ダンジョンデート
それから三日後。
シオンは黄金郷の中央にそびえる、大火山の麓にやって来ていた。
「近くで見ると、ますます大きいなあ……」
「本当ですね。デトワール山や黒刃の谷よりずっと高いです」
隣のレティシアもまた、山を見上げて呆然としている。
黄金郷の街は火山のふもとをぐるりと取り囲むようにして広がっていた。
そのため、街のどこからでも火山が見えた。天を突く槍先のような険しい勾配で、赤茶けた山肌は焼け爛れた皮膚を思わせる。山登りの難易度は非常に高そうだ。
だが、シオンらの目的は山そのものではなかった。
舗装された道を進んでいくと、話に聞いていたものが見えてくる。
「あったあった。あそこだね、ダンジョンの入り口は」
目印は、それなりに大きな木造の建物。
そしてその向こうには、大きな洞窟がぽっかりと口を開けていた。吹き込む風が洞窟内で反響し、ときおり獣の遠吠えのような音を響かせる。
看板にはこう書かれている。
黄金洞窟――と。
その周囲には何人もの冒険者が集っていた。使い込まれた鎧や武器から、彼らがそれなりの場数を踏んでいるのがうかがえる。
ひとまずシオンらはダンジョンの受け付けに向かうことにした。
世界中に魔物の住まうダンジョンが存在しており、人里近くにあるものはほとんどがギルドによって管理されている。一般市民が迷い込んで犠牲となることを防ぎ、魔物が迷い出てきてもすぐに対処できるようにという理由からだ。
この黄金郷のダンジョンも例に漏れず、ギルドの管理下にあった。
受付でふたりを出迎えてくれたのは、白い髪に赤い瞳を持つ、アスカの操るホムンクルスだ。
折り目正しくお辞儀をしてから、淡々と業務を進めていく。
「ようこそいらっしゃいました。ダンジョンに挑まれるのでしたら、冒険者ライセンスをご提示ください」
「はい。よろしくお願いします」
ふたり分のライセンスを出せば、ホムンクルスはざっと目を通す。
「シオン様にレティシア様ですね。本来ならばこちらのダンジョンに挑むには、冒険者ランクが足りないようですが……」
ライセンスを返却し、彼女は薄く微笑んだ。
「プリムラ様よりうかがっております。今回は特別ですので、どうぞお進みください」
「ありがとうございます。行こっか、レティシア」
「はい。頑張ります」
ぐっと拳を握って、レティシアもやる気満々だ。
こうして洞窟へと向かうシオンらの背に、ほかの冒険者らの視線がいくつも突き刺さる。
あちこちから聞こえてくるのは嘲りを含んだヒソヒソ声だ。
「おいおい、見ろよ。ここのダンジョンにたったふたりで挑むみたいだぜ」
「死に急いだバカだなあ。ランクCを五人以上揃えるのが最低条件なのによ」
「やあね、中で足を引っ張られたら見捨てましょ」
そんないくつもの嘲笑にかまうことなく、洞窟へ足を踏み入れる。
その途端、まとわりつくような冷気がふたりを出迎えた。
冷えた空気は同時にじめじめする湿気も孕んでおり、服があっという間に生乾きのようになってしまった。
風が容赦なく体温を奪い、数歩と進まないうちにレティシアがくしゃみをする。
「へ……へくちっ」
「うわ可愛い……じゃなくて、《フレア・ウォール》」
慌てて呪文を唱えれば、ふたりの周囲をぽかぽかした空気が包み込んだ。
冷気はそれに追いやられ、服も一瞬で乾いてしまう。
「これで大丈夫だと思うけど……暑かったら言ってね」
「はい。お気遣いありがとうございます、シオンくん」
レティシアはほんのり頬を赤らめながら、小さく頭を下げてみせる。
どうやら先ほどシオンが口走った『可愛い』をばっちり聞かれてしまったらしい。
お互いそこから会話も途切れ、ただ狭い洞窟を黙々と歩くことになる。幸い岩壁には魔法の明かりが灯されており、転ぶ心配はなかった。
