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放課後探偵は今日も退屈

作者: 犬上義彦



 中学生男子なら誰でも一度は憧れたことがあるはずだ。

「俺は山越雅之、探偵だ」

 鏡に向かってつぶやいたことがあっても、まあ、男の子だから仕方がない。

 でも、一ノ瀬真琴に見られたら致命的だ。

 探偵事務所を開く前に一生馬鹿にされ続ける。

「だってさ、こいつ、ベランダに出て一人でぶつぶつ何か言ってるなと思ったらさ。探偵だよ、探偵」

 中学に入学してすぐのことだ。

 僕は教室のベランダに出て、窓を鏡がわりに名乗る練習をしていたんだ。中から一ノ瀬が見ていたのに気づくまで何パターンか試していたから言い訳なんかできるわけがない。

「ちょっと寝癖を直していただけだよ」と髪の毛をいじるふりをしたけど手遅れだった。

 あっという間に言いふらされて、クラス中の女子に笑われた。

 ある意味良かった点もある。地味な僕にも「探偵さん(仮)」というキャラがついたのだ。いい自己紹介になったというものだ。

「男の子ってたいてい探偵に憧れるでしょ。あんたガキっぽいから似合ってるよ。あたし助手になってやるよ」

 それ以来僕は一ノ瀬真琴にまとわりつかれている。

 名探偵には事件を引っかき回すおっちょこちょいな助手がつきものだからしょうがない。あいつならちょうどいいや。

 ただ残念なことに僕らの北中には七不思議なんてないし、放課後のなんとかという怪人も現れない。無くした教科書を探してくれなんていう依頼すらない。

 僕の顔を見るたびに、「なんか事件ないの、探偵さん。退屈なんですけど」ってからかうのが真琴のお約束だ。

 一度、サトシって名前の書いてある消しゴムを拾ったことがある。クラスには一人しかいないから、推理するまでもなかった。でも、ヤマザキサトシっていうやつに持っていってやったら、「俺のじゃないよ」って言われた。

「あんた馬鹿じゃないの」ってなぜか一ノ瀬に笑われた。

「消しゴムに自分の名前なんて書くわけないじゃん」

 じゃあ、なんなんだよ。せっかく親切に持っていってやったのに。

 持ち物に名前を書くのは基本だろ。

「とんだ疫病神じゃん。あんたが怪人なんじゃないの。探偵が実は犯人でしたって」

 何言ってんだ?

 こんな感じで一ノ瀬はたまに意味の分からないことを言う。

 困った助手だよ。


 そんな僕らもこの春から三年生になった。

 変わったことと言えば、外見だけだ。

 入学当初は二人とも百五十センチだった身長が僕は十五センチ伸びて、真琴は十センチ伸びた。負けると困るからもう少し伸びて欲しい。

「ねえ、身長はいいからさ、胸が大きくなる方法教えてよ、探偵さん」

「筋トレでもすれば」

 まったく、助手なんだから探偵の仕事を持ってきてくれよ。

 もう一つ、真琴は長かった髪をばっさり切った。

「べつに失恋なんかしてないけど」

 うん、知ってる。そんな話聞いたことない。

 毛先を顎のラインに合わせたボブヘアでけっこう似合ってる。女子のヘアスタイルが気になったのはその時が初めてだった。

 でも言わないでおく。あいつをほめるのはなんか悔しい。

 まあ、その程度だ。たいした変化はない。結局三年間クラスは同じになった。

 事件のない退屈な日常が相変わらず積み重なっていくだけだった。


 僕らは一年生の時から地元の学習塾に通っている。積分館という個人経営の塾だ。

 元々コンビニ店舗だった建物を改装した塾で、おじさん先生と大学院に通っている若息子先生の二人でやっている。僕の姉も通っていたから自然と行くようになった。そしたら一ノ瀬も加わった。塾までついてくるなよって思ったけど、学力も同等だからこちらもずっと同じクラスで変わらなかった。

 そんな塾に春から新入生がやってきた。東中学校の女子だった。地元向けの小さな塾だから、東中の生徒はあまり見かけない。

 僕ら北中の生徒はいったん帰宅してから私服で来るけど、その女子は制服で来ていた。白いセーラー服だ。セーラー服と言えば白地に黒い襟とかだけど、東中学校は全体が白基調のデザインだ。うちの北中は男女とも地味な灰色ブレザーだからけっこう新鮮なイメージがあった。興味はないけど、東中男子は昭和風詰め襟学生服だ。

