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         12.同日正午


 桑島は矢萩につれられて、講師にあてがわれている個室に案内された。六畳間ほどの狭い空間だ。入るなり、教授たちの研究室とくらべれば雲泥の差ですよ、と矢萩は言った。

 遅れて、思い出したようだ。

「あ、入ったことありましたよね?」

「はい、あります」

 桑島は答えた。

 矢萩を最初にたずねたのは、一年以上前になる。桑島は警察大学校を卒業後、べつの一般大学に四年間通っていた。その四年生のころに、ここへも足を運んでいたのだ。

『生贄』というものの、根本を学ぶことが目的だった。

 矢萩は、古代マヤ・アステカ文明など、ユカタン半島古代史の専門家で、その地方で過去盛んにおこなわれていた『生贄の儀式』についても詳しい。殺害された少女たちの左手甲に刻まれた印について、警察が『マヤ数字』であるらしいと気づいたとき、この矢萩に意見を求めたという関係性もあった。

 わずか数日のことだったが、彼から個人講義を受けさせてもらった。無理をお願いしたはずなのに、矢萩は迷惑そうな顔一つしなかった。

 それからすぐ、一般大学の卒業と同時に、アメリカへの研修へ旅立った。であるからして、当然のことながら、本質を理解するまでにはいたっていない。

「日本にはいつ? たしか、ワシントンでしたよね?」

「はい。正確には、バージニア州のクワンティコです。帰ってきたのは、少しまえになります。まだ一ヵ月経っていません」

 狭い室内は、あのころのままだった。 

 本棚には、ビッシリと何語で記されているかわからない書籍が並び、もう一つある棚には、不思議な模様の土器が飾られている。土偶のような人をかたどった焼物もあった。本物かどうか桑島では鑑定するすべはないが、古代マヤかアステカの土器であろう。

「たしか、焼き窯をもってるんでしたよね?」

 以前、そんな話を聞いていた。

「でしたら、これも矢萩さんが?」

 あのころは、そういう素朴な質問をする時間的余裕もなかった。

「本物は、こんなところにありませんよ。そうです。私が作ってみました」

「すごいですね。汚れぐあいとか、発掘されたものみたいです」

「どうでもいいことに凝ってしまう性格なんです。土器というのは野焼きするものなんですけど、窯で焼くことで、そういう色合いを出せるんです。そこの色のついたやつが、テオティワカン出土の彩色土器のレプリカです。そっちのヘンな形のものが、カタツムリ形容器。土偶も、めずらしい形でしょう? 大きな頭飾りと重ね着が、ちゃんと表現されている。マヤの神官を模したものなんですよ」

 正直、話についていけなかった。話題を変えた。

「お嬢さんは元気ですか?」

「ええ。元気です」

「ええーと、たしか……」

「今年から大学生ですよ。生意気にも、独り暮らしをしたいって騒いでます。反対してますけどね」

 会ったことはないが、矢萩の娘なのだから、聡明な女性なのだろうと思った。

 そこで一旦、会話が途切れてしまった。

「たぶんですが……桑島さんは、再び講義を受けにきたわけではないんでしょう? べつの目的があった」

「さすがですね。お察しのとおりです」

「そのことをたずねてもいいのですか?」

「すみません。捜査上の機密事項ですので」

 そうは断ってみたものの、桑島は迷っていた。

 これは、非常に都合の良い偶然なのだ。

 彼女の……吉原ひよりの大学が──しかも専攻している学問の講師が、桑島にとってもゆかりのある人物だった。

 日本に帰って、そのことを知ったとき、運命という安直な単語が胸に焼きついた。

「もしかして、私に会いに来たわけでもないのでは?」

 桑島は、そこまで言い当てられたので、苦笑いを浮かべた。

 矢萩の洞察力には眼を見張るものがあり、当時、何度も驚かされた経験がある。その彼が、どうして講義の人気がないことに頭が回らないのだろう。それとも、わざとそうしているのかも……。矢萩のことだから、なんらかの計算があってのことではないか──そう勘繰ってしまう奥深さがある。

「むこうでの研修は、どうでした? ためになりましたか?」

「アメリカでも、過去には類似する事件がおきています。新興宗教……まあ、カルトですね。その教義にしたがって、神に生贄を捧げていた。精神病にかかった患者が妄想にかりたてられて、同様の犯行を続けていた例もありました。前者のほうは、近隣にそういう宗教団体があったために、すぐ検挙にいたったようです。後者のほうは、そもそも精神疾患をわずらっていたのですから、証拠を隠そうとか犯行の発覚を恐れる素振りはなかった。犯人の特定は、容易だったということです。つまり──」

