7.いい日悪い日普通の日
倫理? 道徳? 知らんな。
ロロロツ町は、大きくうねった大河にほど近い町である。まっすぐ伸びた細い街道にしがみつくように一直線上に点在する町や村の中で、ロロロツ町だけが大河に近いのは、そこだけ川が町の方に向かってカーブし、大きく膨らんでいるからだ。
正式名称「レイニン/タイアー/タマーソ」…「レイニン国の/タイアー地区にある/大河」は、ロロロツ町の住人には「ロロロツ・マーソ(ロロロツ川)」と呼ばれ親しまれていた。ロロロツ川の水は飲水や生活用水には利用しないが、水遊びをしたり涼を取ったりするのに使われる。
川の中には無害な雑魚モンスターが泳ぎ、上にはよく分からないモンスターが浮いたり流れたり跳んだりしている。奥に入れば深いが川岸の方は浅瀬になっており、人々はそこに座って足を浸けたり、釣り糸をたらしたりしていた。
「へえー、デカイ川だな…向こう岸が遠い。」
周りに少々の緑があるとはいえ大河自体が少し低い位置にあるので、玄のいる街道からも様子を眺めることができる。草原が途切れ、低木が増えてきたら、その先には一面の水。涼しげな音と人のはしゃぐ声。いいものだ。
たまに川を勢いよく流れていく人のようなものが見えるが、おそらく目の錯覚だろう。川の上に直立したまますごいスピードで流れていく人なんているはずがない。いたとしても信じたくない。
さて、ロロロツ川が見えたのなら、ロロロツ町はすぐ近くだ。
大河から視線を戻した玄の目にも、町の外壁が見えてきている。外壁と呼ぶには少し低い、塀と呼べるような代物だったが、しっかりと分厚く頑丈なようだ。
「この町に少し滞在したいんですけど。」
「旅人か。モンスターではないようだな。一応聞くが10と10を足すといくつになる?」
「20です。」
「よし、通りなさい。宿は三件しかないが…。」
「あ、いえ、アテがあるので。」
「知り合いがいるのか。なら良いな。ようこそロロロツ町へ。」
「はい、どうも。」
門は、町と街道が接する二箇所に存在する。これはどこの町や村でもだいたい同じだ。
魔法・技能・スキルの三能力が中心のこの世界では、人々が拠点から出る必要性がそもそも薄い。他の町などに用事があったとしても、大抵は転移できる施設がある。必要最低限の一本道をギリギリ残し、人が徒歩で外に出るのは娯楽のためだ。
玄が【鑑定】【解析】【看破】【予測】の鑑定技能4つ持ちの門番に話しかけると、とても親身に対応してくれた。小型モンスターの牙を加工したストラップを剣につけてさえいなければ、無条件で「いいひとだなあ」と思っていたに違いない。
「…あの、ここってモンスター多いんですか。」
「ん? まあ、数は普通だな。でもこの辺は人型のモンスターが多くてな…。まったく、困ったもんだ。」
「人型のモンスターなんているのかあ、見たことないですね。」
「本当か? やつら、人里に住み着いたり、子供を触ったりするんだ。見ても分からないだけかもしれん。気を付けなきゃいかんぞ。」
「子どもを触る?」
「こうな、頭に手を置いたり、背中に手を当てたりな。洗脳でもする気なんだろう。変な病気も持ってそうだし、恐ろしいな。」
「んん?」
なにか決定的な価値観の違いを感じて、玄は眉をひそめた。モンスターは経験値や素材のために狩るものと思っていたが、どうやら違うらしい。これではまるで、元の世界のようなーー。
(そうか、この世界でのモンスターは野生動物なのか。)
ふと、納得がいった。たとえば熊のような、野生の猛獣だと考えれば、門番の言葉は分からなくもない。または害獣か害虫の類か。
野生の熊が町なかに住み着いたり、自分の子どもの頭に前足を乗せていたりしたらそりゃ怖い。日本なら警察やら猟友会やらが出動して大騒ぎになる案件だ。
(なるほどなあ、そっか、それなら、うん、人がモンスターを殺すのも、分かるかなあ。)
「おっと、次のお客さまだ。それではな、モンスターには気をつけるんだぞ。」
考え込む玄の肩をひとつ叩いて、門番は次の来訪者に対応し始めた。その背に礼を言って、もう少し人に話を聞いてみようと歩き出す。
「よし、お前、種族名を隠しているな? 質問に答えてもらおう。肉はどうやって食べる?」
「薄く切って食べます。」
「焼くか? 生か?」
「ええと、な、生で? 川の水で洗って食べます!」
背後で、剣を鞘から抜く音がした。剣につけられたストラップの牙どうしが当たって、カチカチと猛獣が牙を打ち鳴らすような音を立てた。
「お前、モンスターだな!」
「待ってください、話を…。」
「ふん!」
「ひぃ、ぐ、あ…ぁ。」
「まったく、困ったもんだ…。【浄化】。」
か細い悲鳴を聞いて、何とかしろ、助けろと、頭が痛くなるほどモンスターを助けたい欲求に駆られるが、玄はすでに「門番が」「町に入ろうとするモンスターを」「駆除すること」を納得している。この場に介入することはない。
門から遠ざかり、少し歩いたところにいい感じの段差を見つけたので、座って休むことにする。頭がぐらぐらと痛んでいる。頭の中で、自分と自分とが会話している。
(お前の役目はモンスターを増やすこと。)
(そうだ。)
(なぜ助けない?)