 まだ授業前の休憩時間で、早めに来た生徒たちが宿題を見せ合ったり雑談したりしていた。

 僕も横の席の真琴と雑談をしながら後ろの隅に一人で座っている新入生を観察していた。

『はきだめに鶴』というカルタ札を作るなら彼女と真琴の写真を並べればいいな、なんて考えていたら、チラ見していたのがばれたらしい。

「なになに、あんたああいう子が好きなの?」

「制服だからめずらしいなって思っただけだよ」

「ホント男子ってやらしいよね」

 どう聞いたらそういう結論になるんだよ。推理の過程を聞かせてくださいよ。

 あ、探偵は僕か。

 真琴が立ち上がって、跳びかかる獣みたいな勢いで後ろの席に駆けていった。

「ねえ、あたし一ノ瀬真琴って言うんだ。北中ね。よろしく」

 初対面でも気軽に話しかけるああいう性格はうらやましい。

「東中の坂口です」

 新入生が戸惑いながら首をすくめるようにうなずいて返事する。真琴はすかさずスマホを取り出した。

「ねえ、スマホ持ってる? 交換しよ」

 すぐに連絡先までゲットしやがった。どうせ僕はスマホを持ってないですよ。

「へえ、坂口香凛っていい名前だね。じゃあ、ありがとね」

 僕の横に戻ってきて、スマホの画面を見せる。

「へへへ、情報収集してきましたぜ、名探偵さん」

 なかなか優れた助手だ。

 真琴はいきなり僕に顔を寄せて二人の自撮り写真を撮った。

 いきなり何してんだよ。

 画面を確認すると、さっそく送信する。

 おい、どこに送るんだよ。

 後ろの席でピロンと鳴った。

 坂口さんが画面を見てから僕たちに軽く手を振ってくれた。

 退屈な日常が少し動き始めたような気がした。


 その次の日から僕らは坂口さんの近くに座るようになった。塾の机は二人用の会議室テーブルだから、真琴と坂口さんが隣同士で、僕が一人で後ろに座る感じだった。

 その日も授業前に雑談をしていた。

「ねえ、この宿題分かった?」

 真琴がプリントを出すと、坂口さんが首を振る。

「私、数学苦手で全然ダメなの」

「あんたはやってきた?」

 僕はけっこう数学は得意だ。

「答え合わせなら、見せてもいいよ」

「ありがとう」

 坂口さんがイスの向きを変えて僕と向かい合わせにプリントを見ている。

 展開と因数分解のちょっと複雑な式だけど、あんまり合っていない。

「これ、マイナス配ってないから符号を間違えてるよ」

「あ、そうなんだ。ありがとう」

「公式使わないで普通に分配法則で配った方が分かりやすくていいよ」

「すごいね。教え方上手なんだね」

「途中の式が書いてあると見直しもできて、かえって時間の節約になるからね」

 坂口さんにほめられて僕はちょっと調子に乗っていたのかもしれない。

 横で真琴がわざとらしくシャーペンをカチカチカチカチやりはじめた。

 僕のプリントを見て自分の宿題の間違いを見つけたらしい。

「ちょっと、あんた消しゴム貸しなさいよ」

 真琴が僕に手を出す。

「あ、私の使っていいよ」と、坂口さんがきれいな消しゴムを差し出す。

「へへへ、大丈夫よ、コイツの借りるから」

 しょうがないな。

 筆箱から出して渡すと、答えを消してもそれっきり返してくれない。

 それどころか、坂口さんに消しゴムを見せて、とんでもないことを言い出した。

「こいつね、消しゴムにあたしの名前書いてあるんだよ」

「え、そうなの?」

 そんなわけあるかよ。

「ほら、マコトって。あたしもマコト」

 僕の消しゴムは姉が京都から買ってきたお土産物だ。ちゃんと使わないと姉にシメられるから仕方なく塾で使っていたんだ。「新撰組消しゴム」とかいって、ケースの両面に沖田総司と土方歳三の絵が描かれている。確かに背景の旗に「誠」って書かれている。

