夏の章・11話
エーティス西の端、三大領地ヴォルケ
多くの建造物は瓦礫とかし、燻る炎や煙がそこかしこで上がっていた
その一角で、2つの人影が月に照らし出され、更に周囲には数十の水の泡が浮いている
・・・端から見れば実に奇妙な光景である
そんな水泡がクラウスの手の動きに合わせてふわんふわんと浮遊し続けていた
直径2m程のそれには1人、ないしは2人ずつのリオル教会軍が入れられ、抵抗できないように眠らされている
フェンネルは、戦場となったヴォルケ領を見詰め、奥歯を噛み締める
怪我人は勿論、遺体なども水泡に取り込んだクラウスはそのフェンネルの後ろ姿を見詰め、溜息を零した
「フェンネル殿」
「・・・すみません。
けれど、今私に出来ることは、この目に、脳に、この光景を刻むことだけなんです」
きゅっと唇を噛みながら、それでも前を見据えることを止めないフェンネルをクラウスは似ているな、と呟いた
「フェンネル殿、貴方はレインによく似ておる。
あれも、かつて同じ事を儂に言った。
辛くても、目を背けたくても、それが自分の役目だからと涙を零しながら戦場を睨んでおった」
「レイン殿が・・・?」
クラウスの言葉にフェンネルは驚き目を丸くしてクラウスを見る
「うん?その驚きは何に対してじゃ?
レインだって、一応人間じゃし、娘子じゃ。
泣くこともある。・・・・・・・・まあ滅多にないがのぅ。
それとも、お主とよく似ていることに驚いておるのか?」
こてんと首を傾げるクラウスにフェンネルは苦笑する
「そうですね、確かに。
クラウス殿は、そんな幼い頃のレインもご存じなんですね」
「うん?レインとはかれこれ18年の付き合いじゃぞ。
生まれたときから知っとるからのう」
「は・・・?え?」
あっけらかんと言ってのけたクラウスにフェンネルは再び目を見開いた
「(ふふん。儂とレインのすばらしい出会いの話をしても良いが・・・
ま、それはもっとお互いを知ってからのお楽しみかのぅ)」
呵々、と突然笑ったクラウスにフェンネルは再び固まったのだった
「どれ、ちゃっちゃと帰還せねばウェルチにチクチク言われるからのぅ
・・・帰るか!」
ぐわしっとフェンネルの襟首を掴んだクラウスは、そのまま高く浮遊する
合わせて、水泡も高く上げると、一直線に空を駆けたのだった
「(速すぎる!!!!!!キモチワルイ!!!!)」
「あははははは」
夜空に、フェンネルの声なき悲鳴とクラウスの爆笑が響いた
リオルの城に辿り着いた頃にはぐったりとしていたフェンネルに、ガイが驚き駆け寄る
「フェンネル様!!!!???一体何が!!??」
「はっはっは!!気にするな!ちょっと酔っただけじゃわい!!」
「酔う!!??何に酔ったのです??!まさか酒盛りでもしたんじゃ!!」
クラウスの言葉に眦を吊り上げたガイに、フェンネルは誤解だと伝えようと身体を持ち上げるがあまりの吐き気に再び地に伏せる
「わはははは」
「・・・魔王様、何を笑っておいでか」
笑うクラウスの背後からぬう、っとウェルチが現れ、服を掴む
ぎぎぎ、と壊れたブリキのオモチャのような動きで振り向いたクラウスは、無表情のウェルチに頬をひくりと引きつらせた
「・・・魔王様、他国まで来て、何をしておいでか
・・・ワタクシに教えていただけませんか」
「ウェルチ、その、なんじゃ。視線が痛いぞ?」
「ええ、まあそうでしょうね」
「怒っておるのか・・・?」
「怒っていないように見えるのでしたら、怒っていないのでしょう」
「・・・ごめんなさい」
「・・・それはワタクシではなく、フェンネル王に伝えるべきでは御座いませんか?
お可哀想に、側近からあらぬ疑いを掛けられているのに、体調不良で否定も出来ていらっしゃらない」
「謝ってきます」
「ええ。是非ともそうして下さいませ」
ウェルチはしょんぼり肩を落とし、ガイの元へ向かうクラウスを見送ってやれやれと息を吐いた
「レインは?」
「レイン殿ならば、お茶を淹れて下さっていますよ。
今日のフェンネル殿には、安静が必要ですからね」
「嗚呼、成る程。
確かに、今日はイロイロあったみたいじゃし、レインの淹れる薬茶を飲めば多少気分も落ち着くじゃろう」
うんうん、と頷いたクラウスにウェルチは、嗚呼、おいでですね、と扉の向こうにレインの気配を感じてそっと頬をゆるめた
「何時も思うんじゃが、お主、結構レインに甘甘じゃないかのぅ・・・
大体表情筋がレインに対してじゃと緩まる事が多いし・・・」
「おや、魔王陛下もヒトのことを言えない位、甘甘ではありませんか・・・
それに、ワタクシは誰に対しても同じ対応を心がけております」
扉が開き、レインが盆を持って入室した
クラウスとウェルチの視線の先で、フェンネルに湯気の立つカップを渡している
その様子を見守りながらもクラウスとウェルチは話を続けた
「嘘吐け・・・
そりゃ、儂はレインを気に入っておるからのー。
甘甘は自覚しておるが・・・」
「・・・ワタクシもレイン殿には好感が持てます。
あの、願いの為に真っ直ぐに突っ走る様は小気味良いですし
何より、将来的には是非ともアベルにいらして頂きたいですからね」
「嗚呼、それはよぉく分かる
セルゲイは太白に奪われたからのぅ
・・・儂も是非ともレインにはアベルに来て貰いたい」
「その為にも、是非ともしっかりアプローチしておいて下さい」
「・・・一応しているんじゃがのぉ」
「なんのアプローチですか・・・・?クラウス殿、ウェルチ殿」
うむむ、と唸るクラウスとウェルチに近寄ったレインはこてんと首を傾げた
「何でもないぞ・・・!
