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吸血姫と緑の守護者と海神と

「でも、俺なんてまだまだです。もっと強くなりたいんで、精進する毎日ですよ」

「ふふふ、ますます面白いわ。あんなに戦えるのに謙虚だなんて……あなた、名前は何だったかしら」

「えっと、シオンですけど」

「シオン。いい名前だわ」


 エヴァンジェリスタはシオンの手を握ったまま、堂々と言う。

 曰く――。


「気に入ったわ、シオン! あたしの夫になりなさい!」

「夫ぉ!?」


 シオンもレティシアもこれには仰天するしかない。

 それとは対照的に、魔剣からはけたたましい笑い声が響く。


【だはははは! モテる男は辛いなあ、シオン! ちなみにこいつはなかなか可愛い声で泣いてくれるから、楽しみにしておけよ!】

(げ、下世話にもほどがある……!)


 念話を飛ばして睨み付けてから、シオンはごほんと咳払いをする。

 一縷の望みを託して、エヴァンジェリスタに問いかけてみるのだが――。


「ひょっとしてそれは、吸血鬼の仲間になれとか、血を吸わせろとか、そういった意味でしょうか……?」

「あら、もちろんそのままの意味だけど? 結婚しましょ、ってこと」

「け、けけけ、けっこん……ですか!?」


 シオンのかわりに、レティシアが壊れたようなうめき声を上げる。

 それにはおかまいなしで、エヴァンジェリスタは頬に手を当てて、悩ましげにため息をこぼしてみせた。


「あたしってば、ここ百年くらい独り身なのよ。十三人目のダーリンが死んじゃって、喪に服していたってわけ。でも……そろそろ新しい恋を見つけてもいい頃よね」


 そう言って、牙を見せてにんまりと笑った。

 深紅の瞳に妖しい光が宿る。そのうえでシオンの腕にするりと抱き付いて胸を押し付け、甘えるような上目遣いで見上げてきた。完全に落とす気満々だ。


「悪い話じゃないと思うのだけど、どうかしら。私の夫になってくれたら、毎晩楽しませてあげちゃうわよ」

「ぶみー」


 キャスパリーグも、飼い主の恋を応援すべく眼力を強めて鳴く。


「ど、どうかと聞かれましても……」


 シオンは気圧され、上ずった声を絞り出すしかない。

 美少女に言い寄られる――一般的に、魅力的なシチュエーションには違いない。周囲の男らがみな、羨望とやっかみの混じった視線を送ってくる。


 しかしシオンには首を縦に振るわけにいかなかった。

 背中で庇ったままのレティシアがハラハラしているのが、気配で分かったからだ。


「その、悪いんですけど、俺には好きな子が――」


 そうきっぱり断ろうとしたそのときだ。

 さらなる強敵が襲い来きた。


「あらあら、エヴァさん。抜け駆けは禁止ですよ。わたくしもその子のことを狙っていたんですから」

「ほっほっほ、わらわも混ぜるがいい。人の子よ、海神の座に興味はないか?」

「増えたぁ!?」


 白い法衣のようなものをまとった、巨乳のおっとり系エルフ。

 周囲に光の魚を従えて、胸もお尻も大胆に露出した魚人の女性。

 それぞれ最古のエルフ・クローネと人魚女王・オルトゥリア。


 どちらもエヴァンジェリスタ同様にダリオと因縁のある大物だった。三人ともシオンに抱き付いてきて、あっという間に修羅場の出来上がりだ。


(何これ!? 今日はやたらとモテるんだけど!?)


