食物連鎖
【少年】
夏、蒸し暑い夏の夜。
通りの角のもの陰に身を隠す、一人の少年の姿があった。
少年は荒い呼吸をどうにか抑え、銀色に光るバットを汗ばんだ両手でしっかりと握っている。
額からは蒸し暑さとは違う、緊張にから伝わる汗が滴った。
少年の目は、もうすぐこの角を通り過ぎるであろうある人物の、その影を狙っていた。
足音とともに月光に照らされた影が徐々に近づいてくる。
酒に酔っているのが、その足音と影のフラつきでわかった。
これが少年の標的だった。
少年は何日も前から標的の動向を探り、彼らの行動パターンを事細かくチェックしていた。
今少年に近づく影は、閉店ぎりぎりまでビール片手にパチンコを打っていた男の影だった。
この男はどんなに金を積んでも、パチンコでは勝つことができないことで有名ということも、少年は調べあげて知っている。そしてそれに利用される金の出所も。
この男はある中小企業の社長の一人息子。
高校を卒業した後、進学も定職にもつかず、フリーターという名ばかりの生活を親から与えられる金でおくっている。
その男の影が、更に少年に近づいた。
いや、正確には別の影が重なりつつ少年に近づいたのだ。
少年は標的の男が近づいた事実だけを受け止め、両手に握る獲物を振り上げ物陰から飛び出る。
「死ね!」
怒りを込めた少年の叫びと共に鈍い音が響き、辺りは血に染まる。
少年の顔も、真っ赤な血に染まった。
しかし、少年の顔はただ驚きに呆然とし、振り上げたバットは宙を彷徨ったままだった。
「そんな、馬鹿な・・・」
少年は振り上げたバットを静かに下ろす。
彼のバットは傷一つ付いていない。
にもかかわらず、少年の足元には首から上を吹き飛ばされ、そこから地を激しく吹き出した男の死体が転がっていた。
その様は横たわる"物体"が先ほどまで生きていたことを示している。
さっきまで生きていたはずの、少年が絶対に殺したい標的としてきた男の一人。
「誰が、誰が僕の邪魔をしたんだっ!」
少年は空に向かって叫ぶ。
憤怒、焦燥、嘆き、叫びは天をついた。
少年の目には悔し涙が流れ、顔に降りかかった首のない男の血と混ざる。
瞬間、何かの影が少年に重なった。
見上げた少年の目には、月に重なるように近くの民家の屋根に低く身を伏せる何かの姿が映る。
猫などでは無い、もっと別の、何か大きなものの影。
その手は異様に大きく、鋭い爪が伸び、その爪先からは血が滴っていた。
その何かの口にサッカーボール程度の大きさの塊を咥えていた。
少年はそれが何かすぐに分かった。
少年の標的になるはずだった男の"首"だ。
その影の黄色い瞳は一度少年を視界に入れ、標的の首を咥えたまま高く空に跳ね、少年の視界から消えた。
まるで獣のようなそのものが消えた場所を、少年はただ呆然と見つめた。
近くの民家から、悲鳴が響く。
徐々に辺りは騒がしくなり、サイレンの音が鳴り響く。
騒ぎに気づいた住民が警察に通報したようだった。
徐々にあたりは住民、野次馬で埋め尽くされる。立ち尽くしていた少年は駆けつけた警察官につれられ、警察車両の中へと姿を消す。
その手には血に染まった金属バットがしっかりと握られていたままだった。
2時間後、少年は事情聴取を受けた後、解放された。
少年は黙秘を通し、何故この現場にいたのかを語ろうとはしなかった。しかし凶器になりえるものは持ってはいたが、犯行に使われたものではないことは確かであった為、証拠不十分となったようだ。
彼の身元引取りに来たのは、少年の唯一の肉親である母親だった。
「ごめん、母さん」
少年はただそれだけを迎えに来た母に伝え、母の運転する車の助手席に座り、顔を伏せた。
母は特に理由を聞くこともなくエンジンをかけ、ゆっくりと車を走り出させる。
今はたった二人の母と子の家族。
本当は、一週間前までは、三人家族だった。
「姉さん、ごめん・・」
少年はぎゅっと手を握り締め、唇をかむ。その姿を母は悲しい目で見つめ、声をかけた。
「啓、お願いだからあなたまでいなくならないでね」
信号で車を止めた母は、憔悴しながらも必死に耐えようとハンドルを握りしめ、息子を見つめる。
「僕は、、」
