猛獣調教
その間にも、逃げるスタッフや止めようとした護衛たちがあっさり吹き飛ばされた。
まさに蹂躙と呼ぶに相応しい一方的な攻防だ。
呆気にとられて見ていたプリムラも、そこでようやくハッとして背中の弓を構えてみせる。
「大変だわ! シオン、あなたたちは早く逃げて!」
「そんなわけにはいかないよ」
シオンも我に返ってかぶりを振る。
丸っこい謎生物が無双する光景があまりにシュールすぎて、少しの間ぽかんとしてしまった。
阿鼻叫喚に包まれるホール内。
こんな場所でやるべきことなどひとつだけだった。
腰を上げて、プリムラに軽く言い放つ。
「これも何かの縁だし、俺も手伝うよ」
「で、でも、相手はキャスパリーグよ! この前あなたが倒したセイランミズチより数段上の、SSランクモンスターなんだからね!?」
「あいつそんなに強いのか……」
たしかに先ほどから武器を携えた護衛が何人も向かっていくが、まるで歯が立っていなかった。
しかもまだまだ底知れない力を秘めているような予感もして――シオンはごくりと喉を鳴らしてから、笑顔で告げる。
「なら、用心して行ってくるよ。レティシアは安全な場所にいて!」
「は、はい。あの、でも……」
レティシアは少し言い淀んでから、
「できたら……あんまり酷いことはしないであげてください。暴れ出したのも、何か事情があるかもしれませんし」
「うん、もちろん分かってるよ。それじゃあね!」
「ちょっとぉ!?」
プリムラの叫び声を背に、シオンは一目散に駆け出した。
逃げ惑う客たちの間をすり抜けて、椅子の背を踏み台にして跳躍。
逃げ遅れたバニーさんに襲いかかろうとしていたキャスパリーグの前に降り立った。
「ぶみっ!?」
短い足で突進しようとしていた丸生物は、その瞬間に足を止める。
突然自分の行く手に現れたシオンを前にして、小さな目をめいっぱいに見開いて凝視する。
どうやら油断ならない相手だと判断されたらしい。
ステージの空気が一気に張り詰める。
その隙に、シオンはバニーの女性へ声を掛けた。
「ここは俺に任せて逃げてください」
「で、でも、お客様に何かあったら……」
「俺なら大丈夫です。さあ、早く」
「……ありがとうございます」
バニーさんはぺこりと頭を下げて、急ぎ足で逃げていく。
他のスタッフたちもシオンらが睨み合う間に避難を済ませていた。
スポットライトが照らし出す舞台はオークションから闘技リングに早変わりだ。
「それじゃ、とりあえず……《バインドウィップ》!」
シオンが呪文を唱えると同時、ステージの床を突き破って丸太のように太いツタが生え伸びた。
うねうね蠢くその様はまるでタコの触手だ。それらが一気にキャスパリーグに襲いかかり、その体を締め上げる。
これで拘束完了だ。
だが、しかし――。
「ぶみゃっ!」
「は……!?」
キャスパリーグが一声鳴くと、たったそれだけでツタが光の粒子と化した。
力任せに引きちぎったというよりも、魔法を無効化したような、そんなデタラメな光景だった。
(えっ、なんだ今の! まさか、万象紋!?)
ありとあらゆる神紋を奪う、神のごとき力。
レティシアが持つその能力の真価を、先日シオンも目の当たりにしたところだ。
あのときと似た光景に、シオンは一瞬だけ硬直する。
しかしすぐに慌てて迎撃態勢を取った。
自由の身となったキャスパリーグが身をひねり、床を蹴り付けて突進してきたからだ。
(ええい、よく分からないけど……魔法はダメでも、物理攻撃なら!)
