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         36.同日午後十一時


 常夜灯が、淋しげに光を放っている。

 大学の敷地内。桑島とひよりの二人は、懐中電灯を片手に捜索していた。ベンチのある周囲。植え込みのなかをさぐっている。

 ほかの人員は、数名の制服警官がいるだけだ。大学側には、警視庁のほうから連絡がいっている。あれから急遽、ここをさがすことになった。桑島は着替えもままならなかった。シャツの替えは持っていたが、ジャケットはべつの捜査員から借りるしかなかった。下はそのままだ。スラックスは裂かれていないが、自分のものと返り血で汚れていた。知らない人間が眼にしたら、さぞ驚くだろう。

 ひよりは、ここでよく紙飛行機を見た、と告げた。それがなにを意味しているものか、桑島にはわからない。いや、ひより自身もわかっていないのだろう。だが、そのことをとても気にしている。

 本来なら、もっと大勢で捜索すべきかもしれないが、人を多く配置するには動機が弱い。ひよりと大学へ行くことを決めても、半信半疑だった。なにか出るとはかぎらない。管理官の津本も、判断に迷っていた。だから必要最小限の人員にとどめたのだ。制服警官は、捜索に参加していない。なにか不測の事態がおきたときのために、待機してもらっているだけだ。

 不測の事態──深夜の大学で、そんな心配はないのかもしれない。警察署を襲撃した高梨は、もうこの世にいない。が、一連の事件を経験していると、念には念を入れてもいいのではないか、と考えてしまう。矢萩は、すでに安全圏へ逃げているだろう。しかし、あれほど狡猾な人間ならば、どこになにを仕掛けているかわからない。

「なにかあった?」

「いえ……もっと奥かな……あっ」

「あった?」

「あれだと思います」

 茂みをくぐるように、ひよりが奥へ進んでいく。すぐに、なにかを手にもどってきた。

 いくつかの紙飛行機を拾ったようだ。

 だが、ただの紙飛行機が、はたして事件に関係あるのだろうか。そもそも、これが矢萩の仕業だとはかぎらない。最近はあまりいないかもしれないが、軽い気持ちで紙飛行機を作り、無造作に飛ばす生徒だっているだろう。

 懐中電灯で紙飛行機を照らす。

 なんの変哲もない紙飛行機だ。六つ。

「そういえば……」

 ひよりが、なにかを言おうとしていた。すぐには言葉を続けない。

「そういえば?」

「むかしから……」

 言うことに、ためらいがあるようだ。

「どうしたの?」

「むかしから……わたしのまわりで……見ていたような気が……」

「なにを?」

「……紙飛行機です」

 それをどう判断すればいいのか、桑島は苦慮した。これが、なにもない日常での会話なら、ただの気のせいだ、と笑い飛ばすこともできる。

 が、いまの状況では……。

「開いてみよう」

 桑島は、その一つを手に取った。

 すぐにそれが、なんの紙でできているのか理解した。

「カレンダー?」

 飛行機の形態を崩し、一枚の紙にもどした。

「カレンダーですね……」

 ひよりも、繰り返すようにつぶやいた。

 正確には、カレンダーの一部だ。もっと一枚は大きなものだが、その一部分を正方形に切り取ったもののようだ。一般的なカレンダーと同じように、風景写真の下に日付が記されているタイプだった。何月のものなのかは、一目見ただけではわからない。月曜から金曜までの列しか載っておらず、肝心の何月なのかの表記はふくまれていない。

 今年のものだとすれば、曜日と日にちから割り出すこともできよう。

 写真の部分は、どこの風景だろうか?

「どこだろう?」

「ヨーロッパじゃないですか?」

 一部分だけなので、西洋のお城のようなものだということはわかるが、どこの写真かまでは特定できない。

「フランスとか」

 ひよりは、何気なく思いついたことを口にしたのだろう。

「フランス?」

 フランスの風景写真。

(知っている……)

 桑島は、そう感じた。

 そんなカレンダーを知っている。

「桑島さん? どうしたんですか?」

 どうやらひよりは、具合が悪くなったのではないかと心配したようだ。

「カレンダー……そうか」

 思い出した。山形市内、立花和美のアパート。彼女の部屋のカレンダーだ。

 考えがめぐった。

 すべての紙飛行機を開いた。やはり、すべてカレンダーだった。

「これは……」

 動物の写真の一部がふくまれているものがあった。カバだ。

 動物のカレンダーといえば……。

 鈴村聡美の部屋のカレンダーだ。五月が無かった。何者かに持ち去れたものかもしれないと疑っていたが、まさしくこれか。

「こ、これ……」

 ひよりが、驚愕とおびえの混じった声をもらした。

「どうしたの?」

「わ、わたしの部屋の……」

「キミのカレンダーだというのか!?」

「は、はい……いつのまにか無くなってたんです……もしかしたら、だれかが部屋に侵入したんじゃないかと……あの犯人が髪の毛を取っていったのは、告白されましたけど」

 では、カレンダーも?