「違うよ。そんなわけあるかよ。漢字が違うだろ。そんな変な消しゴム、うちのねえちゃんが買ってきたんだし」

「聞いた? こいつね、シスコンなのよ」

 そーじゃねえし。

「わざわざこんなことしなくたって、あたしたちの仲がいいのはみんな知ってるって」

「だから違うって」

 ちょっと焦って声が大きくなってしまった。

 他の連中もこちらを見ている。微妙な空気になってしまった。

「こいつ、かわいいでしょ」

 真琴は気にせずくすくす笑っている。

 坂口さんは困ったような顔をして答え直しをしていた。

 前の机でピロンと坂口さんのスマホが鳴った。

 肩がピクリとして、前に向き直ってあわててスマホをおさえる。

「ごめんなさい。電源切っておくの忘れちゃった」

 真琴が振り向いてシャーペンを振る。

「まだ授業中じゃないし、大丈夫だよ」

「でも他の人にも迷惑だから」

 顔を赤くしながらスマホを操作している。そんなに気にしなくていいのにな。

 真琴が僕を見ている。

「あんた、人のスマホ、盗み見しちゃダメよ」

 してないし。今度はちゃんと小声で言った。

 真琴が坂口さんに告げ口する。

「こいつね、あたしの消しゴム盗み見したんだよ」

「え、そうなの」

 坂口さんに誤解されてはたまらない。

「この前借りたときに見えただけだろ。それにさ、『バーカ』って書いてあったじゃんか。ただのトラップだろ」

 真琴が口に人差し指をたてる。また僕は少し興奮していたようだ。

「でも、願いがかなったでしょ。お互いに」

 真琴が坂口さんに向かって片目をつむってみせる。

「あ、そういうことなのか」

 納得したように坂口さんもうなずく。

 真琴がプッと吹き出す。

「でも、伝わってないのかもなあ」

 坂口さんも相づちを打つ。

「鈍感そうだもんね」

「そうなのよ。名探偵気取りなのにおバカさんだからさ。全然伝わらないの」

 女子の会話はたまに意味が分からない。


 その日、塾からの帰り、僕たちは星空の下を並んで歩いていた。毎回いちおう僕が真琴を家まで送っていくことになっている。ボディーガードも立派な探偵の仕事だとうちの姉が言っていたので逆らわないことにしている。どうせ帰り道の途中だ。

 真琴がつぶやいた。

「坂口香凛っていい名前だよね」

「そうだね」

「香凛って、凛とした香りっていうことだけど、どんな香りだと思う?」

「なんだろうね。柑橘系とか」

「甘酸っぱいレモン味とか。昭和の漫画か」

「じゃあ、何だよ?」

「熟成されたヴィンテージワインのような芳醇な香り」

「大人だな」

「でも、芳醇な香りって言っちゃったら凛とした香りじゃなくなっちゃうよね」

 自分で言って自分でツッコミを入れて楽しんでいる。

「じゃあ、なんだろうな」

 考えても何も思いつかないまま、真琴の家の前まで来てしまった。

「あんたさ、次の塾の時に、クンクンかがせてもらったら」

「ただの変態じゃないか」

「だって、そうじゃん」

 僕が言い返そうとすると、「じゃあね、おやすみ」と手を振って真琴が家に入ってしまった。

 ずるいな、あいつ。


 四月が終わってゴールデンウィークあけに塾のクラスが振り分けられた。

 積分館では一つの学年が学力別に二つに分けられている。上級クラスはおじさん先生、普通クラスは若息子先生が担当だ。

 僕と真琴は上級クラス、坂口さんは普通クラスになった。数学が苦手だと言っていたからしょうがない。別々の部屋だから授業の前後ぐらいしか会えなくなってしまった。

「あんたもスマホ買えば」

 真琴はしょっちゅう連絡を取り合っているらしい。

 何を送ってるんだか。

「残念でした。あんたのことなんかちっとも話題にならないよ」

 はいそうですか。

 そんなある日、学校の放課後に真琴が話しかけてきた。

「ねえ、今日ショッピングモールまで買い物に行きたいんだけどさ。あんたつきあってよ」

「なんで僕が?」

「塾もないし、ヒマでしょ」

 そりゃね。

「じゃあさ、探偵への依頼ってことで。か弱い乙女のボディーガード」

 ちょっと待て。

 どこに『か弱い乙女』がいるって?