啓は母の言葉に答える言葉を持っていた。
「僕はどこにも行かない、死んだ姉さんの分まで僕はここにいるから」
美咲 啓は瞳に薄い光を漂わせて考えていた。
予定を組み直さないといけない。
標的はあの男を含め5人。
最後にあいつを追い詰めるまでの計画だ。
自ら命を絶った啓の姉、奈々(ナナ)への誓い。
「姉さん、残りのやつらは全員僕が殺してやるからね」
啓は母には聞こえないように復習の言葉を呟いた。
【探偵】
翌日。
自室のベッドの上で啓は目が覚めた。
時計を見るともう10時を回っている。自室を出た啓は辺りを見回す。
既に母は仕事に出ているらしく、この家には啓一人だった。
体はひどく重かったが動けない程でもない。
昨日、家に帰ってから返り血をシャワーで全て流し、血で濡れた服については全て処分した。
啓は改めて時計を見た。
「こんな時間か、遅刻してまで学校に行く必要もないや」
新しい私服に着替えた啓は、空腹を満たす為、駅前の商店街に向かった。
母は仕事でいつも朝早く、朝食の準備をする暇は無い。
いや、正確には朝食は母の担当ではなく、姉である奈々が美咲家の食卓を切り盛りしていたからだ。
しかし今の美咲家には、もう奈々はいない。
啓が作る事も考えたが、姉の代わりは誰もいないという感情が強く、自分からそれを言い出せなかった。
母の口からもその言葉が出ることはない。
結果、今の美咲家の食事は外食、店屋物、コンビニ弁当などに頼ることとなっている。
商店街を歩いていた啓は、近くのファーストフード店に入った。そしてこの季節限定のセットメニューを頼み、二階席に上がり窓際の席につく。
手軽な料理にもなれたものだが、決して美味しいとは感じない。
ただ胃を満たすだけの食事。
食べることに味なんて関係ないのかもしれないと思った啓の前に、影が重なった。
昨日の夜の出来事が啓の頭にフラッシュバックする。
「うわっ」
啓は思わず声を上げた。
「あっ!ごめんなさい驚かして。あの、、ここいいかしら?」
啓の反応に少し驚きながら、啓の返答を待たずにタイトなスーツに身を包んだ女性が、啓の目の前の先に座った。
「この期間限定の照り焼きチキン、結構お気に入りなのよねー」
言いつつ、女性は一枚の紙切れを啓に差し出した。
「ちょっと、あなた誰なんですか?」
啓は突然現れたその女性を睨むが、彼女は気にせず食べはじめ、空いた手で先ほどの差し出した紙を指差した。
「私立探偵?」
その紙、名刺にはこう書かれていた。
私立探偵 夏樹 美夜と。
啓はさらに疑わしい目で目の前の女性、美夜を見る。
整った顔立ち、鋭いが優しさを含んだ目、ぱっと見モデル言っても良い容姿の女性だった。
1分足らずで食べ終わった美夜は、包を手でくちゃくちゃに丸め、口元をハンカチでぬぐった。
そして美夜は満足げな笑顔となった。
「改めて、はじめまして美咲啓君、私あなたにちょっと聞きたいことがあってね、あなたを訪ねに来たの」
美夜は口もとは微笑んでいるが、はじめは優しく感じた目元は今は笑ってはいない。
「なんですかそれ、全然意味分からないし、僕はあなたに用なんて無いですよ」
美夜は子供のような笑顔で頷きながら、啓の眉間に右手人差し指を軽く置いた。
「啓君、あなた昨日現場にいたよね?あの殺人事件の現場のことよ」
啓は、その指が鋭く刺さってるように感じた。
「僕は何も、何も知りません・・」
啓は美夜から顔を背ける。背中に冷や汗が流れる。
「でもあなたがあの現場にいたのは事実よね、しかも手に凶器を持って。確か金属バットだっけ」
啓は思わず立ち上がり、
「違う、殺したのは僕じゃない!」
叫んだ。周りの少ない客が一瞬二人を見つめるが、すぐに目線を外した。
啓の叫びを美夜は流し、続けて言った。
「確かに殺したのはあなたじゃないわ、でも殺そうとしていた?違う?」
「そっそれは・・・」
啓は顔を伏せる。図星だ。
「敬君、お姉さんのことは本当にひどい事件だったと思うわ。でもね、あなたがそれを、、」
美夜は啓の手を取り、目を伏せながら言う。
「姉さんのことを言うな!」
