春の章・8話
「春桜会・・・?」
「そう。来週にまで差し迫っているから、改めての参加の是非を問う回状が回って来たんだよ」
「あら、今までだって不参加が基本でしょう?
何か報告することがあるならともかく」
暦は三月になり、だんだんと春へと近づいてくる日差しの下、珍しくシュレイア一家は全員昼間に揃ったため屋敷の外で茶会をしていた
思い思いに喋っていたところ、セルゲイがそういえば、と切り出したのだ
春桜会とは、国が主催する夜会の事である
国主催の夜会は年に四回あり、それぞれ春桜会、夏緑会、秋紅会、冬雪会と名付けられ八龍全員参加となっている
参加は貴族全員可能で、これを機に上級貴族に下級貴族が媚を売ったり、貴族同士の蹴落とし合いがあったりと腹の探り合いがメインになる一方、未婚の男女には出会いの場ともなり、シンデレラストーリーを夢見る乙女達の戦場にもなる
大方の貴族の出向く為、非常に大きな夜会になるのだ
参加不参加は自由であるため、シュレイアの人間が参加することは滅多にない
当主であるセルゲイが出向くのも、一年の最後と最初、二日に跨る冬雪会で挨拶に行く程度なのだ
「うん、実はね、クリスがずっと赤龍様のお体の具合を心配しているんだ。
せっかくだし、クリスを連れて行ってみたらどうかな?
残念ながら、今回私は以前からの約束で外で一族の会合に出なくてはならないんで君たちに連れて行ってもらいたい」
「あの、僕、行きたいです!!赤龍様が、その、大丈夫か見たくて」
苦笑する父ともじもじとする末弟に、兄姉は揃って顔を見合わせる
「年齢的に成人の儀を迎えた三つ子からなら連れて行けるけど、心配も残る
やっぱり俺たちが連れて行かないと駄目かな」
「そうね。末弟のたっての願いだし。私も行くわ」
長兄キリクと長女のアリアが言えば、家族中の視線がレインに向かう
「・・・2週間後・・・?えっと、多分大丈夫よ」
レインは自身の頭の中にある予定表を思い浮かべながら曖昧に引き受けた
なにぶんにも、家族で一番多忙なのだ・・・予定もかなり詰まっている
「本当ですか?!姉上!兄上!」
ぱあ、っと表情を明るくするクリスにキリクとアリアは顔を見合わせる
「俺たちは、まあ何とかなる。」
「抱えている案件は、急を要さないし、世話をしている子(家畜)もマリアに頼めるし・・・レイン、貴方四大国巡りをするんじゃなかった?」
「うん?・・・なんとかするわよ。可愛い末弟のお願いだもの」
「ならいいわ。ドレス、新調しないとね」
レインの言葉にあっさり納得したアリアは溜息を吐く
「オレも新調しないとなぁ・・・丈が短くなっているだろうし」
「それなら、私とフェリシアがしますよ。レイン、貴女はどうする?」
おっとりと9人の母親、フェリスが言う
裁縫上手な母フェリスと、家事が得意なフェリシアが掛かれば3人分はなんとかなる
「・・・花蓮と華南に手伝って貰うわ」
「なら大丈夫ねぇ。生地屋さんで生地は全員分買ってくるわぁ」
のほほんとしたフェリスの声に、穏やかな空気が更に緩いものに変わった
そんな時、レインがああ、と切り出す
「そうそう、父様、桐藍達の給金の値上げをしたいの」
レインの言葉に、嗚呼、とセルゲイは軽く頷いた
「・・・ふむ。確かにみんなには掛け持ちまでして貰っているしね。私も丁度考えていたところだよ」
「・・・掛け持ちを辞めて貰うのが一番だけど、侍女を新しく雇うには、ちょっと不安じゃない?家には結構機密も多いし」
「レインはともかく、領内を動かない俺等男の護衛は自警団に任せるのも手じゃねぇか?影警護が必要ならその都度助けて貰って。
妹には、自警団じゃなくて、北のクガネ達に頼んで体の小さめの若い奴を付けて貰うとか」
「負担は減るし、私は構わないよ」
「あら、それなら私も外交に行く以外は自警団とかの護衛でも全然良いわよー嵐ちゃんとか、鈴ちゃんとか」
<お待ち下さい!!!!!>
給金の値上げも止めようとしていた桐藍達は、警護すら外されそうになって慌てて声を上げ、影から飛び出す
「レイン様、我等の大切な勤めを奪わないでくださイ!!」
「ソうです!!私たちは負担なんて全然感じていませんから!!」
鬼気迫るような気迫で止めに掛かる桐藍達に、レイン達は揃って、でも・・・と続けようとする
<お願いします!!!!!>
「・・・やれやれ、分かったよ。そこまで言われて外すんじゃ唯の虐めだしね。
給金の値上げと後別に何か考えておこう。良いだろう?レイン。君が主人なんだから、最終判断は君がしないと」
「ええ。ここまで反対されると、仕方ないですわね」
「結構良い案だと思ったんだけどな?」