やがて道が途切れ、その先は広大な空間に繋がっていた。
床や壁は石造りとなっており、高い天井をいくつもの太い柱が支えているのがどこまでも続いている。まるで神殿のような静謐な空気だが、しんと静まり返った中、どこか遠くから剣戟の音や獣の咆哮が響いてくる。先に入った冒険者らが、魔物たちと戦っているのだろう。
その光景を前にして、レティシアは小さく息を呑んだ。
胸の前でぎゅっと手を握りしめ、ぽつりとこぼす。
「ここに……私の手がかりがあるかもしれないんですね」
「そうだね」
シオンはそれにしっかりと頷いた。
あたりの様子を窺っていると、ふっと脳裏によぎるものがあった。
(まさかこんなことになるとはなあ……)
ことの発端は三日前にまで遡る。
パーティ会場でアスカと会話した後、その実妹であるプリムラから語られたのは、実に奇妙な話だった。
『実は、最近の姉さんは変なのよ』
『変って?』
『なんていうか……裏で何かこそこそやってるみたいなの』
そこでプリムラは言葉を切って、あたりを見回した。
パーティ会場のエントランスにはシオンたち以外誰もいない。それでも彼女は他の人々を――特にホムンクルスに聞かれることを警戒しているようだった。
聞き耳を立てている者がいないと判断したのか、彼女はますます声をひそめて続けた。
『姉さんは元冒険者でね。ランクはA。前線を退いた今でも、ダンジョンに潜って自主練を続けているの。腕が鈍らないようにって』
『それは普通のことなんじゃ……』
『でも、その頻度がおかしいんだって!』
アスカの仕事は多岐に渡り、滅多に休みを取ることがない。
その貴重な休みのほとんどをダンジョン探索に費やすばかりか、仕事の空き時間を縫ってまで赴く始末なのだという。
『しかも、それが始まったのはこの一年、二年くらいなの。ほら、レティシアが目撃されたっていうのもその時期でしょ?』
『たしかに合うかもしれないけど……』
その間、アスカはほとんど島を出ていないらしい。
ギルド長としての職務はもちろん、ホムンクルスの整備もあるため、迂闊に島を離れられないというのがその理由だが……もっと前なら、プリムラと一緒に街へ買い物へ繰り出したりなどわりと自由に出かけていたらしい。
それが、今ではほとんどなくなっていた。
『最後に出たのがあのときね。私の昇級試験の付き添いで、デトワールの街へ行ったとき』
『デトワール……』
シオンはごくりと喉を鳴らした。
あの街ではレティシアを狙うならず者と出くわした。
彼らは何者かからの命を受けていたようだが……残念ながら捕まった牢の中から忽然と姿を消していた。黒幕に繋がる手がかりはどこにもない。
だがしかし、あの街にアスカがいたのだとすれば――。
シオンが物思いに沈む中、プリムラは声をひそめて続けた。
『おまけに、家でもよく分からない本とかも読んでてさ。そのほとんどが神紋手術に関するものなのよね』
『神紋、手術……』
新たな神紋を付与する禁断の術式。
それを用いて、デトワールで襲ってきた男たちも神紋をふたつ所持していた。
レティシアも神妙な顔で顎に手を当てて唸る。
『たしか、ホムンクルスは神紋を持たないんですよね。だから神紋手術の実験にも用いられるとか』
『えっ、でも神紋手術って違法なんじゃないの?』
『ホムンクルスに対してだってそうよ。でも秘密裏に研究に使うこともあるんだって』
プリムラは肩をすくめてそう言う。
『だから私は心配していたのよ。うちの姉さんが、裏で何かよからぬことをしているんじゃないかって』
『そういうことだったのか……』
オークション会場で彼女がぽつりとこぼしたあの言葉を思い出す。
シオンはレティシアと目配せしてうなずき合う。
