春の章・6話
「失礼いたします。セルゲイ・シュレイアで御座います
入室しても宜しゅう御座いますでしょうか?」
控えめなノック音とともに聞こえた声に、緑龍が入室を促した
入ってきたのはセルゲイで、その後ろからレインも入室する
「お呼び立てと聞き、参りました」
「嗚呼、すみません」
「とんでもありません」
「ご所望の菓子を食事前ですから少しですが、お持ちいたしました。
我が領地の産物の一種、紅茶と共に、お召し上がり下さい」
そう言ってレインは盆にのった焼き菓子と湯気の立つ紅茶を見せた
「!!!」
「緑龍・・・」
キラキラとした目で菓子を見つめる同胞に赤龍は少し引く
「本当に甘いものがお好きなようですね
・・・お気に召すと良いのですが」
微笑みながら盆をテーブルに置くとレインは一礼し部屋を出て行った
客室を出ると、影から出て、片膝をつき頭を深く下げる右腕がそこにいた
「・・・桐藍」
「申し訳ありませン」
レインは悄然とうなだれる桐藍に思わず苦笑して、普段は見ることのない頭に手を伸ばし軽く撫でる
「いいわ。気にしなくて良い。八龍様は、この国の絶対よ?声を掛けられたら、こういうときはいない振りしたら駄目だもの」
ないように過ごし、有事の際にのみ、守りなさい
それがレインの命じた八龍の護衛の命だが、桐藍は緑龍の声に応え、姿を現し、<ないように>という命に背いたと項垂れているのだ
ゆっくりとその漆黒の髪を撫で微笑む
「怒っていないし、罰を与える気もないわ
さて、桐藍?落ち込むのは終わり!
夕飯の支度をしてくるから、その間また護衛をお願いね?」
「・・・是。」
「ふふ。夜は一緒にお茶でも飲みましょう?」
「はイ」
ゆるりと微笑んで、桐藍は再び影に戻った
「さて、何を作ろうかしら」
足取りはゆったりと
・・・赤龍様達は今、茶菓子を食べているから少し手の込んだ物を作ったくらいが時間的に丁度良いかもしれない、なんて考えながらキッチンへと足を向けた
さて、シュレイアの特産と言えば、農作物、乳製品が上げられる
乳製品は質の良い乳を牛が出す為に、餌の配合を変えながら試行錯誤し続けた
・・・結果、近隣諸国中心に高い需要が得られる程に高品質なものが作れるようになり、今ではその乳製品を利用した菓子なども立派な輸出製品になっている
勿論、穀物や野菜も品種改良しながらより良い物を作っているが、日本に比べると着手してからの歴史も浅く高水準ではあると自負しているが、目指す場所にはまだ遠い・・・日本人の飽くなき食への拘り所以である・・・
・・・ちなみに、この国は地球で言うところのヨーロッパに位置しているので、穀物は麦が基本
これに玉蜀黍や豆、芋が加わるが、魂は純日本産なレインにそれだけというのは耐えられない
「(日本人は米が基本!卵かけご飯とか庶民に欠かせないお手軽で美味しいご馳走よね)」
となれば、米の栽培を進めるというもの
今は試験段階で、流通はしていないが、昨年の試験結果も良好で、今年から領内で流通できるように生産域を広げる予定である
それから日本人の心の供、味噌・醤油だが、こちらも苦労したが試験段階では作成済み
レインの前世では昔から味噌は良く作っていた・・・というより、各家庭につきそれぞれで味噌は作られていて家毎に味が結構違った物だった・・・ため一から始めるわけでは無いので作り方に関しての試行錯誤はあまりしなかった
気温、湿度の違いによる微調整は勿論行ったが
醤油も味噌も麹を手に入れるのに苦労したが、東の、地球で言う中国に似たような物があり何とか形になるところまでこぎ着けた
・・・かなり時間と伝手を駆使したが、食べ物に手間やお金を掛けがちなのは前世日本人からなので、周りには慣れて貰うほかない
それから塩と砂糖だが、此方はかなり生産・流通が安定している
塩に関しては内海があるため元々生産は安定こそ無い自然任せ運任せであったものの、していたのでこれに手を加え専用の土地に塩田を作り領主先頭だって作っている
・・・何せ、人間真水と塩がないと生きていけないのだ
砂糖は、砂糖黍と甜菜を育てている
日本の気候が凝縮した領地なだけあって、日本なら九州・沖縄が栽培の中心だった砂糖黍も、北海道が栽培の中心だった甜菜も、どちらも栽培することが出来る
