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想い猫  作者: 追々
1/7

欲する力グリード

大切な人を失い途方に暮れていた主人公の前に現れた猫達。人間は一人ではないんだと、一人では生きていけないんだという想いに至りました。早希達の行く末を見守って下さい。

 気がつくと真っ暗な部屋にいた。そこには誰もいない。ずっと隣にいてくれたタケルはもういないから。ねぇ。タケル。もしあの日に戻れたら私はあなたのこと助けることが出来たのかな――。


「……希。早希! よかった! 目が覚めたのね」

 周りがバタバタと動き回るのが分かる。早希がゆっくりと目を開けるとそこには母親の翠が目に涙を浮かべ早希の右手を握っているのが分かった。

「……ここは?」

「病院よ。早希は一週間眠ったままだったの」

「早希さん!意識が戻ったんですね!」

 駆けつけた担当医が早希の顔を覗き込むと安堵の表情を浮かべた。

「一週間も……。そうだ、タケル。タケルは? タケルはどこにいるの?」

 早希は翠の腕にしがみついてみるもののその腕に何故か力が入ってないことに気がついた。

「お母さん……?」

「……早希、タケルくんはね……残念だけどもう……」

「どういう意味? ねぇ! お母さんってば! 」

 早希は尚もその力ない腕にしがみつくが返ってくるのは無言の返事とただ首を振るだけの母の姿だ。

「……嘘。嘘嘘嘘! そんなの嘘だよ! だってタケルは……!」

 誰かに否定してもらおうと早希は医師の顔を見るがその目は閉じられたままだ。まるで見たくない事実から目を逸らすかのように――。

 頭で何かを拒絶しようとする。早希の体は震えあがっていた。

「……いや。そんなの……そんなのいやぁーーーーーーっ!!」


 教室のドアを開けるとみんなが一斉にそちらに目を向けざわついていた室内は一瞬静まり返った。

「早希!」

 千尋の声がその名を呼ぶと一気に早希の周りに人が集まる。

「早希! すごい心配したんだよ!」

「体はもう大丈夫なの? 一ヶ月も休んだままだったし、携帯も繋がらないままだったしさ。……早希?」

 同級生たちが矢継ぎ早に心配していたという言葉をかけるがそこにはおかしな空気が流れていることに気がついた。

 早希は真っすぐ一点を見据えたまま返事をしようとしない。それどころか動こうとさえしなかった。

 千尋はすぐに早希の様子のおかしさに気づき後ろに後ずさった。もう一度名前を呼ぼうとすると後ろから翠が入ってくるのがわかった。

「おばさん! ……早希はどうしたの? もう体良くなったんじゃないの?」

 翠は肯定とも否定とも取れない表情を浮かべている。

「早希はね……もう前の早希じゃないの」

「え?」

 千尋は翠のその言葉の意味を理解しようとしたが頭が混乱する。そこに立っているのは早希であって早希じゃない――。どうして?

「……早希のことよろしくね」

 翠はそれだけを言い残し教室を去っていった――。


 担任から仲の良かった友達が一人ずつ呼ばれ翠の言っていたことがそういうことなのかを説明された。

 事故に遭い一週間眠ったままだった早希は目を覚ましたがタケルが既にこの世にいないということを知ると再び気絶するように眠ったという。そして次に目が覚めたときには人間らしい感情を一切出さなくなったというものだった。それと同時に事故前後の記憶も消えていた。つまり早希は自分の心を守るために心を閉ざしたのだ。

「兄妹みたいに仲良くしていたからな。医者によれば一時的なものでいつかは元通りになるとは言っていたが……」

「先生、そのいつかっていつ?」

「…………」

 担任である竹内は千尋から思わず目を逸らした。

 早希が前の早希の様に戻るのはいつのなのか。単純な質問であるはずなのにそれは誰にも答えることは出来ないのだ。明日かそれとも来年か、もしかしたら一生このままということだってありえる。