『ちなみだけど……プリムラは、レティシアと会ったことはある?』
『それはない……と思うなあ。ごめんね、レティシア。力になれなくて』
『いいえ、とんでもないです。もともと雲を掴むような話ですし』
苦笑するレティシアに、プリムラは励ますように笑いかけた。
『姉さんと違って私は修行中の身だから、島を空けることも多いんだよね。レティシアがこの島にいても、会わなかった可能性が高いのよ』
『それじゃ、今のところ手がかりはアスカさんだけってことか……』
島のあちこちを探索したが、それも人が溢れる街に限られた。
件のダンジョンには一度も訪れたことがない。
レティシアと視線を交わせば、小さくうなずいてくれた。お互いの心はひとつだった。シオンはプリムラに向き直り、決意を口にする。
『なら、一度そのダンジョンを探ってみるよ』
『そっか。それじゃ、何か分かったら教えてくれる?』
プリムラは幾分ホッとしたように表情をゆるめてみせた。
それでも、どこか申し訳なさそうに肩をすくめる。
『私もついていきたいところだけど、足を引っ張ることになりそうだし……ごめんね、任せてもいいかな』
『気にしないでよ。もともと俺たちの事情だし』
『……そう言ってもらえると助かるわ』
プリムラは相好を崩して薄く笑う。
その笑い方はアスカとよく似ていて、彼女との繋がりを感じさせた。
『プリムラはお姉さんのことが心配なんだね』
『当たり前でしょ。だって……たったひとりの家族ですもの』
プリムラは少し俯き加減にそう言った。
その寂しげな表情に、シオンは胸が詰まる思いだった。
(きっと他の人に相談できなかったんだろうな……)
アスカはこの島の実質的な支配者だ。
パーティの様子を見る限り、様々な人々に好かれている。そんな相手に疑いの目を向けていると分かれば、いくら妹のプリムラでも窮地に立たされるのは想像に難くなかった。
プリムラは顔を上げ、真剣な顔で言う。
『気を付けてね、ふたりとも。姉さんを信奉している人は大勢いるし、何より島中にホムンクルスがいる。気取られる前に調査を進めたほうがいいわ。私もできるだけ協力するからさ』
『分かった。任せといて、プリムラ』
こうして、ふたりはダンジョンに挑むことになったのだった。
ダンジョン内は洞窟同様、魔法の灯りが点々と灯っている。
ひどく摩耗した石畳をふたり並んで歩いていると、レティシアが小首をかしげてみせた。
「でも……アスカさんはどうして嘘なんてついたんでしょうか」
「何か事情がある、とかかな」
考えられる可能性はいくつもある。
その中でも、もっとも分かりやすいのは――。
(あのひとが……レティシアの秘密に大きく関わっている可能性だ)
レティシアの記憶と、尋常ならざる力。
それに関与している可能性は十分に考えられた。
レティシアもそれが分かるのか、その横顔はひどく不安そうだった。しばしふたりは黙り込
み、広大なダンジョン内に足音だけが反響する。
重くなった空気を振り払うべく、シオンは明るく言う。
「まあとにかく、ここを探索してみようよ。話はそれからだって」
「そうですね……今は何も分かりませんし」
「うん。考えすぎてもドツボにはまるだけだよ」
そもそもアスカが嘘を吐いているというのも、誤解である可能性がある。
ダンジョンによく来るのだって、鍛錬に目覚めただけかもしれない。
「まあそうなったら、レティシアには無駄足になるかもしれないけどね……」
「かまいませんよ。それならそれで、プリムラさんにいい報告ができますし。アスカさんのことをずいぶん心配されていましたから」
レティシアはふんわりと笑う。
それもまた彼女の本心なのだろう。
「兄弟っていいですね。シオンくんはひとりっ子でしたっけ」
