1章-3
「ごちそうさまでした。よかった。ノエルも普通にご飯が食べられそうで」
魚料理以外の皿は空になっていた。食後の珈琲も砂糖やミルクなしで喉を鳴らして飲んでいる。その様子をにっこりと笑みを浮かべてエンが見つめる。
朝の食堂は多くの人でごった返していた。エンは四人掛けのテーブルでノエルを隣に座らせ熱心に世話を焼いている。二人の向かいに一人座るナノはそんな二人を姉弟のようだなと内心微笑ましく思いながら見つめていた。
「人型合成種ですからね……予想が当たって良かったです。ごく稀に人型でも獣型の……そうでした。すみません」
エンの制止に言葉を止めて白湯の入ったカップに手を伸ばす。会話の流れが分からず思考をショートさせ狼狽えるノエルの姿があった。エンは咳払いし得意げに語りだした。
「ノエル、君は魚との混血なのは分かるよね?人と魚の性質を混ぜ合わせて作られた生き物、それが君だ」
エンは自分の珈琲にミルクを入れて混ぜ合わせる。スプーンでぐるぐるとかき混ぜ先程よりも色が薄く白くなった液体の入ったカップに口を付ける。
「何を隠そう私もそれなの。人と犬の性質が混ざった生き物。
私達のように人と獣の性質が合わさっている生き物を合成種というのよ」
合わさって成る種、合成種。ノエルは自身の手の甲に浮かぶ鱗と、そしてパンに手を伸ばすナノの手を見比べる。そこには確かな違いが見られた。
「合成種にも大きく二種類の合成種がいてね、その姿が人に近いものを人型、対して獣に近いものを獣型って区別するの。ええと……あそこ、彼が獣型よ。私達とは全然違うでしょう?」
エンはきょろきょろと辺りを見渡すと少し離れたテーブルを指さした。なるほど確かに違う。手以前にまず人の形ではない。
頭は狐のそれ、体毛に覆われている。人が座るように設計された椅子に器用に四本の足を収めて字の敷き詰められた紙束を熱心に読みふけっている。
「あそこで新聞を読んでいるのがナターシャ、狐との合成獣。ユピテルの事務職員。頭が良くて優しいお兄さんみたいな人なの」
「人」。彼を人と形容する事が出来るのだろうか。
「彼らも人よ。人の心を持っている。獣の姿をしていてもその志は人のそれ」
諭すような言葉に頭の中を読まれたかとノエルが気まずそうにエンの顔色を窺う。しかし当のエンはマグカップの水面に映る自分の顔を見つめているだけだった。
ノエルを咎めるような雰囲気はない。むしろ自分に言い聞かせるような声色だったようにも思える。
長らく口を閉じていたナノはエンの様子を伺いつつも再び口を開いた。
「世界の人口は私ような人が殆どです。もっと細かく分類分けをするなら私は大多数の人にはなりえませんが」
「食事中にすまない、アリアケ君」
ナノが言葉を止め視線を上げる。エンとノエルが振り向いた先には厳しい顔つきの青年が立っていた。妻と子供の一人でもいそうな男の顔を見たエンが「げっ」と声を上げて威嚇するように顔を顰める。
「スノウさんが先日分の報告書に関して直接話したいことがあるそうだ。10時に応接室へ。それから……」
青年はエンを一瞥し目を細め嘆息する。冷ややかな目線が注がれ、ノエルはぶるりと震え上がる。
ナノは席を立ちあがり青年と対峙する。この注意は初めてのことではなかった。
「それから……アリアケ、仮にも気高き『フェレット』ならこんな野蛮な獣との混血なんかと関わりを持つな。何度注意させる気だ」
『フェレット』。とは、一体。
エンの眼差しが冷えてゆく。今にも喉笛に噛みつかんとばかりの勢いにノエルは疑問とは裏腹に唾を飲み込んだ。
空気がピリピリと肌に突き刺さるようだ。
「スノウさんの件は了解しました。それからこちらも何度も主張していますが、彼らは確かに獣との混血です。しかし野蛮ではありません」
「……どうだかな」
要件はそれだけだというように踵を返して去ろうとした青年と目が合う。きつい非難の色を帯びた視線にノエルは生唾を飲んだ。