そのものを輸出するだけでなく、加工し菓子として領内流通にとどまらず、外交の際の手みやげにしている
ちなみに作物はシュレイアの農地の特異性(近畿の広さの土地に日本の気候が凝縮されている)から東西南北多数の地域の多数の作物を育てている・・・これが大変なのだけれども、慣れてしまえば便利な物のようだ
更に茶だが・・・エーティスで飲み物といえば味も素っ気もない白湯が主流だ
これもまた、レインにとっては許せるものではなく、茶の木を植えると、緑茶も紅茶も作っていて現在ではシュレイアの名物の一つに数えられている
山海の幸が手に入るので料理の作り甲斐があり良いことだ、とレインは微笑んだ
「あらレイン、お帰り。」
「お帰りなさい、レイン姉様!」
「ただいま姉様。フェリシア」
キッチンには既に長女のアリアと妹のフェリシアがいて、笑顔でレインを出迎えた
普通、キッチンに貴族の娘が立ち入るなんてあり得ないのだろうが、シュレイアでは常時見ることの出来る光景で、更に言うなら末のクリス以外は男女関係なく全員それなりに料理が出来る(クリスは練習中)
「(こんな光景を見られたら、また緑龍様に唖然とされそうだわ)」
とレインは内心で苦笑した
「どうだったの?森の修復」
「あっという間だったわ。本当に八龍様って凄いのねぇ」
「自然が何百年も掛けて育んだ命も、緑龍様に掛かれば数分なのよね?不思
議な感じだわ」
「ええ。・・・それにしても」
「「?」」
「森の修復の後、ガゼルへ行ったんだけど、緑龍様ったらずっと目を丸くしてらしたわ
見る物全てが珍しかったようで、説明も熱心に聞いていらっしゃったし・・・美しい方だから驚く姿も絵になるのだけれど」
クスクスと笑えば、2人はそんなに驚くような物あったかしら?と首を傾げている
「ウチの標準は、3大領地の都市部並みらしいわ」
「あら?他所は随分遅れてるのかしら?」
「そう言う問題じゃないと思うわよ」
シュレイアは実際、多くの技術が導入されている
その技術の大半はレインが意思疎通が出来るようになってセルゲイ達に伝えながら始めた20世紀から21世紀を生きた魂の記憶によるものだ
オーバーテクノロジーは環境に適応しなかったり、浸透しなかったりと扱いが難しい・・・そのなかで、シュレイアに適応するだろうものを探すことは、実はレインにとってさほど問題ではなかった
なにせ、戦争によって物がない時代、終戦後の焼け野原、高度経済成長期、そしてバブル、など急速に移りゆく時代のまさにその時を生きて生きて生きた時代の証人だ
その上、子育て時代は追われるように日々を過ごしたが、老後は知りたがりの本来の性格が顔を出し、多岐に渡る知識を得るために子や孫と勉強した過去も持つ
難しくはあっても、決して不可能ではなく、手探りで進むことはむしろ懐かしさすら覚え率先して良く動いたものだった
更に、シュレイアにはレインと幼い頃から共にいることで、早々に子供であることを止めたアリアとキリクがいた
レインのようにかつての知識があるわけではないが、ないからこそ、レインでは思いつかない斜め上を行く発想が生まれた
現在、キリク・アリア・レインの三人は、シュレイアの三傑と呼ばれているのだが・・・興味のないことはとことん興味のない極端な性格でもある3人は知るよしもなかった
「レイン、一週間の予定は?」
「とりあえず、明日は一日屋敷に籠もって赤龍様の見送りの後、ためている執務をこなして、明後日から三日間、ベルマに行って香辛料の買い付けをしてくるわ
残りの三日で蓮に行ってくるわ・・・ちょっと強行軍なんだけどね」
苦笑しながらも3人とも手を止めることなく次々と料理を作っていく
普段から作っている3人にとってはおしゃべりしながら作る事なんて問題ないようだ
「相変わらず、いっそがしいわね。蓮には何しに行くの?」
「ちょっと劉殿によばれているの。多分新しい作物を紹介してくれると思う
のよねぇ
私としては餅米とか欲しい所なんだけど」
「モチゴメ?オコメとは又違うの?」
たどたどしく聞いてくるフェリシアに違う物よーとレインは返した
「(おこわが食べたい、お餅が食べたい・・・食欲ばかりだわ)」
乙女心が欠片もないと自分で自分に突っ込みを入れたレインであった
