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30

         30.同日正午


 正確には、数分はやい。

 桑島は、ひよりの実家へ連絡を入れた。母親──静子が出た。すぐに父親、隆敏に確認したいことがあったので、携帯の番号をたずねた。隆敏にかけるときには、正午を過ぎていた。仕事場では、お昼休みをむかえているはずだ。

『どうしました? 警察は、いまとても大変でしょう』

「そうですね」

『心配してたんですよ。桑島さんは、怪我などなさってないですよね?』

「はい。ぼくは大丈夫です。親友が怪我を負ったんですが……」

 そんなやりとりがあってから、本題を語った。

「あの……以前、吉原さんが外務省へ出向していたとき、海外へ赴任していたとおっしゃっていましたね?」

『ええ、そうです』

「赴任先は、メキシコか、それに近い中米の国ではなかったですか?」

『そうです。メキシコの大使館です』

「赴任先で、知り合った方がいたんでしたよね?」

『はい、たしかにそう言いました』

「その方の名前は……雨宮さんといいませんか?」

『知っているんですか? そのとおりです』

「お子さんが警察官になったというのは──」

『そうです。雨宮さんの息子さんです。ですが、離婚されて名字は変わっていますけど。それに、雨宮さん本人とはすでに交流はありません。別れた奥さんとだけです』



 午後四時。桑島は、ひよりの通う大学へ。

「桑島さん」

「矢萩先生」

 ちょうど矢萩は授業を終え、自室にもどってきたところのようだった。

「なにかありましたか?」

「少しお話を聞いてもらおうと思いまして」

「私でお役にたてるなら、いくらでもどうぞ」

「これから言うことは……」

「わかってます。他言無用ですね?」

 桑島は、これまでにまとめた推理を矢萩にぶつけようとしていた。

 生贄にも詳しく、メキシコをはじめとした中米にも渡航経験のある彼が、それに適任だと考えたのだ。

「ある青年には、妹がいました──」

 腹違いではあるが、たった一人の妹。その妹はバスの事故で死に、青年は妹をよみがえらせようと、ありえるはずのない妄想にかられました。

 ファンタジーです。生贄を捧げることで、妹をこの世に再び呼び寄せようと……。

 そのファンタジーを青年は信じました。

 いえ……最初は、青年の父親もいっしょになって妄想を現実に変えようとしていたのかもしれません。

 しかし、いまでは青年一人でそれをやろうとしています。

「……」

「どうですか? いまのを聞いて、どう思いますか」

 荒唐無稽なことを言っているのは、百も承知だった。

 だがそれが、桑島の導き出した事件の顛末なのだ。

「ポポル・ヴフ……みたいですね」

 つぶやくように、矢萩は言った。

「ポポル……?」

「『ポポル・ヴフ』です。マヤ神話に出てくるお話です。双子の兄弟が、死んでしまった一方をよみがえらせるくだりがあるんです」

 興味深い内容だった。

「『ポポル・ヴフの神話』は、マヤ文明のなかでも、キチェ族が書いたものだといわれています。アステカとマヤのちがいは、年代もそうなんですが、アステカは一つの民族が他の部族を支配する帝国であるのに対し、マヤは都市国家になります。いろいろな部族が、それぞれの文化を広げていった。その集合的な文化すべてが、マヤ文明です」

 マヤ文明がアステカよりも古いものだということぐらいは知っているが、二つの明確なちがいについては、よく理解していない。とにかく、マヤのなかでも「キチェ族」という部族が記したものが『ポポル・ヴフ』らしい。

「フンアフプーとシュバランケーという兄弟の物語なんですが──」

 そこで矢萩は、壁にかかっている時計にチラッと眼をやった。

「申し訳ない。もっと講義をしてあげたいところなんですが、これからちょっと用事がありまして……」

「そうですか。気にしないでください。お忙しいところを勝手に押しかけたんですから」

「『ポポル・ヴフ』は、マヤ神話のなかでは初歩的なものですから、どの本にも載ってますよ。そこの本を好きなだけもっていってください」

 そう言って矢萩は、狭い室内の面積をだいぶ占有している本棚に視線を移した。

 桑島は、その申し出に甘えることにした。

「では、お借りします」

「あ、できるだけ、簡単そうなやつを選んでくださいね。入門書にも必ず書いてありますから」

 それではお先に──矢萩は、足早に部屋を出ていった。

 残った桑島は、本棚から数冊を手に取った。

 なにかが落ちた。写真だ。三歳ぐらいの少女が写っている。

 すぐに、矢萩の娘だと思った。そういえば、ほかに家族写真などは、部屋のどこにもない。幼いときの写真ではあるが、とても可愛らしかった。いまでは、大学生になっているはずだ。だれかに似ていると感じたが、いま活躍している子役のだれかだろう。

 写真をもどし、書籍さがしに集中する。

 洋書やラテン語で書かれているものはまだマシなほうで、何語か見当もつかない本が多数ある。初歩的なものをさがすほうが難しかった。それでも数冊ピックアップできた。英語なら読むことはできるが、初歩的なものということで、自然に日本語の書籍になった。学生に読ませるために置いてあるものかもしれない。写真やイラストも、ふんだんに使われている本だった。