 竹内は千尋にそういったことは悟られまいと軽く答えようとしたが千尋は既に何もかも理解していたようだった。


 しんと静まり返る夕暮れの教室。

 生徒は既に帰ってしまったようだ。校庭からは部活動に勤しんでいる人達の声が聞こえる。そこにいるはずなのに全てが遠く、声は早希の体をすり抜ける。

「早希帰ろう」

 教室でぼんやりと座っていると千尋が話しかけてきた。

 感情が何もないと分かっていても何かをせずにはいられなかったのだ。もちろん返事など期待してなかった。返ってくるはずもない声を待つのに耐えられず千尋はすぐに出口へ向かおうと早希に背を見せた。

「……ん」

「え?」

 気のせいだろうか。千尋の耳にかすかに誰かの声が届いた。

「ううん」

「早希! 早希! よかった! しゃべれるんだね!」

 思わず近寄るが、その表情は朝見たときと変わらず全く表情が読み取れない。それでも早希の声が聞けたことに千尋は思わずその腕を取っていた。

「私……帰らない。ここで待ってなきゃいけないから」

「え? 誰? 誰を待ってるっていうの?」

 早希はそのとき初めて千尋の方を向いた。しかしその視線は彼女のことを全く捉えていない。

「タケル」

「……!」

 今度は千尋が返事をすることが出来なかった。

「ここで待ってればタケルはいつも迎えに来てくれる。だから……ここにいないと」

「早希。タケルは……」

 その先の言葉を続けることが出来なかった。だって早希は本当に来るはずもない彼を待ってるはずだから。

「早希……」

 抑えられなくなった涙を見せまいと千尋は教室を逃げるように出ていった。

「タケル……まだかな」


 千尋と入れ違いに何かが教室に入ってきた―というより現れたという方が正しいかもしれない。

 それらはあの日、早希が事故の記憶を失って目を覚ましたときから気配を感じていた。

『早希』

 それらの一匹が彼女の名前を呼ぶ。それらは最初からそこに存在していたかの様に振る舞っているものもいれば、窓から今入ってきたものもいた。更に名前を呼んだものが早希に近づく。

『初めまして。早希』

 早希はその声に驚きもせずただ彼らと言葉を交わす。彼らのうちの一匹はにゃあと鳴いた

「……初めまして。猫さん達」


 教室の窓から入ってくる風が彼らの毛を柔らかく揺らしている。

『僕たちは早希の心なんだ』

 最初に入ってきた猫がそう言う。彼の体は綺麗なねずみ色で、眼は夕焼けのせいか、金色に見えた。

『お前の失われた心が俺たちを呼び寄せた』

 今度は黒い体だが口の周りだけ白くなっている猫がいう。

『私たちは“あなた”』

 縞模様の猫が近づく。

「……それってどういうこと?」

 何故だろうか。猫と話すなんて初めてなのに最初からそうであったかのようにすんなりと話せている自分がいる、寧ろクラスメイト達より心が穏やかでいられるのは気のせいではないはずだ。