そう判断し、飛んできた球体生物めがけて魔剣を抜き放ち、思いっきり横薙ぎの一閃を放った。
しかしその目論見はあっさりと外れることとなる。
「どっりゃ――って、え?」
「ぶみゅう!」
剣は間違いなく、キャスパリーグに叩き込まれた。
しかしまるで斬った感触がなかった。剣の形に合わせて鞠のようにへこみ、その勢いのまま吹っ飛ばされていって壁に激突。大きな風穴を開けることとなる。
「え、今のもなんだったんだ……?」
しげしげと魔剣を見つめるものの、多少毛が付いているだけで異変はない。
そうこうするうちに、壁の瓦礫を乗り越えてキャスパリーグが顔を出す。
「ぶみゃぁああああ……」
もちろん傷ひとつ追っていないし、シオンが抱えられそうなボールサイズだったその体は、なんと見上げんばかりに膨らんでいた。
声も何オクターブか低く変化しており、もはや怪獣と呼んで差し支えがない。
シオンは顔が引き攣るのを感じた。
「な、なんでデカくなってるんだ……?」
「ダメよ! シオン!」
そこでプリムラの声が響いた。
客席から真っ青な顔で叫ぶことには――。
「キャスパリーグの神紋は吸神紋! 相手の力を吸い取って強くなっちゃうのよ!」
「そんな神紋ありなの!?」
「ぶみゃああああっ!」
「うわっ!」
シオンが叫ぶと同時、キャスパリーグが地を蹴った。
そのままシオンに襲いかかって、彼を頭から丸呑みにしてしまう。
「し、シオンー!?」
「シオンくん!?」
プリムラとレティシアの声が悲痛に響く。
スタッフや客たちもその凄惨な光景にハッと息を呑んだ。
キャスパリーグはそんな外野の反応にもおかまいなしで、新しいエサをしっかり咀嚼して飲み込もうとする。
「ぶむむー……むぎゅっ!?」
しかし次の瞬間、キャスパリーグの体がびくんと跳ねた。
顔色が一気に青ざめて、小刻みな震えが全身に広がる。何度も何度もげっ、げっと嘔吐き――。
「げっ、げぶっ……げろろろろろろろろ……」
「うべっ!?」
そのまま一気にシオンのことを吐き出した。
唾液まみれで床へと叩き付けられて、シオンは呆然とするしかない。
「ううう、ひどい目に遭った……うん?」
「げぼろろろろ……ぶぎゅう……」
見れば、巨大キャスパリーグがぷしゅーっと音を立てて元の大きさに縮んでしまうところだった。まるで空気の抜けた風船だ。
ボールサイズに戻ったあとは、こてんと転がって伸びてしまう。
「えっ、どうしたんだよおまえ。なんで縮んだんだ?」
「ぶみー……」
しかも何だか具合が悪そうだ。
目を回したようなったキャスパリーグを抱き上げて、シオンは首をひねるしかない。
するとそこで実に愉快げな声が降りかかった。
「おおかた食あたりを起こしたのだろうよ」
「師匠!?」
振り返れば、ダリオがそこに立っていた。
にまにまと意地悪な笑みを浮かべて、キャスパリーグを指し示す。
「そいつはたしかに魔法や物理エネルギーを吸収する。しかし、それには限界があるのだ。汝の力を吸収しきれず、腹を壊した。そんなところだろう」
「俺は毒キノコとかそんな扱いなんだ……」
元々倒すつもりではあったが、かすかな罪悪感を覚えてしまった。
キャスパリーグを膝に乗せて背中をさすってやると、心地そうな声を漏らした。
少しホッとしつつ、ダリオにジト目を向ける。
「っていうか、見ていたのなら手伝ってくださいよ」
「バカを言え。我はあのふざけた彫像をこの世から葬り去るという重要な仕事があったのだ。くだらぬ雑事にかまけている暇はない」
ふんっと鼻を鳴らし、ダリオは指を鳴らす。
すると頭上からでんっと巨大な物体が落ちてきた。
何かと思えば金の彫像で、ダリオが競り落とした偽物だ。先ほどステージ上でその筋肉美を見せていたはずの像は見る影もなく変化していた。
「それより見るがいい、この素晴らしい造形を! せっかくの純金ゆえ、我の本当の姿に作り直した! 神すら霞む芸術とはこういうものを指すのだ! うはははは!」
「はいはい、よかったですね。なんで裸なのか、一応聞いてもいいですか?」
「なんでってそりゃ、我の肉体美を表すのに衣服など不要であろう。だからだ」
「ですよねー……」
全裸で腕組みをして、でんっと仁王立ちなダリオ(美少女)の金の彫像。
当人に羞恥心が欠片もないため、シオンも凪いだ心でぼんやり見上げるだけだった。ナルシストもここまでくると芸術にカウントできるのだと初めて知った。
「うん?」
そこでシオンは像の足下に何かが転がっているのに気付く。
拾い上げてみれば、それは生肉が付いたままの骨だった。半ばで折れていて、断面がナイフのように尖っている。
「なんだ、この骨?」
「ぶみっ!」
キャスパリーグがカッと目を見開いた。
シオンの持つ骨をべしっとはたき落とし、後ろ足で砂をかけようとする。
