夏の章・7話
レインが攫われ、夜が明けた翌朝早朝、寝不足のために目の下に薄くクマを作ったアリアは、音もなく突然現れた黒衣の男の姿を認め、目を見開いた
外は前日の梅雨の晴れ間はどこぞへ消え、しとしとと雨が降っている
部屋の主ではなく、その姉の姿を認め、更にぴりぴりした空気を感じ取った黒衣の男は、片眉を上げて見せた
「なにがあった?」
アリアは、少し考え、困ったように笑った
「散歩に行かれませんか」
唐突だ
突然現れた男に、これまた唐突に誘うアリア
しかし男が訝しんだのは一瞬で、良いだろう、と頷いた
「で?何処がお勧めかね?アリア」
「・・・・西がお勧めですわ」
「そうか。丁度暇しておったのだよ。行ってくるとしよう」
微笑んだ男は、アリアが言葉を続けようとするのを唇に指を当て、止める
「アリア、儂はどうでも良い人間に使われるのは気に喰わんし拒否する
じゃが、気に入った人間のためなら、それは別じゃ」
ぱちん、とウインク1つして見せた黒衣の男にアリアは歪に微笑んだ
「散歩の帰り道、是非お寄り下さい。・・・レイン直伝の美味しいケーキと、紅茶を淹れますわ」
「おお、それは楽しみじゃ。では行ってこよう」
男の大きな手でぐしゃぐしゃと髪を乱されたアリアは、いつの間にか1人になっていた室内できゅっと唇を噛み締めた
「・・・アリア様」
「・・・私、酷い人間ね」
「イいえ。キっと皆さん同じ事をなさいましたよ」
アリアの護衛役である花蓮が静かにアリアを慰める
「あの子の様に、強くありたいのに」
「恐れながら、レイン様は、御自身と同じ強さを求めてお出でではありません。
アリア様にはアリア様の戦い方があるのです。
強さの形も、定義も、ソの方それぞれで御座いましょう」
「・・・正論だわ」
くすりと笑ったアリアは、紅茶を淹れて、と花蓮に強請った
「私に出来ることをするわ。
あの方を利用したんだもの。しっかり働かなければね。
顔を洗ってくるわ」
「御意に」
深々と頭を下げる花蓮に背を向けたアリアの目は、つい先ほど零した弱さを消しており、シュレイア家の直系長女としての役割を果たすために前を向いた
リオルでは早朝、早々に、レインとフェンネルが行動予定を決めるために額を付き合わせる
結界が張られている以上、外の誰とも連絡がつかない
ならば早急に結界の解除をしてしまうべきだ、とレインは言う
勿論、言うほど容易いことではない
だが何としてでもなさなければならない、と
その言葉にフェンネルは頷く
フェンネルにとっても、リオルという国にとっても、この戦の分岐点となるだろう
「さて、教会に行くためには、ルートは1つしかない。
で、そのルートは当然、護衛がワラワラ居る。
出来るだけ、殺したくはないが、悠長なことは行っていられない」
フェンネルは、選択する
沢山の命が失われるかもしれない、何より、自身の手で奪うかも知れない
守るべき、国民をその手に掛ける葛藤
それでも、国主として、フェンネルは天秤を傾けざるを得ない
1より99の命を守るのが、国主なのだから・・・
それでもやはり悲しく辛いから、だからフェンネルは己が手に掛けた命を、己に代わって身内が手に掛けた命をも、背負うと決めたのだ
「(異国の、年下のレインに頼っているのだ・・・覚悟を決めたのだろう?
フェンネルよ。せめて、最低限の被害に留める・・・これが王としての己の役目だ)」
自嘲するフェンネルを見て、覚悟を見て、レインは静かに喋り出した
「為政者は、常に選択を求められています
最善を尽くすこと、少しでも、国が残るように、国民が残るように
今貴方の目の前に、天秤がある
沢山の国民99と、教会側の国民1がそれぞれ天秤に掛けられている
通常なら、99を守るために、教会側の国民を犠牲にする
けれど・・・偶然なのか、必然なのかそれはちょっと分からない
でも貴方のその天秤を覆すことが出来るかも知れない
覆すと行っても、99を捨てると言う事じゃない。本末転倒ですしね
・・・貴方は、私に手を伸ばした
力を、選択肢を貴方よりほんの少しだけ持っている私に」
正確には、私の力というわけじゃないけれど、と苦笑したレインは、己の影を見詰める
「なにを言って・・・?」
困惑し、わけがわからないと問いかけるフェンネルに、レインは答える
「あるんです。
最短で、元凶の元まで一直線にいける文字通り裏道が。
多分、現状これが最善」
「すまないが、よく・・・」
「桐藍」
たった一言、その一言が、フェンネルが傾けざるを得なかった天秤を覆した
「嗚呼、神よ。どうか我等が憎き、かの竜族を打ち払う力を与え賜え・・!!!
