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         20.六月三日(土)


 あれから二日間、なんの進展もなく、ただ時間だけが過ぎていった。

 桑島は、近藤正夫の周辺を中心に調べを進めた。だが、近藤に黒い部分はなく、ごく普通の喫茶店オーナーの顔しか窺い知れなかった。土地は親から相続したもので、金銭的に逼迫しているというわけでもない。結婚もしていないから、たとえ鈴村聡美とそういう関係だったとしても、隠す必要はないはずだ。

 もちろん猟奇殺人者の動機は快楽だから、一見すると普通の人でも、裏を覗けば恐ろしい凶悪犯の顔をもっているかもしれない。しかし近藤は、そこまで普通ではない。

 久本にも、あれから何度か聴取をしたが、はっきりと明言はしないまでも、どうやら鈴村聡美と近藤がつきあっているのではないかと勝手に思い込んでいるふしがある。

 近藤や久本から、鈴村聡美の失踪をさぐろうというのは的外れだったのかもしれない。

 そして──。

 さらに一日が経過したとき、事態は大きく動くことになった。


        * * *


 六月四日、日曜。早朝──。

 近くに住む男性が、散歩のために家を出た。定年退職をしてからというもの、それが男性の日課となっていた。いつも歩く公園についたとき、男性は異変を感じた。

 ベンチに、だれかが寝ていた。いや、それならば、よくあることだ。ホームレスが寝ていることはめずらしくない。が、二つ並ぶベンチの一方。ちょうど寝ている人の頭のさきに、なにか明かりが灯っていた。

 それは、蝋燭の炎だった。それだけではない。蝋燭は、石の上に立てられている。

 石は、大きめのものをいくつか組み合わせて置かれていた。

 男性は、それを眼にしたとき、祭壇のようだ……そう思った。

 ベンチに近づいた。寝ている人物は、濡れているようだった。

 なぜだか、いやな匂いがする。

 それが、なんなのかを悟ったとき、喉が凍りついたように声が出なかった。

 ベンチで寝ているのではない。

 祭壇に、生贄が捧げられているのだ!


        * * *


『KEEP OUT』の黄色いテープが、公園を封鎖していた。

 大量の鑑識員、大量の捜査員が公園内を埋めつくしている。

 桑島も、その群れの一員と化していた。

 四人目──。

 ベンチを祭壇と見立てていた。生贄は、まだそこに横たわっている。

 胃液が逆流しそうなのを、なんとかこらえていた。これまでは、現場で眼にしたことはない。解剖室か遺体安置所、もしくは写真でしかおめにかかっていない。殺された場所で、殺された状態のままの惨殺体と対面するのは、生まれて初めてのことだ。

 血の匂い。園内の緑の香りと重なり合って、吐き気をもよおす。いや、土の匂いと相性が悪いのか……。

 桑島は、かろうじて平静をたもっていた。

「どう思う?」

 そう訊いたのは、佐野だった。

 佐野も、殺人現場に臨場することはめずらしい。管理官とはいっても、キャリアなのだから。しかし佐野の表情からは、嫌悪感は見て取れない。やはり、自分とは経験がちがう──桑島は思った。

