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21.六月四日(日)午前十一時
西青梅署の取調室では、近藤正夫の参考人聴取がおこなわれていた。捜査線上に名前のあがった男がオーナーをつとめる喫茶店──そのアルバイト店員が殺害されたのだ。
桑島は、隣室の模様をモニター越しに観察していた。
「どう思う?」
「ちがうね」
佐野の問いに、桑島は答えた。
「おまえがマークしてた男だろ?」
少し驚いたように、佐野は言った。
「犯人だと思ってたわけじゃない。それに、生贄事件の捜査ではなく、行方不明になっている鈴村聡美さんの捜査でぶつかった人物なんだ」
「同じことだろ? 鈴村聡美をさらったのが生贄犯だとしたら、あいつも重要参考人ということになる」
モニターのなかの近藤正夫は、うなだれ、ときおり顔をあげて捜査員の質問に答えている。
『五十嵐典子さんとの関係は?』
『ただのアルバイト店員ですよ』
『もう一人、おたくでアルバイトしてた女性が失踪してるんだけど、それ知ってるね?』
『はい。べつの刑事さんがそう言ってました……』
『その女性との関係は?』
『まえの刑事さんにも言いましたけど、絶対そんなことはありませんよ! 彼女の失踪にも関与してませんし、五十嵐さんの殺害にも関係してません!』
さきに行方不明になっている鈴村聡美ではなく、なぜ五十嵐典子が殺されたのか?
同じ職場。容姿は似ていないが、年齢は同じぐらい。
「なに考えてる?」
「いや……」
桑島は、続きを口にできなかった。
そのとき、取調室内にべつの捜査員が入ってきて、取調官に耳打ちした。そうか、と小声で囁くと、取調担当刑事は近藤に向き直った。
『近藤さん、あなた、鈴村聡美さんに好意をもってたみたいですね?』
『な、なに言ってるんだ!?』
『そういう証言がとれたんですよ』
『き、木田か!? あいつ、よけいなことを』
取調官は、肯定も否定もしなかった。
が、桑島も、その証言は店員の木田だろうと直感した。
「好意をもってた? つきあっていたんじゃなくて?」
「たぶん、ちがう。鈴村聡美さんがストーカー被害を相談したのは、久本ではなく、近藤が原因だよ」
「この男がストーカーだと? どうして、そう思う?」
「会っているはずなのに、近藤は、久本のことは知らないと惚けた。久本のほうも、『近藤』という名前は出しても、はっきりと彼女と近藤の関係を明言していない。つまり、おたがいがストーカー同士なんだ」
「よくわからない。なぜ被害相談の対象者が、久本ではなく近藤のほうなんだ?」
「おそらく久本がたずねてくるまで、近藤のほうは、久本の存在を知らなかったはずだ。それに久本は、合鍵をつくって彼女の部屋に忍び込んでいるほどの男だ」
そこまで言っても佐野は眉根を寄せて、結論を急ぐように難しい顔をしている。
「二人ともストーカーだとして、あきらかに久本のほうがプロに近い。彼女が存在を察知して、恐怖を感じるのはどちらなのか、と考えた場合、プロよりもアマチュアのほうだろう?」
ストーカーのプロ、という表現に納得がいかないのか、佐野は肩をすくめた。
「おまえの思考にはついていけない」
「近藤は、鈴村聡美さんのストーカーとしては黒だが、五十嵐典子殺害は白だ」
「じゃあ、犯人は久本拓斗か?」
「それもちがう。だいたい、鈴村聡美さん一人が目的なんだろうから、生贄犯のわけがない」
「だがな、鈴村聡美が生贄事件に巻き込まれたのだとしたら、可能性は残るんじゃないか? この種の異常犯罪は、性的倒錯から起因していることが多いんだろ? だったら、いままでの被害者も、ストーカー被害に遭っていたのかもしれない」
「ストーカーというのは普通、一人にだけ執着するんだ」
「同時に複数、執着する犯人が現れたのかもしれん。だからこそ、前代未聞の犯罪者なんだ」
「それにしたって、鈴村聡美さんと同じ職場の女性を殺したのは不自然だ」
「同じ職場に、好みの重なる女性がいても不思議ではないだろう。いいか誠一、相手は常識的な犯罪者じゃないんだ」
犯罪者というだけで異常なはずだが、佐野はあえてなのか、そう表現した。