啓はその手を振りほどき、こぶしを振り上げようとするが、その腕は素早く美夜の手につかまれ動きを封じられた。
美夜はつかんだ啓の手を再びテーブルの上まで静かに持ってくる。
「あなたのお姉さん、美咲 奈々さんは今から十日前亡くなられたのよね。そしてその原因は、東 孝を中心とする5人のグループによる奈々さんへの暴行事件、そしてそのショックから奈々さんは遺書残して彼女は自ら命を絶った」
淡々と話す美夜。そしてそれを聞く啓はさっきの勢いはなくなり、静かに語った。
語るしかないと思ったからだ。
「姉さんは、姉さんは塾の帰りだった。姉は来年は大学受験で、目指していた大学に合格するために、有名な隣町の塾まで毎日通っていたんだ。だからいつも帰りは遅くなったけど、姉はそれに対して何も文句一つ言っていわず・・。
僕たち家族は父は早くに亡くして母の手一つで育てられたこともあって、姉さんはそんな母の苦労を良く知っていたし、自分が頑張って母と僕を助けられるように立派になるんだと、いつも口癖のように、、くそ、、、、」
啓は、いつの間にか泣いていた。
「あの日の夜、帰宅時間を過ぎても戻らない姉を心配していた僕と母に、病院から一本の電話が入ったんだ。駆けつけた僕とは母の前にいたのはベッドに横たわるぼろぼろになった姉の姿で。
姉は、僕に心配しないで、とだけ言って泣いていました。それから、警察がやってきて事情聴取とかあったようだったけど、僕には詳しく分かりませんでした。でも、、」
「でも?」
美夜は間を取るように、質問を挟んだ。
「姉の事件は、表に出ることはなかった。姉をあんな目に合わせてやつらはみんな何処かの政治家や企業のトップを父親に持つやつらとかで、この事件を裏から捻りつぶしたんだ。
それを知った姉はひどく落ち込んで、僕には無理にでも笑顔を見せてたけど、あの日の夜についに姉は」
啓は手をきつく握り締める。その目にはあの日の出来事が再びよぎったのか、大粒の涙が零れ落ちた。
「ごめんなさいと、ただそれだけのメッセージを残して、庭の桜の木に首をつって自殺した」
啓の拳から力が抜けた。
「大体の事情は私も知っているわ、でもねあなたが復讐してもお姉さんは喜ばないわよ」
美夜のその言葉に啓は不快の目で見つめ返す。
「そんな奇麗事聞きたくもないよ。あいつらは人に殺されてもいいようなことをやったんだ!
家族をやつらにいいようにされた僕には、やつらを殺す権利がある!」
「ないわ、あなたにはその権利は。その判決を下すのは司法よ」
美夜はきっぱりと言う。
啓はわなわなと震え、美夜はその姿をただ冷静に見つめていた。
「なら、事件にもできない僕たちは泣き寝入りすればいいとあんたは言うのか!姉をあんな目に合わせたやつらは、何も無かったかのように生活している。もしかしたら姉以外にもたくさん同じような目にあった人が入るかもしれないっていうのに!」
啓は感情を制御できなかった。
何かおかしなことを言っている気もする、でもそれよりも許せないものがこの世の中に事実としてある、そう感じてならなかった。
「私は、あなたが昨日殺害しようとした男性の両親から依頼されたの。彼を殺害した本当の犯人を探して欲しいと」
啓の目が見開いた、そして軽蔑する目で美夜睨みつけた。
「あなたもあいつらと同じなんだな、あんな殺されてもいいような奴の味方だけをして、他の被害者たちをなにも無かったかのように扱うつもりなんだなっ!」
啓は息を荒くして、手元にあったアイスコーヒーを美夜の顔に向かってたたきつける。美夜は避けようとせずそれをそのまま受けた為、顔や服を濡らしたが表情一つ変えずにハンカチで濡れた顔だけを拭いた。
「あなたの気持ちが分かるなんて奇麗事は私も言いたくないわ、でもね実際殺人が起こっている。きっと彼の他の仲間も狙われているわ。でもね、この事件の真相を明かすことによっては、そのために被害にあったあなたのお姉さんを含めた人たちの無念をはらせられるかもしれない」
美夜は一呼吸ついた。
「だから啓君、あなたが持っている情報を私に渡してくれないかしら、全て」
夕方、啓は一人川沿いの道を歩いていた。
この下には小さな公園があり、小さい時は姉とよく遊んだ記憶がある。
