騙されたから魔王の嫁になった
目の前の玉座には怒りをまとった男が座っている。魔王だ。
俺はその目の前で無様に床に寝っ転がっている。縄が絡まっているわけでもないのに身動きが取れない。きっと魔王の魔法だろうな。
「これはどういうことだ? おまえ一人が我が城に取り残されているというのは」
そんなこと俺の方が聞きたい。……いや違う。どういうことだかもうわかっている。
俺は騙されたんだ。俺をここまで連れてきた連中に。
左右の確認を横着したばかりにトラックに轢かれかけたと思ったら、見知らぬ土地で倒れていて。訳がわからずふらついていたら、中世ヨーロッパみたいな格好の人達に保護されて、立派な城に連れて行かれて。
そこで俺はこの世界に転移してきたとわかり、この国を救うための勇者なんだと言われ、魔王を倒すよう頼まれた。
自分が勇者だと言われ、俺は興奮した。異世界でのこれからの生活に不安はあったけれど、それ以上に自分は特別なんだという優越感がすごかった。
ただ、武道の経験なんて授業での柔道ぐらいしかなかったから、勇者だからってちゃんと戦えるかどうかと不安を訴えたら、サポートは大勢つけてくれた。
魔王を倒す勇者御一行という割りには人数が多くて大名行列みたいだなとは思ったさ。剣を渡されてたけど、魔物と戦闘になっても後方で守られていたし。魔物と一切戦わないとか、呪文が使える気配もない勇者とかありえるのか気になったけど、魔王と対峙した時に勇者にしかない力が発揮できるようになるのかと考えていた。
ある意味、魔王に対峙した時にちゃんと大事な役目は回ってきたよな。俺を保護した国の人間の代わりに魔王に生贄にされるっていう。
俺はあいつらに騙されたんだ。……ちくしょう。
「せめて苦しくないように殺してくれよ。魔王ならそういうこともできるだろ」
情けないけど、結局ただの人間でしかなかった俺にできることなんて、口を動かすことぐらいしかできない。
すると、魔王が不愉快そうに眉をひそめた。
苦しくないようになんて頼んだのは失敗だったか? かえって弄ばれちまうのか?
「なぜ、私がおまえを殺さなくてはならない?」
どうして俺がそんなことを聞かれるんだよ。
「俺を食うんだろ。俺は生贄の身代わりにされたんだからな」
「おまえが身代わり?」
「俺をここまで連れてきた国の人間が、自分達が生贄になりたくないから俺を騙してここまで連れてきたんだよ」
「……なるほど」
俺の話に魔王が納得したよう呟くと、急に体が軽くなった。
見えない拘束が解かれて、俺は動けるようになっていた。
上半身を起こした俺に、玉座を下りた魔王が近づいてきた。
「私が要求したのは私の妻となる娘だ。いつの頃からか、私が娘達を取って食うと人間の国で言われるようになったのは知っていたが、本気でそう思われていたとはな」
そうだったのか。なら、俺はバリバリ食われるわけじゃないのか。
でも、あの国の奴らが男の俺を代わりに置いて行ったことには変わりない。なにも解決してないな。
俺の前で片膝をついた魔王の長い指先が顎にかかって、俺の顔を上げさせた。
魔王の顔が近い。元の世界じゃ……いや、こっちの世界でも見かけなかったぐらい、整った男前だ。それが面白そうに……笑ってる? さっきまであれだけ怒っていたのに。顔を上げさせる指だって、そっと添えているだけで痛くない。
「そうだな。おまえが私の妻になるか?」
間近で俺の顔をじっくり眺めていた魔王がなにか言い出した。
「俺は男だぞ?」
どう間違っても女に見えるような顔も体もしてないと思うんだけどな。そりゃあ、俺をここまで連れてきた勇者様御一行の兵士達に比べるとモヤシかもしれないけどさ。
「魔法でおまえを女にしてしまえばいい」
ちょっと魔王様、節操なくねえ?
逆か。白羽の矢を立てたりしないで、ただ単に妻になる女を寄越せってずっとやってきたのなら、本当に女ならなんでもいいんだな。
「今までの生贄はどうしたんだよ」
「みな死んだ。……勘違いはするな、妻にした者を食べたことはない。みな寿命か病気で死んだ。私の妻となった身を嘆き悲しみ、衰弱して床に伏せた者がもっとも多かった」
「……それでも、人間の女を要求するんだ?」
「人間と揉めたいわけではないんだがな」
いろんな人間がここに来たけど、誰も魔王のことを受け入れられなかったんだな。……で、とうとう俺を前にして節操なしになったと。
「どうだ。おまえが私の妻となったら、どんな願いでも一つ叶えてやろう」
一つだけとかケチくせえ。魔王様のくせに。
……違う。願いを一つだけじゃなくて、一つだけどんな無茶な願いでも叶えてくれるのか。
「なんでも?」
「なんでも」
俺の願い。魔王が叶えてくれる無茶な願い事。……うん。一つしか思いつかないな。
魔王は余裕の顔だ。想像がついているのか、俺の願いが。
「わかった。あんたの嫁になってやる」
妻という言い方は気恥ずかしくてできなかった。嫁もどうかと思うけど。
「では、交渉成立だ」
魔王が俺の頭の先から肩までをするりと撫でた。
痛みも苦しみもなかった。ただ、肌に触れる生地の感触が急に変わった。
見下ろすと、長く伸びた髪が肩からさらりと流れ落ちて、俺の服はふわりとした優しい肌触りの白いドレスに変わっていた。胸の下に切り替えが入っていて胸の大きさが強調されて、締め付けのない腰回りがドレスの下でスースーする。
魔王の妻なのに黒じゃないんだな。こいつはこういうのが趣味なのか。顔はどうなっているかわからないけど、満足そうに笑っているから、顔もきっとこいつ好みになっているんだろうな。
「さて。おまえの望みはなんだ?」
「……俺を騙した国の滅亡を」
澄んだきれいな声だった。「俺」という響きに強烈な違和感があるぐらいに。
これは……どうせなら、見た目に見合う中身になりたいな。今すぐには抵抗があるけど、いつかは。魔王もきっとそういうのが好みだろうし。
それにしても、願いを口に出したせいで、改めてあいつらへの怒りが思い出されて腹が立つ。自分でも顔が引きつってきたのがわかる。
そうしたら、魔王が俺の強張った頬を撫でた。
「どうせなら、可愛い妻に愛らしくねだられてみたいものだが」
なんなんだ、このワガママ魔王様。……もしかして、今までの妻達には嫌われていたから、可愛く迫られたりねだられたりしたことがないのか。
いいよ、ノッてやる。
「私のためにあの国を滅ぼしていただけませんか。愛しい魔王様」
ちょっと大げさなぐらい丁寧に言ってみたら、高くなった声もあいまって自分のセリフに聞こえなかったけど、目の前の魔王は嬉しそうに目を細めた。
「我が愛しの妻のためなら」
大きな掌が頬を撫でるから、俺は黙って目を閉じた。
その後、人間の国が一つ滅び、残された土地には魔王配下の魔族が大手を振って徘徊するようになった。
でも、魔族に怯える人間がいないんだから、平和でいいんじゃないかな。