秋の章・8話
昼から予定通り始まった2日目の領主会議は、ヴォルケに対する処遇の決を採ることから始まった
・・・とはいえ、前日にある程度の意見が出ていたこともあって、殆ど追加
の意見が出ることもなくヴォルケの領主位剥奪が決まった
「(最古参三家の均衡が崩れたわね。
ヴォルケは、600年近い領主の歴史を閉じる事になる。
・・・とはいえ、家は遡れば800年以上あるから十分に名家だし、領主位を剥奪されても、貴族であることに変わりはないわけだから、そこまで重い罪というわけではない、筈ね)」
平民から見れば、結局貴族に変わらないじゃないか、と言いたくなるが、身分と誇りを重んじる貴族にとっては大きな汚点になるのは間違いない、と内心冷めた目でヴォルケを見た
トレーネは、決が採られた後からずっと俯いている
泣いて喚かないのがせめてもの大領主としての意地なのだろう、と推測したが実際の所は分からない
・・・領主会議は、ヴォルケのことばかり話し合っていられないので、すぐに次の議題に入った
アロウェナに言われたとおり、レインとサラの連名で提案した島を利用した臨時の港は幾つか追加で意見が出たが、概ねそのまま採用された
そして、もう1つ、予期せぬ近隣諸国の宰相やカラクサ、蓮、アベルの国主の来訪を黄龍が告げると、室内は大きくざわめく
「な、何故そんなに一度に・・・」
元々他国からの賓客は少ないエーティスだ・・・驚きの声は幾つも上がった
「彼らの目的は2つ。
来年予定されている式典参加に関する調整と、シュレイアと貿易などに関する要請だと聞いているが・・・?」
黄龍の言葉に視線がレインとセルゲイに集まった
その中には、俯いていたトレーネのものもある
「レイン、我々が知っておくべき事はあるか?」
「・・・塩虫が大量発生し、各国はその対応に追われているようです。
皆さんも承知しておいてください」
レインの言葉に、領主達がざわめいた
「エンチュウって何?」
「エンチュウ?」
そこかしこで上がる疑問の声に、アロウェナが挙手をして口を開いた
「・・・エンチュウ、別名塩蟻。
塩を食べる蟻ですね。
・・・大陸の中央で発生し、雨が降らない乾期の時期を狙って集団で塩を食べながら海に向かいます。
対処法は真水を掛けること・・・我が国を通過した記録はありませんので、余り知られていないのも無理はありません」
掻い摘んで説明するアロウェナに、領主達は顔を見合わせた
「・・・繰り返すが、現在この王宮には複数の国の宰相ならびに、大国の国主3名とその側近の者が滞在していることを、皆よく承知しておいてくれ
側近の者とは言うが、何れも八龍と同程度か、それ以上の位の者達だ」
黄龍の言葉に室内にいた全員が頷いた
黄龍の注意の言葉を最後に、二日目の会議は終了となり領主達は次々と席を立って夜会の準備に向かう
「(多分、今日は昨日の夜会より気合いを入れてくるのでしょうねぇ)」
シュレイアの様に他国と頻繁に貿易のやりとりをする領地は無く、これを機に繋がりを持とうと動くだろうと予想したレインは内心苦笑しながら部屋に帰るために廊下を歩いていた
「レイン・シュレイアさん」
「・・・?トレーネさん?」
不意に背後から名前を呼ばれ、振り返れば俯いたトレーネ・ヴォルケが夕日に照らされ立っていた
「(?なにか、雰囲気が変?)」
先程まで、領主達のガヤガヤという声が廊下に響いていたはずなのに、静まりかえっている・・・俯いたヴォルケの暗い雰囲気も相まって不気味だ
「・・・がいなければ」
「・・・(不味い雰囲気)」
「貴女が!いなければ!!!!!!」
ばっと顔を上げたヴォルケがギラギラした目でレインを睨み、叫んだ
「なにっ」
叫ぶヴォルケの声に合わせて黒い靄が噴出しレインを包み上げる
「うふふふふ・・・
せいぜい、愉しむ事よ?己の辛い記憶を、ね」
ヴォルケの笑い声が、不気味に響いた
「これは・・・」
轟々と燃える家、鳴り響くサイレン、落とされ続ける焼夷弾、人々の逃げまどう声、子供の泣き声、力尽きて倒れ伏す人々
戦中は何度も見た光景だ・・・戦後も何度も夢に見た、哀しい記憶
叫び声が、響く・・・何度も何度も、繰り返されている
「悪趣味だわ」
<光栄だねぇ>
ポソリと呟いた声に反応が返ってきて驚きながらも、レインの視線は古い記憶の中の光景に釘付けだ
「貴方は誰かしら?トレーネさんではないわねぇ」
<あんな婆さんと一緒にされるのは心外さ。
アタシは、そうね・・・魔族、とだけ言っておこうかねぇ・・・>
声の主に背中を向けたまま、そう、とだけ呟いたレインに、声の主はチッと舌打ちをする・・・反応が薄かったのが気に入らなかったらしい
「(残念ながら、魔族という種族名だけ言われても怖がる事はないのよねぇ・・・
だって魔王とお友達な訳だし)」
<それにしても、随分凄惨な光景だねぇ
・・・お前の記憶の中で、一番人間が憎しみや悲しみに染まりそうな記憶を掬い上げたけれど・・・アタシがこれまで喰ってきた中でダントツだよ>
「そう・・・?確かに、哀しかったし、苦しかったし、憎くすらあったけれど」
<なんだい、あんたにとってはそうでもないって?