『タケルに呼ばれたんだよ』

「……え? それってどういう……」

「早希ー!」

 教室に誰かが入ってくると同時に呼ばれ、はっとした。出口を見ると日焼けをした坊主頭の少年が立っていた。早希がよく知っている人物だ。

 ふと窓に目をやると猫達は全員消えていた。

「今誰かと話してなかったか?」

 少年はそう言いながら早希に近づいてくる。

「……剛輝くん」

「おお! ちゃんと覚えてたか! てかなんだよ! 普通にしゃべれるじゃないか」

 剛輝はそう言いながら早希の前の席に座りこちらに向き直った。

「一ヶ月も学校来ないから心配してたんだぞ」

「…………」

 剛輝はこの学校の生徒会長だ。成績優秀、運動神経も抜群。人懐っこい笑顔は見る者の心奪う。タケルとも仲が良く、早希もタケルを通して仲良くなった。

「タケルのことはさ……そのがんばったよなあいつ」

「え?」

「あいつはがんばった。すげーいい奴だったしな」

「…………」

 剛輝の言葉に思わず目を向けたが早希はすぐもうこれ以上何も聞きたくなかった。

「あ! そうだ俺戻ってるとこだったんだ! すまん早希! また明日!」

 剛輝は早希のそんな様子など構うことなくその場を去っていた。

 誰もいなくなった教室は何故かさっきよりも静まり返ったようで、寂しさが強まった。


『僕の名前はグリード』

 そう言ったのは最初に早希に話しかけてきたねずみ色をした猫だ。やはり気のせいでなくその目は金色をしていた。

『早希の失った“欲望”を持つ者』

「欲望?」

 早希が帰り道を一人で歩いていると猫達は再び早希の前に現れた。

『そう。早希、人はね欲望がないと生きられないんだよ』

 誰もいない公園は誰もいない教室よりもずっと静かで寂しさをより一層強く感じさせた。夕焼けも西の方は既に夜がやって来ていた。グリードと言われる猫はベンチに早希と共に座っている。

『生きるってことは欲望の連続なんだ。何かをしたい、人と話したい、愛されたい。そういう気持ち全てが生きたいという想いに変わるんだ』

「…………」

『だからねそういう気持ちがないと例え体が生きていたとしてもそれは死んでるのと同じなんだ』

 グリードはそう言うとベンチから飛び下りた。そして今度は早希の足元で話し始める。

『最初に早希にはそういう気持ちを思い出してもらう』

「……出来ない」

『…………』

 グリードは一瞬その言葉に反応を示したが早希の言葉を待った。

「だって……タケルはもういないんだから。生きてたって……無駄だから」

 早希が病院で眠り続けている間にタケルの葬式は既に終わった後だった。だからなのかタケルは今もまだ生きてる気がする。それに早希には事件前後の記憶がないのだ。思い出そうとしてもその記憶は霞がかっている。それに思い出そうとするとひどい頭痛がする。体がその記憶を思い出そうとするのを拒絶しているかのように―ー。

 なのに口から出る言葉はタケルを待っているかのようなものだったり、今のようにタケルの死を認めているものだったりと支離滅裂だ。ただ一つ確かなのはタケルは今、早希の隣にいないということ。その事実だけで早希が心を閉ざすのには十分だった。

『早希……。最初に言ったはずだよ。僕たちはタケルに呼ばれたんだって』

「それって……」

 グリードは聞こえてないのか四つ足で立ち上がると公園の出口の方へ向かっていた。

「グリード?」

 グリードは立ち止まると一度振り返り本物の猫のようににゃあと鳴き消えていった。


 夢を見た――。そこはどこかの島。五月晴れを絵に描いたような青空に青々とした緑が映える。早希の隣には見慣れた顔。早希も笑っていた。なのに胸騒ぎが止まらない。ここに来なければもしかしたら――。


