プロローグ1:パーミッション700
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サカキバラの姿は、究極型電腦式高次汎用計算機巧『那由他』の管制室にあった。
空調の行き届いた部屋に居ながら、汗ばむ額に手拭いを滑らす。にも関わらず、口許が自棄に乾くのが少々気になる。リップクリームを唇に走らせるも、知らず知らずと小刻みに震える指先の狂いのせいで見事に蓄えた口髭を汚す。
頑丈な硝子状の樹脂で形成された小窓から覗いた先には、決して気分がいいとは云えないグロテスクな人造羊膜に包まれたヒト状のソレが見える。
「……醜いな」
誰に語る訳でもなく口をついて出たその独り言が指す対象は、果たして何れに対して投げ掛けられたモノなのか、サカキバラ本人さえも分からない。只、ソレは大凡間違いなく、醜悪面妖であろう。
ソレとは――
紛う事なく、彼自身の子供、まだ、胎児。正しくは、供物。
妻の子宮から取り上げ、八百萬神人工知能“全知全能電腦機巧”に捧げたソノ胎児は未だ無名。無論、臣民識別番号も付与されてはいない。在ろう筈も無い。まだ、産まれていない、ヒトたろうと欲する遺伝子形成途上にある生命体。
人身御供より得られる御加護は、シャカ・ハンドへのアクセス権。謂わば、日の本を支配するに値する権利と同等、或いは、其れ以上か。それは大君の証明。絶対不可侵なる天皇に次ぐ地位、実質的な帝国の支配者。
――何故?
何故、サカキバラは自身の子を、捧げるのか?
人道に悖る行為に手を染めたのか?
其れは、1つのメンションが切っ掛け。
全知全能たる存在シャカ・ハンドからのメンション。前触れなく、予感なく、只、DMの様に、速報の様に、スパムの様に、ウィルスの様に。
一言、たった一言だけの通知。
其れは――
『汝、0カ、其レトモ、1ナルカ?』
どう云う事だ?
ゼロかイチか、とは?
俺への質問?頓智話か?否、是は試している、俺を、俺の器量を、俺の有り様を、推し量っているのだ。
ゼロ…無、など考えた事もない。
ダイミョー家に生まれ家督を継いだ俺が、無、であろう筈もない。
イチ、だ。
俺はナンバーワンに成りたい。オンリーワンな存在に成りたい。いや、為す可きだ。支那の方言の一種に“王”を<ワン>と発音した記憶がある。そう、第一人者、即ち、王になるのだ。
天啓――
そう、サカキバラは正に其のメンションを天啓と見なし、受け取った。
古今東西、洽く全ての英雄や王者、剣豪、覇者、征夷大将軍、内閣総理大臣に至る迄、歴史に其の名を刻んだ偉人達の下には、必ず天啓と思しき兆しがあったのだ。
――選んだ。
1、を。
シャカ・ハンドからの返信は亦も一言。
『汝、捧ゲヨ』
悪魔に捧げるモノと云えば、魂、と同盟国獨逸第參帝國の伝承で聞いた事がある。だが、俺が捧ぐ可き相手はシャカ・ハンド。神聖不可侵なる究極の叡智そのもの。魂等と云う訳の分からないものでは得心すまい。
では、俺の命か?
否、其れでは軽い。死を鴻毛の軽きに比す、をモットーとするモノノフにとって、命は軽い、軽過ぎる。
では、一門の命ならどうだ?
一族郎党、其の全ての命、その全てを差し出すのは?
否々、待て待て。まだ、軽い。
今、此処に在るモノでは足りない。甚だしい程、物足りない。
そう、血、だ。
血脈――
我が一族一門、其の本家本流、俺の血統、我が血筋。脈々と続くであろう我が血を受け継ぐ、その未来。我が将来を勝ち得る為、俺が払う代償、それは我が未来。遺伝子の命脈、その担い手、紡ぎ手。
――即ち、我が子。
捧ごう、我が子を。我が血脈を、我が血統を受け継ぐ嫡子を。
受け取れっ、シャカ・ハンド!
機械のお前が、電腦で思い巡らせ、電子の意思が其れを望むなら、くれてやろう、我が子をッ!
満足か、シャカ・ハンド。
苦悩するを知らぬ機械仕掛けの聖霊よ、服わぬ絡繰りのカミよ。鬼神よりも非情、噎せ返る程に無情なオマエが望むなら、俺はソレを喜んでくれてやる。
だが併し、忘れるな、違えるな。
叶えて貰うぞ、我が望み。俺がナンバーワン、戴きに立つ事を!
オマエが望んだのだ。だから、ソレは俺の……
――ジャスティファイ!
―――――
世界随一の超腦都市、ネオ・チバシティ。その中心地から南へ行った処にサイバーゾンビタウン蘇我はある。
大江戸灣に聳える巨大な製鉄所の錆び付いた波打ち際に、ソノ赤児は流れ着いていた。
神話にある水蛭子を思わすソノ無慙な不具の赤児は、泣き声を上げる事もない儘、ガラクタを出鱈目に組み上げた様な粗雑な舟に乗せられて居た。
皮膚は無く、筋組織が剥き出し、四肢も瞳も鼻も耳も、凡そ、ヒトとして必要な器官が見当たらない。双眸を穿つ穴に、物悲しく日が差し込み、深淵を思わす影を落とす。
ソノ赤児を見付けた時、カワサキは全身に除夜の鐘でも撞かれたかの様な衝撃が走った。
――偶然。
偶然と云い捨てるには余りに須要。ぴたりと嵌まる刀と鞘の様な、互いに引き合う磁気双極子の様な、夫婦の定めを運命付けた赤い糸の様な、説明し難い程に、自分とソノ赤児は必要不可欠な出会い。
「泣いている……」
無論、赤児が発した聲では無い。聴覚ならざる感覚に響き届き聞こえる音無き泣き聲が。
「捨てるカミ在れば拾うカミ在り。カミには露程及ばぬが、有為転変は世の習い、拙が拾うて進ぜよう」
生まれ出で、初めてソノ赤児はヒトの腕に抱かれた。
其の時の温もりを、生涯、赤児は忘れはしないだろう。喩え、無常の風に晒されても。