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         29.六月七日(水)


 朝起きてテレビをつけたら、どの局もそのニュースを大きく報じていた。

 警視庁西青梅署で、四人もの死傷者が出たという。三人が死亡。一人が重傷。署内に侵入した、たった一人による犯行だ。

 しかも、犯人は捕まっていない。忽然と署内から逃亡した──と。

 殺害された警察官の名前と階級が、テロップで記された。次いで、重傷を負った一名についても。しかしそちらのほうは、公務員とはいえ個人情報に配慮してか、本名は出なかった。警視庁捜査一課に所属する警視としか……。

 警視──という肩書に、ひよりは不吉なものを感じた。

 いてもたってもいられなくなった。桑島の携帯に連絡をとった。出ない。留守電に切り替わった。いやな想像は増大していく。

『ひよりです。無事ですか?』──そうメッセージを入れておいた。

 うまくしゃべれた自信がない。きっと声は震えていた。

 会いたい……素直に、そう思った。会って、無事を確かめたい。


        * * *


 病院の面会時間は午後からだが、桑島はかまわずに入院棟へ向かった。

 佐野の病室前には、制服警官の見張りが立っている。彼らに警察手帳をかかげると、敬礼が返ってきた。

 病院側からは面会謝絶と伝えられている。ドアにも、そのような札がかかっていた。

 許可をとっているわけではないが、自分の身代わりで襲われた盟友のことを放っておけるわけもなかった。桑島は、扉を開けた。

「よお……」

 弱々しい声がした。佐野は眼を覚ましていたようだ。

「どんな具合?」

「恥ずかしい……」

「え?」

「無線で、聞いてたんだろ? あんな……こと言っといて、普通、助かるか?」

「覚えてないの? 昨日も言ってた、それ」

「ははは」

 力なく、佐野は笑った。

「どこまで覚えてる?」

「言ったかな、いまのこと」

 どこまでが冗談なのか……。だが、記憶の混濁はまちがいないだろう。

「犯人の仮面は?」

「どんなのだっけ……」

 本当にわからないようだった。

「助けられたのは、覚えてる?」

「だれにだ?」

 やはり、これもダメだ。

「高梨巡査」

「ああ、あの地域課の……」

「巡査が犯人へ発砲した」

 具体的なことを耳にしても、佐野の反応は鈍かった。記憶が抜け落ちている。無線のスイッチを入れ、犯人に宣言しているところまでしか覚えていないようだった。

 そこへ、女性看護師が入室してきた。

「なにをなさってるんですか!? 面会謝絶ですよ!」

 きつく言われてしまった。桑島は、恐縮するしかない。

「すみません……」

「いいんだよ……こいつは、肉親みたいなものだ……」

 その看護師は、規律を重んじる性格のようだ。尖った眼差しに追い出されるように、桑島は病室をあとにした。

 冷たい印象の廊下を進む。

 現場検証によると、拳銃は会議室の入り口付近から発砲され、壁からは弾丸も発見された。壁にめり込んでいたということは、犯人には命中していないだろうと思われた。血液も付着していなかったし、犯人の身体を貫通していた場合、三八口径では弾き返されているはずだからだ。

 桑島には、銃器に関する専門知識はない。報告をしてくれた鑑識員の受け売りでしかなかった。あのとき、高梨が手に握っていた拳銃の正式名称も知らない。ニューナンブという回転式拳銃を警察学校では使用していたが、現在ではべつのメーカーに切り替わっていると聞いたことがある。

 しばらく日本にいなかったから、そういう情報にはうとい。自らが拳銃を手にするということも、いままではなかった。これからは、どうだろう。いや、たとえ所持したとしても、うまくあつかう自信はない。自分の武器は、そういう形のあるものではないはずだ。

 いつのまにか、病院の外に出ていた。

 携帯を確認した。院内では電源を切らなければならない。警察官とはいえ、ルールは守らなければ。きっと、このことをさっきの看護師に知られたら、面会のルールも守ってください、と説教されてしまうだろう。

 まったくもって、そのとおりだった。

 着信は一件。ひよりからだった。メッセージが残っているようだ。

『ひよりです。無事ですか?』

 報道では、重傷を負った佐野のことは、たんに「警視」としか表現されていない。だから、自分のことだと考えたのだ。

 彼女にかけるかどうかを迷った。いけない──そうブレーキをかける自分がいる。

 しかし、無事であることだけは知らせなくてはならない。メールで、その旨だけを伝えた。直接会話を交わせば、顔を見たくなる。

 桑島は、タクシーで西青梅署に戻った。

 到着しても、なかには入らず、署の周囲をさぐった。犯人の逃走経路をみつけだすためだ。夜に見るのと、昼に調べるのとでは、大きくちがう。

 だが、どんなに陽光の下で捜査をしても、犯人の足取りはわからなかった。

 まわりをうかがう様子があやしかったのか、何人かの制服警官に声をかけられそうになった。みな、桑島の顔を眼にすると、慌てたように敬礼する。そんな彼らから情報を得たのだろうか、本庁の鑑識員が桑島のもとにやって来た。昨夜、弾丸の話をしてくれた鑑識員だった。