ジリリリリリリ。


――夢。

 目が覚め目覚まし時計を止めると、ここが自分の部屋だということを早希は認識した。

――あの島。

 どこだったろうか。小さい頃の記憶?それとも――。

「痛っ……」

 ひどい頭痛がする。この痛みにも覚えがあった。


 放課後、早希はいつも同じように誰もいない教室でじっと何かを待つように座っていた。千尋も変わらず話しかけては反応がない早希を心配しながらも帰っていった後だった。

 私何してるのかな。

 昨日の帰り道、グリードが早希に投げかけた言葉を思い出していた。それ以上に自分がグリードに言った言葉も。

――タケル。

「早希ー!」

 早希がタケルのことを思い出そうとしたらふいに名前を呼ばれた。このタイミングは昨日と一緒だ。

「剛輝くん……」

「何だよ。また残ってたのか」

 剛輝は早希の様子などお構いなしに相変わらず話しかけてくる。

「そういえば早希って部活とか入ってなかったよな確か」

 ふと見ると剛輝は昨日の学ラン姿とは違い、運動着を着ていた。

「部活入ってるともうすぐ大会もあるしこんなところでのんびりいられないもんな~。俺なんか五つも兼部してるから忙しいとか越えちゃってるしな」

「…………」

 早希はその突拍子もない言葉に思わず剛輝の顔を見た。

「言ってなかったけか? 確かに早希が休む前は三つだけだったしな」

 早希以外の人に言えば突っ込みが飛んでくるであろう台詞を口にする剛輝はどこか誇らしげだ。

「……どうして?」

 猫達以外とは言葉を交わすことがほぼ無くなった早希が気づくと自ら質問をしていた。

「どうして……そこまでするの?」

 剛輝は生徒会の仕事も忙しいはずだ。ましてこの時期、いろんな部活が大会や試合などが増えるこの時期に何故わざわざ自分を追い込むようなことをするのか。早希には全く分からなかった。多分事故に遭うまでもそれは理解出来なかった様に思う。

「どうしてって。楽しいから」

「……それだけ?」

「自分がしたいことをするのに理由なんているのか?」

 剛輝は逸らすことなく早希の目を真っ直ぐ見つめて質問に答えた。

「そりゃあこんだけやってたら大変だよ。いろいろさ。でも自分のしたいことしてるからさいくらやってもやってもやり足りないんだ!」

「やり足りない……」

「そうだよ! 楽しくて楽しくてしょうがない! 部活も生徒会の活動もさ! 出来ることならもっといろんなことをやってみたいしな」

 剛輝は力強く言いながら気づくと目と鼻の先ほどに早希がいることに気づき、後ずさった。いつの間にか自分語りになっていたことが恥ずかしかったからではなく、これほどまで近づいているはずなのに早希が何を思っていたのか全く表情から読み取れなかったからだ。このときやっと目の前にいるのが以前の早希ではないことを彼は悟った。

「早希……。見学でもしてみるか?」

 そんな早希を見ていたくなかった。タケルが死ぬ前では早希はよく笑いよく喋り、どこか危なっかしくてタケルと二人でよくからかったものだった。

――なのに。

「なぁ早希。ここでぼーっとしてるだけじゃつまんないだろ?行こうぜ」

 何も返事をしない早希の腕を引っ張り立たせ、二人は教室を後にした。


「おし! まずはバスケからだ」

 剛輝はそう言いながら早希と共に体育館へと向かっていた。

「そういえばタケルともよくバスケしてそれをお前が見てたよなあ。一緒にやろうぜって誘っても『私は見てる方が楽しいから』なんて言ってさ」

「…………」

 早希は剛輝の言葉はまるで聞こえていないようだったが、それでも後をついてきた。

 剛輝は背中に彼女の存在を感じながら少しだけ昔のことを思い出した。


「剛輝ー! 早く来い! コート取られちゃうだろ!」

 そう声をかけるのはいつもタケルの役目だ。昼休み、タケルは暇さえあれば剛輝を外に連れ出そうといつもクラスに来ていた。

「わかってるよ! ……全く。何でお前は文系なくせにそんな運動バカなんだ。だったら部活もそっちにしたらよかっただろうが」

 剛輝は先を歩く背中に向かってひとり言のように呟く。

「ばーか。運動部なんかに入ったら早希の傍にあんまりいてやれなくなるだろ」

 タケルはいつもそうだった。二言目には早希の名前が出てくる。一度二人の仲を怪しんで付き合ってるのか?と尋ねたことがあったが大きな声で笑い飛ばされた。

「そんなわけないだろ。僕と早希はただの幼馴染なんだから」

 傍目から見れば、幼馴染と呼ぶにはあまりに近すぎる程の関係。でも確かに二人の間に流れる空気は恋人同士のそれとは程遠いものだった。


「会長ー!」

 剛輝の姿が入口に現れるやいなや練習中の一人が気づきすぐに何人かが近寄って来る。

「おう! お前らやってるか」

 剛輝がそう声をかけるとあっという間に輪が出来た。

「遅かったじゃないか、剛輝」

 そう声をかけてきたのはバスケ部のキャプテンだ。そのプレイもさることながら面倒見もよく仲間から慕われているが、そんな彼でも剛輝には頭が上がらないらしい。遅れてきた剛輝をすぐに練習に合流させた。