青年の背を見守りつつも、ナノは宥めるようにばつが悪そうに犬科の耳を垂れさせるエンの頭を撫でる。
「私苦手だわ、あいつ」
「知っていますよ。……すみませんノエルさん。いきなり驚きましたよね」
「ウ」
気にするな、と言うように首を振る。手の甲の鱗がなんだか疼いたような気がした。
エンは面を上げて気を取り直すように両頬をぱちんと打ってから席に座りなおす。余っていたほぼ砂糖の珈琲を飲み干して腕を組んだ。
「彼は少し事情がありまして……悪い人ではないんですけれど」
「ウルラ。ウルラって言うのあいつは。ああ見えてまだ22歳なの。強面のせいで老けて見えるでしょう?」
「ウ……!?」
若く見ても30代に見えると言わんばかりに目を見開く。エンはうんうんと頷いた。
「分かる、その気持ち」
「しかし……困りましたね。このあとノエルさんに主要施設を案内しようと思っていたんですが招集されてしまいました」
「なら、私が案内する」
ぴしりと手を挙げたエンの申し出に少し考えるそぶりを見せてから頷く。
「ではよろしくお願いします」
「全ての国と国を繋ぐ架け橋を担う組織、それがこのユピテルってわけ」
食堂を出て先導するエンは誇らしげにそう述べた。春ぬるくも優しい空気が扉の隙間から侵入してくる。
「中央館には食堂とあとで案内する資料室の他にも施設はあるけれど、ほとんどはフェレットしか入れないから……」
フェレット。さっきもウルラが口にしていた。ノエルの眼差しに気づいたエンは扉を開くととうとうと語り出す。
「フェレットとは、探索者。国際政府直属機関、総合外交機関Jupiterに所属する外交と、そして未開拓地の探索を担う資格を持った人達のことをそう呼称するの。ナノもその一人」
暖かい空気が肌に纏わりついてくる。室内から外に出た影響か、なんとなく目が乾いてしぱしぱと瞬きを繰り返す。
瞳に映るのは花壇、そして自分の住処である湖を覆う林の入り口。外から見たユピテルはやはり荘厳で大きく、象徴たる大時計は淡々と時を刻む。もうすぐ10時の鐘が鳴る。
「ナノは今いるフェレットの中では最年少なの。12歳の時に合格して3年目。今年で15歳。まだまだ新人です、とか言っていたけれどその実力は本物。既に3つの国を見つけ出した敏腕フェレットなんだから」
自慢げで得意げな顔をしている。尻尾も大きくゆっくりと左右に振られナノを尊敬しているのだという事を全身で表しているようだ。なんだか微笑ましくなってノエルは密かに口元に笑みを浮かべていた。
「国際政府っていうのは現在判明している国の代表を集めて作られた組織よ。ユピテルの他にも、例えば国際憲兵団、総合情報取扱事務局、とか」
という事は、エンもまたフェレットであるという事だろうか。
「私はフェレットではないの。この間も試験に合格できなかったから……。
もちろんユピテルに入るのも、フェレットになるのもどちらも大変なの。国際政府直属機関はやっぱり全世界の人の為の組織だから、生半可な覚悟じゃなれない」
悔しさを思い出したように手に力が入る。白くなるほど握りしめられた拳から本気の覚悟を感じ取れた。
風が花々を揺らす。花壇に植えられた赤、黄、白と色とりどりな花弁は弱い部分から風に舞いあげられていく。
「ナノはいつも一人。他のフェレットたちは何人かと一緒に旅をしたり、フェレットを目指す弟子を連れていったり、とにかく何人かで旅をするのに」
花壇に腰掛ける。ノエルは倣うように隣に座ろうとし、白い花々の中心に咲く赤い花が視界を掠めた。
「私恩返しがしたい!!ナノの隣に立って手助けがしたいのに、いつもそんなことはしなくていい、私は大丈夫です、なんていうの……」
「ウウ、ウ……」
「ノエルもナノに助けられたのよね?」
こくりと頷く。自由が欲しいと、道具のままは嫌だと必死にもがいて伸ばした手を引き上げて自分を人にしてくれた恩人だ。
「ならノエル、一緒にフェレットを目指してみない?」