「鈴村聡美さんの行方不明には、久本拓斗も近藤正夫も無関係だ」
「だったら、これ以上の聴取も無意味か?」
「いや、なにかつながりがわかるかもしれない」
「どんな?」
「それはわからない。ぼくは、久本にもう一度、話を聞いてくる」
「ヤツの拘留も限界だ。今日明日にも出さなきゃならなん」
久本の容疑は住居侵入だけであり、強盗などその他の容疑はかかっていない。しかも、本人は犯行を否定し、犯罪を立証してくれるはずの住人は行方不明。本来なら嫌疑不十分で釈放すべきところだ。それを検察に送致し、なんとか十日間の勾留期間を得ることができた。だが勾留請求をした検察も、勾留決定をくだした裁判所も、重要事件だからと、しぶしぶ了承してくれただけだ。期限はあと一週間以上もあることになるが、実際には一日でも早く釈放しなくてはならない。もし久本が弁護士をつけていれば、まちがいなく問題になっている。
「わかってる。絶対、有用な情報をもらってくるよ」
西青梅署から、高梨巡査の所属する警察署へ移動した。
取調室に、久本を呼んだ。
「またですか?」
元気なく、久本は言った。
数日におよぶ留置所暮らしで、すっかりやつれてしまったようだ。
「オレじゃない。聡美を誘拐したのは」
いつもの主張を繰り返す。
「ぼくは、もともとそう考えていない。あなたもそれは知ってるでしょう?」
「じゃあ、なんで、いつまでも出られないんだ!?」
「近藤正夫は、ストーカーだったんだね?」
久本の激昂は無視して、桑島は質問した。
「で、あなたもそうだ」
「ちがう! オレは聡美の恋人だっ!」
「近藤は、アマチュアだったでしょ? あなたのような優秀な人間からすれば、素人同然だった」
「……」
「あなたは、すぐに近藤の存在に気がついた。だがむこうは、あなたのことなどまったく知らない。あなたは、プロフェッショナルだ」
こういう気質の人間の、触れてほしいところをくすぐった。
「あなたなら、なにか異変に気づいていたんじゃないですか? 鈴村聡美さんの」
「……」
「部屋に入ったとき、なにかおかしなところはなかった?」
「……」
「カレンダーは?」
「……また、カレンダーの話? そんなのは知らないって言っただろ……」
「破ったのはあなたじゃなくても、なにか気づいたことはなかったですか? よく思い出して」
「……」
「カレンダーは、何月だった?」
「……五月」
最初、ボソッと久本は発声した。
「……五月、だったのに、六月になってた」
「いつまで五月だった?」
「いなくなるまえ……」
ということは想像どおり、彼は鈴村聡美が行方不明になる以前から部屋へ侵入していることになる。いまは、それに対しては眼をつぶることにしよう。
「いつから、六月だった?」
「いなくなってから」
「逮捕されたとき?」
「ちがう……二七日」
「あなたは、聡美さんが行方不明になったのは、五月二七日か二八日って言ってましたよね?」
「確信したのが……二七日の夜。ちがう……二八日の朝……どっちだったかな」
「五月二七日に、部屋へ? 彼女は、すでにいなかったの?」
「わからない……」
「でも、カレンダーは六月になってたんですね?」
久本は、返事をしない。だが表情を読み解くかぎり、肯定しているようだ。
「カレンダーを破ったのは、彼女だと思いますか?」
「わからない……彼女の部屋なんだから、たぶん聡美が……」
それが自然な考えだ。しかし桑島には、なぜだかそう思えなかった。
「でもね、どこにも破られた部分がないんです。部屋のごみ箱には、ほかの紙屑は残っていたのに」
「……」
「彼女、動物好きでした? 部屋にあったのは、動物のカレンダーだったけど」
「べつに好きじゃない……と思う。あのカレンダーは、知り合いからもらったもので、とくにこだわりがあったわけじゃない」
さすが、そういう情報は豊富にもっている。
「それが本当なら、どこかに保管することもないですよね? いったい、どこにいったんでしょう?」
「オレは、知らない……」
「彼女が破ったとしたら、部屋に残ってますよね? そのカレンダーには、なにか書き込まれていましたか?」
