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27.同日午後九時
特別捜査本部のある西青梅署に匿名の電話がかかってきたのは、夜になってからのことだった。行方不明になっている鈴村聡美の居所を知っている、という内容だった。電話の声は、桑島警視に、と告げた。
夜でも警察署には、泊り込んでいる捜査員をはじめ、捜査本部には入っていない署員も多くいる。その電話で、西青梅署内は慌ただしくなった。すぐさま電話は、捜査本部につなげられた。
桑島と佐野も、まだ捜査本部につめていた。
桑島が電話に出ると、相手は同じ内容を繰り返した。
「どこにいるんですか?」
桑島の問いに、声は、奥多摩にある村の名を言った。性別はわからない。ボイスチェンジャーで変えられていた。
「あなたは、だれですか?」
そこで、通話は切られた。
電話がかけられたのは青梅市内の公衆電話からだとすぐに判明し、その公衆電話周辺に捜査員が派遣された。そこまでは、考えるまでもない。しかしそこからが、重要な選択に迫られた。鈴村聡美がいるという村に、どれだけの人員を送り込むか。村までは、車で一時間半ほどかかるという。
「どうする?」
「どうしたもんかな……」
桑島の声に、佐野は頭を掻いた。いまの通報を、真に受けるわけにはいかない。
「どうして、鈴村聡美のことを知ってるかだな」
鈴村聡美が生贄犯に拉致された可能性があることなど、当然、報道されていない。聡美が行方不明であるということも、関係者しか知らないことだ。
真に受けるわけにはいかないが、嘘と決めつけるわけにもいかない。なぜなら、いまの電話の人物が、犯人である確率が高いからだ。
「おまえ、言ってたな。鈴村聡美と、五年前の吉原ひよりは、まちがえられたと」
「ああ」
まだ確証の薄い推理だったが、佐野には打ち明けていた。
「ということは、まちがった鈴村聡美が邪魔になったので、解放するということか?」
「そういうこともあるかもしれない」
「他人事のように言うんだな」
桑島は、少し驚いた。佐野から、そんな指摘をされるとは夢にも思わなかったからだ。
「いまの内容、本当だと思うか?」
「五分五分だろうね」
「また他人事だ」
「そんなことはない」
「……とにかく、いまはありったけの人員を送りこむ」
佐野の決断に、桑島は言葉を挟むつもりはなかった。
奥多摩に向けて、捜査員が大量に出発する。
佐野は本部に残り、陣頭指揮をとらなければならない。
「誠一、おまえはどうする?」
「ぼくも向かう」
「そう言うと思った。おまえはデスクワークより、フィールドワークがお似合いだ」
「そんなイメージだった?」
どちらかといえば……いや、あきらかにインドアな性格だと自己分析していたが、そう見えてはいなかったようだ。
「研究者のなかでは、活動的だ」
研究者、というところを強調された。
つまり警察官ではなく、学者として見られているということだ。
なぜだか、悪い気はしなかった。言ったのが、佐野だからだろうか。
「じゃあ、行ってくる」
「あまり一人で行動するなよ。罠かもしれない」
「もし、そうだったとしたら、むこうが初めてこちらに接触してきたことになる」
「どういうことだと思う?」
「ぼくたちが核心に近づいている、ということじゃないかな」
「だといいがな」
「……?」
「人の心理は、教科書どおりじゃない。どんなに優秀な分析官でも、心の奥までは理解できるものじゃない。それを忘れるな」
「慎重に行け、ってことでしょ?」
桑島は、軽く返した。佐野にしてはめずらしく、真剣なことを口にしている。自分まで真剣な態度になることが恥ずかしかったのだ。
* * *
西青梅署のなかは、閑散としていた。
多くの署員が出払っていた。捜査本部に入っていない人員も、応援にまわされている。本部が設置されている会議室に残っているのは、管理官である佐野と、数名の連絡係だけだった。お茶くみなどの雑用をこなす婦警はすでに帰宅しているし、もう一人の管理官・津本も本庁へ戻ったあとだった。
それまで本部にいた連絡係が、用事ができたのか席をはずした。
ポツンと広い空間に、佐野だけが……。
* * *
車での移動。桑島はここに来て、ある胸騒ぎに襲われていた。
佐野の最後の言葉。
いつもとはちがった。
まるで、今生の別れが迫っているのを知って、言葉を残したような……。
* * *
ようやく、席をはずしていた連絡係が戻ってきたようだ。
佐野は何気なく、足音のほうを振り向いた。
息をのんだ。
「だれだ!?」
そこに立っていたのは、仮面をつけた人物だった。
異様な仮面だ。外国の先住民族が、なにかの儀式のときにつけているような……。
その手には、黒いナイフが握られていた。金属製ではない。なにでつくられているのか、佐野の知識ではわからなかった。刃渡りは十センチぐらいだろうか。いや、どこからが刃で、どこまでが柄なのか特定できない。市販されているナイフではないだろう。石のようなものを鋭利に削ったのではないだろうか?