「そうだね。でもなんていうか、師匠が姉ポジションになりつつある気もするけど……」
シオンはそっとこめかみを押さえる。
姉は姉でも、優しいお姉さんなどではなく暴君寄りの姉だ。
そんなシオンに、レティシアは微笑ましそうな目を向ける。仲が良くって羨ましいなあ、という目だ。不本意ではあったが、シオンはぐっと言葉を飲み込んだ。
レティシアはにこにこしながら続ける。
「そういえば、今日もダリオさんはお友達のみなさんとご一緒なんでしたっけ。ふふ、久々にお会いできてうれしいんですね」
「そ、そうかもしれないね……あはは……はあ」
シオンはさっと目を逸らし、言葉を濁すしかなかった。
吸血姫エヴァンジェリスタたちと姿を消したあと、シオンが師と再会したのはその次の日のことだった。とある高級ホテルまで呼び出しを食らったのだ。
ホテルマンに案内されたのは、プール付きのスイートルームで。
やけに高い天井やきらびやかな内装、専属のコンシェルジュなどなどの存在にドギマギしつつも、シオンはともかく師にこれまでの事態を報告した。
アスカと話した内容、プリムラの抱く疑惑、ダンジョンへの探索予定。
そうしたことを語り終えると、ダリオはしごくどうでもよさそうに手を振った。
『それなら勝手に行ってこい。有象無象のダンジョンなど、我が教えを授けた弟子どもに敵うはずもないからな。いちいち報告なんぞいらんわ』
『仲間外れにしたら、あとでキレるかと思って……』
『ふはは、心配は無用だ! 今はもっと楽しいオモチャがあるからな!』
豪快に笑うダリオ。
そのすぐ後ろの、十人は寝転べそうな巨大な寝台には、ぐったりした美女三人がいた。
もちろん吸血姫エヴァンジェリスタに、最古のエルフ・クローネ、魚人女王・オロトゥリアである。ダリオに連れ去られて、文字通りいろいろ可愛がられたらしい。
はだけた衣服の下には、それと分かる情交の跡がいくつも刻まれていて――。
(師匠……めちゃくちゃハッスルしたんだな……)
シオンはさっと目をそらすしかない。
それに気付いてか、三人はよろよろを顔を上げる。
こちらを見るなり顔をくしゃっと歪め、例外なく同情の目を向けてきた。
『シオン……あなた、このクソ女の弟子なんですってね……』
『いったいどんな卑劣な脅しを受けたんですか……』
『わらわもう、そなたが哀れで哀れで仕方なく……うううっ……!』
『あの、一応師弟関係は合意の上なんですけど……』
シオンはおずおずと弁明したが、誰も信じてくれなかった。
ダリオの弟子だと分かったら矛先が向くかと思っていたが……それを通り越して、わりと本気めに同情されてしまったようだ。師が破天荒で本当によかった。
『で、だったらなんで俺を呼んだんです?』
『ちょっと発散しすぎたからな。魔剣の中で休ませろ』
『弟子のことをホテル扱いしないでください』
それから小一時間魔剣に戻れば、師は完全復活。
以前までは一日数時間が限度だったのに、外に出られる時間がどんどん延びている。
そのうち魔剣に戻るのも少なくなりそうだ。
『どんどん自由になっていきますね、師匠……』
『ふはは、我を縛ることができるのは寝所で甘える女のみよ』
そう言って豪快に笑い飛ばし、ダリオはシオンを追い出した。
元気になったから、またエヴァンジェリスタたちとよろしくやるつもりらしい。悲鳴を上げて逃げようとする彼女らをがっちり押さえつつ、師はばちんとウィンクしてみせた。
『それじゃあ頑張れよ、シオン。レティシアとのダンジョンデートをな!』
『だからデートじゃないですってば!』
シオンはそう大声を張り上げたが、ダリオはからから笑うばかりで取り合ってくれなかった。
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