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15.同日午後四時
都内に戻ると、高梨とともに、そのまま鈴村聡美の住んでいるアパートに向かった。
幹線道路から一本路地に入って、すぐのところにあった。最寄りの駅からは、徒歩で十分といったところではないだろうか。まだ新しい建物だった。周囲には同じようなアパートが多いから、独り暮らしをはじめる学生が集まってくる区域なのだろう。
母親の京子からは、室内に入る許可を得ている。受け取った合鍵を使い、部屋へ入ろうとした。
思いがけないことがおこった。
鍵が、かかっていなかった。
「!」
部屋のなかに、だれかがいた。
男だ。
桑島は、瞬間的に身構えていた。
「だれですか!?」
背後からついてきた高梨が、警棒を抜いたのがわかった。
男は、逃げるように部屋の奥へさがった。二階だから、窓から逃げることも容易だ。
緊急事態なので、土足のまま踏み込んだ。
「な、なんなんだよ!? あんたら!?」
男は窓際で腰を落とし、いまにも殴りかかってきそうな体勢をとっていた。
「警察です!」
桑島は、手帳を開いた。
「そ、そんなことはわかってるよ!」
男はそう言うと、桑島の後ろにいた高梨を見たようだ。制服警官がいっしょにいるのだから、こちらの身分はたしかに理解しているはず。
「なぜ、ここにいるんですか!?」
「あ、あんたらこそ、なに勝手に入ってきてんだ!?」
「鈴村聡美さんのお母さんから許可は得ています。あなたこそ、だれなんですか!? 聡美さんの知り合いですか!?」
「そ、そうだよ! 聡美の彼氏だよ!」
男は叫ぶように主張した。
「信じられません。お母さんは、恋人がいるなんて言ってませんでした」
高梨の言うとおりだった。
「鈴村聡美さんの恋人だという証明はできますか?」
「証明!?」
「できないなら、あなたを住居侵入の容疑で現行犯逮捕します」
「ま、まて! あ、あるよ!」
男は、懐に手を入れた。
高梨が一歩前に出た。男が凶器を出した瞬間に、警棒で応戦するつもりなのだ。
だが取り出したのは、携帯だった。待ち受け画面を見ろ、ということのようだ。
そこには、一人の女性が映っていた。ニッコリと微笑んでいる。
鈴村京子から見せてもらっていた聡美の写真と、頭のなかで瞬時に照合する。
「鈴村聡美さんです」
高梨が言った。桑島も、それに同意した。
しかし、だからといって、この男が鈴村聡美の恋人だという証明にはならない。高梨にも、それがわかったようだ。
「やっぱり逮捕しましょう」
「な、なんでだよ!?」
「映ってるのは、聡美さん一人だ。おまえが勝手に撮ったのかもしれない」
「そ、そんな! 聡美は、オレの彼女だ」
「どうやって、ここへ入ったんですか?」
桑島は、慎重に質問した。
「合鍵だよ! 合鍵をもらってたんだよ」
「合鍵は、ここにあります」
「し、しらねえよ! もう一本、あったんだろ!?」
男の額に、ビッシリと汗が浮かんだ。
桑島は、嘘と判断した。
「警視!」
桑島は、高梨にうなずいた。
「十六時二七分、住居侵入罪で現行犯逮捕」
男は、久本拓斗、二一歳。
鈴村聡美と同じ大学に通っている。久本の主張は、取調室で一転した。合鍵は、無断でつくったものだと。鍵穴に特殊な粘土を詰めて、型をとったようだ。ただし、鈴村聡美もいまでは了解ずみで、彼女の恋人だという主張だけは、頑として曲げなかった。
「聡美は、オレの彼女だ!」
取調室のなかは思っていたよりも狭く、声がよく響く。高梨巡査が勤務する警察署だった。もっとも、高梨は地域課なので、普段は交番にいることのほうが多いのだろうが。
桑島が取調室に入ったのは、これが初めてだった。
容疑者である久本の正面に桑島。隅の書記を担当する席には、この署の刑事課の人間が座っている。高梨も同席していて、容疑者のすぐ横に立っていた。
「じゃあ、なんで合鍵を勝手につくったんだ!?」
高梨が、強めの口調で問いただす。
「……」
久本は沈黙した。都合が悪くなるとダンマリになる。
「おい、なんとか言え!」
書記係が驚いたように高梨を見ていた。交番勤務の高梨が、こういう役回りをすることはないはずだ。刑事課の人間からすれば、なんで制服警官と部外者が取り調べをしているのか、疑問と不快感を抱いていることだろう。