(…俺の役目は「モンスターを減らさないこと」ではないから。だから、だからそう、減ったぶん、増やせばいいんだろう。)
(それなら、よい。)
短い一人問答を終える頃には、頭の痛みは引いていた。軽く頭を振って立ち上がる。はて、以前この流れで何かを蹴ったような?
「あらあなた、顔色悪いわよ! 大丈夫?」
ふと浮かんだ既視感は、ヘルメット型の花瓶をかぶったインパクト強めのおばちゃんを前にして一瞬で消えた。
「うわ」
「モンスターでも見たような顔ね! 旅の人かい? おおかた門でモンスターを見てしまったんだろ! でも大丈夫さ! ロロロツ町の門番は【鑑定】上位スキル持ちが就いているからね!」
「アッハイ、ソデスネ。」
「ウチで休んでおいきなさいよ! ちょうど甘菓子を焼いたところでね! まあスキルや魔法で出したものにゃあ劣るかもしれないけどね、アタシの【調理】技能も捨てたもんじゃないのよ! 旦那もメロメロさね!」
頭の花瓶に植えられたとにかく明るいフラワーをひょこひょこ揺らしながら背中を勢い良く叩かれると、不思議と元気が出るような気がしてくる。背中に手を…。もしかして…これが…洗脳…。
ふざける余裕が出てきた玄は、頭がお花畑のおばちゃんに押されるがまま、人妻の家でお茶をいただくことに相成った。カケラも嬉しくはない。
***
小一時間も話していると、だんだん打ち解けてきた。
「おばちゃんはモンスター殺したことある?」
「あらあら、血なまぐさい話題だこと! 若者はそれぐらい元気でなくっちゃね! アタシはほら、モンスター育ててるからね。」
頭から外した花瓶を指差して、おばちゃんは続けた。おばちゃんは巻き角をもつ亜人だった。
「育てる過程で間引くことはあるわよ! 動物型のモンスターはあんまり見たことないの! 旦那がね、危ないことはするなと言うもんですからね、町からもそんなに出ないのよ。」
「えっ? それモンスターなの? 花じゃん。」
「何言ってるの、この子はもう! 植物型でもモンスターはモンスターよ! 【植物園】の安全な卵から育てるワケ!」
【植物園】とは先人が残した便利施設のことで、施設に組み込まれたスキルにより美しく無害で意思のない植物型モンスターが育つらしい。育ったモンスターから出た卵(種子)は決められた場所に置かれるため、欲しければ勝手に持ちだして良いのだとか。
「意思がなくて、動かないやつでも、モンスター? 森にあった木も? 草原の草も?」
「森って、タイアー地区の外外れの大森林のことかしら! あらまあ! 遠いところから来たわねえ!」
「そんなに遠いかなあ〜?」
「遠いわよ〜〜〜! それでね、まあ無害で動かないのだけれど、でもモンスターじゃなければ何なの? って話になるワケよ!」
「花じゃん…?」
「そうよ? 植物型モンスターの、花タイプの、施設産ね! 人類以外の生き物はモンスターって感じさね!」
「ふーん、そういう分類なんだ。」
おばちゃんが焼いたクッキーもどきは、ちょっとスパイシーで楽しい味がした。
「獣肉だって、魚肉だって、元はモンスターのお肉でしょう? でも病気や寄生モンスターが怖いから、みんな施設産のブロック肉を使うのよ! とっても安全よ!」
「なんていう施設?」
「お肉は【貯蔵庫】とかね! あとは【共有畑】とか、これは野菜タイプのものね! 便利よー!」
「へー、すげえ。でもさ、お金かかるんじゃない?」
「お金を払うのは人に対してだけよぉ! 施設はみんなが無料で使えるわよ! だって施設はお金を使ったりしないものね!」
「なるほど。」
だいぶこの世界のことが分かってきた気がする。甘菓子ーーこの世界では焼いた甘い菓子は全部こう呼ばれるらしいーーをさくさくといただきながら、玄はうんうんと頷いた。口下手な彼にとって、ずっとしゃべってくれるおばちゃんの存在はとてもありがたい。
植物型モンスターを間引く以外に、家に侵入した虫型モンスターを専用の薬剤で殺したことくらいしかないおばちゃんは、きっとモンスター孤児院も否定しないのだろう。
「話は変わるけどさあ、この町で動物型のモンスターを扱ってる所ってあるかな?」
「ああ! 町の出口のほうに、使役用のモンスター販売所があるわよ! アタシはちょっぴり怖いけど、旅人さんには必要なのかしら!」
「まあ、そんなとこ。」
必要な情報も手に入ったので、今日はいい日だ。そうに違いない。
サポーター
チュートリアルが終わったらサポーターは役目を終了する。チュートリアルは、サポート対象者が必要な能力を身につけ、最初のステージから旅立ち、人の住むところへ行き着くまでである。サポーターは役目を終えたのち、自らの役目に戻る。
なお、サポーターの記憶は再会の時まで対象者から消える。