「日本での生贄殺人に、そっくり当てはまるものはなかった……と」

 続きを口にした矢萩に、桑島はゆっくりとうなずいた。

「先生、これから質問することは、ここだけで忘れてくださいませんか?」

「いいですよ。でも、先生という呼び方はやめてください。学生からも、あまり呼ばれませんので、恥ずかしいです」

「わかりました」

 思わず笑みが浮いてしまいながら、桑島は肝心なことを続けた。

「では、矢萩さん。ここの生徒で、吉原ひよりさんという方をご存じですか?」

「吉原さん? 知ってますよ。彼女はめずらしく、私の講義にちゃんと耳をかたむけてくれる」

「彼女、どうですか?」

「どう……とは?」

 さすがの矢萩でも、その問いだけではどう答えてよいのか見当もつかないようだった。

「どんな生徒ですか?」

「真面目な生徒ですよ」

「それだけですか?」

「そう、ですね」

「矢萩さんと、個人的な交流などはありますか?」

「何度か講義後に、わからなかったところを質問されたことぐらいはあります」

「そういうことは、よくあるのですか?」

「どういう意味ですか?」

「ほかの生徒が、質問しにくるようなことです」

「ご想像どおり、ほとんどありません」

 矢萩は、自嘲ぎみに言った。

「私は、人気ありませんから」

 どうやら、その自覚はあったようだ。

「では吉原ひよりさんとは、その他の生徒よりは関係性が深い……ということでいいですね?」

「……? まあ、そうとってもらっても、いいと思いますよ」

 なにを意図したものか理解していないからだろう。とても歯切れが悪い。桑島は、少し回りくどい言い方だったかな、と反省した。

「では彼女に、矢萩さんの講義の内容について解説してもらってもいいですか?」

「どういうことですか?」

「矢萩さんは、忙しいようだ」

 そこまで会話が進んだところで、矢萩にも桑島のたくらみが伝わったようだ。

「彼女は、優秀でしょう? でしたら、矢萩さんの代わりに、いろいろ話を聞くことにします」

「……彼女が、捜査に?」

「トップシークレットです」

 人差し指を唇に添えて、桑島は言った。

 矢萩は一瞬、笑みをみせただけで、それ以上、なにも訊こうとはしなかった。


        * * *


 自分のところへ来る予感があった。

 昼休み。さきほどの講義が終わると、彼は矢萩といっしょにどこかへ去った。たぶん矢萩の部屋で、なにかを話しているのだ。

 二人が以前からの知り合いだったことは、講義でのやりとりであきらかだ。

 はたして彼は、矢萩と会うためにここへ来たのか、それとも……。

 ひよりは、あえてこのあいだのベンチに座っていた。食事は、すでに学食ですませている。夏美は飲み物を買いにいって、いまはいない。

 近づく足音で、それが彼だということがわかった。夏美にしては軽やかでないし、まわりを忍んでいるように、慎重だ。関係のない第三者でないことは、目的をもった足取りでまちがいない。

 ひよりは、わざとらしくそちらを向いた。

 彼のほうも、ひよりがすでに気づいていることがわかっているようだった。

「やあ」

 どこか、しらじらしい挨拶だった。

「こんにちは」

 ひよりも、しらじらしく返した。

「矢萩先生と知り合いだったんですね」

「そういうことになるね」

「前回は、会っていかなかったんですか?」

「忙しかったからね」

「そういうふうには感じませんでしたけど」

 彼は、笑顔をみせた。

「会見、みました」

 一転、複雑な表情になった。困ったような……恥ずかしがっているような……。

「そのことは、ふれないでくれるとありがたい」

「どうしてですか?」

「いや……思い切ったことを発言してしまって……自己嫌悪ってやつに襲われた」

「さまになってましたよ」

 その言葉には、誇張もなければ、お世辞もふくまれていない。だがどこかで、からかってあげたい悪戯心も芽生えていた。

「役者さんみたいだった」

 桑島は、深くため息をついた。

 いけないとわかっていても、ひよりは可笑しさをこらえきれなかった。その様子を、桑島はみつめ、言った。

「安心した」

「え?」

「まえに会ったときと変わってない」

 桑島が、なにについて語っているかは、わかっていた。

「あたりまえです。まだあれから、三日しか経ってませんもの」

 しかしひよりは、桑島の危惧に気づかないフリをした。

「人は、そんな急には変われません」

「そうかな。キミぐらいの女子は、目まぐるしく変化していくものじゃないの?」

 桑島も、それに合わせてくれたようだ。

 彼は、ひよりが恐怖を感じていないか心配しているのだ。

 本心を言えば、恐ろしかった。あの殺人鬼が、まだどこかで活動している。そう思うだけで、胸に針を打ち込まれたように息苦しくなる。

 ひよりは無意識のうちに、左手甲へ視線を動かしてしまった。すぐに気づいて、瞳をそらした。

 桑島にも見られた。それだけで、伝わってしまったはずだ。

「恋でもしたら、変わるかもしれませんね」

 平静をつとめて、話を続けた。

「で、用事はなんですか? また、五年前のことですか?」

「いや。矢萩先生の講義について、いろいろ教えてもらおうと思って」

「講義……に、ついてですか?」

 桑島は意味深げに微笑んで、うなずいた。

「わたしは生徒ですよ? 先生に直接うかがったほうが……」

「それが、矢萩先生は忙しいらしくってね。かわりに、だれか生徒を紹介してくれってお願いしたら、キミを推薦してくれたんだ」

 そこで、理解した。

 彼は、わたしといっしょにいても不自然ではない口実をつくったのだ、と。

「わかりました。わたしでお役にたてることがあるのなら──」

 心が弾んだ。


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