啓は後ろポケットに手を入れる。そこにあったはずの手帳は今はもう無かった。
啓が復讐のためやつらの同行を事細かく記した手帳。それを啓は美夜に差し出していた。法治国家である日本では復讐は認められない、だから別の方向から姉の無念を晴らせることができるのならと、渋々渡したのだ。
美夜は啓には「無駄にはしないわ」とだけいい、彼のもとを去った。
しかし、啓の気持ちが晴れたわけではない。
憎しみが消えることは無い、美夜に情報は渡したが、あいつらに止めを刺すのは僕じゃないといけない、と啓は今もそう考えていた。
【人の社会、そして法】
翌日。
啓は7時前に目が覚めた。登校の準備をし、啓はテーブルの上にあった朝刊を手に取る。
その一面を見た啓は、その内容に強くひきつけられた。
啓は姉とは違う県立の中学に通っている。この校舎の二階の窓際の席、それが彼の席だった。
ホームルーム、午前の授業、昼休み、午後の授業、啓はただそこにいて過ごしていた。朝刊の記事が頭から離れない。
「誰が殺したんだ・・・」
啓が標的としていた二人目、何処かの製薬会社の息子だった男が、昨日の深夜、鋭利な刃物で殺害された。ネットで情報を調べると、首がなかったという話も書かれていた。
啓にはその犯人があの時見た黒い影に違いないと感じていた。
「それは僕の役目なのに、なんであいつが、、、」
啓は唇をかんだ。
放課後、帰り支度をした啓は、校門の前に一台の赤いスポーツカーが止まっていることに気がついた。その中から覗く顔は知っている顔だ。
「夏樹さん?」
その声に美夜は振り向き、子供のような顔で笑って答えた。
「美夜でいいわよ、啓君。よかった、ここで待っていたら君に会えると思ってた。さあ、乗って」
美夜は右の助手席のドアを開け、啓を招く。
啓は、少し疑うような素振りをしながらも助手席に座り、シートベルをする。それを確認した美夜は、エンジンをかけて走り出した。
「どこへ行くんですか?」
「ちょっとドライブしながら、お話がしたくてね」
「話?」
そうよ、と美夜は言うと、車は信号待ちにかかり、停止線の前で静かに止まった。
「話って、やっぱり今朝の新聞に載っていた事件ですか?」
啓は相手が年上だと今更ながら実感し、口調を変えることにした。
「うん、ごめんね。あなたからせっかく情報をもらったのに、相手が上手だったわ」
信号は青に変わり、美夜はアクセルを一気に踏み込む。
「新聞記事読みました。死因は鋭利な刃物でってことですけど、まさか・・・」
「今回も被害者は頭がなったみたいね。今は警察からはまだ全部情報は流れていないけど、多分前の被害者と同じ殺害方法と見ていいわ」
啓の頭の中に、あの黒い影が現れた。
はっきりとしないその影だが、目は獣のように光り、印象的だったのは特にその大きな手と爪、と黄色い瞳。あれは、どう考えても普通の人間じゃなかった。
「ねえ、啓君。初めの事件現場で犯人は見なかった?あなたは警察の取調べで完全に黙秘を通していたことは知っているけど、よければあなたが見た事も全部教えてくれない」
美夜の視線は正面を向いたままだ。
「僕は、」
啓の中に再びあの影がよぎる。でもそれを話しても信じてはもらえないだろう。
あんな、訳の分からない黒い影が、殺害した相手の首を咥えて逃げ去った、なんて。
「美夜さん、僕はあの時、気が動転して、何も見る余裕なんかありませんでした」
それが彼の中でのベストの回答だった。
それを聞いた美夜は一瞬啓に視線を送り、再び正面を見てから軽く微笑んだ。
「そっか、何も見ていないかっ。なら、仕方ないわねぇ」
車はいつの間にか海沿いを走っていた。美夜は窓を受け潮風を車内に取り込む。
「ねえ、今でもお姉さんの敵をとりたい?」
「あたり前です」
啓は即答した。
「どんなに時間がたったとしても僕はあいつらを許せません。たとえ裁判でどんな判決が下ったとしても、僕があいつらを殺すのは変わりありません」
美夜はそれを聞いて困った顔をした。
「でもね、それは止めた方がいいわね、この国の法律がそれを許さないわ。日本は法治国家なのよ?」
当たり前な台詞。それが今は啓の癇に障る。
