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証言記録③
犯人は一人だった?
はい……。
どうしたの?
いえ……たぶん、そうだと……。
確信がないってこと?
あるんですけど……。
けど?
あれは、最後の夜でした……。仮面の男が、わたしの檻の前で立ち止まったんです。そのとき……。
そのとき?
そのときだけ、ちがったような……。
どういうこと?
それまでの犯人とは、ちがったような気が……いえ、いまのは忘れてください。思い過ごしです。
声は、一度も耳にしていないんだよね?
はい。聞いていません。会話はありませんでした。
ほかに、なにか特徴はなかった? 身長が高いとか、低いとか。歩き方が変わっていたとか。
身長は、そうですね……高くもなく、低くもなく……ごめんなさい。あまり記憶にありません。そのほかの特徴も……とにかく、仮面だけが印象に残っていて。
君が謝ることはないよ。君は、なにも悪くないんだから。
そうなんでしょうか……わたしが、もっとしっかりしていれば……。
悪いのは、犯人なんだよ。君が責任を感じることなんてない。
もう一度……もう一度、あの状況になったなら……わたしだけじゃなく、ほかのみんなも……助けたい、です。
14.五月三一日(水)
彼女は迷っていた。母親として、行くべきなのか、待つべきなのか……。
一人娘と連絡が取れなくなったのは、三日前……いや、もっと……もっとまえからなのかもしない。
大学への進学と同時に、娘は家を出た。独り暮らしをすることに、彼女も彼女の夫も反対だったが、娘は強引に出ていった。それでも、親子の仲が悪かったわけではない。しょっちゅう実家に顔を見せに来たし、電話も頻繁にあった。
今月のはじめ、あることで喧嘩をしてしまった。
大学を辞めて、働こうと思ってるんだけど──そう電話があったのだ。突然そんなことを言われて、はいそうですかと、すませるわけにはいかない。なんのために娘を入学させたというのか。怒るのは、親として当然だ。怒らない親がいたとしたら、その親のほうがおかしいのだ。
夫ともども、そんなことは許さないと伝えた。
それからというもの、むこうからの連絡は途絶えた。こちらからも、することはなかった。今週に入り、さすがに近況が心配になったので、夫に内緒でこっそり電話をかけてみた。出なかった。部屋の固定電話にも、携帯にも出ない。
それが二日前。五月二九日の月曜。
次の日にも、出なかった。
部屋の電話に出ないのは、友達の家にでも泊まっているのかもしれない──と思うこともできる。しかし携帯もとなると、べつの心配がわきあがってくる。ただの、着信拒否であってくれればいいが。
そして本日。何度かけても、電波の届かない場所に──と、音声が流れるばかり。
たまらずに、娘が独り暮らしをしているアパートをたずねてみた。
午前十時ぐらいだったから、本来なら大学へ行っている時間だ。が、大学へも問い合わせてみたのだが、今週は登校していないという。
インターフォンを押しても、ノックをしても、反応はなかった。
渡されていた合鍵で、入ってみた。やはり、娘の姿はない。
いっしょに暮らしていたなら、この状況がどれだけ深刻なのか実感できたはずだ。だが、べつべつに暮らしていれば、それがどの程度のことなのかよくわからない。
もしかしたら部屋に帰らないのは、それほどめずらしいことではないのかもしれない。この年頃は友達の家に泊まることも多いだろう。辞めたいというほどだから、大学もさぼりがちなのだ。携帯に出ないのも、ただの着信拒否。喧嘩してしまったから。そうであってほしい……。
不安はふくらんでいくばかりだった。
警察に届けるべきだろうか……。署の前で、もう数十分も思慮にあけくれている。
娘のアパート近くにある警察署だった。
「あの……どうかされましたか?」
そう声をかけられた。若いおまわりさんだった。
「あ、いえ……」
「なにか相談事ですか? それでしたら、なかへどうぞ」
とても、印象の良い警察官だった。
以前、近所のごみ捨て場に不法投棄が頻発していたことがあった。そのとき警察へ相談にいったのだが、それはわれわれの仕事ではない、と冷淡にあしらわれた過去がある。だから、警察官のイメージは悪いものしかなかった。
「いいえ、なんでもないんです……」
「もし、署のなかへ入るのがいやでしたら、ここで話を聞きますよ。私でよかったら、どうぞ」
* * *
捜査本部にその情報がもたらされたのは、正午過ぎだった。
「高梨さん、ですね?」
桑島は、声をかけた。大半は出払っていたが、それでも大所帯だから、人の数は多い。そんなところに呼び出されたのだ。緊張するのも無理はなかった。
「は、はい!」
まだ若い巡査は、敬礼で応える。二十歳になったか、ならないかぐらいだ。
