10.オツサン
「この仕事やめません?」
「はぁ…?」
青年の予想外の言葉に、一瞬で気が抜けてうっかり能力を解除してしまった店主だったが、青年から攻撃されることはなかった。
虫は殺せるけれど動物は殺せないとでも言いそうな、普通の顔をしている青年だが、人は見かけによらないので油断は禁物である。お高いスーツの下で、店主の背中を冷や汗が伝う。
「この店のモンスター全部買い取りますから、ね、ゆっくりでいいんで閉店して欲しいんですよぉ。取引先への挨拶やら何やらいろいろあると思うんですけど、そういうの全部、無理のないスケジュールでやってもらって構わないんで、お願いできません?」
「仰る意味がよく分かりませんな、店を閉めろ? この私に?」
殺されるのを恐れていたことをすっかり忘れて、店主は眉間にえげつないシワを刻む。厚ぼったいまぶたがさらに重く下がり、とても凶悪な顔になった。
「最悪閉店しなくてもいいんですけどね、これから先、俺にだけモンスター卸して貰えればそれでもいいですよ。」
青年はそんな店主の顔に目もくれず、爽やかに告げる。
「話になりませんな。」
「いいじゃないですか。もちろんタダでとは言いませんよ。この店のモンスターを全部買い取って、さらにこの先あなたが仕事で得るはずだったお金も払っていきますから。」
「ん?」
「今はこんな狭い部屋でずっと座って、ひたすら【使役】をかけるだけの日々でしょ? でも俺の話に乗ってくれたら、仕事しなくても金が入りますよ。モンスター売りをやらない限り、ずっとね。」
艶のあるデスクの上にためらいもなく腰掛けて、羽ペンを手に取りくるりと回す。表情はうかがい知れない。ふざけているかに見えた青年の話は、よくよく聞くととても美味しい。美味い話すぎて怪しいくらいだ。
「なぜそこまでする? モンスターがどうなろうが、あなたには関係ないことなのでは?」
「いやいや、俺にとってモンスターは家族なんで。知ってます? 最近はぐれモンスターが増えてるんですよ。かわいそうだと思いません? 親と引き離されて育ったはぐれモンスターがどうなるか、知ってるでしょ?」
「…知っているとも。はぐれは、なぜか人を好んで食うようになる。」
はぐれモンスターとは、親のいない野生の動物型モンスターのことである。
モンスターという生き物は実は完全な雑食性で、本当に何でも食べることができる。そして、親から「何を食べるべきか」を学ぶことにより食性が定まってゆくのだ。
つまりはぐれモンスターは、何を食べるべきか分からないまま育ってしまった、何でも食べる個体なのだ。
そういった食性が定まっていないモンスターは、何でも食べることができるのにも関わらず、なぜか人肉を好んで食べる。人の匂いをたどり、人里に下りては被害をもたらす。また、はぐれではない食性が定まっているモンスターにまで影響を与えるらしく、はぐれの周りにいる個体もはぐれ化するとされる。
「このままだと人類は危ないですねぇ、どうしてこうなってるんですかねえ。」
「それは、モンスター売りや狩人の質が下がったからだ…。ああ、そうだとも。【使役】を使えるからとモンスター売りになる若者が、考えなしにモンスターを狩る無知な狩人からモンスターを買い取ってしまう。」
「なるほどなるほど。あなたがこの仕事を始めたときは、どうしたんです?」
「村に迷い込んだモンスター相手に、奇跡的に一発で【使役】を覚えられた私は、【図書館】でよりよい使い方を調べた…。モンスター売りを知り、それになるための基礎知識も学んだ。ダウンロードしたモンスター知識を村人全員に広め、はぐれを出さないように、はぐれを減らすように、モンスターを捕獲し、【使役】をかけ、商売として回していった。」
これは25年は前の話になる。若い頃の店主が住んでいた小さな村は、使役モンスターの売買が盛んになるにつれ大きくなり、今ではそれなりの町になっている。そう、ロロロツ町は、以前は別の名前の村だった。
以前の村は、はぐれに襲撃されたことがある。店主が【使役】を覚えたため被害は少なかったが、まったく無かったわけではない。その経験から、ロロロツ町には頑丈な外壁と、出入り口の警備がある。
被害が少なかったために語り継ぐほどではなく、町の若者たちはそこまではぐれを脅威に感じてはいない。町には狩人もおらず、モンスターは森に近いナナヤン村や、沼地に近いハマヤタ村から仕入れていた。それらの村では、はぐれ対策として村人に【使役】と【鑑定】の上位能力の取得を推奨している。
はぐれの被害を受けない人里では、モンスターについての知識は廃れてゆく。【図書館】に行けば簡単にダウンロードでき、双方の同意で共有できる知識が、若者を中心に広まらなくなっていくのだ。
「あなたは立派な人だなあ、店主さん。ナナヤン村の村人が朝から大森林のほうに足を延ばすのは、あなたの注意喚起があるからかな?」
「あ、ああ、確かに私は、ナナヤン村の連中に『はぐれを始末すること』と『村の警護を固めること』を優先するように告げた。若者たちが話を聞くようになるまで、彼らの尻拭いをしてやるようにと…。」
「でも、それじゃあダメですよね?」
「追いついていないのは事実だ。あのあたりは盗賊も出る。盗賊は危険なモンスターを殺すことで報奨金を得ているので、金にならない幼獣を放置することが多い…。」