この光景が?嘘をお言いでないよ>
ふんっと鼻を鳴らす魔族の女に、レインは漸く目を向け、微笑んだ
凄惨な背後の記憶とは裏腹に、極普通に微笑むレインに女は無意識に身体を強張らせた・・・
「この時代を生きた私は、確かに苦しく、憎く、しんどかった。
けれどね、それを今更思い起こして憎悪が浮かぶほど、私は若くない。
夢に見ても、魘されても、立ち止まってなんかいられなかった。
みんな、必死に生きていたわ。
振り向いている余裕なんか無かったもの。
・・・漸く思い起こしたのは、この時から一体どれ程経った頃かしら?
その頃には、もう私には孫がいた。悲しみに浸るには、時は十分経っていた。
全ての悲しみや憎しみを時が癒してくれる訳じゃない。
けれど、時だけじゃなく、私には支えてくれる家族も、友人もいた。
支えなければならない大事な人達もいた。
気持ちを整理するには、十分すぎるわ」
ふふ、と笑うレインは、第一、と続ける
「第一、私はもう日本人のおばあちゃんじゃないわ。
ココにいるのは、レイン・シュレイアだもの」
<ッチ・・・まあ良いわ。アンタの相手は、初めからアタシじゃない。
アンタの相手は、婆さんさ!せいぜい、婆さんから逃げる事よ!>
強張る身体を無視して、高笑いした女は、レインの記憶ごと掻き消え、代わりに空間は黒く塗りつぶされ、そこにポツンとトレーネ・ヴォルケが姿を現した
顔色は青白く死人のようであるがしかし、目だけはギラギラと光らせ、右手にはナイフを持つトレーネを、レインは厳しい眼差しで見つめる
レインに武器はない・・・
もとより、襲われるからといって、正気を失っている老婆に武器を振りかざすほどレインは落ちぶれていない
「見なさいよ・・・」
「何を・・・?」
「私の悲しみと憎しみ、貴方も見ればきっと分かるわ」
ぼそぼそと、ぎらつく眼差しに反して、酷く小さな声で呟いたトレーネは、何もない空間を指差した
闇の中、男が一人微笑んでいる
領主のみ纏う事の出来る戦装束を身に纏い、純白のマントには金の刺繍で領地の紋章が描かれていた
「あれは・・・」
「私の、夫よ。優しくて、頼りになる、私のたった1人の夫」
《・・・・行って来るよ。なに、きっと直ぐに戻る事ができる。
我が国の勝利によってね。
君は其の間、どうか領地を守っておいてくれ》
-・・・あぁ、あぁ!!行かないで!!私は知っている・・・・!
貴方は帰ってこなかった・・・!
貴方が直ぐに戻ると言って戦地に向って、もう四十年以上になるのよ・・・!
私は貴方との約束を守って、待ち続けているのにっ!!!
あぁ、あぁ・・・!戦地になど行かないで!
私の傍に居てくださいましっ!
あの時だって、笑顔で見送ったのは、あの瞬間だけ・・・!
例え、上位貴族であっても、愛しい人を戦地になど送りたくない気持ちは徒人と同じなのよ!!
・・・それでも、其の心に蓋をして、信じて待つ事しかできない、出来なかった・・・!
私は、三領の一角、ヴォルケ領主の妻だから・・・-
暗闇の中、響いているのはトレーネの後悔を滲ませた魂の嘆き
悲痛な叫びや嘆きは、レインにも覚えのあるモノだった
闇の中男の姿は消え、今度はもっと年若い二十歳そこそこの姿に変わる
先程の男によく似た、意志の宿った強い瞳でまっすぐ此方を見る青年
トレーネに問わなくても、それがトレーネの息子だというのは一目で分かった
《母様、父様がお戻りになるまで、私もお手伝いいたしますから、領主としてのお仕事、がんばりましょう》
-・・・あぁ、あぁ、可愛い息子、健気な息子!
愛らしく笑う其の笑みが、哀しくて仕方ないのよ!
だって貴方は!病に倒れてからは一度も私に顔を見せる事なく、死んでしまったというのだから・・・!!・・・-
《領主様はお入りになりますな・・・!