 そんな様子を早希はコートの隅で見ていた。

(タケル……)

 剛輝がコートを縦横無尽に走り回っているのを見て早希は三人でいたときのことを思い出していた。


「そんなこと言わずに一緒にやろうよ。ちゃんと教えるからさ」

「タケルはそう言ってすぐ本気になるんだもん。やだよ」

 早希がそう言うのが分かっていたのか、二人はあまりしつこく誘おうともせずまたバスケを再開する。

 早希はタケルの楽しそうな顔を見ていればよかったのだ。小さい頃からその笑顔が気がつけばそこにあった。

 剛輝は最初タケルの友達だったが早希ともすぐ打ち解けた。剛輝は誰もが認める正にスーパーマンみたいな男子で、でもそんなところを少しも鼻にかけず早希にも気軽に接してくれた。

 でも今は全てが遠い過去だ。早希はもう自分がどんな風に剛輝と接していたか忘れてしまっていた。

 なのに剛輝は今でも当たり前のように学校に来てバスケをして生徒会長の仕事もこなしている。早希はそんな剛輝に興味がわき後をついて来たというのもあった。

 剛輝はキャプテンにも負けないくらいのプレイを幾度もし、仲間が失敗すればフォローをしあの太陽のような笑顔を見せる。

 不思議な人だと思った。

 もちろんタケルのことを忘れたわけではないが、剛輝は変わらず周りを明るく照らし続けている。それ以上に彼自身が心から楽しんでいたのもわかった。早希はいつの間にか剛輝の姿を目で追っていた。

「早希。今日どうだった?」

 バスケ部の練習が終わった帰り道、剛輝がそう質問してきた。

「…………」

「やっぱり体を動かすっていいよなー」

 剛輝は相変わらず早希の返事がないことなどお構いなしに話をする。

「じゃあ俺こっちだから! 早希また明日も付き合えよ」

 え?と声が出そうになった早希だったが、既に剛輝の背中は遠くにあった。


 次の日、剛輝の言うとおり今日も早希は剛輝のあとについて部活の見学を隅でしていた。

 今日はサッカー部だ。ここでも相変わらず剛輝はコートを縦横無尽に動き回り、相手を翻弄したかと思えば、すかさず味方のフォローをする。

 その顔からは一切疲れが見えず寧ろ昨日よりもイキイキしてるように見えた。

「おい! そっちまわれ!」

 剛輝はコートでは誰よりも声を張り上げている。早希はそんな彼の姿を真っ直ぐ見つめていた。

 

「うわ! びっくりした! 早希じゃないか。待ってたのか」

 サッカー部見学の次の日、早希は自分から剛輝のところへと来ていた。剛輝のいる教室の後ろのドアの近くに立っていたが剛輝は全く気がつかず早希のところへと向かおうとしていたらしい。

 早希は剛輝が何故ここまで一生懸命になれるのかその理由を自分で見極めたいと思った。

「おい。ちょっと待てよ」

 早希はどこへ向かうかわからないまま歩き出した。剛輝はあわててその背中を追いかける。

――そう言えば。

 剛輝が早希を追い抜きながら彼女は自分から何か行動をしたのは久しぶりだとそんなことを思った。


 今日は野球部だ。剛輝は元々は野球部に入っていたが自分の好奇心の強さと生徒会という仕事もあって三年生になる前に退部した。けれど野球部の仲間は剛輝のその能力の高さと人柄でこうして練習に顔を出すことを了承してくれている。