「あ、そんな、かしこまらないでください」
彼の所属する警察署──捜査本部のある西青梅署とは比較的近い距離にある──に、一人の女性が来訪した。地域課で交番勤務の彼は、報告のため署に帰還したさいに、入るのをためらっていたその女性を見かけ、話を聞いた。娘が音信不通になっているということだった。巡査は、すぐに上司へ報告した。
上司は、事件性はないだろうと判断したようだが、念のため、その署の刑事課へ話をもっていった。そこから、ここへ情報が来たというわけだ。
「お手柄だったかもしれないぞ」
そう言ったのは、佐野だった。
「おまえが、その女性から話を聞かなかったら、またヤツに先手を取られていたかもしれん」
突然「おまえ」呼ばわりされても、気分は害さなかったようだ。
よく佐野のことを知っている人間ならば、なんとも思わないだろう。が、初対面では年下といえど頭にくるのではないか。
「ヤツ……?」
巡査は、べつのところに引っかかりをおぼえたようだ。
「生贄殺人犯」
佐野が簡潔に答えた。
「あ……」
そこで、なにかを察知したように、表情を変えた。
桑島は、彼が自分を凝視していることに気がついた。どういう立場の人間であるのかを知っているようだ。
だとすれば、彼は瞬間的に、重大な事件に関わってしまった恐怖を抱いたはずだ。
「も、もしや……娘さんは、生贄犯に……」
言葉は、途中で霧散していた。
「それはわからない。だが、可能性は充分にある」
佐野は、冷然と言った。桑島もうなずく。
音信不通になった女性の年齢は、十九歳。今年で二十歳になるという。新たなる犯行においては、当てはまっている。住所は、考えたくないことだが、吉原ひよりの通う大学からそれほど離れていない。管轄する警察署も同じだ。
山形、長野、奥多摩、そして……。
もし、これまでもが生贄殺人に絡んでいるのだとしたら、確実に近づいていることになる……。
「高梨巡査、これから誠一……いや、桑島警視とともに、行方不明になった女性の母親に会いにいってもらいたい」
「え?」
「巡査が親身になってくれたから、母親は心を開いたんだと思う。そういう人間が同席していたほうがいい」
そう伝えると、佐野は片手を上げて、どこかへ去っていく。
管理官なのだから、やるべきことはたくさんあるはずだ。いつも暇そうな姿しか見ていないから、桑島は少し見直した。
「あ、あの……会見みてました。よ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
おたがいが、ぎこちない挨拶だった。
「お母様の住所は、わかってますよね?」
「はい」
母親は、埼玉の川越に住んでいるということだった。電話番号も聞いていたので、まず連絡を取ってみた。
警察署からとんぼ返りしたようで、いま家に帰ったばかりだということだった。声が震えていた。何事か重要なことが起こったのだと予感しているようだ。だが、生贄殺人との関連を疑わせてはいけない。
もう少し詳しく話を聞きたいので、これからそちらへ行きます──と伝えて電話を切った。
川越へは、警察車両(白黒パトカー)で向かった。制服を着ている高梨がいっしょでは、覆面パトカーだと不釣り合いなのではという桑島の判断だった。警視庁の車が埼玉県を走ることになるが、むろん桑島にテリトリーは意味をなさない。
運転は、桑島自身がおこなっている。高梨が運転すると申し出たのだが、部下でもない彼を運転手がわりに使うことをためらったのだ。
キャリア警視に運転させていることを後ろめたく感じているのか、エアコンをきかせているはずなのに、高梨の汗が止まらない。
「たまには、運転してみたかったんですよ」
桑島は言った。そうでも伝えなければ、逆に申し訳ない。
しばらく、会話はなかった。桑島にとっては苦痛ではない。しかし、高梨にとっては地獄の時間だろう。そう思ったからこそ、何度も話しかけようとした。が、なにを話したらいいものか、言葉がみつからない。
「け、警視は……ふ、ふだん、どのような趣味を……」
「え?」
ふいに、むこうから質問をうけたので、すぐには答えられなかった。
地獄から抜け出すため、彼なりに声を振り絞ったのだろう。
「す、すみません! 捜査とは関係のないことでした!」
慌てて、彼は質問を撤回した。
「いいんですよ。なんでも聞いてください」
また地獄に突き落とすことはできない。それにきっと、自分のような人間がめずらしいのだ。おそらく、キャリアとこうして行動をともにすることなどないはずだ。
キャリアだって、研修では交番勤務を経験することもある。だがその場合、ベテランの警察官がつきっきりで面倒を見る。高梨のような若い巡査が、行動をともにするケースは少ないはずだ。
しかも桑島は、普通のキャリアともちがう。興味が出るのも当然だった。
「趣味……趣味……」
