夏の章・13話
赤龍がレインの迎えにリオルを訪れたのは停戦から5日目の昼前のことだった
人型ではなく、龍の姿でリオルの王宮にやってきた赤龍はピジョンブラッドの瞳を細め、見送りに出ていたフェンネルを射抜く
「(牽制か・・・?)」
レインを攫ったことを、まんまと利用したことをこの最凶と名高い赤龍は相当怒っているのだろう、とフェンネルは見当を付けた
そして、自身や一足先にアベルに戻ったクラウス、ウェルチがレインを大切に思うように、きっと赤龍も大切に思っているのだろう、と
「(厄介な奴に好かれるなあ、レイン殿)」
くすりと笑って、少しだけ見せつけるようにレインに手を差し出し、握手を交わす
「フェンネル殿・・・?」
「レイン殿、我が生涯初めての友・・・
この恩を決して忘れることはない。
貴女が困ったときはいつでも呼んで欲しい。
必ず手を貸そう」
本心からの言葉だった、だから真摯な眼差しで、レインを見詰める
レインもまた視線を交わし、微笑んだ
「私にとっても、貴方は大切な友人です。
またお困りの際は可能な限り力を貸しましょう。
お困りでなくても、たわいないお話でも、何でも構いません。
せっかく手段も出来ましたし、遠慮無く仰有ってください」
「・・・・ああ。有り難う」
沢山の別れを経験したが、これほど名残惜しく、しかしスッキリとした気持ちになる別れは初めてだとフェンネルは心から笑んだ
『良いか?』
「は、はい。わざわざ申し訳御座いません」
『構わない。乗りなさい』
「(八龍様の背に・・・うわ、他の領主やら貴族に見られたら、いらないやっかみを受けそうだわ)」
ひくりと頬を引きつらせながら、赤龍に促されるままその背に乗る
・・・八龍の内、黄龍と緑龍、赤龍と青龍はアジアでよく見られる蛇のような細長い身体で、体表面の鱗が美しい
対して、黒竜、金竜、白龍、銀竜が西洋でよく見られる蜥蜴のような身体で、背に翼が生えている
これらの体つきの違いは、生まれ出た場所による差異だと言われているが、実ははっきりしたことは何も分かっていない・・・
「(うわ、滑っちゃう!!)」
掴まるところのない体表にレインは四苦八苦しながら上ると赤龍が鬣にしがみつけるか?と声を掛けた
「ええ?!そんな、もし引っ張ったら」
『構わない。鞍でもあれば良かったな』
「(そんな馬のように出来るわけがない!!!)」
どうしましょう、と焦るレインに赤龍は掴まっておくよう指示すると、一瞬だけフェンネルを横目に睨み、あっという間に駆けた
その姿が豆粒サイズになり、見えなくなるまでフェンネルは見送った
「ガイ、早速今日から忙しくなるぞ」
「・・ですね」
「まずは意識改革だな。
教会はあっても良いが、もう権力を持たせる気はない。
・・・笑うか?私は結構、楽しんでいるよ」
「笑いませんとも。私も、貴方の作る新しい国を思えば、わくわくと年甲斐もなくはしゃいでしまいます」
「そうか」
「はい」
「では、しっかり働くとしよう。友に顔向けできないからな」
そう言って笑うとフェンネルはゆっくりと城に戻った
「あ」
城に戻った途端立ち止まったガイにフェンネルは首を傾げる
「?どうした?ガイ」
「レイン殿、確か高い場所がかなり苦手だったような気が・・・」
「・・・そういえば、王宮で挨拶した最初の時、顔色が蒼白だったな」
「「・・・・・」」
二人は顔を見合わせ、もう全く姿の見えない赤龍の駆けた方角を見詰める
「・・・大丈夫だと思うか?」
「サンダーバードであれほど体調を崩されてお出ででしたから、あの速さですと
・・・大分厳しいのでは無いでしょうか」
「・・・」
「せき、りゅ、さま・・・!!」
『・・・』
「せきりゅうさま!!!!」
『ん・・・?
レイン・・・!?どうした?!何だか死にそうな声だぞ?!