「そんな事、僕の知ったことじゃありません」
「人の社会は、人が作ったルール(法律)の上にあるの。人はその上で生きることで、個人の自由や権利が保護されているのよ。それを逸脱した行為をした者は、その上で裁かれなければいけいないわ」
啓は、じっと美夜をにらんだ。
「なら、この僕の怒りは捨てなければいけないんですか?法なんてものがやつらを中途半端に裁いてしまうことに。あいつらは生きててはいけないんだ。全員、僕の手で殺さないと」
「啓君」
美夜は短く、威圧感を込めて言う。
「前にも言ったけど、私にはあなたの気持ちのすべては分からない。ねえ、知ってる?」
美夜は目を細め啓を見つめる。
「動物達は基本同族では簡単には殺し合いはしないわ。でも万物の霊長といわれ、地球上で最も優れた生き物といわれる人間はそれを行っている。何故かしら?」
その質問自体に啓は不思議な疑問を感じた。
「何故って?」
「それは、人間は欲望で同族を殺せる、唯一の生き物だから」
美夜は小さなため息をついた。
「人はこの地球上で一番賢く、頂上に立った生物だというおごりがあるのかもしれないわ。自分たちは頂点に立つ生き物だから他の生き物たちを好きにしてもいい、そして欲望という名の感情は行使することに戸惑いがない。そういう考えを無意識のうちに持ってしまった人間は、躊躇せず同族殺害という犯罪を起こす。今のあなたの感情もそれに近いものだわ」
意味不明だ、それが何の救いになるというのか。啓はわなわなと震えた。
「そんな事、僕には分かりません!」
「分かりなさい、そうしないとあなたも彼らと同じように死ぬかもしれないわ」
美夜は威圧感を込めた。そして、啓に笑顔を見せる。
「どういう意味です、それ?」
啓は美夜の言葉と、笑顔の意味が分からなかった。
車が静かに止まる。いつの間にか、車は啓の家の前についていた。
助手席のドアを開け、家の門を開けた啓に美夜は静かに語った。
「人は本当は本当の頂点を知らないだけかもね」
その言葉を残し、美夜の車は夜の闇に走り去った。
【食物連鎖】
翌日の新聞の一面、ワイドショーを騒がせたのは、この連続殺人事件だった。
昨日と変わっている点は一つ、被害者が一人増え、三人になったということだ。
また、その手口は同一であるとあり、連続猟奇殺人事件として扱われることになっていた。
つまり、被害者の首から上が無かったということだ。
猟奇殺人として扱われたこの事件は、ワイドショーでは被害者の接点に注目されている。
被害者が今まで起こした事件、またその親たちが裏で事件をもみ消していたといった、いかにもワイドショーが好むネタが犯人に関する情報よりも大きく扱われていた。
被害者の親たちがモザイクのかかった顔で電波に乗り、テレビに映される。
メディアではこの事件が、被害者たちによって傷ついた何者かの復習である可能性が高いことを伝えていた。
加えて、あるメディアでの情報の中に一つ興味深いものがあった。
今回のような事件が、数年に一度日本各地で起きているということだ。
そして彼らとの共通点が存在した。被害者はすべて、殺人、または何かしらの凶悪事件に関わりがあった可能性がある人物という点。
しかも、彼らはあくまで容疑者であって裁判などでは無罪判決、または証拠不十分で不起訴となっていた。
最近は復讐請負い屋となるの人物がインターネット上で活動しているといった話もあり、そういった人物が被害者の親族などからの依頼で殺人にいたったといった仮説取り上げられている。
人が同族である人を殺す、昨日美夜が話したあの話が啓の頭をよぎる。
このニュースは、誰が犯人であっても僕は許さない、それを行うのは僕だ、と啓の決意が改めて固められることになった。
翌日、啓は学校を休み、新聞、ニュース、そしてワイドショーに目を通した。
しかし啓はこの事件の報道で、犯人についてのそれぞれの仮説はどれも間違っていると啓は感じた。啓は影といってもその犯人の姿を見ている。そう、あれは人ではない何か別のものといった印象が、非常に強くある。
なら、どうしてその人ではない何かが、今回の事件を起こしているのだろうか?