しかし、いつになっても答えに行き着かなかった。
「趣味?」
愕然とした。自分には、趣味と呼べるようなものがなにもなかった。
「け、警視!?」
思わず、彼へ振り向いていた。
「趣味、ない」
「ま、まえを!」
ププッ──ッ! 激しいクラクションが耳を刺す。
なんとか事故はまぬがれたが、桑島は心の平静をたもてなかった。
趣味がない。なんと、不毛な人生なのだろう。大学に入るまでは、受験勉強。卒業するまでは、国家公務員試験の勉強。入庁してからは、生贄捜査のためのだけに時間をついやしている。
「これじゃだめですね……」
本音をもらした。
「そ、そんなことはないです」
「高梨さんは、どんな趣味をもっているんですか?」
「さ、さん付けなんかで呼ばないでください」
恐縮したように、彼は声をあげた。
普段、上司からは呼び捨てか、巡査と呼ばれているのだろう。
「いえ、べつにぼくの部下というわけではないんですから」
ここまでかしこまられると、会話もしづらかった。いかに警察機構の図式では警視と巡査という差があれど、直属の上下関係でもないのだから、さん付けをするのはそれほど希有なことではないはずだ。
彼のなかで、キャリアという人種に対する隔たりが、天と地ほどあるようだ。
「え、えーと、趣味ですよね……趣味と呼べるかどうかわからないんですけど、高校時代はサッカー部でして、いまでも一人でリフティングの練習をしています」
照れたように、そう告白した。
「でも、いまではやるよりも、観るほうが好きになりました。今度、横浜で試合があるんですよ。海外のリーグなんですけど」
「そうなんですか」
興味のない桑島には、それがどういうものか理解できていなかった。きっと、日本代表と海外の代表が親善試合でもやるのだろうと考えた。
「なんとかチケット取れたんです。その日は非番ですし、大事件が起こらなければ、観戦に行けるんですよ」
まるで高校生のように、表情を輝かせていた。
「高梨さんは、プロになるとか考えなかったんですか?」
「い、いいえ! 自分は、そんなにうまくありませんから……たしかに、高校に入学した当時はそう思っていたんですけど……自分なんかより上手なやつは、いっぱいいたんです……自分にはムリでした」
彼の年齢からすれば、高卒採用のはずだ。夢をあきらめて、警察官を選んだことになる。
何年か先、警察官になってよかった、と彼には実感してもらいたかった。
桑島が幹部候補ならば、そういう警察機構をめざしていただろう。
他愛もない会話がおたがいネタ切れになったころ、目的地へついていた。
女性の名前は、鈴村京子。川越市内の住宅街に家はあった。このあたりでは、平均的な一戸建てだ。たずねると、緊張した面持ちで母親は出迎えた。
応接間らしき部屋に通されると、すぐに冷たい麦茶が運ばれてきた。
「あ、あの……娘が、みつかったんでしょうか!?」
グラスをテーブルに置いたと同時に、母親から悲痛な声があがる。
娘の名は、聡美。大学生で、現在はこの実家を出て、独り暮らしをしている。ただし、住まいが吉原ひよりの寮に近いとはいえ、ひよりとはべつの学校だ。あの地域は、いくつもの大学が密集しているのだ。
これが最悪の予想どおり、生贄事件だとして、これまでと同様に独り暮らし──年齢も二十歳前後の女性が狙われたことになる。
決めつけるわけにはいかないが、母親の心配がこちらにもうつってきそうだった。
母親は訴えかけるように、瞳を向けている。
桑島の危惧は、自分の顔をこの母親が知っているのではないか、ということだった。いまのところ、その素振りはない。あの会見を視聴していたとしても、顔を覚えているとはかぎらない。できれば、このまま会話をすすめていきたかった。
「いえ、まだなんですが……」
高梨が、濁すように答えた。
「お嬢さんをみつけるためにも、いくつか質問をしたいのですが」
桑島は切り出した。
「は、はい」
「まず、吉原ひより、という名前に心当たりはありますか?」
「吉原ひより? さあ? 聡美の友達にはいなかったと思いますけど」
何人かの名前もあげた。五年前の被害者だけだ。新たなる被害者三人の名前をあげることは避けた。同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
「いまの方たちは?」
当然の疑問が、母親の口から出た。
「聡美さんが独り暮らしをしている周辺で、家出人捜索願いが出ている女性たちです」
嘘をつくことにためらいはあったが、真実──最悪の予想どおりだとして──を告げることよりは、心は痛まない。
「は、はあ……」
とても納得してくれたとは思えなかった。
「大丈夫です。聡美さんは、われわれが必ずみつけてみせます」
その言葉に重ね合わせるように、心のなかだけで──。
(聡美さんは、必ず助けてみせます)




