101:トリモドス
『祕隱瑕疵“101101 10000000100010 10000000100010 10000000100010 101101 10000000100010 10000000100010 10000000100010”、その命、シャカ・ハンドに返しなさい』
シュッ!――
凡そ、その“音”を聞く事の出来る生き物はいない。
微小な物質の消失、その振幅、その速度。音ならざる六感知覚領域の振動。
婆藪仙人は目からレーザー光を照射、クリカラを2条の可干渉性光が襲う。
ヒトの目には映らない赤外線ビーム。恐らく、何をされたかも理解する事なく逝くであろう死の光線。
ボクの目にはその仄暗い死線が須臾秒単位でクリカラに迫るのを知覚出来る。出来はするがカレを助けられない。
くそっ――
動けないんだ、その速さで。ボクの禍渦を展開出来ないんだ。救えない。
だが――
――杞憂。
クリカラは無傷。
1,500mmの位置から幾重にも天蓋状の光幕が形成されている。逆位相と偏光、反射、それぞれによる遮断性防御幕が展開され、カレを死線から遮る。
恰も、魔術由来の光波を防ぐ防衛術式の如く、そう映る。
只、ボクにはその本質が分からない。
それが物理的に遮ったものか、精髓による對消滅の様なものか、それとも電子計算機処理的なものなのか。
ボクがヒトではないから。人間の知覚出来ない感覚を剰りにも多く持っているせいなのか、共感覚洋に潜没していないからなのか、単純に何等かの知識が欠乏しているだけなのか、それさえ不明。
ヒトならざるボクは、ヒト界隈の遺物の齎す効能を、実感、出来ない。
観る、しか出来ない。
婆藪仙人は牙を剥き出し、その捩れた爪で襲い掛かる。
クリカラは疾風を伴い、体を躱す。
婆藪仙人は、その盲いた目をぎょろりと動かし、クリカラを追う――が、到底及ばない。それ程に、クリカラの身体能力は異常。
その窶れた細長い腕を振り回し、クリカラを捕らえ様とするが掠りもしない。
クリカラは旋回する様に周囲を駆け巡り、螺旋状に距離を縮め、婆藪仙人の体に刀傷が刻まれる。
婆藪仙人は憤怒の形相で一息、ふん、と力む。
切り刻まれた傷から沸騰した血液が飛散、クリカラを覆う。舞い散る血飛沫をこれ亦ひらりと躱し、涼しい顔。
それもその筈。カレの顔は作り物、仮面。
――度合が違う。
その神祕現實の所有者である筈の婆藪仙人の潜在能力は、クリカラに遠く及ばない。
初めて見る謎の光景、見知らぬ敵との戦闘シーン、それが一体何の為に行われ、どんな目的なのかさえ皆目見当もつかないが、そいつが明らかに“格下”と分かる。
『我が資力にて狂い滅せよ』
婆藪仙人の痩せ細った矮軀が紫光を発し、筋骨隆々たる巨軀へと変貌を遂げる。
神祕現實の齎す幻惑地形が崩落しつつある。空間形成に割かれた計算資源を婆藪仙人本人の顕現に集中。みるみる内に鎌倉彫刻を思わす雄々しく力強い巨人と化す。
『これぞ我が神通經<巨神秉>!捻り潰してヤルッ!!』
――愚かな……
ボクはふとそう思った。
この空間ではボクは何も出来ない。それでも、そう思ったんだ。
見掛け上、5mにも及ぶ巨大化を果たした婆藪仙人は両拳を握り締め、高々と掲げてからクリカラ目掛けて振り下ろす。
唸りを上げて振るわれるダブルハンマーをふわりと躱し、左サイドに回り込むクリカラ。目標を外した婆藪仙人の両拳は大地を砕き、地煙を上げる。
クリカラは単元刀を突き立て様としない。隙だらけの婆藪仙人の脇で小首を傾げ、何かを探っているかの様。
婆藪仙人が体を捻り、再び両拳を掲げた時、クリカラの作り物の義眼がちかっと光った様に見えた――そう感じた。
――ドヒュンッ!
婆藪仙人の左側面に居た筈のカレは、今や右側面、正対しようと体を捻った婆藪仙人の背後3m程の処で単元刀を地に並行に掲げ、静止――残心。
居合の達人宛ら、音もなく横薙ぎ、踏み込んだ一足は3間。
息を呑む、とは正にこれの事か。
その様が凄いのではない。身体能力的な事ではない。ボクのそれからしたら何て事のない。只、その様が美しい。
まるで、芸術。
婆藪仙人は腹部を横一文字に斬り捨てられ、算法解を砕かれる。
血液と思しき赤色の液体は細かな文字列を散らし、質感は無機質なプログラムへと変貌する。
やがて、文字列と数字、数式の塊はバラバラに崩壊し、そのいでんしは意味不明な記号のゴミとなり、崩れ落ちる。
霧散する文字列から微かな声が。
『……学習したぞ、祕隱瑕疵!』
不気味な声は婆藪仙人と空間の崩落と共に掻き消える。
晴れる。
陰鬱な作られた空間からの解放。
空気等必要としないボクが、自然な空気の美味さを実感出来そうな程の開放感。
初めての経験。
これが――共感覚洋。
なんてこと……
か・い・か・ん。
ヒトの経験、歴史では紐解けない程、長らく、途轍もない程永らく、惑星単位の悠久の時を歩んできたボクが、初めて見舞う経験。
何も出来ない、この無力さ。
――心地良い程、切なく、そして、ココロオドル。
Kurikara>大丈夫か?
「……え?ぁあ、大丈夫」
Kurikara>其れなら良かった
「うん…………アレ?テキストに漢字が??」
Kurikara>嗚呼、取り戻せたみたい、だな
「取り戻せた?なんのこと??」
Kurikara>漢字Talk、さ
「…………え?」
Kurikara>疎通言語“言選”を取り返したんだ
「……それって???」