 早希はグラウンドの横にあるベンチに腰掛けその練習風景を見ることにした。


「早希、今日は生徒会の仕事の日なんだ。見学に来るか?」

 四日目。剛輝がそう尋ねると答えは決まっていたかの様に早希はこくりと頷いてみせた。

 生徒会の教室は一階の突き当りにある。自分たちが使ってる教室とは違い長テーブルが四つ、正方形の形づくって並んでいる。

「みんなお疲れさん」

「会長、遅いですよ」

 眼鏡ショートカットの女子がそう声をかける。リボンの色から見るとどうやら二年生のようだ。

 そこには既に何人かの生徒がいて早希を見ると驚きの表情を少しだけ見せた。

「この子は俺の友達で生徒会の仕事を見たいそうだ。いいよな?」

「それはもちろん構わないけど……」

 そう言ったのは同じ三年生の女子だ。クラスは違うから名前はわからないが確かこの子は副会長だった気がする。その子は同意を求めるように周りの生徒に目配せをした。

「そっか! よかった! えっとまずは今度の壮行会についての話し合いからでいいか?」

 誰も何も言わないことを了承したと捉えた剛輝は早希にその辺の椅子に座ってくれて構わないからと声をかけ、すぐさま話し合いを始めた。

 話し合いを進める様、自分の意見だけでなく相手の意見を学年に関係なく求め、適所適所に役割を当てはめていく。その仕事ぶりは見ていて清々しさすら感じられるほどだ。これが教師からも一目置かれる程の会長の力量かと早希は感じた。

 そして、剛輝の表情は昨日までの部活をしていたときとはまた違っていた。誰よりも真剣で一生懸命で、自分のしたいことはもちろん、学校全体がどうしたいのかを考えているようなそういった表情だ。

 もちろんここでも剛輝は自分が楽しむことは忘れていないようで、真剣だが今まで見てきたどれよりも楽しげな笑顔を浮かべていた。


「早希、今日はどうだった?」

 剛輝はやはり返事が来ないことを承知の上で早希に話しかける。

「見てるだけはつまんかったろ? あ、それは他のも一緒か」

 剛輝は伸びをして早希と別れるところで一度振り返った。

「じゃあ早希、また明日。……え?」

 帰ろうとした背中に剛輝は何か言葉を聞いた気がした。それは早希の声だった気がしたのだがすぐに気のせいかと思い剛輝はそのまま帰路についた。


「早希。今日はまた部活だ」

 剛輝はそう言いながら、教室以外の部屋がある特別棟の通路を歩いていた。

「きっと今日は早希もいつもよりも楽しいかもしれないぞ」

 振り返りながらそう言うとにっと白い歯を見せ笑って見せた。

 行き着いた先は、音が漏れないように作られている特別なドアの前。そしてそこからそれでも小さな金管楽器の音が漏れ出しているのがわかる。――そこは音楽室だった。

「会長! やっと来たのね」

 ドアを開けるとすぐ目の前にグランドピアノがありそこに座っていたのはどうやら部長のようだ。真っ黒な髪の毛を二つの三つ編みにしておろしている。

 早希はこの場所に懐かしさを覚えた。この場所とこの場所にいたタケルのあの音にだ――。


 タケルは吹奏楽部に所属していた。タケルは体を動かすことが好きだがそれよりも音楽を奏でることをとても好んでいたようだった。タケル自身はここでトランペットを吹いていた。

 そして二年生になったときに自分専用のトランペットを買った。安物なんだけどねとはにかむタケルを早希は自分のことのように喜んだ。

 タケルはよく土手で練習中のトランペットを吹いて聴かせた。タケルの奏でる音は優しく早希を包み込むようだった。


「タケルくんのこと……残念だったね」

 部長が二人にそう声をかける。

「タケルくんの出す音はすごく優しくてわたし本当に好きだったんだ」

 いつもは騒がしい剛輝も今日は何故か大人しく話をひたすら聴く側だった。それは早希も一緒でただ黙ってるだけでなく体はそちらを向き、目はしっかりと相手を真っ直ぐ見つめていた。