「どうすればいいんでしょうね。どうすればいいと思います?」
思考が誘導されているのをひしひしと感じながら、しかし店主はその先を口にした。言わずにはいられなかった。
「…商品となったモンスターを、分布地に戻す…。今の状況では…それが一番の…一番の、よい選択肢だろう…。」
青年の口が三日月のようにつり上がったのを、店主は呆然と眺める。自ら店をたたむに近い発言をしてしまったことに、不思議と後悔はなかった。むしろ、ずっとこれが言いたかったのだと、店主の軽くなった心が告げていた。
店主は、モンスターを敵として見る世界を変えたかったのだ。きちんと対処すれば互いに良い関係が築けると、誰かに訴えたかった。
モンスターの危険性をよく知る店主だからこそ、それを言う権利があるはずだった。「モンスターは悪である」という世間の一方的な風潮に、いつしか噤んでしまった口を、先ほど会ったばかりの青年が開かせてしまった。
店主はもう、知らぬふりはできない。店をたたむしかなくなってしまった。さわやかな笑顔で、店主のうろたえる目を見もせずに、青年は店主を追い詰めたのだった。
「あんた、やっぱり立派な人だなあ。ね、ね、俺と一生専属契約結びましょうよ。」
「…!」
そう言われた次の瞬間から、店主の脳内残高がものすごいスピードで増えていく。今まさに入金されている。こちらは了承していないはずなのに、なぜかもう契約が成ってしまっているようだった。
「ふふ、ありがとう。」
礼を言われて初めて、店主は自分が頷いていたことに気付く。青年の雰囲気に押されて、無意識に了承していたらしい。
デスクの上で軽く組んでいた両手の内側は汗で濡れている。シャツの背中など、もうびしょしょだ。
ようやく変動が落ち着いた通貨ポイントは、今現在店内に置かれているモンスターの料金分増えていた。
いや、違う、モンスターの料金分のさらに10倍のポイントが入っていた。
この世界で、モンスターに10倍の値段を出す人間がいようとは! モンスター愛護主義者だって、交渉または恫喝、時に殺人により無償でモンスターを連れて行くというのに。この青年は10倍の値を払うのだ。
店主の中でずっとくすぶっていた違和感が消えていくようだった。そう、これこそがきっと、モンスター愛護主義者のあるべき形なのだろう。青年は世間より10倍、モンスターたちを評価している。金を払うとはそういうことだ。
それに比べ、モンスター愛護主義者を名乗る連中の滑稽なこと。愛護を謳いながら、モンスターに払う金はないのだと態度で示している。店主はずっとそれが引っかかっていた。青年の態度が、そのことを店主に気付かせてくれた。
青年に対する感動と、残高が増えたとき特有の興奮に、店主の脳がじゅわりと溶ける。もう何も考えられない。目がとろんとして、中にハートマークが浮かんでしまいそうだ。見ている方はとてもキツい。ダメージを受けないのは基本的に人と目を合わせないコミュ障くらいのものである。そして、青年は奇跡的にコミュ障であった。
「えーと、これからもよろしく。名前、教えてくれますか。」
「私は、タタ・ルゥダリオ・オッグルと。お好きにお呼びください、お客様。」
「タタ(多大に)・ルゥダリオ(拾い上げし者)・オッグルさん、ですか、良い名前ですね〜。オッグル、うーん、オツさんか、グルさんか、どっちで呼んでほしいです?」
この世界の言語では、オツは「気付き、察知、心を得る」、グルは「虫食い葉(転じて美味い葉=特別なもの)」という意味になる。
「どちらで、どちらで呼んでいただいても、嬉しいですとも。」
店主は感極まって少し泣きそうだった。能力を一発で取得するような天才型の店主ーーオッグルには、気安い友人もおらず、あだ名や相性で呼ばれた経験がなかった。
「え、あー、じゃあオツさんで。俺は、ゲン・キノっていいます。」
そう言って、青年は初めて店主と目を合わせた。深いような浅いような特徴のない灰色の目が、表情をギリギリ取り繕った店主の顔を映して揺れる。
「はい、ゲン様。」
様付けで呼んだのは心酔の証だったが、客への当然の対応だと受け取られたのか、ゲンがそのことに言及することはなかった。曖昧に笑って、すとんとデスクから下りると、ゲンはオッグルの顔を覗き込んで言う。
「お店、どうします?」
オッグルは迷わずに応えた。
「これからはあなただけを客とします。店を閉めたとしても、別の店に流れるだけでしょうから。」
「そうですか。助かります。」
うんうんと頷いて、だいたい誰もが持っている生活魔法系統の【接続】により連絡先を交信し、右手の二本指で眉の少し上をなぞる「またね」というジェスチャーをして、ゲンはオッグルの部屋を後にした。
「それじゃ。」
「ええ。」
オッグルは寂しそうに閉まった扉を眺めていたが、ふと我に返り、【アイテムボックス】から吸いかけの巻草を取り出して咥える。
ゲンが出て行った正面の扉とは別にある、部屋の右手に位置する扉は受付に繋がる通路になっている。それをちらりと確認し、オッグルは【接続】で受付の女性を呼び出した。彼女には悪いが、これからは、受付は必要なくなる。
彼女には、この先モンスター管理業務に移動してもらえるかどうか、今から打診するつもりである。
店主ルートが開放されたため、受付のお姉さんルートが消えました。残念です。