 まずは捜索願からか。

「言い方変えたって、ただのパシリじゃんか」

「本当の名探偵は仕事を選ばない」

「名言みたいに言ったって同じだよ」

 ショッピングモールは東中の近くで、少し遠いから親の車で行くことが多い。バスでも行けるけど、用事もないのに行くところではない。

「アイスおごるからさ」

 なぜかしつこく誘ってくる。

 こういうときの真琴は何か裏がある。その理由を探るのも探偵の仕事かもしれない。

「忘れるなよ。おごりだぞ」

 学校からバスに乗ってショッピングモールに着いたら、平日のわりに夕方の時間帯は買い物客が多かった。

 真琴は一階通路を端から端まで歩くと、二階に上がって、またきょろきょろしながらどんどん通路を歩いていく。ずいぶんと歩くペースが速い。何を探しているんだろう。

「何を買うんだよ」

「何も買わないよ」

「じゃあなんで来たんだよ」

「欲しい本があるかなって」

「じゃあ、本屋に行けばいいじゃんか」

 なにを回りくどいことを言っているんだろう。

 本屋は学校帰りの学生でにぎわっていた。

 何を買いたいのか、真琴は雑誌のコーナーを眺めながら漫画の棚へと移動して、文庫本コーナーにやってきた。

 ラノベの棚の前にセーラー服と詰め襟学生服の中学生がいた。二人とも学生鞄に体操服袋がぶらさがっている。見覚えのある東中の生徒だ。

「あ、偶然だね」

 真琴が声をかけると、驚いたように振り向いたのは坂口さんだった。隣の男子生徒は困惑した表情で僕たちを見ていた。僕よりも背が高くて、寝癖なんかつきそうもないサラサラ髪のさわやか系男子だ。

「あ、うちら坂口さんと同じ塾の一ノ瀬と山越です。北中ね」

「あ、どうも。東中の岡本です」

 真琴が胸の前で人差し指を左右に揺らしながら、坂口さんに尋ねた。

「あれ、もしかしてカレシ?」

 おい、失礼だろ。

 坂口さんは顔を赤くしてうつむいてしまった。

「あ、ごめん、ホントにそうだったんだ」と真琴が胸の前で両手を広げる。

 どうも、とカレシが軽く頭を下げた。

「じゃあ、お邪魔しちゃ悪いね。うちらは向こうへ行きますワ」

 真琴がブルドーザーみたいに僕の背中を鞄で押す。僕は押されるまま本屋を出た。

 抵抗する気力もなかった。というより、この場から全速力で逃げ出したかった。

 フードコートまで来たところで真琴が僕を空いている席に座らせた。

 タコヤキのソースとかつおぶしのいい香りが漂ってくる。急におなかがすいてきた。

 でもショックだな。

 カレシいたんだ。

 よっぽど顔に出ていたのか、真琴が僕をのぞき込むようにして言った。

「名探偵さん、問題です」

「なんだよ」

「さっきの男の子の名前は何でしょうか」

「えっと、岡本って言ってなかったっけ」

 僕はなるべく興味なさそうなふりをして答えた。まあ、忘れたくても忘れられそうにないけどね。

「下の名前は?」

 あ、そういえば名字しか知らないや。

「さっき、名字しか聞いてないよね」

 ブーと真琴がブザーの真似をする。

「答えは岡本健介でした」

「何で知ってるの?」

「第二問、なぜでしょう?」

「坂口さんにスマホで名前を聞いていたから?」

 またブーだ。

「違います」

「じゃあなんでだよ」

「さっき体操服袋に名前が書いてあったから」

 なんだ、簡単だな。

「そんなことも見てなかったの。観察力は探偵の初歩でしょ、ホームズ君」

 あれ、それこっちのセリフだよね。

「いやさ、ほら、個人情報のうるさい時代だから、あえて見なかっただけだよ。我が探偵事務所はコンプライアンスを重視しているからね」

 真琴がニヤニヤしてる。

 と、急に真面目な顔になった。

「坂口さん。カレシいたんだね。ショック?」

「なんで、べつに。関係ないし」

「関係なくても、ちょっとは気になったでしょ」

 僕は心をえぐる真琴の攻撃にちょっとイライラしていた。

「おい、まさかこのためにわざわざここに来たのかよ」

「違うよ。偶然だよ」

「知ってたんだろ」

「どうしてそう思うの、探偵さん」

 第三問かよ。

「ヒントは二つ。消しゴムとスマホ」

「そんなの簡単じゃん。スマホで連絡取ってたんだからカレシがいることくらい聞いてたんだろ」

 またブーだ。なんでうれしそうなんだよ。

「全然違うよ。坂口さん、カレシがいるなんて言ってなかったし、さっき会った時だって隠してたじゃん」

「あ、そっか。見られて恥ずかしがってたもんな」

「なんなら、証拠としてあたしのスマホ見る?」

 真琴がスマホを僕に差し出す。

 僕は強がって首を振った。

「個人情報は見ないことにしてるんで」

 スマホじゃない。

 じゃあ、なんだ?