 二人は何か言おうにも言うことが出来なかった。

 今はそれぞれのパートごとに練習を行う時間だったようで、もう少ししたら全体練習と通しをするからと早希にパイプ椅子が用意されそこに座るように促された。剛輝は想像通りトランペットの練習に加わっていた。

 今まで見てきた部活の練習風景の中で一番身近に感じた。自然と顔が綻ぶのがわかる。


「ではそろそろ全体練習に移りまーす」

 部長がそう声をかけるとそれぞれのパートは所定の位置に付き、指揮者に注目する。そして、指揮者が上げた腕を下げた瞬間、早希に衝撃が走った。


『早希。僕この曲が好きなんだ。とても優しくて演奏してるのは自分なのにすごく元気づけられるんだよ』

 

 その曲はタケルがよく早希に聴かせていた曲だった。

――タケル。この曲、確かに優しいけど今聴くと全然違うよ。すごく切なくて何だか――

 そしてそのとき早希は初めて知った。自分以外の人間がタケルの死を悲しんでいるということを。 

 剛輝はふと早希を見たが、初めはその光景が信じられなかった。ただ早希はそうなるのは当然だったのかもしれない。演奏はラストへと向かう。

 早希は演奏を聴きながらただ静かに流れる涙をぬぐっていた。


「今日はありがとうございました」

 剛輝は部長に頭を下げる。

「何よ急に……剛輝くんらしくないなあ」

 部長がくすりと笑う。坊主頭をかきながら恥ずかしげに顔を上げる剛輝が珍しく年相応の中学生に見えた。

「早希さんも今日はありがとう。よかったらまた見学に来てね」

「…………」

 早希はやはり黙っているがここにくる前より心なしか表情に人間らしさが出た気がした。

「じゃあ行くか早希。……早希?」

 剛輝が先に歩き出すが早希はその場から動かない。

「早希さん?」

 二人もどうしていいかわからずその場に立ち尽くしたままだ。

「……あの。私を……吹奏楽部に入部させてもらえませんか?」

 その言葉をまるで待ってたかのように部長はにっこりと早希に笑いかける。剛輝はそんな早希を見て彼女の中の時間がまた動き出したようだと驚きの表情から安堵の表情へと変わっていった。


 剛輝と別れたあと、早希の目の前には彼が現れた。

『早希。欲望は大切だろう?』

 その言葉にこくりと頷く。グリードには表情がないはずなのに何故か笑ったように見えた。

『これから早希は自分が失ったものを一つずつ取り戻していくんだ。そしたらいつかきっと――』

 グリードがそこまで言うと、その体が突然光りだした。

「グリード?」

『そろそろ時間みたいだ。……早希。早希は今何が欲しい?』

「……私は、私が失ったものを取り戻したい」

 早希は前の早希になる為に動き始めたのだとグリードは悟った。そして、彼がまたにゃあと鳴くとその体は光に包まれそこから消えていった。早希の耳にはさよならと聞こえた気がした。


――ねぇタケル。私もあなたと同じ景色を見ることが出来るかな?

 空を仰ぐと、もちろんと言う声が聞こえた気がした。


 そこはどこかの島。まるで日本でないようだが、そこにいるのはあの日のタケルと早希だ。

「早希ー! 遅いぞー!」

 タケルがこちらを振り向いてあの笑顔で私を呼ぶ。

――ダメ。タケルそっちに行っちゃダメ。

 早希は必死にその腕を伸ばそうとするがその手は届かない。タケルはどんどん早希から遠のいていく。

――タケルーー!

 思い出すのは、そこは何か大切なものを飲み込もうと悠然と待ち構えている森の姿だった。

一話お読みいただきありがとうございます。これからもたくさんの猫達が現れます。次の猫は早希が忘れた何を持っているのか。二話もよろしくお願いします

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