「あれは、祭壇とみていいのか?」

「たぶん」

 桑島は、短く答えた。生贄事件の専門家でなくとも、そう感じる者は多いだろう。

 仰向けに寝かせられた遺体は、これまでどおり若い女性だった。

 胸を裂かれ、心臓が飛び出している。あたりは血まみれだ。

 だが、これまでの生贄事件とは、現場があきらかにちがう。山奥(五年前は一軒の洋館であったが)ではない。住宅街の公園だ。

 生贄事件ではない、という推測もできる。だが遺体の左手甲には、あれがあった。

 マヤ数字の刻印。

「いつもとは異なる。どういうことだ?」

 長い線が一本。意味する数字は『5』になる。

 三人目の那須君子に『4』の刻印がされていたから、まだ発見されていない『1』をおいておくと、順当に数を増やしていることになる。

「これは、なにか刃物の切っ先で、えぐったんじゃないか……?」

 佐野の言うとおりだった。正確には、刻印でない。

「生贄事件か……これは?」

「まちがいない」

 しかし桑島は、迷わずに答えた。

「模倣犯ということは?」

「ナンバーのことを知っているのは、警察関係者でも一部だけだ」

 直接、捜査にたずさわった者。幹部クラスでも、それは同様だ。

「もし模倣犯なら、捜査員ってことになるのか……いや、もう一人いるな」

「?」

 佐野がなにを言わんとしてるのか皆目わからなかったが、どうにも引っかかった。

「彼女だ」

「彼女?」

「事件関係者で、たった一人いるだろ?」

 桑島は、ありえない想像が頭のなかに広がっていくのを自覚した。

 見える。

 祭壇の前でナイフを手にしているのは、彼女だ。生贄にするべく、被害者の胸に刃の切っ先を突き立てた。

 ありえない……だが、見える。

 さらに恐ろしい想像は続く。

 はたして、五年前はどうだったのだ!?

 たった一人生き残ったのは、本当に偶然だったのか?

 犯人のなんらかの意図があると推理したことはある。だが、もし犯人が……。

 まさか。

 彼女だけ生き残ったのは、あまりにもできすぎではないか!?

 彼女は、賢い。いまもそうだが、当時からそうだったろう。

 いや、やはりありえない……。

 だが、どうしても悪夢の想像は続いてしまう。

 彼女は、生き残ったのではなく……は、んに──、

「おい、どうした?」

 佐野の呼びかけで、われを取り戻した。

「どうしたんだ? 悪魔に魅入られたような顔をしていたぞ」

「なんでもない……」

 絶対に思い描いてはいけない想像だったのかもしれない。これから、どんなふうに彼女と接すればいいのだ。彼女には、自分の考えを見破られてしまう。

「遺体を運ぶぞ。最後に、もう一度見とけ」

 普通の精神状況では、とてもではないが、まともに直視できない。しかし、いまの妄想が脳を麻痺させてしまったらしい。

 遺体の顔を確認した。

 現場に入ったときは正視できなかったが、それでもなんとか鈴村聡美でないことは確認している。

「この子の無念を晴らしてやれ」

 この死に姿を、眼球に焼きつけろ──まるで、佐野はそう言っているかのようだった。

「え!?」

 そこで、やっと気づくことができた。

 どこかで会っている。断末魔の表情で固まっているから、なかなか思い出せない。

「あの子だ……」

「知ってるのか?」

 三日前に話を聞いている。

 近藤正夫の喫茶店で働いていたアルバイトのウェイトレスだった。




         証言記録④


 犯人に対して、どう思う?


 どう、って……。


 許せないでしょう?


 ……。


 どうしたの?


 犯人にじゃありません……許せないのは、わたしです。


 悪いのは犯人だよ。君には、なんの責任もない。


 わたしも……死んでしまえばよかった……そう思うんです。みんなにあやまりたい……わたしだけ生き残って、ごめんねって……。


 それは『サバイバーズ・ギルト』だね。


 なんですか? それ?


 言葉としてはあまり知られていないから、中学生がわからなくてもむりはないよ。たとえば、飛行機事故なんかで、少数が……ただ一人が生き残ったとするね。そういうときに、いまの君と同じような心理状態になってしまうんだよ。罪悪感にさいなまれて、自ら死を選ぼうとする人間もいる。どうして自分だけが助かってしまったんだ。みんなといっしょに死ねばよかったのにって。


 ……わたしは、どうすればいいんですか?


 生きることだね。君が生き残ったのには、必ず意味があるということだよ。


 ……つらすぎます。


 そう思ったときは、犯人を憎めばいい。いやな言われ方かもしれないけど、君はまだ恵まれているんだ。君には、憎悪の対象がある。事故の場合には、だれを憎めばいいのかすらわからないことだってあるんだ。犯人は……いまはまだ判明していないけど、真実はいずれ明らかになる。絶対に真相をつきとめてくれる人間があらわれるはずさ。もしかしたら……それが、君の運命の人かもしれないね。


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