100:招かれざる客
――ピッ!
4D造成調理器の非接触型端末に義肢の掌を翳す。
無線LANを経由し、即座に読み込まれた創像が調理器の中で形成される。
濁醪擬――人工血液と乳酸リンゲル液、ビタミン類、蛋白質、ブドウ糖他、各種栄養素を含む乳白色で粘性のある液体。濁醪擬に満たされたメラミン樹脂製のコップを取り出し、ストローを作り物の口許に添え、器用に飲む。
それが、クリカラの食事。
カレにとって食事は、脳機能を中心とした付随物の生命維持に必要な栄養素を吸収する為だけのもの。実に無味乾燥。
只、その点に関して云えば、ボクもさして変わりない。
カレが今、口にした混合物の中で云えば、人工血液だけで十分。尤も、それさえ長らく口にしなくても、ボクの生体活動を脅かす事はない。損傷等を伴っていなければ。ボクは、燃費がいいのさ。
Kurikara>ナニかたべるか?
「……ううん、いい」
――いらない。
電腦網で使えるサービスは、ボクだっていつでも利用出来る。
おなかも減ってないし。
それに――
つくりモノは、あまり好きじゃないんだ。キミの事じゃないけど。
出会って数日。
ボクとクリカラは、当てのない旅をしている。
旅と云っても冒険を思わすそれではない。逍遥、それが正しい。
歩ける距離を適度に歩き、安宿、主に木賃宿や箱型簡易宿所で雨風を凌ぐ、只それだけ。
――不思議。
退屈な日々である事に違いはないけど、独りでいた時より遙かに心地良い。
確かに、誰かといると、気を遣わなければならない。ボクがボクである事を隠し続ける必要性。その面倒さ、億劫。
只、その軽妙な抑圧がボクに社会性を意識させる。根本的に欠落したボクの欠点。それを補える、学べる、そんな気が、しないでもない。
奇妙な感覚。
ボクはボクに似た存在を鏡で見るかの様、認識する、殊更。
自棄に感傷的。何故だろう?
精髓不足なのだろうか?それとも、栄養不足?
ドクンッ――
そう思ったのも束の間、鼓動にも似た微かなニュアンス的ノイズを伴う精髓の急激な集約、その事象の乱れ“禍渦”の発現を察する。
SE以降、現実化した空想世界の齎す証明不可能力場。実在性を疑う余地のない神祕現實。物理法則を越えた奇跡の幻想空間。
正に、混沌の渦。
併し、――
併し、見知った禍渦のそれとは何かが微妙に違う。
――存在意義の闕如。
敎會の術士や物の怪の生み出す禍渦が持つ特徴――存在意義――が感じられない。
凍てつく程、冷たい精髓の収束。まるで、領域そのものが死んでいる様。
突如、視界を奪う真っ黒な空間に包まれる。常闇を昼間の様に見通す事の出来るボクが、視力に限った話で云えば完全に盲目、それ程の黑、無反射の世界。
唐突にグリーンモニターを彷彿とさせる、帝国特有の縦書きプログラミングの緑色の文字列が無数に上空から降り注ぐ。
深視力を損なわせる程の闇に奥行きを感じさせる鈍いノイズを伴った緑文字が幾重にも滑落し、間もなく、宇宙の深淵にある未知なる星雲を思わすガス状の光の群れが重なり合い、複雑怪奇で幾何学的な物質を形成し始める。
それは禍渦の混沌性とは真逆の理路整然とした秩序、だが、気狂いじみた緻密さと膨大な情報量故、思考的錯誤と知覚に麻痺が生じる。
「これは一体!?」
スマホへの通知。
Kurikara>この“ば”からはなれるんだ!
「!?……えっ?」
Kurikara>ヘーカシット!まにあわんか
超人的なスピードで目の前に立ち塞がるクリカラ。
両の義手から単元刀を突出させている。この者、既に臨戦態勢。
Kurikara>ひそうひひそうてん!ヤツらのテリトリーだ
「非想非非想天?なんなの、ソレ?」
Kurikara>AIによるわれわれのせかい、うつしよへのきょうせいしんにゅうだ
「禍渦とは違うの?」
Kurikara>せつめいはあとだ、さがっていろ
複雑且つ滑らかで流動的な軌道を幾重にも張り巡らせた緑に輝く文字列は、各々が微小に変遷しながら高速で収束し、ヒト型の様相を呈する。
舞い散る光の粒による難解で微細な文字列が集合し、出現したヒト型の前に巨大な言靈を形作る、鏡像反転した【婆藪仙人】と。間もなく、その文字は砕かれた硝子音を立て、崩壊する。
「!!あ、アレは!?」
Kurikara>ヤツはいでんし!くわれるぞ、さがっていろ
驚ろ驚ろしい翁の姿を顕わにしたそのイメージは、今や完全に具象化を果たし、クリカラと相対する。
『見付けたゾ、祕隱瑕疵!』
――何事?
神祕現實の一種だとは認識出来る。だが、禍渦と違い過ぎる。
加特力の聖職者共は常に禍渦を纏っていた。彼等の信じる神の奇蹟を実現する為に精髓を費やし、存在意義で干渉した事象力場。それが禍渦。
破る方法は簡単。
彼等以上の存在意義で再干渉、或いはボクが禍渦を創造してしまえばいい。
喩えるのであれば、力比べ。
実に、容易い。
でも、今、ここで起こっている神祕現實は違う。
似てはいるが、全く性質が異なる。
――なんてこと……
對消滅出来ない。
ボクの力が、干渉しない。
なんて、ボクは無力なんだ……