「私が本当の、あなたの制作者。あなたに会えるのを、実に千年も待ったのよ」

続きは明日更新。原作三巻&コミカライズ一巻は2/7発売です!

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