「そうねぇ」
<キリク様!アリア様!!>
「冗談だ冗談」
「そんなに怖い顔しないでよ。本当、みんな真面目なんだから」
苦笑する二人に影の民は漸く胸をなで下ろしたのだ
「桐藍、花蓮に華南も・・・というかみんなね
・・・そんなに拗ねないで欲しいのだけど」
執務室に戻れば、桐藍を始め、非番も含めて20数人が待機しており、不機嫌だった・・・否、傍目からは目元しか見えない衣装を身に纏う彼らの機嫌の良し悪しは分からない
しかし付き合いが長く、彼らの雇い主(終身雇用者)であるレインには、機嫌が悪いと言うよりも拗ねていることが手に取るように分かってしまう
「レイン様」
「ごめんなさいね。一応、良かれと思って提案したのよ?」
「・・・其れは、分かっておりまス」
「みんな、とても良くしてくれる。とっても助かっているの。だから、少しでもその働きに報いたかったの」
「オ心遣いは、ウれしいのです。デも、私たちはこのお仕事が好きです。誇りを持っています。・・・ドうか報うと仰有るなら、コの先も仕えさせてください」
「・・・・・わかったわ。でも、給金は上げるし、別途報奨を用意するからね」
<・・・・・・・・御意>
「(長い溜めねぇ・・・)
じゃあ、休みの子は戻りなさい。花蓮と華南はさっきの聞いてたわね?後で母様が布地を買ってきたら裁縫手伝ってね。
桐藍、仕事の調整するから彰夏を呼んで?」
<御意>
あっという間に影に溶け、散っていった影の民にレインは苦笑を漏らし予定表を引っ張り出した
シュレイアとは遠く、龍山黄龍の宮で黄龍は国府から上がってきた書状に目を通していた
「おや?」
「どうなさいました?ジルヴァーン様」
声を上げ、心なしか驚いた様子の黄龍に控えていた緑龍が首を傾げる
「シヴァ、今度の春桜会は随分珍しい者達が出席してくれるようだ。
彼らを夜会で見るのは何時ぶりになるかな?」
一枚の特殊素材で作られた紙を見て笑う黄龍に、緑龍は果たして誰のことだろうと首を捻る
「見てみろ。シュレイアの春桜会参加申込書だ」
すっと黄龍が見せた紙には確かに参加欄に4つの名前が書かれている
「シュレイアの次代達ですか」
「そのようだ。・・・そういえば、お前はシュレイアの次代を知っているのか?」
「キリク・シュレイアでしょう
長子ですし中々しっかりした青年だったと記憶しています」
緑龍は挨拶に訪れた青年を思い浮かべる
やはり顔立ちは平凡ながら、礼儀を弁え堂々としていた
「残念ながら、違うな。
シュレイアの次代は、一族満場一致でシュレイアの次女、レイン・シュレイアだ
嗚呼、ちなみに領地の民からも賛成の声しか上がらなかったようだよ」
「まさか・・・」
緑龍は目を丸くした
通常、領主の当主というのは貴族の当主より遙かに大きな責任を背負う
それ故、与えられる権力も大きく、血で血を洗うような領主争いとて無くはない
それなのに満場一致で、長子ではなく、しかも女
あり得ないことはないが、かなり珍しいことであり緑龍が驚くのも無理はない
「事実だ。もう既に彼女は机上での領主業務は引き継ぎを済ませ、執務をこなしている。あとは時期を見て交代の儀をすれば、正式に領主だ」
「・・・確かに年の割に中々賢い娘だとは思いましたが・・・」
「面白い娘だよ。春桜会が俄然楽しみになったな」
くつくつと機嫌良く笑う黄龍に、緑龍は軽く目を見開く
「さて、せっかくだから当日まで赤龍には内密にしておきなさい。
驚いた顔が見たいしね。私たちを心配させた事を思えば軽いものだ」
「ああ、それは良いですね」
驚いていた緑龍もすぐに楽しそうに頷いて見せた
黄龍と緑龍の会話など露も知らない赤龍は自室のバルコニーに立っていた
「シュレイア、この方向だったか」
赤龍はすっかり癒えた傷跡を撫で、シュレイアの方向を見つめた
標高の高い龍山といえど、シュレイアは遠く、見つけることは出来ない
「お前達に、会いたい」
俯いて、小さく漏らした声が震えていることに赤龍は気付かなかった
シュレイアでの穏やかな三日に満たない時間は充実したもので、赤龍にとって掛け替えのないものとなっていた
シュレイアでの穏やかなそれが、嘘だったように、龍山に戻ってからは変わらず最凶の焔龍としか見られない
恐怖に引きつる顔はもう沢山だった
我がお前に何をした!そう、どれ程叫びたかったことか
一度暖かさを知ってしまった今、赤龍の胸の痛みは倍増したようだった
「我はどうしたらいい?どうしたら、この痛みから逃れることが出来る?
・・・・・もう、うんざりなんだ」
吐き出した言葉は震えながら、息と共に空気に溶けた
嘆きを知るのは二つに輝く月のみ