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42.六月十六日(金)
事件が一応の解決をみせた翌日から、計ったように関東は梅雨入りした。昨日まで雨が続いていたのだが、今日は久しぶりに朝から太陽が顔を出している。
時刻は、九時半になろうとしていた。
桑島は陽光をあびながら、病院の外で待っていた。もうまもなくすると、鈴村聡美が退院してくるはずである。かたわらには、一足先に退院していた佐野もいる。
八日未明に入院した鈴村聡美は、その早朝には意識を取り戻していた。が、当初は声を失っていて、自らの記憶も喪失したままだった。声がもどるのに、二日。記憶がよみがえるのに、さらに一日かかっている。記憶がもとどおりになり、面会が許可されてから、桑島は彼女に会っていた。
救出されたときのことは、うっすらと思い出していたようだが、桑島のことはよく覚えていないらしい。記憶がどうのこうのというより、あのときは意識を失っていたようだから、最初から覚えていないだけかもしれない。
なので、本人からの反応は鈍いものだったが、母親である鈴村京子からは、何度も頭を下げて感謝された。そんな経験は初めてだったから、悪い気はしなかった。
それに味をしめたわけではないが、健康になった姿を見届けたくて、こうして待っているのだ。もちろん、心の傷はこれからも残っていくはずである。だが、それもいつの日か、遠い過去へと変貌していくはずだ。そう願いたかった……。
実行犯である高梨が死亡したことにより、ここ数日、桑島はマスコミの矢面に立たされ続けた。被害者を救った功績と、犯人を死亡させてしまった責任。しかも犯人は、現職の警察官。しかし世間の風は、想像よりもやさしかったらしい。大半が、好意的な見方をしてくれた。一躍、時の人になっていた。
そのため、主犯に逃げられるという失態も、上からのお咎めはなく、特別特殊捜査室はとりあえず継続のはこびとなった。ただし一般には、主犯とみられる矢萩について、おおやけになっていない。高梨が主犯だと考えられている。混乱と恐怖をこれ以上、増長させないためだ。もしそれが世間に知られたら、一転してバッシングの嵐になるかもしれない。桑島は、そのときの覚悟だけはしていた。
そして──、いまになっても、釈然としないことが三つほどある。
一つが、五年前の通報。
二つ目が、奥多摩の那須君子の犯行後、なぜマスコミにリークしたのか。
三つ目が、カレンダーをどうして奪ったのか。
それなりに分析はしていたが、あくまでも推測の域を出ない。
五年前の通報は、雨宮小夜もしくは矢萩の娘・加奈──どちらの蘇生にも失敗したわけだから(あたりまえのことだが)、ひよりをもう一度利用するために死なせるわけにはいかなかった。だから事件を発覚させて、ひよりを警察によって保護させたのではないか。
マスコミへのリークは、自分への挑戦ではないのかと桑島は考えている。桑島が海外から帰ってくるのを、矢萩は待っていたのではないか? 海外研修のことを、矢萩は知っていた。一年間という期限も。そもそも、新たなる犯行の開始時期を桑島の帰国後にしたのも、そのためではないのか……。
ただし、これには疑問が大きく残る。なぜなら、実行犯は高梨であり、第一の犯行になった雨宮小夜の父親殺害はイレギュラーなことだったからだ。真相は、いつか矢萩を逮捕して、訊きだすしかないだろう。
三つ目のカレンダーのことだが、高梨が口にしていたことがある。五年前、なぜ生贄の儀式が失敗したのか──それは、球技をおこなわなかったことと、被害者の「時を止めなかった」からだ、と彼は主張した。高梨自身のアイディアなのか、それとも矢萩の影響をうけたものなのかは不明だ。奪ったカレンダーで紙飛行機をつくったのは、おそらく矢萩だろうから、後者かもしれない。とにかく、その狂った幻想に従い、時を止めるためにカレンダーを奪ったのではないか……。
いずれの考えも自信はない。
生贄事件のためだけに使った時間は、まだしばらく続きそうだ。
すくなくとも、すべての疑問が解決するまでは──。
「お、出てきたぞ」
佐野の声に、桑島は思考を中断させた。
鈴村聡美と京子が、病院の玄関口から荷物を手に出てきたところだった。
「退院、おめでとうございます」
近づき、桑島は言った。
「こちらこそ、お世話になりました」
二人から、深々と頭を下げられた。
新たなる被害女性四人へは、すでに墓前報告をすませてある。彼女の退院を見届けることで、事件は一段落つくことになる。
と、そのとき──。
ただならぬ気配を感じた。
桑島は、息をのんだ。ある人物の姿が、物陰から飛び出したのだ。
久本拓斗だ。
久本は、鈴村聡美へ一直線に走っていた。
危ない!
ストーカーである久本が、その思いをとげるため、凶行におよんだのだ。
助けに入る時間はなかった。久本が、鈴村聡美の身体へぶつかった。
「……そ、そんな」
せっかく生き延びたというのに、こんなところで……!
桑島は、あまりの絶望感に、どうすることもできなかった。
が──、
「聡美!」
「拓斗さん!」
「え……!?」
桑島の頭は、一瞬で混乱の嵐に襲われた。
「え、ええええ───ぇぇぇ!」
あまりの出来事に、間抜けな声をあげてしまった。
鈴村聡美と久本拓斗は、しっかりと抱き合っていた。むりやり抱きつかれたわけではなかった。おたがいが、おたがいのことを受け入れている。
「え~~~!?」
桑島の声はやまない。
「ど、どういうこと……ちょ、ちょっとまって……」
眉間に指をあて、しばし考え込む。
「久本拓斗は、ストーカーだよね!?」
「失礼なこと言わないでください!」
聡美から、きつく怒られた。
「だ、だって……合鍵を勝手につくってたんだよね!?」
「最初はそうだったんですけど……話してみたら、とてもいい人で。やさしいし、思いやりもあって」
聡美の口からは、のろけの言葉しか出てこない。
「映画監督になるっていう大きな夢もあるんです! わたしも、そのお手伝いがしたくって、二人でいまの大学をやめて、映画の専門学校に入り直そうって話してたんです。まずは働いて、資金を稼ぐことになると思いますけど」
そういえば、聡美は両親に、大学をやめたいと相談していたのだった。
「そんなぁ~~!」
久本がストーカーだという読みは、まったくの的はずれ。
恥ずかしくなった。
「くくく、ははははは!」
それまで黙ってことのなりゆきを見守っていた佐野が、大声で笑い出した。
「はははは!」
「笑いすぎ!」
もう一つ、釈然としないことが増えてしまった。というより、納得がいかない。
「くくく! だから言ったろ、誠一! 人の心理は、教科書どおりじゃないって」
そして、ポンッと肩に手を置かれ、さらに言われた。
「ノマドの修行も、まだまだってことだ。群れをもてるようになるのは、ずっと先だな」
証言記録⑥
これが最後の質問です。犯人に言ってやりたいことはある?
犯人に……ですか?
許せないでしょ? その気持ちをぶつけてみようよ。
とくには……。
どうして?
犯人にはありません。許せない気持ちは、たしかにありますけど……それよりも、あのときのわたしに言ってあげたい。
なんて言ってあげたいの?
もう少し、できたんじゃないかって。
……君は、よくやったよ。
未来のわたしにも、言ってあげたい。
君は、よくやったんだ。
やってない! なにもやってない……だから、未来のわたしに伝えたい──。
「精一杯、がんばりなさい!」