「……矢萩先生の仕業なんですか!?」

「この紙飛行機は、そうなんだろう。部屋に忍び込んだのは、告白どおり高梨だ。山形や長野の被害者の部屋からもカレンダーを盗んだのだとすれば、実行犯である高梨の可能性のほうが高い」

「でも、なんのために……」

 そうなのだ。なぜカレンダーを?

 桑島は、カレンダーの面を裏返した。

 白紙であるはずのものに、なにかが記されていた。

 人の眼のような記号と、点と線が書かれていた。記号はべつにして、点と線の組み合わせがなにを意味しているのか、いまではよく知っている。

 マヤ数字。

 ひよりにも、それがわかったようだ。というより、考古学を専攻している彼女のほうが詳しいはずだ。

「数字ですね」

「キミのカレンダーには……この、最初の記号は? 眼のような」

「『0』です」

「すると……0、4、5、2、8、6──」

 左から右に読むと、さらに四つの数字が続いていた。

「なんの意味が……」

「なんでしょう……思い当たることはありません」

 三分ほど二人そろって考え込んだが、結論は出そうもなかった。

 ほかの紙にも、同じようにマヤ数字が並んでいる。

「なにかの意味があるはずだ」

「どうします?」

「とにかく、どこかで解読しよう」

「警察署にもどりますか?」

「そうだね」

 桑島は携帯を取り出した。

「まだなにか残ってるかもしれないから、応援を呼ぶ」

「あ……」

 ひよりの声で、かけるのを待った。

「ん?」

「電話番号じゃないですか? 045、って横浜の市内局番です」

「そうか」

 桑島は、電話をかける目的を変更した。

「桑島です。いまから言う電話番号を調べてください。045-286-××××」

 五分ほど、そのままでいた。

「……わかりました、ありがとうございます。またかけるかもしれません」

「どうでした?」

「試合のあった競技場の番号だった」

 ひよりのカレンダーの裏に、それが書かれていたということは──。

 高梨……いや、矢萩は、今夜の襲撃をだいぶまえから計画していた。今夜だけではない。予定外で殺害することになった高梨の父親と五十嵐典子以外は、入念に計画していたはずだ。カレンダーの裏に、それを示唆する番号が書かれているのだろうか……。

 では、鈴村聡美の番号には、なにが?

「やっぱり、これも電話番号みたいです」

 鈴村聡美は、まちがいで誘拐されている。殺害場所の番号ではないはずだ。

 だが、殺されていないとは言い切れない……。

 焦る気持ちが、ぶり返した。

 高梨の、積極的に殺しちゃいないよ──そのセリフが思い起こされていた。心臓をくり抜かれてはいなくても、このまま放置していたら、いずれは……。

 桑島は、再び電話をかけた。これが電話番号というのなら、直接かけてみればいい。

 コール音がした。が、いくら待っても出る気配はない。

 問い合わせることにした。鈴村聡美の番号と、この時点で持ち主のわかっている立花和美の番号を調べてもらった。

 鈴村聡美の番号は、『0428』ではじまっている。青梅や奥多摩近辺のものだ。立花和美のほうは、『023』ではじまっていた。山形の市外局番を知らないから、それが山形なのかは断定できなかった。

 鈴村聡美のほうがさきにわかるかと思ったが、捜査員は立花和美の番号のほうをさきに答えた。山形県内の公衆電話のものだということだった。住所を教えてくれたが、その地名には覚えがあった。立花和美が発見された山小屋のものだ。

 次いで、鈴村聡美のほうも捜査員は教えてくれた。そちらも公衆電話で、奥多摩にあるという。正確な住所をメモした。

「どうするんですか?」

「そこへ行く」

「わたしも行きます」

「ダメだ! 危険があるかもしれない」

「わたしも、当事者です」

 彼女の瞳は、引くことを知らない者の眼だった。

「わかった……行こう」

 そう決断するしかなかった。


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