それより儂等にも淹れてきてくれたのか?」
湯気が上がるカップにクラウスは嬉しそうに笑った
その笑顔に誤魔化されたレインは、誤魔化されたことに気付かないまま頷く
「安眠出来るよう緑人族と開発した薬茶です。
宜しければどうぞ」
「おお!ありがとうレイン!」
「有り難く・・・」
へらっと笑ったクラウスと、頬をゆるめたウェルチの2人にレインは微笑んだ
「あ、そういえば」
ずずっと行儀悪く茶を飲んだ所をウェルチに叱られたクラウスは、レインが上げた声に、ん?と首を傾げた
「フェンネル殿はクラウス殿の事を覚えていない様子ですよね・・・?
姿は全く変わっていないのに、変だな・・・と思っていたんですけれど、ひょっとして術を掛けましたか・・・?」
「嗚呼!掛けたぞ!
あの頃の<タイム>殿の立ち位置は微妙じゃったしな。
忘れていた方が良いこともある。お互いにな・・・?
じゃから、儂に関する記憶は、忘れていることに違和感を覚えないように細工をして忘れさせておる」
そう言って笑ったクラウスに、成る程そうでしたか、とレインは微笑んだ
「明日からレイン殿はどのように過ごされるのですか・・・?」
「明日は、フェンネル殿に許可を頂いたので、こっそり街に下ります。
城下に住む、一族の者に会う為と、情報の収集をしますわ」
にこりと笑うレインに、じゃあ私も行きます・・・と手を挙げたのはウェルチだ
「儂も行きたいっ!!」
静に手を挙げるウェルチとはいはーい!と手を挙げるクラウスに、レインは目を丸くし苦笑する
「ではフェンネル殿に許可を頂かなければなりませんね」
「ようし!!じゃ、行くぞ!!ウェルチ!!フェンネル殿に突撃じゃ!!」
「こんな夜更けに大声出さないで下さい陛下・・・」
明けて翌朝、城の裏手からこっそりと城外に出たレインとクラウスとウェルチは、こっそりと城下町の中心部に向かって歩き出した
「思ったよりすんなり出られたのぅ」
「フェンネル殿が話しを通してくださっていたようで、本当に良かったです」
「お2人とも、気は抜きすぎないでくださいね
同盟を結ぶまではまだ、油断ならないのですから」
へらりと笑い合うクラウスとレインにウェルチは溜息混じりに注意を促した
「そもそも、今回のお忍びだってフェンネル殿は少し渋っておいででした。
無理を通したのですから、くれぐれも迷惑をお掛けしないように気をつけな
ければなりません。
レイン殿、くれぐれも厄介毎に巻き込まれませんよう」
ウェルチの言葉にクラウスとレインは揃って母親のようだ・・・と内心苦笑し頷いた
「全く、最近小姑化しとらんか?ウェルチ」
「小姑だなんて失礼ですね・・・いい年なのは認めますが、そもそも口うるさくなる原因は陛下ですからね」
ふん、と相変わらず無表情のまま鼻を鳴らすウェルチにクラウスは息を吐く
「知っているかー?レイン。
こ奴こう見えて黄龍とほぼ同い年なんじゃぞ」
「え?!
あら、そうだったんですか・・・本当に魔族の方の年齢は分かりませんねぇ。
外見は尖った耳さえ見えなければ、人間と変わりませんもの」
へーーと感心したように言うレインに確かに、と2人は頷いた
「実際、人間の中で生活している魔族もいますからね
アベル内は魔力が充満しすぎて弱過ぎる魔族にはかえって毒というのもありますが」
ふむ、とウェルチが顎に手を当て呟けば、レインはへえ、と声を漏らした
「私も、影の子達も、クラウス殿に結界を張って頂かなければ危ないのですね」
「そうなるのぅ」
「そうですね。ただの人間が立ち入れば5分と持ちませんから」
「(改めて危険な場所ねー)」
呑気にそんな事を考えるレインにクラウスとウェルチは顔を見合わせる
「(もうレイン殿には結界外していること伝えなくても良いのですか?)」
「(言った方が良いかのう・・・?
レインのアベルでの食事で守護魔術を掛けたモノを出したせいでその魔術がすっかり身体に馴染み結界いらず。
おまけに、レインを加護しているのはウチだと儂にお前にフェルト、他にも蓮やらカラクサやらその他実力者がしているからのー。
滅多なことじゃ死なん
・・・何だか凄く驚きそうじゃから、言うのは止めておこうかの)」
「(御意に・・・・・最早フツーの人間じゃないですね。
改めて考えると)」
「(何を今更)」
「・・・?とりあえず情報収集で市場に行きましょうか」
「お、おう。そうじゃな・・・しかし、停戦したのは昨日じゃ。
協定自体は結ばれてすらいない。それなのに市場なんてやっているのか?」
頬を掻き首を傾げるクラウスに、レインはやっていると思います、と返した
「その根拠は?」
「・・・簡単ですよ
人間は結構逞しいし、商人はもっと逞しいの」
丁度視界が開け、市場の賑わいが見えると、クラウスとウェルチは目を丸くし、レインは、ね?と小首を傾げた