 オークション会場でのプリムラといい、何故かモテ期到来らしい。

 三人は口々にシオンにアピールしてくる。


「シオンはもちろんあたしを選ぶわよねー? だって見た目の年が近いし!」

「あらあら。世の男性はお姉さん属性に弱いと相場が決まっているんですよ。私の方がいいですよねえ?」

「わらわはこう見えて何百人もの子を産んだことがあってな。汝の子も見事に孕んで産んでやろうぞ」

「そ、その……困ります!?」


 こんな事態に陥るのは人生初めてで、シオンは完全に混乱してしまう。

 笑い転げる師の声を聞きながら、ふっと意識が遠ざかりかけた。


「だ……ダメです!」

「レティシア……?」


 そこでレティシアがシオンの前に立ちはだかった。

 大きく両手を広げて三人に対抗する。


「シオンくんはその……結婚とかそういうのは、とにかく早くてダメなんです! ですからどうかお引き取りください! お願いします!」

「あら、なあに。あなた、シオンの恋人だったの?」

「へ!? い、いえ、恋人なんてとんでもないです……けど……」


 最初の勢いはどこへやら。レティシアの声はもごもごと小さくなる。

 それでも気合を入れてもう一度立ち向かい――。


「とにかくダメなんです!」

「でも、恋人じゃないのよね?」

「なら口出しする権利はありませんわよねえ」

「あ、ありません、けど……ダメなものはダメっていうか、うううっ……」

「レティシアをそれ以上いじめないでください!?」


 エヴァンジェリスタたちに畳みかけられて、レティシアは半泣きだ。

 シオンは慌てて割って入り、よしよしと宥める。


「大丈夫だよ、レティシア。俺は誰とも結婚する気なんてないからね」

「で、でも皆さん、私なんかより美人ですし……胸もすっごく大きいし」

「何を言ってるんだよ! レティシアだって十分大き……いやあの、なんでもないです! とにかく気にしないで!?」


 とんでもないことを口走りかけて、必死に軌道修正を図る。

 そんなシオンを眺め、エヴァンジェリスタたちはニヤニヤとするばかりだ。


「ふふふ、反応まで可愛いわ。無神紋だけど、あの忌々しいダリオとは大違いよね」

「そうですねえ。あの方は本当にやんちゃでしたから」

「わらわたちは散々に煮え湯を飲まされたものなあ」


 三人はきゃっきゃと思い出話に花を咲かせはじめる。

 語る出来事のほとんどがシオンもよく知る伝説で……真実は本に書かれているよりも酷そうだった。城をひとつ潰されただの、守護する森に繁殖力抜群の外来種を持ち込まれただの、手下の魚たちを食い尽くされただの。


 そんな恨み言をこっそり聞きながら、シオンはヒヤヒヤするばかりだった。


(ずいぶんと迷惑をかけたんですね、師匠……)