やはりあの男になにかされたのか!!!』
焦り、怒りを滲ませる赤龍にレインは顔を真っ青にして首を振る
「わたし、わたし!!」
『なんだ、どうした?!』
わたわたとする赤龍にレインは衝撃的な発言をした
「高いところ、苦手なんです!!!!!」
『は・・・!!??』
「せめて、せめて速度を落としてくださいぃぃぃぃ」
ぜえぜえと荒い息を吐きながら懇願するレインに赤龍は急いで速度をゆるめたのであった
赤龍がレインを背に乗せ龍山に戻ったのは昼過ぎのことだった
出迎えた緑龍と残留していたキリクは顔色の悪いレインとそんなレインを人
型になりオロオロとしながら気遣う赤龍を見て目を点にする
「赤龍様、お帰りなさいませ。
妹をわざわざ迎えに、誠に有り難う御座います」
キリクはレインの顔色の悪い原因に思い至ったのか苦笑しながら赤龍に礼を取る
「いや、その、すまないキリク・・・我はレインになんて事を・・・」
「???」
青い顔をする赤龍に緑龍は首を傾げる
「すみません、ご迷惑を・・・」
「一体レイン殿はどうされたのです?」
「緑龍様
・・・申し訳御座いません、レインは高所恐怖症なのです。」
「・・・それは、なんというか」
苦笑するしかない緑龍は、残念だったな、と赤龍の肩を叩いた
「さてレイン殿、大丈夫かな・・・?多少顔色も戻ったようだが」
「・・だいじょぶです。ハイ。ご迷惑をおかけしました」
青い顔にほんの少し赤みが差したのに気付いた緑龍はレインを伺う
ふらりとしながら頷いたレインに普段の落ち着き払った歳不相応な姿は無い
・・・意外な一面を見た、と緑龍は内心苦笑した
「さて、黄龍様がお待ちです」
緑龍が先導し、赤龍がレインを気遣いながら、キリクがレインを軽く支え黄龍と青龍を除く八龍、国府の長官の待つ広間に到着する
現れたレインの顔色に少し目を丸くした黄龍は、ひとまずは労いの言葉を掛けた
「レイン、疲れているところ直接悪かったな」
「いいえ、これは疲れではなく、自分の三半規管の弱さと高所を克服できない己のせいですので、お気遣い無く」
サンハンキカン・・・?とその場にいた全員の脳に聞き覚えのない単語が浮かんだことに気付かぬまま、レインは礼をした
「このたびは、ご迷惑をお掛けいたしました」
「ん?いや、そなたが謝ることは何もない。
むしろ、戦を早くに終結させたのはレインの働きあってのこと。
本当に良くやってくれた。
早速だが、そなたの働きに、褒賞を与えようと思う。何を望む?」
こういう事はきちんとしておかないと示しが付かないから、遠慮しなくて良いのだ、と黄龍は微笑む
「レイン殿、何でも構いませんよ。
ちなみに過去には、龍の牙で作った刀、螺鈿細工を施した硯、貴族ならば位を上げたり、金銀玉などの宝石も褒賞として与えておりますよ」
微笑む緑龍に、レインは思わずキリクと顔を見合わせる
「(いる・・・・?)」
「(ウチには一切必要ないものだと思うが)」
目と目で会話した二人は、どちらともなく頷いた
刀も硯も、遠慮無く使えるのが一番だ
ならば望むなら、ずっと実用的なものを
レインは深々と頭を下げたまま、黄龍に願う
「黄龍様、褒賞として、頂くというモノではないのですが、赦されるならば、本年度と、来年度の税の引き下げを御願い致したく・・・!」
「ほう・・・?」
「え?」
「税・・・?」
そこかしこで戸惑いの声が上がるなか、黄龍が面白そうに目を細めた
「して、その理由は何だ?」
「・・・これより先、ヴォルケからの流入民が多数、ウチだけではないでしょうが、やって来るでしょう。
ヴォルケは領民数が国一番だったと記憶しております。
備蓄はあっても、それは本来の領民の為に領民が貯めている物でございますから余裕があるとはとても言えません」
そこまで言えば、全員が理解した
「そう言うことなら、・・・そうだな、三年分の税を免除しよう。
その代わり、頼ってきたヴォルケの領民達を可能な限り受け入れてやって欲しい」