「警視、署内から犯人が外へ出た痕跡は認められませんでした」

 彼は、そう言った。三十代半ばで、ガッシリとした体格。やつれて見えるのは、本来の特徴ではなく、ほぼ徹夜で鑑識作業をしていたからだろう。

「外は?」

「いえ……なかから出た形跡がない以上、やっても無駄だろうと……」

 だれの命令かまでは明言しなかったが、鑑識員は困ったように発言した。

 たしかにそのとおりだ。どうやって犯人が外へ出たかを突き止めなければ、ここから先の捜査は進まない。

 桑島は鑑識員に礼を述べると、署から離れるように歩き出した。

 目的地があるわけではなかった。昨日のことがあったから、すべてのペースが乱されている。いったい自分は、なにを調べていたのだろうか?

 昨夜のことは、置いておく。捜査をもとに戻す。

 桑島は、数秒間で頭を切り替えた。

 雨宮小夜の父親は、遠くの地で死亡していた。犯人ではない。最有力の容疑者だと思ったことは、まったくの見当はずれ。それでも、最初の被害者になっていたことは重要な意味があるはずだ。

 これまでの経歴などもわかってきた。かつては大手の商社に勤めていて、海外赴任が長かった。二度の結婚歴があり、最初の結婚が二一年前。その七年後、十四年前に離婚。男児が一人生まれているが、妻のほうが引き取っている。再婚は、その一年後。娘・小夜の遺影に並べられていた写真は、二番目の妻のものということになる。計算上、小夜は父親の実子ではなく、再婚相手の連れ子と考えられたが、どうやら再婚前から不倫関係にあり、正式に血縁関係があったようだ。

 なぜ殺害されたのか──いまの材料では、それを推理することも困難である。

 そのほか、これまでに多少なりとも疑いの眼を向けたのは、久本拓斗。バス事故の運転手だった丸山哲夫。そして……吉原ひより。

 鈴村聡美のストーカーである久本拓斗が、再び捜査線上に出てくることはないだろう。足が不自由な丸山哲夫も、絶対的なシロだ。

(なぜ、こんなことを考える……)

 吉原ひより。

 ありえない。いままでに何度、その言葉を吐いただろうか。彼女が、昨夜のような凶行をおこなうことなどできない。それに、犯人は男だった。

(男……)

 本当に、そうだろうか。犯人の声音は、あきらかにおかしかった。

 電話ではボイスチェンジャーを使っていたが、佐野がスイッチを入れた無線から流れてきたのは、肉声だ。男のようではあったが、女性でもわざと低く発声すれば、出すことは可能だ。

 再び、あの思考法を試す。

『ラブサスペンス推理法』──。

 絶対に、そうであってほしくない──そういう対象を犯人に据えてみる。

 犯人は、ひよりだ。そう仮定しよう。

 ひよりは、どうやって警察署のなかに入った?

 署の入り口には、監視カメラがある。署内のいたるところにも設置されている。そのどれにも、犯人らしき人物は映っていなかった。時刻が時刻だから、警察署を訪れる女性自体がいなかった。

 入り込んだのではなく、最初からそこにいた……。

 婦警なら、何人かいたはずだ。

 婦警に化けていた。

 では、どうやって、外に出た?

 出ていない。犯行をおこったあとも、何食わぬ顔をして、署内に留まっていた。

 頃合いを見計らって、逃げる……。

 では、仮面や民族衣装のような服装は?

 ロッカーに隠した。凶器も同じだ。

「……!」

 桑島は、犯人像がおぼろげながら見えてきた。

 じょじょに……じょじょに、それがクッキリと──。

 だが、動機や目的がまったくわからない。

 気がつけば、早足になっていた。

 方向も変わっていた。署から遠ざかっていたのに、近づいている。

 いままで集めた資料を、もう一度。

 なかに入ると、仮に設置された捜査本部へ急いだ。小さな部屋だったが、会議室が使えなくなったのだから致し方ない。

 机の上に、桑島はこれまで集めた捜査資料を広げていく。殺害された被害者の氏名。吉原ひよりの詳細な資料に記された名前。そしてこれまでにわかった、バスツアーに参加していた者の姓名──ほかの捜査員たちが何事かと注目するなか、それらを見直した。

 目的の名をみつけた。

 バスツアーに参加していた子供。いままでは、少女しか注目していなかったから、見逃していた。

 しかし、それだけでは動機として弱い。

 雨宮小夜および、その両親の資料も読みなおす。

「そうか……」

 これが、動機か。

 桑島は確信した。あとは、裏付けを固めていくだけだ。


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