 消しゴムっていうのは好きな人の名前が書いてあるってことか。僕の新撰組消しゴムみたいなやつだよな。まあ、あれは姉の嫌がらせなんだけど。何で僕にわざわざあんな物使えって言ってたんだろう。別にお互い歴史好きってわけでもないのにな。

「消しゴムに彼氏の名前が書いてあったのを見たのか?」

 ブー。

「見てないし。たぶん書いてないよ」

「どうして分かる?」

「だからそれが問題じゃん」

 どういうことだよ。

「名探偵なら、そのくらい論理的に答えられるでしょ」

 心をえぐり、さらには挑発までしてくる。とんだ助手だよ、まったく。この人手不足の世の中じゃなかったらクビにしているところだよ。

 でも、「あらあ、分かんないんですかあ」なんて馬鹿にされるのは悔しい。

 名探偵の名誉にかけて謎を解かなくては。

 真琴がほおづえをついて退屈そうにつぶやく。

「名探偵ってさ、自分でわざわざ事件を引っかき回して犠牲者増やして、最後の最後にようやく『実に単純なトリックですよ』なんて言うよね」

 僕はそんなことはしない。名探偵だけど。

「消しゴムに名前を書くってどういう意味だか分かる?」

「好きな人の名前だろ」

「だからさ、それをなぜ書くのかってこと」

「好きだからだろ」

 真琴の頬がほんのり赤くなる。

「ああ、あんたのその単純さが好きだわ」

 馬鹿にされたよ。

「あのさ、両想いだったら、わざわざ消しゴムに名前なんて書かなくていいじゃん。それだったら持ち主の名前すら書く意味ないじゃん」

 たしかにそうだな。

「で、つまりどういうこと?」

「だから、それを名探偵が華麗に答えるんでしょうが」

 あ、そうか。

「両想いじゃないから書くのか。ふられちゃってヨリを戻したいとか」

「あんたは常に斜め上を行くね。どうしてそっちに行くかな」

 じゃあ、なんだ?

「片想いだからでしょ」

「片想い?」

「そうだよ。だからさ、もう両想いになってるんだったら、わざわざ名前なんか書かないってこと」

「なるほどね」

「で、坂口さんの消しゴム、新しかったでしょ。使っていいよって言ってたし」

 そういえばきれいな消しゴムだった。

「だからね、少なくとも今はもう名前を書く必要がない状態になっていたってこと」

 論理的だ。さすがは僕の助手だ。

 でも、詰めが甘い気がする。

「でもさ、それって、単純に好きな人がいないって可能性もあるじゃん」

 真琴がため息混じりに笑う。

「スマホは?」

「スマホがどうした?」

 何かあったっけ?

「坂口さん、塾でスマホが鳴ったとき、あわてて電源切ったことがあったでしょ」

「ああ、あったね。マナーの問題でしょ。授業中に鳴ったら先生に怒られるじゃん」

「あんたさ」

 真琴が言葉を切って僕を見つめた。

「将来、浮気されないように気をつけな」

「どこからそんな話になるんだよ」

「あのさ、女子の友達からの着信だったら、あんなにあわてて画面を隠さないでしょ。べつに普通の会話だったら見られたって平気なんだから」

 あ、そうか。

「男子からの着信だったから、画面に名前も出ちゃうし、見られたら恥ずかしいんでしょうよ」

「そうだったのか」

 僕はスマホを持っていないからそんなこと考えたこともなかった。

 真琴が軽く背伸びをしてイスの背もたれに体を預けた。

「でもね、あんた、まだ肝心なことが分かってないでしょ」

「どういうこと?」

「見られたら恥ずかしい男子がいるってことは、つまり?」

「カレシってことか」

「さすが名探偵さん」

 真琴が片目をつむって右手をピストルの形にしながら僕を指さした。

 あれ、僕死んでる?