減額を求めたレインに対し、免除と言った黄龍にレインとキリクは目を見開き、お互いの顔を見合わせ深く頭を下げた
「承りました」
「この力及ぶ限り、いたしましょう」
びゅおおおおおお、と風を切りながら、空を飛ぶ赤龍の背にレインとキリクは乗り、一路シュレイアを目指していた
ちなみに既にレインはキリクに身体を預けオチている
「赤龍様、レインを迎えに行ってくださって有り難う御座いました。
おまけにこうして、共々シュレイアまで送っていただいて・・・・」
『構わない。我が望んだこと。それより、むしろレインには悪いことをしたようだ』
しゅん、とした雰囲気を感じ取ってキリクは苦笑する
「レインに弱点があって、がっかりしましたか?」
『いや・・・そんなことはない』
「なら、安心しましたか?」
『え・・?』
「すみません。変なことを言いましたね。
ただ、レインのこういう姿を見た人は大抵その二択なんですよ。
・・・レインは、完全無欠に見えるんですよね。
落ち着いているし、こいつが取り乱す所なんて滅多に見ない。
何時も、一歩離れた場所で見ていて、困ったときはすかさず手を貸して・・・って奴なんです」
『嗚呼』
「領民のために、命をかけてだって無茶をする
生死のギリギリのラインを渡ったこともある
命を簡単に散らす奴は嫌いだ、って言ってますから、ちゃんと自分の命も助かるようには考えてるみたいなんですけど・・・・
その見極めが何時もギリギリすぎて、護衛役はそろそろ胃薬が必要かも知れません」
ははは、と笑いながらキリクは優しくレインの頭を撫でた
「そんな奴だから、普通に弱点があるのを知ると、完全無欠じゃないことにガッカリするか、安心するか、なんですよ」
人って勝手でしょう?とキリクは苦笑する
『キリク、我は・・・我は、多分安心したのだと思う』
囁くような声に、キリクは私もです、と返した
シュレイアに降り立った頃には既に日が沈み月が空に昇って輝いていた
月光の光でキラキラと輝く赤龍の鱗は宝石のようだ、と小高い丘に下ろされ、ふらふらする頭で思ったレインは、目を数度瞬き、頬を自分で思いっきり叩く
『レイン・・・?!なんだかとっても凄い音がしたのだが・・・!』
おろおろとする赤龍にレインは苦笑して、すっと頭を下げた
「赤龍様、本当に有り難う御座いました」
『レイン・・・我は、何も』
「いいえ、赤龍様は私をシュレイアに連れ帰ってくださいました
随分、ご心配をお掛けしましたし、迷惑もお掛けしました」
気に掛けているレインの安否を、きっととても気にしていただろうから
『・・・・レイン、頭を上げてくれ
礼も謝罪も必要ない。
その、変わりに・・・1つだけ、願っても良いだろうか』
「?」
す、と赤龍に請われるまま頭を上げたレインは首を傾げて赤龍の言葉を待った
ぱくぱくと、何度も口を開き、閉じて漸く赤龍は声に出した
『お前は、ちゃんと守る命に自分の物も勘定に入れているから、それは心配しないことにする。
・・・ただ、ただ、こうしてお前がお前の戦地から戻るときは、我が迎えに行きたいのだ』
きょとんとするレインに、赤龍は駄目か・・・・?と首を傾げる
「(八龍様をタクシーのように使うのは、正直如何なものかしら・・・でも)」
見上げた赤龍は、駄目か?としゅんとしている
耳が在れば垂れ下がっていただろうし尻尾があればヘニャリとしているだろう
「(つくづくコロに見えてしまう・・・)」
すっと赤龍を見たレインは、苦笑し、そして深く頷き御願いします、と答えたのだった
夜空に再び飛び立つ赤龍を見送ったレインとキリクは振り返った
振り返った先には、電光石の灯りが幾つも点る、シュレイア家の屋敷があった
「帰ってきたわー」
やれやれ、と深い息を吐くレインにキリクはくすりと笑った
「さあ、早く屋敷に戻るぞ。きっと、みんな首を長くして待ってんだろ」
「ええ。・・・ただいま兄様」
へら、と笑ったレインにキリクは微笑んだ
「お帰り、レイン」




