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38.?月?日(?)
だれかいるのだろうか……。
考えがおよばない。ここは、どこだったろう?
わたしの知らないどこかだ。そう……暗い暗い場所。
ここへ入れられて、どれぐらい経っただろうか……。
仮面の男は言った。
もう、ここにはもどらないと。
そして部屋のすみにあったベッドに、わたしを拘束した。うっすらとした視界で、それがベッドなんだろうと思ってはいたけど、足の鎖がそこまで伸びなかったから、それで眠ったことはなかった。
さらに仮面の男は、部屋にいくつもの蝋燭を灯していった。何本あるのか、いまでは数える気力すらない。ここは気密性が高いから、扉を開けて換気しなければ、すぐに空気が無くなる……そう宣告された。この蝋燭は酸素さえあれば、三日は燃えつづけるよ、とも。
そして、出ていった。
あれから、だれの姿も見ていない。
わたしは、ここで死ぬのだろうか。息をするのも苦しい。
蝋燭は、あと数本しか残っていないようだった。
燃え尽きたのではないだろう。部屋の酸素が無くなって、自然に消えていったのだ。
仮面の男が蝋燭に火をつけたのは、ここの酸素を薄くするためなのだ。
身体の自由がきくのなら、炎を消したかった。何度か、息の届きそうな蝋燭には息を吹きかけた。うまく消えてくれない。そして気がついた。それこそ、空気を無駄に消費しているのだと。
残りの炎も、もうじき消えてしまいそうだ。
そうなれば、わたしの命も消えてしまうだろう。
ああ、意識が薄れていく……。
39.六月八日(木)午前二時
闇、剣、寒冷、ジャガー、炎、コウモリ。
六つの鍵穴があり、正解は一つだけ。
いや、それは桑島の想像でしかない。犯人から、そう告げられたわけではないのだ。
時間が、あとどれぐらい残されているのかわからない現状で、こうして熟慮ばかりしてはいられない。
いつかは、決断の時が来る。
「桑島さんは……どれだと思いますか?」
「まったく見当がつかない」
桑島は、正直に答えた。
「キミは、どれだと思う?」
それを彼女に問い返すのは、いささか卑怯な気はしたが、桑島はかまわずに頼った。
彼女になら、恥も外聞も捨てられる。もはや、他人とは呼べなかった。
「わたしは、コウモリだと思います」
答えが返ってきたことに、軽い驚きがあった。
「根拠は?」
「そんなものはありません。勘です」
少し不機嫌そうだった。自分ではなにも言わず、彼女にだけ言わせていることに、腹立たしさを感じたのかもしれない。
「しいて言えば……館の最後は、コウモリですよね?」
「そうなるみたいだね」
「最後の館が、正解なんじゃないですか?」
なるほど。根拠と呼べるほど強力なものではないが、それなりに理由はあるようだ。
では、それに賭けてみるか?
桑島は、鍵をコウモリの穴に近づけた。
「まってください!」
しかし、止められた。
「やっぱり、もっと考えましょう」
彼女の反応は当然だ。一人の命を左右してしまうかもしれないのだから。
そうだ。彼女の意見で決断をくだすのは、残酷なことではないか。
かといって、明確なべつの答えがあるわけでもない。
いずれは……いや、すぐにでも、どれかに決めなければならない。
「……キミは、六つの館を体験してるんだよね?」
「……あれがそうだったなら、そういうことになります……」
「闇の館は?」
「ただ暗い部屋に入れられたんです。とくになにかされたというわけでもありません」
証言記録で聞いたとおりだ。
「神話では、フンアフプーとシュバランケーは、火がついているようにみせかけるために、色鮮やかな羽を木に結びつけて、先端にホタルをとまらせたんですよね」
ひよりは、すらすらとそう言った。たしか地下世界の神々から、葉巻の煙と松明の炎を絶やさないように命令されていたのだ。
「剣の館は?」
桑島は、話を進めた。
「部屋の真ん中に、剣が突き刺さっていました……それだけです」
「寒冷は?」
「寒かったです……ちがうかな。そう感じただけかもしれません。大きな氷の塊が置いてあったんです。もしかしたら、冷房も入っていたのかも……あそこに、そんなものがあったなんて思えませんけど……」
洋館にクーラーなどは設置されていなかったと、捜査資料には記されていたはずだ。
そのことで口を挟むことはしなかった。
「ジャガーの館」
「あそこにあったのは、豹の剥製でした。お金持ちのお屋敷なんかにありそうな」
「炎」
「部屋で松明が燃えてました。これは気のせいではなく、本当に熱かったです」
「コウモリ」
「そのときは、よくわかりませんでした。でも、たしかにコウモリの死骸が床に落ちてました」
一通り聞いてみたが、いずれもかつて録音された証言記録で確認ずみのことだ。
「鍵」
「……」
同じリズムで、そう続けた。
彼女からの言葉は途切れた。
あたりまえだ。そんなに都合よく、答えにたどりつけるわけはない。
「ごめん、さすがにむちゃぶりすぎた」
「ジャガーだと思います……」
「え?」
つぶやくような声に、桑島は驚いた。
「どうして、そう思ったの?」
「動物が……好きだったんです」
「だれが?」
「……」
「キミが?」
「……」
あきらかに、ひよりの様子がおかしくなっていた。
「だれの話をしているの?」
「だれ……?」
「吉原さん……吉原さん!?」
「……動物は、ジャガーだけです」
「コウモリもある」
「コウモリは、動物でもなければ、鳥でもない……」
なにを言っているのだろう?
そんな、むかし話があったことを思い出した。動物(哺乳類ということだと思う)と鳥から、おまえはどちらの仲間だと問われて、コウモリは双方にいい顔をしようとした。結果、どちらからも仲間はずれにされてしまう──そのような内容だったと記憶している。彼女にとっては、コウモリは動物ではないらしい。
彼女?
彼女は、だれだ?
「キミは、だれだ?」
突拍子もない質問なのは、桑島にもわかっていた。
──キミは、吉原ひよりだ。
だが眼の前の女性が、ひよりではないような気がしたのだ。
「わたしは……」
* * *
わたしは、わたしだ。
彼女はそう思った。
ここは、どこ?
いままで、なにをしていたの?
「鍵は、ジャガーでまちがいありません」
断定できた。
できるのだ。わたしのことだから。
「キミは、だれだ?」
男が、同じ質問を繰り返した。
「わたしは……」
そこからさきの言葉が出てこない。
どうしてだろう?
「はやく鍵を開けましょう。なかの人が死んでしまいますよ」
いまいる状況は、よく理解している。
この部屋のなかに、女性が監禁されているのだ。
わたしたちは、その女性を助けるために、ここへ来た……。
「キミは、だれなんだ!? 吉原さん……吉原ひよりなのか!?」
「はやく!」
「……」
「はやく鍵を!」
彼女は、訴えた。
わたしは、訴えた。
彼女? わたし?
「はやく鍵を入れてください」
男性が、鍵穴に近づける。
ジャガーの穴に。
ジャガーが好きなわけではない。
ネコが好きなのだ。
だから、猫科のジャガーを選ぶ。
彼女は、ネコが。
わたしは、ネコが。
ネコが好きなのは、どっち?
「まちがいありません……答えは、それです!」
男性が、鍵を入れた。
慎重に回す。
カチッと音がした。
彼女は思った。
わたしは思った。
これは終わりであり、はじまりなのだと。