流行り病に、領主様まで罹られましたら領地はどうなるのです!!》
《私の、息子よ・・・!命の危機にあって会えぬなどそのようなっ》
悲痛な母の叫びとは違い、酷く穏やかな声が、扉越しに聞こえた
《・・・母様、母様、きっと良くなりますよ。
ですので、父様のためにも母様には元気で居て欲しいのです。
どうかこの部屋に近づかないで下さい》
扉越しの、会話を最期に、もう二度と貴方の声を聞く事は出来なかった
《死んだ・・・?》
《はい・・・手を尽くしましたが・・・・
遺体は、条例に則り、灰にして海に》
絶望・虚無感・哀切様々なものが胸中を渦巻き心が蝕まれたのだと、レインは理解した
トレーネ・ヴォルケは何よりも愛する二人の死を受け入れる事は出来なかったのだ・・・
「遺体を見ていないの。どうして死んだと納得できましょう?
其れ故に、願ったわ。
何時か愛する二人が共に帰ってくる日を・・・」
いつの間にか闇は深まり、ドロリとした濃密なものになっていた・・・
レインとトレーネはお互いの顔を見ながら相対する
頬を撫でる空気は冷たく、向けられる憎悪にレインは目を細めた
「・・・初めの頃は、領民を慈しみたいと思ったのよ
正しい治領を行って、発展させ、大領地に恥じない領地にしようと。
・・・でもねぇ、ダメだったわ
だって、私の傍には愛しい二人がいないのに、どうやって、何故、領民を愛せと言うの?
私には二人しか居ないのよ」
陰鬱とした表情でレインを見るトレーネにレインは静かな面持ちのまま口を開いた
臆することは、ない・・・・
「・・・トレーネさん・・・それが、そもそも間違いなのですよ。
領主にとって最も大事なのは領民で、領地。家族であってはダメなのです」
「おだまり!
お前のような年端の行かぬ小娘に、私の気持ちが分かるものか!!」
諭すように言うレインの言葉を、トレーネは一蹴したが、レインが怯むことはない
「分かりませんわ。そうしてナイフを向けてくるものの気持ちなど、全く一切」
銀に鈍く光るナイフ
その切っ先が喉元に当てられていてもレインは動じる事は無く、言葉を紡ぐ
「領主は、領主の一族は・・・特に直系に関して、誓いを立てますね。
何においても、黄龍様、八龍様、エーティス、領地領民の為にあれ。
その盾となり矛となり、身を粉にする覚悟で任を全うせよ、と・・・
領主は、其の誓いを永世守り続ける。
これが与えられた権力に対しての義務です。
其れを全うしなくて、自身の望みばかり口にするようではいけないのですよ」
自分の行動に対して、大なり小なり責任と言うものはついて回る
領主となれば特に、だ・・・
其の責任を背負いきれるものでなければ領主として相応しくない
少なくても、シュレイアではそう考えられている
・・・・・そしてレインは、背負うと誓った
自身を受け入れ、敬意を表し、愛してくれる領民のために
「煩い!煩い!!煩い!!!」
「っ」
取り乱すトレーネが手を動かし、レインの首筋が薄皮一枚切れた
トレーネが更にナイフを持つ腕を大きく振り下ろそうとした、其の瞬間のことである
・・・第三者の声が酷く冷たく響いたのは・・・
「そこまでだ」
「「?!」」
「アモイ、その老婆から出てまいれ。
そなたが剣を向けさせているのは我が朋友ぞ・・・
朋友に剣を向けるはこの魔王に剣を向けると同義である」
レインとトレーネ、二人きりだった空間が急に裂け光が差した
ドロリと辺りを包んでいた濃密な闇の気配は徐々に薄れていく
レインがその光に目を細めていれば、何時の間にドサリと音を立てトレーネは倒れ伏し、その横には跪いている女の姿があった
「ご無事ですか・・・?」
「フェルト殿・・・?貴方もいらしていたんですか・・・」
「・・・大丈夫そうですな。良かった」
きょとんとしたレインに微笑み掛け、レインの背を支えるのはウェルチの対となるクラウスの側近、フェルトである
対して魔王はというと、跪く女をレインが見た事の無いほど熱を持たない眼差しで睨んでいた
「魔王様っなぜ・・・!!何故ココに!!??」
「アモイ、エーティスにちょっかいを出す事は百年ほど前に禁じたはずだが?」
「っそれは!!」
「厳罰を与えねばならぬようだ
ウェルチ、捕らえておけ」
「御意」
「ひっ」
レインと話していたときと同一人物とは思えないほど、か細く悲鳴をあげ、女は一瞬にして影に取り込まれた
其の様子を目を瞬かせ見つめたレインは、どういうことかと魔王を見る
僅かばかりの間にイロイロな事が起こっては、流石のレインでも処理し切れなかった
その困惑の眼差しを受け、魔王は頷き空間の裂け目を指差した
「まずは、戻るぞレイン。場の主を捕らえたでな。
直この空間は崩れ落ちる」
さあ、と漸く表情を何時ものように緩めた魔王に促され、空間を抜けた