 その場で眼を通してみる。

『ポポル・ヴフの神話』は、三部構成になっているようで、一部が天地創造。二部が双子の英雄譚。三部がキチェ族の歴史について語られている。

 事件につながるような記述は、第二部になる。

 双子の兄弟、フンアフプーとシュバランケーが球技をしていると、その音がうるさいと地下世界シバルバーの神々が怒りだしてしまう。地下世界に誘い出された双子に、神々はいくつもの試練をあたえ、彼らはそれを乗り越えていく。

「これは……」

 書かれている内容に、思い当たることがあった。

 双子がうける試練のなかに、六つの館という一節がある。

 闇の館。

 剣の館。

 寒冷。

 ジャガー。

 炎。

 そして、コウモリの館。

 その一つ一つに閉じ込められて、神々の罠をくぐり抜けていく。

「……」

 知っている。

 彼女の……ひよりの証言記録。最初、彼女は檻のなかから出されて、真っ暗な部屋につれていかれた。そのあとに、剣が突き刺さっただけの部屋に。その後、氷のある寒い部屋へ。

 ヒョウの剥製の部屋。松明の部屋。

 最後の部屋には、コウモリの死骸が。

「これのことか……」

 それだけではない。新たにおこった犯行でも……。

 山形で殺害された立花和美の現場には、偽物ではあったが剣のようなものが。

 奥多摩の那須君子の殺害現場からは、ネコの毛が採取されている。たしか、サバンナキャットというサーバルの血を受け継ぐ品種だった。

 公園で殺害されていた五十嵐典子のそばには、蝋燭の炎が。

 法則どおりなら、長野の石井美津子の現場には、氷などの「寒さ」を象徴するものがあったはずだ。

 思い出せ。現場を思い出せ。

 遺体のあった台の上。いや、そこにはなにもない。祭壇。ちがう。床だ。床には、ステンレス製のバケツがあった。そのなかには……確認はしなかったが、おそらく水が入っていた。だがそれは水ではなく、氷が入れられていたのではないだろうか。

 そしてまちがいなく、雨宮小夜の父親の殺害現場となった小屋にも、なにかがあった。「闇」に関するなにかだ。部屋が暗かったなどの……。

 そうか。異常なほどに密閉されていた。それは、遺体の腐食を遅らせることが目的ではなく、光を遮断するための細工だったのだ。

 もし、そうだとすると……もう一つ残っている。

 コウモリ。

「あと一つ……」

 そのことが不安をかきたてた。

 最後の一つが、彼女なのだろうか?

 吉原ひよりが、最後の生贄。

「もしくは……」

 ひよりをよみがえらせる──。

 唐突に脳裏をよぎった想像に、桑島は驚いた。

 それは、どういうことだ!?

 自分の考えに、とてつもない違和感をおぼえた。

 ひよりをよみがえらせる──。

 ひよりが、よみがえらせる。

「そんなはずはない……」

 心のどこかに、まだ彼女を疑う気持ちが残っているのだろうか。

 いずれにしろ、もう一つの殺人がおこる可能性は高い。

 不安のままに、桑島は携帯を手に取った。

『もしもし? 桑島さん?』

 ひよりの声を聞いたら、少し不安が遠のいた。

『どうしたんですか?』

「いや、なんでもないんだ……いま、なにしてるの?」

 まるで、恋人にかけているような電話だな、と感じた。

『いまから出かけるところなんです』

「そうなんだ……悪かったね」

『いえ……』

 どこに行くの……とは、聞けなかった。

 そんなことまで気にするのは、本当に彼氏の役目ではないか。

「それじゃあ」

『え? それだけなんですか?』

「うん」

『桑島さんのほうこそ、気をつけてくださいね』

 警察署の襲撃のことを、彼女は心配しているのだろう。

 どこか微妙な空気感のなか、電話を切った。

「あ! 桑島さん!」

 廊下に出たところで、声をかけられた。ひよりの友達の夏美だった。

「どうしたんですか? 矢萩先生に用事だったんですか?」

「そうです」

「じゃあ、矢萩先生、なかにいますね?」

「え? ああ、いませんよ。急用があるとかで、帰られました」

「なんだぁ……」

 どうやら夏美も矢萩に会うため、ここへ来たようだ。

「一応、お礼だけはしておこうと思ったんだけど」

「お礼?」

「チケットをもらったんです。ひよりと行くんですけど、サッカーの──」

 と、言いかけて、夏美は携帯で時間を確認した。

「もうこんな時間! ごめんなさい、これから試合なんです」

 そう言い残すと、夏美はあわてたように走り去っていった。

 試合?

 そういえば、以前だれかから、サッカーの試合のことを聞いたことがある。そうだ……彼だ。今日が、その日なのだ。が、彼は行くことはできないはず……。

 ひよりと夏美も、観戦に行こうとしている。

 これは、偶然だろうか……?

 とはいえ、人が大勢集まるところならば、むしろ安心だ。桑島は、心置きなく捜査を続行することにした。



 午後五時。桑島は、西青梅署へ戻った。

 ほかの捜査員には知られないように、ある人物の検索をおこなった。

 予想どおり、彼は、以前ここに勤務していた。とすると……。

 桑島は、彼が現在勤務している警察署へ問い合わせた。いま身柄は、監察の管理下におかれている。発砲行為は監察事案だ。自宅ではなく、ホテルの部屋にいるという。

 すぐに刑事局長へ電話をした。監察に話を通してもらうためだ。

 そして、彼がいるというホテルへ向かった──。


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