もっと以前に破っていて、すでにゴミ集積に出している可能性は無視して、桑島は続けた。
「そんなものは知らない……」
この男が知らないということは、なにも書かれていなかったと推測できる。それとも、いくらなんでもストーカーの粘着気質を信頼しすぎだろうか。
仮に、そうだったとしよう。それならば、わざわざ犯人が持ち去る必要はないはずだ。
「彼女じゃないとしたら、べつのだれかが五月のカレンダーを奪っていったということになりますよね? 心当たりは?」
「ない」
「近藤は?」
「……あいつは、部屋に入れない」
「どうして?」
「あのアパートの鍵は最新式で、普通の鍵屋ではつくってくれない。ピッキングでもムリだ」
だんだんと、久本の声量は大きくなっていた。この種の人間のプライドに火がついたのだ。普通の鍵屋で無理ということは、『普通ではない』鍵屋に依頼したか、彼自ら制作したか……。
「だれか、あなた以外、部屋に侵入した形跡はなかった?」
「……なかった」
その「なかった」は、形跡が無かった──ではなく、なにかが無くなっていた、という意味に聞こえた。
「なにが無くなってたんですか?」
「目印。いつも目印を置いておいた」
やはり、そうだった。
「どこに?」
「ノブとか、玄関とか、ソファとか、ベッドとか」
とにかく眼についたところへ、なにかしらの印をつけておいたらしい。
「いくつかの目印がなくなってたり、移動してたりした」
「聡美さんのお母さんかもしれない」
「聡美のお母さんは、あんたらに逮捕された日に、初めて来たはずだ」
たしかに、そのとおりだ。どうやらこの男は、そのときの様子も監視していたのだろう。
「あなたが、あの部屋を訪れたり、外からよく見ているのは、昼が多い? 夜が多い?」
「どっちも……」
これだけの熱狂的なストーカーの眼をかいくぐって、彼女の部屋に侵入するというのもまた、プロの匂いがする。
「話を変えましょうか。近藤と会ったとき、彼とは、どういう話をしたんですか?」
「聡美のこと……」
また、力のない言葉に戻っていた。
推察するに、彼のような人間には、対人恐怖症を抱える者も多いはずだ。激昂しているときは饒舌だったが、現にいまも、こうして冷静に話していると、視線もそらすし、口下手な印象が強い。
会いはしたが、それほど深い話まではできなかったのではないか。
「同じ職場の女性が殺されたんだけど、五十嵐典子さん、っていうんです。彼女のことは知りませんか?」
殺された、と聞いて、久本の瞳が驚愕していた。
もちろん、久本が犯人ではない。彼は、ずっとここの留置施設にいたのだから。
「聡美も、危ないのか!?」
「わからない。だから、あなたに協力してもらってるんです」
「その女は、聡美の幼なじみ……」
「え?」
とても意外なことを言われた。
「それ、どういうことですか?」
鈴村聡美と五十嵐典子が幼なじみ?
それはちがうのではないか……。
五十嵐典子に話を聞いたとき、そんなことは言っていなかった。シフトが重なることはないので、あまりよく知らない……そのようなことを口にしていたはずだ。
「幼なじみ……というより、小さいころ、会ったことがあるって……」
「その話、だれから聞いたんですか?」
「……」
久本は答えない。この男のことだから、どこかで盗み聞きをしていたとか……盗聴器を仕掛けていたとも考えられる。
「聡美さんが言ってたんですか?」
話の出所については眼をつぶって、桑島は迫った。
「そう」
か細い声で、久本は言った。
「むかし会ったことがあるって……同級生?」
「ちがう。小さいときに、旅行へ行ったことがあるって……」
「旅行?」
「詳しくは知らない……」
推理どおり、盗聴のたぐいをやっていたのなら、久本からの質問はできなかっただろう。
これ以上の追求は無意味だ。
おそらく、これが久本に取調べをする最後になる。
「ご協力、ありがとうございます」
部屋を出ていこうとしたが、呼び止められた。
「あ、あの!」
桑島は、振り返った。
「……聡美のこと、お願いします……必ず、助けてください!」
本物の恋人ではなくとも、彼女の身を案じる心は、本物だと思った。
「大丈夫、必ず助け出します」