そして気になった報道の一つが、数年に一度このような事件が起こっているという内容。
わからないことだらけだ。
この夜、啓は一人メモ帳に記した内容の記憶をたどって、4人目の標的をやつより先に追い詰めようとしたが、帰宅した母親が体調を崩し倒れてしまい、啓は翌朝まで母の看病を行った為、その日の深夜の外出はできなかった。
翌朝の新聞紙面を騒がせたのは、予想された4人目の被害者が出たという記事。
警察が彼らの警護にあたっていたようだが、その一瞬の隙をつき殺害されたということも書かれている。
母はまだ奥の部屋で眠っている。
珍しく啓は封印していた台所に立ち、母のために調理をする。
母が倒れた理由は今までの疲労、心労の積み重ねが原因だった。
姉の事件、そして死、啓の警察での補導。
それらが今まで一度も家族に疲れた顔など見せなかった母に、一度に襲い掛かったのだ。
啓は自分の気持ちだけで母の気持ちを考えず、その心配を怠った自分を後悔していた。
二人だけになった家族。これ以上何も失いたくないといった気持ちが、今になって彼に復讐という感情よりも強く満たされる。
だから啓はこの日の夜、最後の標的であった東 孝に会おうと考えた。
殺そうというのではない、東に姉に対して犯した罪を認め、そして償うつもりがあるのか、ただそれだけを聞きたかったからだ。
東 孝が"死ぬ"前に。
その夜。
静かにドアを締め、啓は家を出た。
残った一人、東 孝はこの時間、家の近くのバーで飲んでいることが多い。今、東には警察官が警護についているだろう。
しかし、そんな警護された中でも事件は起きた。だからこそ、東が殺される前に会わなければならなかった。
東は普段車で移動する。しかしバーの帰りだけは東は徒歩で帰宅する。
今、啓が待っている道で。啓はただその道の真ん中で一人立っていた。
その啓の足元に影が伸び、彼に対して声がかけられた。
「啓君」
東 孝ではなかった。
不安な顔で見つめる、美夜の姿がそこにあった。
「美夜さん、僕は彼を殺すつもりでここに着たんじゃありません」
「そう、なんだ」
美夜は少し安心した様子で、両手を啓の肩に置いた。
「よかったわ啓君、あなたは復讐という感情から解き放たれたみたいね、でも・・」
美夜は啓におろした視線をゆっくりと上に上げる。そこには酔って二人に近づく、東孝の姿があった。
護衛の警官の姿見えない、何かあったのだろうかと、啓は考えていた。
「お前、お前はあの女の弟だな、そうか、貴様が俺の仲間を、そして俺も殺そうっていうんだろ!でもそうは簡単にいかねぇっ!」
東 孝は腰から折りたたみ式のナイフを取り出し、二人に向ける。
「彼は、今までの罪を償うなんて気持ちは無いみたいね」
美夜は、啓をかばうように腕に抱く。東はかまわず二人にそのナイフを振り下ろした。
啓の顔に血が振りかかる。そうあの時と同じように。そして悲鳴が響いた。
男の声だった。
「うわあああっ、腕が、腕がっ!」
啓の見た。ナイフを握っていた東の右腕はゴミ屑のように地面に落ちている。そして東は切断され、血が噴出す右腕を抱え、悲鳴を上げた。
啓の視線は、自分を守るように包んだ美夜に向けられる。そしてその目を疑った。
「美夜さん・・・?」
美夜の姿は、啓の知っている姿ではなかった。
耳は長く伸び毛に包まれ、髪の毛も大きく後ろになびくように流れ、その目は月の光を浴びて黄色く光った。そして啓を包む手は以上に大きく、その先には血にまみれた鋭い爪が光る。
「本当につまらない男ね、同族を殺すこともできるのに、自分の死に際ぐらいもっと堂々としてみなさいよ」
美夜は再び手を振った。噴出す血と共に東の左手が胴体からはじけ飛ぶ。
「うぎゃあああ、いてえ、いてえよぉ、うわっわわ、やめ、やめろ俺はまだ死にたく・・・」
美夜の目が鋭さを増した。
「もう、だらしの無い男ね、もっと興奮しなさいよ。あなたは私たちの食糧なのだから」