その恨みのこもった様子から、シオンはふと予感を覚える。
「ひょっとして……その骨が喉に刺さってて、痛くて暴れたのか?」
「ぶみゅうー!」
どうやら人語が分かるのか、キャスパリーグは勢いよくうなずいた。
シオンを吐き出したとき、ついでに骨も取れたらしい。
「人騒がせなやつだなあ。ご飯はちゃんとよく噛んで食べなきゃダメなんだぞ」
「ぶみー。ぶみみみ♪」
「うわっ、この上さらに唾液まみれにしないで!?」
キャスパリーグは喉を鳴らしてシオンのことをぺろぺろ舐めてくる。
ネコ科らしく舌はざらざらだしひどく生臭い。それになんとか抵抗しようとするうちに、呆気にとられていた客たちが大きくざわめきだした。
「あのキャスパリーグを手懐けただと……!?」
「あっ! あいつさっきのダリオマニアじゃん! すっげえ!」
ざわめきは歓声に。歓声はやがて拍手に変わった。
そうこうしているうちに、レティシアが慌ててステージに上ってくる。
「シオンくん! 大丈夫ですか!?」
「ああ、うん。見ての通り平気だよ」
メロメロ状態のキャスパリーグを抱えながら、シオンは苦笑を向ける。
「平気だけど……それ以上近付かない方がいいよ。唾液でべたべただし」
「そんなこと気にしませんよ」
レティシアはきっぱりそう言って、躊躇うことなくシオンの前にしゃがみこんだ。
唾液まみれのほっぺたなどをハンカチで拭ってくれてにっこりと笑う。
「お疲れ様です、シオンくん。猫さんを助けてくれてありがとうございました」
「う、うん。どういたしまして……」
シオンはぎこちなくうなずくことしかできなかった。
頬がすっかり熱を持ち、ぽーっとしてしまう。
ダリオが『おーおー、青春しおって』というニヤニヤ笑いを向けてきても、睨む余裕もなかった。
そんななか、キャスパリーグが空気を読んでかいないのか、レティシアの顔を覗き込んでひと声鳴いた。
「ぶみー?」
「はわわっ……かわいいです! シオンくん、私にももふもふさせてください!」
「あ、ああうん。気を付けてね……?」
一応注意したものの、キャスパリーグにもう暴れ出す気配はなかった。
メロメロになったレティシアに撫で回されて、床に転がって腹を出している。
(もふもふに、負けた……)
謎への敗北感を噛みしめていると、プリムラもやってきて呆れたような顔を向ける。
「驚いたわ。まさかキャスパリーグを倒しちゃうなんて、やっぱりシオンは強いわねえ」
「そんなことないよ。たまたま上手くいっただけだって」
「運も実力のうちってね。あたしの姉さんがよく言う言葉よ」
プリムラはウィンクして、冗談めかしてそう告げる。
しかしふっとその表情が強張った。
どこか周囲に憚るようにして、ぽつりとこぼすことには――。
「シオンなら……私の力になってくれるかも」
「へ」
シオンはきょとんと目を丸くする。
すぐにその言葉の真意を尋ねようとするのだが、それは叶わなかった。
「静粛に。みなさん」
凜と静かな声が場内に響いた。
それは決して大きなものではなく、人々のざわめきにかき消されてしまいそうな声量だった。しかしそれは水面に流し込まれた染料のように、不思議と場に染み渡った。
みな一斉に口をつぐみ、声の方を見る。シオンも例外ではなかった。
スタッフやバニーの女性らが溢れるステージまわり。
その人垣がゆっくりと割れていき、ひとりの人物が悠然とした足取りで歩いてくる。
深紅の髪を腰まで伸ばした女性だ。
身に纏うのは夜会にでも出るような優美なドレスに煌めく装飾品たち。しかしそれらが霞むほど、彼女自身がまばゆいほどの輝きを放っていた。ゆるく垂れ下がった目元にはほくろが飾られ、唇は紅も差していないのに艶やかな桃色。
彼女が笑みを浮かべて歩くだけで、ありとあらゆる人物の目を奪う。
それはレティシアひと筋のシオンですら例外ではなかった。
(すごい美人さんだなあ……)
シオンはこっそりとため息をこぼしたし、ダリオはダリオでキランと目を光らせた。
美人に目がないため、ロックオンしたらしい。
そんな中、プリムラがハッと息を呑んだ。
女性はシオンのもとまでまっすぐ歩いてきて、転がる謎生物に目を細める。
「報せを受けて駆け付けたけど……この様子を見るに、キャスパリーグを鎮めてくれたのはどうやらあなたね?」
「その通りですけど……どちら様ですか?」
「あら、ごめんなさいね。先に名乗るのが礼儀よね」
女性は優雅に腰を折る。
そうして胸に手を当てて、朗々と名乗ってみせた。
「私の名はアスカ・フェイルノート。この街のギルド長として、お礼を言うわ」
続きは明日更新。
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