赤龍と緑龍は別室で夕食を摂り、酷く好評だったようでレイン達包丁を取った三人を安堵させた
食前に出したチーズケーキも、食後のデザートに出したシフォンケーキもとても好評だったようだ
「(・・・緑龍様が甘党だなんて、見た目は怜悧な印象を与えるのに
こういうのを確かギャップっていうのよねぇ)」
とりとめないことをつらつらと考えながら、作物の生育状況や守護役達から上がってくる報告書に目を通す
これから春になると、一気に農家は忙しくなる
シュレイアでは第一次産業が主流で、他には加工業や養殖もしているがどの職種も春が忙しく、事故も増える
おまけに最近、シュレイアの情報を得たいのか草の者の流入が増えている
(草とは所謂忍みたいな存在で貴族や力のある商人などが雇っているシュレイアでは影の民がこれに当たる)
情報は、立派な武器であり時に命がけで奪い合うものだ
出る杭として打たれる事はシュレイアが長年に渡って避けてきた事だ
そのため情報は必死に守ってたり攪乱したりしている
「桐藍いる?」
「此処ニ」
「・・・最近の草の流入、大変だと思うけど暫く気を引き締めて、出来るだけ手傷を負わないように気をつけてね」
「御意」
「迷惑を掛けるわ。さて、ちょっと赤龍様の様子を見に行ってくるわ」
レインは桐藍に微笑んで部屋を出ると、同じ階にある客室のすぐそば、窓から月を見上げる赤龍がいた
月光を一心に浴びる赤龍は、その容姿の美しさもあって神秘的で絵になる、とレインは内心で感嘆の息を吐いた
美形は目の保養というのは老若男女変わらないのである
そんなある種邪な考えを振り払い、そっと驚かせないようにレインは赤龍に歩み寄った
「赤龍様?お体に触りますわ。春は間近とはいえ、今は2月。
まだまだ夜風は怪我した体には毒ですわ」
「レイン・・・・」
不安そうに、どこか揺れているようにも見えるピジョンブラッドの瞳にレインは首を傾げる
「何か心配事がおありですか?
余計なお世話かも知れませんが、私(第三者)に話すことで少しは気持ちが軽くなるのでしたら、どうぞお話し下さいまし」
そう言ったレインを赤龍はじっと見詰めた
時折口を開けては閉め、何から言いだそうか迷っている素振りにレインは急かすことなく、言葉を待った
「・・・・・・・・・夢のようだと思った
否、夢より優しい」
首を緩く振り泣いているような痛ましい表情をする赤龍に、レインは努めて平静に首を傾げる
「何が夢より優しいのでしょう?」
「・・・そなたや、そなたの家族皆が優しいのだ。我に」
赤龍はそっと目を閉じる
つい先ほどまで、赤龍は闇と血の中にいる夢を見ていたのだ
暗く、光など一切届かぬ底なし沼に立っている夢で、どんどんと沼に沈んでいく己
足を、腕を、掴んでいるのは血の手・・・嗚呼、己が今まで屠ってきた者達の怨念かと気付き、引っ張られるまま沈んでいった・・・完全に沈み、怨嗟の声が聞こえ、耳を塞いだところで目が覚めたのだ
「・・・夢も血にまみれた我にとって、ここまで心を向けられることは今まで無かった
我は、生まれたその日、強大すぎる力を恐れた母に捨てられた
八龍に就任した後も、その力の強さから同族達に恐れられ、人間など言うまでもない
だから恐ろしいと思う。一度暖かさを知れば、余計に
視線を合わせた人は、初めてだ
笑顔で挨拶してきた子供は初めてだ
心まで温かくなるような料理を食べたのは初めてだ
失えば怖い、恐ろしい、きっと今まで以上に、孤独に耐えられなくなるっ」
レインは赤龍の泣きそうなその顔に、数千は年上なのに何度目か、幼い子供の影を見た気がした
同情なんて何様だろうか・・・それでも、この孤独な龍が哀れだと思う
「・・・赤龍様、私たちはこのシュレイアにいます
何時だって、ここに来て下さい。貴方の心が少しでも安らぐなら、幾らでも
きっと貴方を大切に思っている方は他にもいるはずですが、確かな確信が欲しいのならばこのシュレイアは、確かに、貴方を大切に思っていますよ」
伝われ、とレインは微笑みの下で願う
この寂しく笑う龍が、今も、そしてきっと昔も孤独ではないことに、気付けと祈る
「・・・また来て良いのか」
揺れる瞳に出来るだけ柔らかく微笑む
幼子に向けるように、安心させるように
「どうぞ何度でも」