再び血が舞った。東だった男の体は3箇所から血を噴出し、地面に倒れる。
美夜の手には、最後に刈り取った東 孝の頭があった。
目の前で一人の人間がただの肉の塊となった姿に、啓は何も声が出ない。
そして次の光景に、啓は吐いた。
美夜は手にした東の頭を大きく開いた口でかぶりつき、鋭い牙が光ると共に骨が砕け肉が裂ける音が響く。
飛び散る脳髄と、鮮血が美夜の口元を濡らす。
そこには憎しみ、怒り、すべての感情が無い。
ただ生きるために狩りをして食べる、獣の姿がそこにあった。
【5.エピローグ】
翌朝。
心地良い風が包む中、啓は静かに眠っていた。
海岸に止まった朝日が赤いスポーツカーの車内に差し込み、それに啓は目を細める。
「潮の・・匂い・・・」
海から朝日が昇ろうとしていた。
その朝日の中、海から波と共に人影が浮かんだ。朝日を浴びた海の中を泳ぐ、一糸まとわぬ美夜の姿。
啓はただその光景を美しいと思い見つめていた。
昨日の夜からの記憶が啓には無い。あの黄色く光る目をした美夜の姿、そして生暖かい血を浴び、肉の匂いをかいだ啓は、その場で吐き、気を失ったからだ。
しかし、今の啓の複には血が一滴もついていなかった。あれはすべて幻だったのだろうか。
「でも、血の匂いがする・・・」
啓は潮風に混じった、僅かなそれを感じていた。
海から上がり、こちらに向かってくる美夜。それは月の光の下で見た姿ではなかった。
人の姿だった。
頭からタオルをかぶり、美夜は周りを気にすることなく濡れた体を拭き、砂浜に停めた車へと歩き寄る。
そして美夜は啓の視線に気がついた。
「啓君も泳ぐ?」
啓は顔を赤らめて、首を横に振る。美夜はその啓の顔を見て笑った。
「朝の海は気持ちいいよ。泳いだらいいのに」
美夜は運転席に乱雑に置かれた衣類を素早く身に着け、そしてラジオをつける。
流れてくるのは爽やかな音楽ではなく、5人目の殺害が行われたことを告げる朝のニュース。
それを聞いて啓は現実に戻った。
「何故、あなたが殺したんです・・・!?」
シートを倒し、寝そべる美夜に啓は恐る恐る聞いた。美夜は姿勢を変えることなく、目線だけを啓に向ける。
「どうしてだと思う?」
美夜は悪戯気に啓に質問をする。
「どうしてって、美夜さんは彼らに恨みがあったんじゃ・・・」
瞬間、美夜は吹き出した。
「ははっ、ごめんね笑ったりして。でも私は彼らに恨みなんて何も無いわ。私たちは生きるために彼らを殺しただけよ」
「生きる、、、為?、私たち?」
美夜は右手を啓の頬に当てる。瞬間その手は人の手で無くなり、長く鋭い爪が啓の頬をなでた。
頬に触れるその爪は、冷たい冷気を放っている。
「わかったと思うけど、私は人間じゃない。生きるために人間の社会に入り込み、そして狩りをする。それが私達の種族」
そんなものは聞いたことがない、啓は混乱した。
「狩り・・・って、そんなどうして人の命を・・」
低く、力ない啓の声。
「変なこと聞くのね。あなたたち人間も生きるために、動植物をエサにしているじゃない?私たちも生きるために人を狩って食べているだけよ。そうしなければ私達は生きていくことができないわ。あなたたち人間と何が違うっていうの?」
美夜の腕は元の姿へと戻る。ただ、目だけは黄色く朝日を浴び光っていた。
「前に言ったよね、人の社会は人が作ったルールの上にあって人はその上で生きる。そうすることで個人の自由や権利が保護されているって。でもね、それは人という枠組みの中でのこと」
「どういうことです、それ?」
美夜は微笑む。
「これはね、食物連鎖というもっと大きい枠組みということよ」
「食物連鎖・・・」
啓は目が点となり、美夜はゆっくりと目を閉じた。
「そう。生きるために動物は狩りをするのよ。でも人間は自分たちが頂点にいると思って狩られることを考えもしない。本当は食物連鎖はピラミッドの形なんかしていないわ。ただ輪を描いているだけ」