 ポンと手を叩いて真琴が微笑む。

「一件落着。名探偵さん。アイスおごって」

「なんで僕が? おごるって約束したのはそっちだろ」

「え、何? 失恋の痛みをあたしに癒して欲しいの?」

「失恋って言うなよ。してないし」

「強がり言うなんて、ちょっと男の子っぽいね」

 口じゃあ勝てない。アイスで口をふさぐしかない。

「分かったよ。おごるから黙っててよ」

「じゃあ、トリプルで」

「なんでだよ」

「だって、ほら、ダブルでトリプル追加キャンペーン中だってよ」

 真琴が店頭の幟旗を指す。

 じゃあ、しょうがないか。

「サンキュー、雅之」

 真琴が僕の制服の袖を引っ張ってアイス屋さんに引きずっていく。

「すみません。レギュラーサイズのチョコミントとプレミアムピスタチオとナッツフォートゥーをカップでお願いします」

 慣れた調子で注文している。こういうところは女子だな。

「プレミアムはキャンペーン適用でも百円増しになりますけど、よろしいですか」

「はい、大丈夫です」

 いや、僕に聞いてよ。

「お会計はあちらでお願いします」

「ほら、あんたの出番だよ」

 ひどい扱いだよ。どっちが助手だか分からないや。

 会計担当の店員さんにお金を払っていると、アイスをすくっているお姉さんが真琴に何か一言尋ねていた。あいつは僕に見せたことのないような笑顔になって軽く首を振った。お姉さんも笑っていた。

 僕が先にテーブルに戻っていると、真琴がニヤニヤしながらアイスを持ってやってきた。

「ほら、アーンしな」

「するわけないだろ」

「そう言うだろうと思って、ちゃんとスプーン二つもらってきたよ」

 テーブルの上に置かれたカップにはプレミアムピスタチオとナッツのアイスの上にチョコミントアイスが乗っかっていた。

「あんたチョコミント好きでしょ。食べていいよ」

「お金払ったの僕だよ」

「だから一つあげるって。おごるって約束した分だよ」

 何だ、そういう意味だったのか。

「あたし、あんたに嘘ついたことないでしょ」

 ものすごく得意げな真琴の表情が憎たらしい。

「どうせ無料の分じゃないかよ」

「いちいち文句言わないの。女子とアイス食えるなんてあんたの人生でこれっきりでしょ」

 そうですけど。反論できないのが悔しい。

 でもチョコミントのアイスは確かにおいしい。

 下の方からプレミアムピスタチオをすくい上げて真琴が「おいしいね」と微笑む。

「大丈夫だよ。あんたのこと好きになってくれる女の子だっているよ。きっとどこかに」

「そうかな」

「宇宙は広いからね。スケールの大きな男になりなよ」

 広すぎるだろ。

 恋をするためにロケット買いに行く男なんていないだろ。

 あ、どちらも男のロマンかって、大喜利かよ。

 真琴は御機嫌なのか、ずっとしゃべり続けている。

 アイスは口に入れてもすぐ溶けるから女子を黙らせるのには向かないってことを学んだ。

「だけどね、あんた名探偵にはなれないよ」

「なんでだよ。迷う方の迷探偵ってことか?」

 カップに少し残ったチョコミントを口に入れて真琴が苦そうな顔をした。

「ああ、私もほろ苦い恋がしてみたいものだわ。でもこれじゃあ、まだ当分先だな」

「おまえも宇宙まで探しに行けよ」

 真琴が僕を見てため息をつく。

「憧れるものってつかめないものだけど、案外身近にあったりするものよ」

 身近ねえ。なんだろう?

「ねえ、雅之」

「なに?」

「今度さ、ロケット買ってよ」

「ムリだろ」

「あんたも乗せてあげるからさ。狭いコクピットに二人きり」

「ジェットコースターだって苦手なのに」

「じゃあ、またアイスおごってもらうよ。ロケットみたいに積み重ねたやつ」

 真琴はカップに残った最後の一口をスプーンですくって僕に突き出した。

「いい? 約束だからね。探偵なんだから退屈な日常に風を吹かせなきゃ」

 それは俺に対する依頼ととっていいわけだな?

 いいだろう。探偵が引き受けた。

 俺は山越雅之、探偵だ。

「なにカッコつけてんの、名探偵さん。溶けちゃうよ」

 僕は真琴のスプーンを口にくわえた。

 うん、おいしい。

 僕も今度はプレミアムピスタチオにしてみよう。

 依頼は必ず解決する。

 それが名探偵というものだ。


たちまちクライマックス!「ハラハラ賞」応募作品

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