夏の章・14話
レインがリオルに行っている間も、そして帰ってからも梅雨に変わりなくしとしとと降り続ける雨は、大地に降り注ぐ
「・・・レイン!!ヴォルケの第一陣が到着したわ!」
雨音と、ペンを走らせる音しか聞こえなかった室内に大きな音を立ててアリアが入室したのはレイン帰還の翌日であった
「・・・とうとう来たのね。父様も?」
「ええ。竜族に協力を仰いで、ピストン輸送してもらっているわ。
現地にはサディクが代わりに」
ヴォルケからシュレイアは決して短い距離ではない
その上面倒な手続きも必要になるので結果的に戦争停止してからの受け入れとなってしまった
・・・ヴォルケ領主が許可を渋ったことも要因である
「この日のために、臨時職員を雇って居るんだから、入領の手続きは漏れがないようにね。
怪我人と女、子供、老人の手続きを優先。
出来るだけ早く安心させてあげないと精神的にきっとやられてしまうわ」
と心配げに窓の外を見るレインにアリアも頷いた
「既に、受け入れの一番最初の関門、戸籍作りのための出張役所の準備は整っているわ。
グラン爺様達を始め、アーシャ達緑人族も控えて医療スペースも準備ばっちり。
臨時の職員の人達随分物覚えも良いし、張り切ってたわよ。
兄様達もかなりの速さで新しい街の設備を整えているしね」
ぽんぽんと頭を撫でられたレインは苦笑する
アリアなりの励ましは、急いて飛んでいってしまいそうなレインをちゃんと地に留める
「(敵わないわ)
そう・・・本当は私も現地に行きたいけれど・・・
行っても、することはなさそうね。
現場指揮は父様に任せるとして、私はここで送られてきた戸籍を早急に整えて、流入民達の新生活の一番大事な基盤を作るわ」
「それが良いわ。大部屋に移るんでしょ?」
「ええ。役所の子達にも出張してきてもらって、手分けして作業するにはこの部屋は狭いし、何より一応それなりに重要書類もあるしね」
そう言って肩をすくめたレインにアリアは確かにね、といって手近にある書類を捲る
「でもこれ、基本的に私たちしか読めないわよね?」
ぱらぱらと捲る書類に書かれた言語はエーティスのモノではない
「日本語、それから独語ね。でも読めるかもしれないし」
「純この国産なら読めないわよ。一応暗号文書扱いだし。
これ読めるの、レインと、レインと共に成長した私と兄様だけだもの」
レインにとって馴染みのある言語は、しかし三兄弟以外にはちんぷんかんぷんなモノだった
「一応、世界でも会得の難しい言語だったからねえ」
平仮名、片仮名、漢字が組み合わされる日本語は、暗号文書や機密文書、保存用の文書に最適でレインは随分昔から利用している
「(本当は、本当はそれだけじゃないのよね。自覚してるわ)」
レインにとって、名が変わり、姿が変わっても故郷はたった1つ
ソレを忘れないようにと使い続けているのだ
ふう、と息を吐くレインにアリアがそっと手を伸ばし髪を撫でる
「レイン、忙しくなるわ。辛いことも苦しいことも考えられないくらい忙しくなるわ。
だから、ちゃんと、ちゃんと自分を大事にするのよ。
何も考えられないって事は、自分の体調だって気遣う暇なくなるんだから」
「・・・・・姉様は、ちゃんと姉様ね」
「あら?当たり前じゃない。何時か言ったわ。
私もキリクも貴女の姉で兄よ。頼って良いの。弱音を吐いても良いのよ。
1人で悩んだり、悲しんだりしたら、怒るわよ。
何の為に、上の兄弟が居ると思っているの?