美夜は、両手の親指と人差し指をつなぎ円の形を作る。
「頂点なんか存在しない。それは、どんな生き物にだってそれを狩るものがいるから」
「美夜さんは僕たちを狩るんですか、人類全部を・・」
啓の言葉に美夜は首を横に振る。
「私達は数年に一度の食事で生きていけるわ。人間なんかよりとっても効率的よ。それに必要以上に食べたいという欲求なんか無いから、太ることも気にしなくていいんだけどね」
そして一言付け加えた。
「他のものは何を食べても本当は味さえわからないんだけどね」
美夜は目を開き笑う。啓は、美夜の語った数年に一度という言葉に理解をする。数年に一度起きる同様の事件、それは美夜たちが起こしていたものだったのだ。
「人を食べないといけないんですか?そんな事しなくても、普通に食事をすればいいんじゃ?」
「それは無理よ。私たち種族は、困ったことに人間の食事は全く栄養にはならないわ」
「栄養?」
美夜は、胸のポケットから一冊の手帳を取り出す。以前啓から借りた、あの手帳。
「啓君、あなたにはこの恩があるから教えてあげるわ。啓君がくれたこれのおかげで、私を含めた仲間は食事にありつけたから」
美夜は手帳を啓に返すと、再び目を閉じた。
「人間はね、ある種の感情が高まると脳内麻薬が分泌されるわ。その感情によって分泌されるものは変わってくる。そして、同族を殺すことができる人間にも、ある特有の脳内麻薬が分泌される。その特有の脳内麻薬、それが私たちのとって貴重な食料となるわ」
狩り取った頭にかぶりつく美夜の姿を思い出し、啓は口を押さえながら聞く。
「じゃあ、本当に恨んだり、憎んだりなんか・・・」
「しないわよ。そんな感情で人間を全部殺していたら、食べすぎで倒れちゃうわ」
美夜はため息をつく。
「私達は本当は数の少ない生き物。でも、それに比例しないことがこの頃やけにたくさん起きているわ」
「比例しない?」
「私が生まれる前の時代は、人間の人口も少なくて、食料になる人間もごくわずかだったらしいわ。でもね、最近その数が急に上昇している。同族を殺すことができる人間が、何が原因か分からないけど人の増加率を超えて異常なまでに増えているみたいなの」
「それってまさか、人間が自ら殺しあう時代が近づいているってことですか!」
啓は叫んだ、そんなことが起きるはずは無い、あっていいものなんかじゃない、こんな悲しみは二度と感じたくない、もう姉のような被害者を出してはいけない。感情が啓を取り巻いた。
「もしそうなったらどうなると思う?私たちの絶対数は少ないわ。全部を食べきれないし、互いに殺しあう人間が増加すれば人は自滅へと進んでいく。もし人がいなくなれば私たちも生きてはいけない。その結果、食物連鎖の輪から人間と私たちの種族が消える」
美夜は背もたれを起こし、啓の頭にやさしく手を置いた。
「よく考えなさい人間、あなたたちは決して頂点にいるわけじゃない。お前たちは自ら滅ぶことさえしようとする、愚かな生き物。滅びたくないのなら、その一人として本当にしなければいけないことを考えなさい」
啓は美夜の言葉が、厳しくもあり、優しくもある言葉に聞こえた。
赤いスポーツカーは走り出す。
前に走った通りと同じ道を走り、啓の家の前で車は止まる。
車を降りた啓は、最後の質問をした。
「美夜さん、どうして僕を、僕を殺さなかったんですか?」
「はじめは啓君は最後に食べる予定だったわ」
美夜は笑顔で顔で答えた。
「でもね、今のあなたは美味しそうじゃないから」
美夜の車は走り出す。啓はそれを一度だけ振り返って見つめ、母の待つ家へと帰った。
残酷な事件で溢れかえった人の世界。
その中でどれだけ今を考えられる人間が存在するのだろう?
自分たちの思い上がりと、その弱さに気づくことができるのかと、啓は一人考えていた。
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「FeedingChain」了