まもなく、まもなくあの憎きエーティスに一矢報いることが出来る
エーティスでも指折りの大領地を落としたとなればきっと、きっと既に死したり勇猛なる先達達も浮かばれるであろう
・・・蛇風情が、何時までも大きな顔をしていられると思うなよ」
教会の最深部、地下の自室で司祭であるガラムはにやりと笑う
蝋燭の火がジリジリと燃え、薄暗い部屋が不気味に見せた
「フェンネルの腰抜け小僧め・・・国の中で指を咥えて見ているが良い。
あの黄色い蛇の高い鼻面を叩き折るのはこの儂じゃ・・・」
ふはははは、とガラムが不敵に笑う
「っガラム司祭!!!」
バーンと大きな音を立てて自室の扉が開き、名を呼ばれたガラムが目を向ければ、教会の深部を警衛する魔法師の配下が荒い息で、部屋に入る
常にない礼を欠いた様子を訝しんだガラムは眉間に皺を寄せた
「・・・なんだ騒々しい・・・!!」
「っ国王軍が「いや、騒々しいのはアンタの笑い声だ」っ!??!!」
配下の言葉は、後ろからやってきた男によって途切れた
剣の鞘で殴られ昏倒した配下はずるずると影に飲み込まれ、その異質な状況にガラムは唇を戦慄かせる
「・・・何故、此処にいる!!!フェンネル!!!!」
「何故?決まっているだろう。随分勝手をしてくれたものだ。
アンタを捕縛しに来た。戦争を勝手に起こした重罪人だからな。
・・・・・・・・・簡単に、死ねると思うなよ?」
フェンネルの数段低い声と、隠さぬ殺気にゾクリと背筋が粟立った事を感じながらガラムは無意識に一歩後ずさった
「っ警衛はどうした!!!兵士は!!何故誰も来ない!!!!!」
「警衛も兵士も、暫く駆けつけられませんよ。
最深部に繋がる通路を完全に塞いでますからね」
喚き叫ぶガラムに声を掛けたのは悠然と歩いて来たレインだった
白のローブに身を包んだレインをガラムは睨む
「通路が、最深部の方から鍵を掛けることが出来るのには助かりました。
おかげで無用な血を流さなくて済みましたからね。
流石に最深部と在って、警衛は片手ほどでしたし。
嗚呼、ちゃんと皆さん生きてますよ。
・・・たんこぶ位は出来るかも知れませんけど」
ふふ、と微笑むレインを、一歩後ずさりながらガラムが問うた
「お前・・・何者だ」
「ニンゲンですかね。戦争の、嫌いな人間。
それ以外になった覚えもありませんし」
「そう言う事じゃないと思うが・・・?」
レインの的外れの回答にフェンネルは苦笑する
「あら、今から牢に入る人に、懇切丁寧に正体バラすほど呑気ではないですよ
仕返しに来られたら面倒じゃあありませんか」
肩を竦め、あっけらかんと言ってのけたレインはそうでしょう?と小首を傾げる
「まあ確かに。
さて・・・・・無駄話はこの辺にしておこうか。
一刻も早く馬鹿の始めた戦争は止めなければならないし。
・・・こんな薄暗い場所に籠もるから、アホなこと考えるんだ。
じめじめしてるし、茸でも生えてそうだし。
イヤだねぇ・・・蝋燭使っている時点でお伽噺の悪役の様じゃないか・・・
嗚呼、アンタが魔法師としての資質が低いことは調べがついている
だから光魔法使わねえで蝋燭使ってるんだろ?
いや、元々はそう低いわけでもなかったのに老いと共に魔力がどんどん減っていったんだったか?老いには勝てねえなぁ・・・」
毒を吐くフェンネルにガラムは怒りに顔を赤くする
「貴様!!!!」
「嗚呼、喚かないでくれ。五月蠅いから。
いい年した爺さんなんだから、血管切れるぞ?