黒い刃だけでなく、握っている手まで、なにかで濡れていた。
わかっている……血液だ。
佐野は、廊下での惨状を想像した。だから、連絡係は戻ってこないのだ。
「なにをするつもりだ?」
佐野は自分の声を、冷静だな、と感じていた。不思議と恐怖はなかった。
「見立てがちがった。そういう男ではなかったということか」
仮面が言った。地声ではない。だが、ボイスチェンジャーで変えられているわけではなかった。仮面を通してのものだからなのか、声はくぐもり、そして意識的に発声も変化させている。体格やその声からは、男と判断できる。
「見立て?」
「そうだよ。桑島警視だよ」
「……」
「彼も残っていると思った。キャリア様だからね」
キャリアは現場に出向かない──仮面はそう考えたようだ。つまり、電話は罠だった。自分たちは、まんまとそれにひっかかった。
「目的は、誠一か!?」
仮面は、笑った。
声もたてていないし、表情もわからない。しかし、佐野にはそう見えた。
一歩、二歩と仮面が近づいてくる。
署内は、嘘のように静まり返っている。ここは、本当に警察署か!?
だが、助けを呼ぶことはできるはずだ。大声をあげれば、必ずだれか来る。
「……」
出さなかった。
大声をあげるのがみっともない──そんな感情では、無論ない。
見極めたかった。この仮面が、なにを考え、なにをしようとしているのか。
「かわりに、おれを殺すのか?」
佐野は言いながら、後ずさりした。
そこには、捜査員に一斉伝達できる無線機がある。スイッチを入れた。
* * *
「け、警視!」
同乗している捜査員に、桑島は声をかけられた。
考え事をしながら車窓からの夜景をただ眺めていたが、一瞬でわれに返った。
「インカムから……」
桑島は、ほかの捜査員とはちがい、インカムをつけていない。
助手席にいた捜査員が、覆面パトカーの無線機を作動させた。
車内に、佐野の声が響く。
『おまえが、生贄犯か?』
『あなたの心臓も神に捧げる』
瞬間的に、桑島は状況を把握した。
やはり、通報は罠だった。だがそれは、現場におびき寄せるためではなく、本部から人を遠ざけるためだ。そしておそらく、狙われていたのは、自分だ。犯人は、キャリアである自分が、先頭を切って現場にはいかないだろうと予想していたのだ。
「戻って!」
桑島は、鋭く叫んだ。急ハンドルが切られた。
西青梅署へ──。
* * *
「なぜ、誠一を狙う!? おまえの目的は、なんだ!? なぜ、生贄を捧げる!?」
「無線を入れたな。時間がない。これより儀式をはじめる」
「答えろ!? なぜだ!?」
「質問が多すぎるね」
「答えろ!!」
「一つだけ、教えてあげる。あの男を狙ったのは、あの男が目障りだからだよ。もちろん、最初からの予定ではない」
「ぐ、ぐうう!」
* * *
無線から流れたのは、佐野のうめき声。
なにかしらの危害をくわえられた。
『いいか……おまえを、必ず捕まえる!』
苦しそうに、佐野が声をあげる。
「佐野! 逃げろ! とにかく逃げるんだ!」
後部座席から身を乗り出して、無線へ叫んだ。
だが、いくら大声を張り上げても、佐野からの応答はない。
「佐野! 佐野っ!!」
『ふふふ、あなたはここで死ぬのだ。だれが私を逮捕するというのだ』
『おれじゃない……』
『では、だれが?』
『必ず、桑島が……誠一が、おまえを追い詰める! あいつは、《ノマド》だ……』
『ノマド? はぐれライオンのことかな?』
『あいつは、おまえを捕まえるためだけに存在している……ノマドが……誠一が、絶対におまえを逃がさな──』
ふいに、佐野の言葉が途切れた。
「さ、佐野!」
『ふふふ、桑島さんですか……さっきから、聞こえています。うるさいですよ。次は、あなたですから』
佐野の声は聞こえてこない。
うめき声すら……。
「佐野を……殺したのか!?」
『いまから、とどめを刺します』
ジリジリとした緊迫に、圧死されそうだった。
まだ到着できない車のなかで、桑島は最悪の事態を思い描いた。
そのとき──。
〈バンッ!〉
銃声が無線機から飛び出した。
「佐野!? どうした!?」
だが佐野からも、犯人からも反応はない。
『ま、まて!』
だれかの声が、ノイズのように届いた。
「もうすぐ到着です!」
運転していた捜査員が言った。
車が停まると、桑島は全速力で署内に駆け込んだ。