レインがクリス達を守るのと一緒。
上の者は、先に生まれて、後から生まれてくる兄弟を守るためにいるのよ。
心も、身体もね。分かってるのかしら?」
ぷっくりと頬を膨らませ、レインの髪をぐしゃぐしゃに乱したアリアをレインは眩しそうに目を細めて見詰めた
「有り難う姉様」
きゅっと抱きしめて、抱きしめられて、レインが手を離したときは何時ものレインだった
それにアリアはひっそり安堵の息を吐き、じゃあ行ってくるわーと手を振って部屋を出た
「どうらん、かれん」
「「此処ニ」」
廊下で、レインの影警護を務める2人の名を呼べば、すぐに影から浮かび上がり膝を付き頭を下げる
「時々、レインは情緒不安定になる。
そう言うときは無理はさせずに特製の柚子茶でも飲ませてあげて。
あの子、本当に戦争を嫌っているから。ううん。酷く憎んでいるんじゃないかと感じるの。
大事なものを沢山奪われたって聞いたし。
あの子の心はとても強いように見えて、実は壊れやすいから。
こういう事に関わった後、しばしば遠い目をするわ。過去を思い出す顔。
思い出すのは、悪いことばかりではないけれど、こういう事に関してだけは、レインは引き摺られやすいから・・・
だから注意してあげて」
「「御意」」
「ん。よろしく。
じゃ、行ってくるわー」
ひらりと手を振って、カツカツと廊下を歩き去るアリアを見送り桐藍と花蓮は顔を見合わせ頷くと揃って影に溶けたのだった
ヴォルケからの流入民の第一陣が入領すると、丁度同じ頃、徒歩で避難してきたヴォルケの民の入領と重なり、結果的に相当数の民が列を成すことになった
顔には疲れを滲ませて、衣服もぼろぼろ
着の身着のままの状態の者も少なくなく、移動中ろくに食事も摂れなかったのか、特に徒歩の者に関しては栄養状態の悪い者が多い
「うむ。とにかく入領の手続きを完了させなければのぅ」
顎髭を扱きながらグランはやれやれと息を吐く
「グラン爺、入領後の民の方を御願いいたします。
ボクは、入領前の方々を診察しますから」
「スティーブ」
「この場所は、すでにボクらが守るべき領地で、足を踏み入れた以上、彼らはボクの愛すべき民です。
手続き前でも、手遅れにはしたくないんです。
きっと、姉様も、父様も、ゴーサイン出します。良いでしょう?師匠」
「御前さんの判断に任せようスティーブ。
やれやれ、年は食いたくないもんじゃのー」
「何言ってるんです?バリバリの現役でしょう?
トール達を借りますね。アーシャはグラン爺の方に居た方が良いでしょうし」
「おうおう。連れて行きんさい。
さーて、んじゃあまあお仕事しますかねえ」
ばさりと白の白衣を翻し、颯爽と臨時の診療所に向かったグランを見送って、スティーブもまた白衣を翻しグランとは反対へと進んだ
「怪我をしている人は右手奥のテントへ!
その他の人は名前や年齢、前職、家族人数確認の登録をしてください!
その後、食料配給と当面住んでいただくテントに案内していきます!」
セルゲイの声が辺りに響きぞろぞろ動く流入民
酷く薄汚れ襤褸を纏った者も少なくない
それでも安堵した瞳が見える事に安堵の息を吐いたのは誰だったろうか
臨時の、出張青空役場と書かれた旗がはためくすぐ傍で、情報を記入する為に設けられた幾つもの長机
そこに臨時で増員された職員が着き、中央にはフェリスが座る
「お名前は?お歳は?家族は何人いますか?全員無事ですか?以前はどのような職に?」
長く時間を取れるほど、流入民の様子は思わしくない為、フェリス達は最低限必要な情報を聞き出していく
識字率の高くない流入民の回答は全て職員が書き込み、流入民は最後にサインだけをする
勿論、不正や間違いが起きないように、職員側は徹底した管理と指導がされており、流入民側も緑人族の焚いた特製の精神安定剤に真実香を混ぜた特別製の香を吸っている
情報の記入が終わると、フェリスが番号の書かれた札を渡し次の場所へと誘導していった
回答によって相応の食料や衣料品(大体が領民の中古だが)が分配され、家族の人数に応じた大きさの簡易的なテントに案内される
「これはあくまで簡易住居です。
貴方方が以前されていた職に応じて領地のそれぞれの土地に移動して頂く形になります。
そう、例えば農民なら畑も貸し出しますので畑の近くへ
お針子なら仕事がある町へと
また、15歳未満の子供には学舎に通っていただきます。
皆さんには平等に医者にかかる権利もあります。
この領地での決まりは他領とは異なる点が幾つも御座いますので、各簡易住居に後日説明と戸籍記入の補足の為に伺います
長旅、大変だったことと思います
ゆっくり休んで下さいね。
何か御座いましたら常駐の人間に伝えて下さい」
戸籍の簡易登録を済ませた流入民達にセルゲイが努めてゆったりと説明すれば多くの者が扱いの差に驚いた
「(こんな扱いの差があって良いのか・・・
<西の大領地>での暮らしは、路地裏で寝起きし、その日の食事すらままならず、冬になれば餓死者や凍死者だって多く出たのに。
生まれたときから、ずっと、そんな暮らしだったのに)」
どれ程、身分が高ければと歯を食いしばったか
どれ程、明日は我が身と思ったか
このシュレイアの土地での暮らしを予想して、ある貧しい男は涙を流した
260222 戸籍記入係
誤フェリシア→正フェリスに変更