【こいつらが悪いんだぞ。当時は人界をむやみに荒らしていたからな、わはははは!】


 ダリオは一切悪びれることもなく笑うばかりだ。

 反省という字は師の辞書に存在しないらしい。

 シオンがふたたびため息をこぼしたとき、エヴァンジェリスタがとびきり明るく笑う。そうして言い放つのは、この場の空気を完全に変えてしまうような、決定的な言葉だった。


「だから三人で決めたのよね。あいつの肖像画を、とびっきり不細工にしてやろうって!」

「「ねー!」」

「へ……?」


 シオンはハッとして顔を上げる。

 あれだけ高笑いを上げていたダリオまでもがぴたりと口を閉ざした。


【……あ?】


 そして次の瞬間、師はドスの利いた声を漏らした。

 シオンの背筋を嫌な汗が流れ落ちていく。

 それでも勇気を出して、彼女らにおずおずと問いかけた。


「あの、それってどういうことなんですか……」

「ふふっ、ここだけの話よ? 実は今みんなが信じてる賢者ダリオの姿って、偽物なの」


 知ってます、なんてことは言えなかった。

 魔剣から放たれる殺気が、より濃厚なものになったからだ。

 押し黙るシオンをよそに、彼女らは和気あいあいと懐かしむ。


「後生の世で、あいつが美人だってもてはやされるのが癪だったのよね。だから、あたしたちが本物の肖像画を全部偽物に変えてやったんだから!」

「大変でしたよねえ。世界中のあちこちに出向いたり、眷属に命令したりで……」

「じゃが、苦労した甲斐はあったというものよ。ぷぷぷ、今頃やつときたら草葉の陰でブチギレているじゃろうな」

「あはははは、ウケるー!」

「う、うわあ……」


 三人はそろってケラケラと笑う。

 シオンはガタガタ震えるしかない。

 盛り上がる場。そこに、静かな足音が近付いてくる。


「楽しそうだな、その話。我も混ぜてはくれぬか?」

「「「は……?」」」


 三人が一斉に振り返り、満面の笑顔を浮かべたダリオと対面した。

 重い空気が場を支配する。

 時間が凍り付いたかのような痛いほどの静寂を――。


「「「んんんぎゃああああああ!?」」」


 つんざくような三人分の悲鳴が切り裂いた。


「ななななっ……! なんであなたがここにいるのよ!?」

「千年前にどこかでぽっくり死んだはずでは……!?」

「何なのじゃこれは! 悪い夢か!?」

「ふはは、地獄から舞い戻ってきたまでよ」


 腰を抜かして震える三人に、ダリオはおおらかな笑みを向ける。

 キャスパリーグもろともふんわり紳士的に抱え上げて、耳元で囁きかけることには――。


「積もる話もあることだし、ちょっくら場所を移そうか。たとえばそうだな……広いベッドのある高級宿の一室とか」

「「「いっっやあああああ!?」」」

「ぶみー?」


 こうして三人と一匹は悲鳴を上げつつ、ダリオによって運ばれていった。

 それをぽかんと見送って、レティシアがこてんと首をかしげてみせる。


「ダリオさん……皆さんとお知り合いだったんですね?」

「そうみたいだねー」


 シオンは半笑いで相槌を打つばかりだった。

 彼女らには同情するが、身から出た錆だと思って受け入れてもらうしかあるまい。


(まあ、結果として師匠のことがバレたけど……遅かれ早かれこうなっていたかなあ)


 ともかくこれで修羅場は脱出できた。

 ほっと胸をなで下ろしていると、周囲の人々がざわっとどよめくのを感じた。


「ここにいたのね、シオン」

「あっ、アスカさん」


 振り返ればアスカが微笑んでいた。その背後には、先ほどの秘書が控えている。

 彼女を前にして、シオンとレティシアはおもわず背筋を正した。


(やっぱりオーラが違うよな……)


 アスカは目を細め、シオンに右手を差し伸べる。


「ごめんなさいね、なかなかちゃんと挨拶ができなくて。あらためて、この島の冒険者ギルド長ことアスカ・フェイルノートです。よろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします」


 シオンはぎこちなくその右手を取った。

 細くて白い、大人の女性の手だ。

 しかし、そこに込められた力は非常に強かった。血豆の跡も複数ある。


 おまけにただ悠然と立っているように見えて、いつでも有事に対応できるよう周囲を警戒している。何があってもすぐ臨戦態勢を取れる構えだ。

 それが彼女の力量と、くぐり抜けてきた戦場を物語っていた。


(やっぱり、ただ者じゃなさそうだな……)


 シオンはかすかに喉を鳴らす。

 そんなことにも意に介さず、アスカは不思議そうにあたりを見回した。


「あら? もうひとりお連れの子がいたと思うのだけど……」

「えっと、知り合いを見つけて意気投合しちゃって。当分戻ってこないと思います」

「あらそう? それなら、また改めてご挨拶させていただくわね」


 アスカは軽く微笑んで、今度はレティシアに右手を差し伸べた。


「レティシアだったわよね。どうかしら、パーティは楽しめてる?」

「はい。お招きいただいて、ありがとうございます」

「あらやだ。お礼を言うのはこっちの方よ」


 アスカはふんわりと微笑んで、シオンに向き直る。

 そうして、深々と頭を下げてみせた。


「今日は本当にありがとう、シオン。本来ならうちの警備隊の仕事なのに、手を煩わせてしまったわね」

「そんなことありませんよ。勝手に首を突っ込んだだけですから、気にしないでください」

「謙遜しないで。あなたがいなければ、きっと多くの犠牲が出ていたわ」

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