それで死なれたら、責任を誰にとらせる・・・となるからな。
ガイ、捕らえろ」
フェンネルの合図に待ってましたとばかりガイ達兵士がフェンネルとレインの後ろから現れガラムを取り囲んだ
「王手、だ・・ガラム」
ニヤリ、と笑うフェンネルは下手な悪役より余程悪役に見えた、とレインは後に語った
「っ龍など、おぞましい生き物だ!!!!
この世界には、人さえいればよい。
自然の力は、神の力
ソレを操る存在など、あって良いことではない!!!
貴様等も、それを知っているはずだ!!!!!」
「往生際の悪い・・・」
吐き捨てるように言ったガラムをレインは酷く冷めた面持ちで見詰めた
「(黒いローブを身に纏い、でっぷりと肥え太り、唾を飛ばしながら青い顔で喚く
・・・・・まんま嫌な権力者よね。
大体悪役を倒すときって、こんな感じ)」
ふう、と息を吐いたレインは呆れながら取り留めないことを考える
ガラムは、剣を突きつけられ、杖を突きつけられながら、それでも喋ることを、喚くことを止めない
逃げる隙を見計らっているだろう事に誰もが気付き、警戒を緩めないまま呆れる
「(こんな状況なんだから、潔くお縄についたらいいのにねぇ)」
甲高く響く声に、レインは眉をひそめながら、老人の奥、蝋燭の光に照らされている1つの絵を見上げてへえ、と息を漏らした
大きな額縁は、暗闇の中でも目映く輝く金
四隅には宝石が埋め込まれている
そんな額縁すら、霞んで見える恐らく超最高級の染料で描かれているのは1人の恐らく女性
「・・・知らなかったわ。カミサマ、だなんて
宗教の信仰あったのね。
<教会>がほんとうに<教会>だとは、思わなかったわ」
何の神かは知らないが、この世界で宗教の話を聞いたのは初めてかも知れない、とレインは部屋の端で側に控えた桐藍にしか聞こえない程の小さな声で呟いた
地球と違い、様々な幻想生物のいるこの世界では大きな力を使う者が国主だったりすることもあり、神、という概念は無きに等しいとレインは思っていたのだ
レインの静かな驚きを桐藍は内心苦笑する
少なくとも、この緊迫した場面で呟く事ではない
「(それが、しかしレイン様なのだガ)
・・・!レイン様、結界が解かれましタ!!!」
影の道がリオルの外へ開通したことを感じた桐藍は、レインを仰ぎ見る
「ん。じゃあ、直ちに影の子達と繋ぎを取って。
後は、戦闘を止めなければ。
その為には、何人か国のトップクラスの方々に仲立ちを取っていただけるよう求めないといけないし」
「御意」
すっと頭を下げた桐藍は影に溶け消えた
レインがフェンネルに示した、現状の最善
それが桐藍の開く影の道だった
勿論、使うには短距離であってもレイン以外には精神の発狂の恐れがあるため、それも踏まえて伝えたが、フェンネルはすぐに是と答え優秀な手勢を20人ほど集め、ためらいなく影の道を利用した
魔法術の結界に途中阻まれたら、フェンネルの手勢の中の魔法師が結界の反対魔法で消失させた
・・・結局、ものの30分程で、首謀者を囲み1人も欠けることなく白旗を上げさせたのである
「いやはや、まさかこんなウラワザ使うとは・・・」
ガラムを捕らえ、連れ出したのを眼で見送っていたレインにフェンネルが改めて感心した、と近寄る
もうリスクを冒して影の道を使う必要はない
堂々と正面を通り首謀者が捕らわれたことを知らしめている
ざわめきはレインの耳が捉えるほど、上の階層で大きく、広がっている
直に、教会側の魔法師や兵士も投降することだろう・・・
それを見届けたレインは、ふう、と息を吐いてフェンネルを見上げた
「1度、やると決めたら自分の手札を使えるだけ駆使する、って決めてるんですよ。
為政者になって、悩むことも多いですけれど、昔と違って、選択肢があるのは嬉しいことです。
私自身の力ではないですけどね
さあ、まだまだ忙しいですよ」
にっこりと笑うレインにフェンネルもまた笑みで返した




