1章-1
穏やかな日差しに少年は上機嫌に湖の水を揺らした。外側からではない。内側からである。
服を着たままでも布地に糸を通していくように滑らかにすうっと水中を遊泳して行く。小型の魚達は人型の少年が横を通り過ぎて行っても特筆すべき行動は起こさなかった。同属が泳いでいるな、程度の視線をそちらに向ける。
全てが静かだ。人の喧騒から離れた場所にあるからというのもあるが、大気のないこの世界に雑音はない。
気が済んだのか少年、ノエルは改めて自分の庭として与えられた池を深緑の目で見回す。大型の生物はおらず小さな魚だけがお互い支えあいながら生息している。
湖全体の大きさは体感で直径およそ3km、深さが500m程度だろうか。人工物は見受けられず水質も悪くない。
以前人工物の噴水に飼われていたあれは相当(魚である自分にとって)劣悪な環境であったのだろうと思い返し、不機嫌そうに眉を寄せた。
それにしてもまだこの世にこんな立派な湖があるとは思わなかった。水も食料も、大気でさえ不足しているこのご時世には池という池、湖という湖、あるいは水溜りでさえ人に蹂躙されてしまう。それにも関わらず、人公物は見当たらない。すなわち原生のままの湖が残っているということ。
不意に自分を呼ぶ声がした、ような気がした。ここに音は響かないからわからない。直感である。
そのまま上に、日光をめがけて上昇した。音を立てて水面に顔を出す。空気に触れ、水の重みで金の髪が張り付くからふるふると首を左右に振る。
今日はやはり明るい。天気が良い。水中からは日光のきらめきしか見えなかったが、やはり青い空が広がっていた。
遠くの木々の隙間から鳥の羽ばたく音が聞こえる、応じた木の葉のざわめきが聞こえる。
「ようやく顔出した……ノエルさん、おはようございます。時間ですので呼びに来ました」
内容に反して感情の篭っていない顔と声色、自分にとっては珍しい金ではない黒い髪に瞳に閉じ込められた炎の赤色。
ノエルは諸事情により自分の言葉で返すことは叶わない。応える意思を現すために笑みを浮かべて陸へと近づいて行った。