「聡美は、オレの彼女だ!」
久本は、同じセリフを繰り返した。その言葉しかインプットされていないかのようだ。書記係が、淡々とパソコンのキーを叩いていく。
「オレの彼女なんだ……」
おそらく──、と桑島は思う。
きっと高梨も書記係も、同じことを思い浮かべているはずだ。
「わかった、信じよう。あなたは住居侵入なんて犯していない。では、その恋人の彼女はどこへ行ったのかな? ここ何日か行方不明らしいんだけど、なにか知らない?」
そう切り出したことで、高梨と書記係が眼を見張ったのがわかった。
「知らねえよ……」
力なく、久本は答えた。
それだけは、嘘のようには感じなかった。
「そうか。行方不明の彼女を心配して、部屋を訪れたんだね?」
「そ、そうだよ!」
「け、警視!?」
異論をとなえようとする高梨を、手で制した。
「彼女は、いつごろいなくなったの?」
「日曜日。土曜の夜かもしれない」
「いなくなった原因に心当たりは?」
「……」
桑島は、ひらめくものを予感した。
「心当たり、あるんだね?」
「……」
だが、久本の唇は重くなった。
「べつの男?」
睨むような視線が返ってきた。
「その男のことは知ってるの?」
久本は、首を横に振った。
「でも、どうしてべつの男がいるって感じたの? なにか、根拠があるんじゃない?」
「……近藤」
ボソッ、とそれだけを口にした。
「近藤? それが、男の名前?」
久本は暗い眼をして、虚空を眺めるだけだった。
「ありました、桑島警視」
生活安全課の捜査員に、あることを調べてもらった。
「男の名前は知らないようでしたが、鈴村聡美という女性が以前、ストーカーの相談に来ています」
やはり、そうだった。
「知らない……ということは、それまで会ったことのある男ではないということですか?」
「そうです。三ヵ月ほど前から、尾行されたり、アパートの周辺をうろつかれたりしたそうです。同一人物の仕業かわかりませんが、無言電話などもあったようです」
「三ヵ月前」
「この相談に来たのが、いまから二ヵ月前ですから、五ヵ月……半年ぐらい前の話ということになりますね」
生活安全課の刑事は三十代半ばで、桑島よりも年上だったが、丁寧に応対してくれた。
桑島は厚く礼を言って、フロアをあとにした。階段を降りて、玄関へ向かう。
「そのストーカーが、久本ですね?」
「たぶん」
「でも警視は……なぜ、あの男を信じるような言動を……いえ、わかっています。情報を引き出すためなんですよね」
それが理解できても、納得はできていないようだった。ストーカーの線から追い込んで罪を認めさせるのが正しいやり方だろう。だが桑島にとって、生贄事件以外の犯行は、追及すべきものではない。軽微な犯罪ならば、もみ消してもいいと思っている。
自分は、ずるい人間だ──桑島は、そう実感した。
16.?月?日(?)
あいかわらず、闇は深い。
ここはどこ?
わたしは、だれ?
暗い。そして、さびしい。
自分は、本当に生きているのだろうか……。
もしかしたら、ここは死の国で、わたしの命はすでに尽きているのではないだろうか? そうだったとしても、不思議とは思わない。
眼を醒ましてから、ここに近づいてくる人間はいない。気配すら、感じない。
わたしが、ここに閉じ込められるまえに、だれかがいたのではないかという考えも、いまでは自信がなくなっている。
ここは、わたし一人しかいない、わたし一人だけの世界なのだ。
……べつのことを考えよう。そうでなければ、気が狂ってしまいそうだ。
わたしは、どうやって、ここにつれてこられたのだろうか。
名前も思い出せないのだから、もちろん、そんなことはわからない。
でも……。
瞼を閉じれば、その残像が見えるような……。
光……。
光が、明滅している。
点いては、消え、点いては、消え。
それがいつまでも続いていく。
なんなのだろう?
それが解明できたとして、ここから脱出できるわけじゃないんだろうけど……。
わたしは、眠ることにした。
これから、どうなってしまうのか。
わかっている。
わかっているような気がする。
考えたくない。
考えたくは……。




