春の章・9話
あわただしく、日はどんどんと過ぎ、とうとう当日を迎えたレインは翼竜を前に深い溜息を吐いた
「困ったわ」
ドレスの上から深緑のローブを纏い、肘までの白い手袋を付けた手を頬にあて、もう一度息を吐く
翼竜は主を大きな瞳で見つめ首を傾げる
-乗らないの?-とでも言いたげだ
人語を喋るほどの知能は無いが、理解はする翼竜
大きなトカゲにコウモリの羽を生やした姿の翼竜は、領地を跨ぐ長距離の移動には欠かせないエーティスの主要な移動手段だ
・・・ちなみに移動距離が短い順に馬、一角獣、天馬、翼竜となる
「レイン、覚悟を決めなさい」
「・・・姉様、しかし」
「しかしも案山子もないわよ。アンタが高所恐怖症なのは一朝一夕のものではないのに、考えなしに頷いたんじゃない」
「ソレを言われると・・・」
「普段は驚くほど優秀なのに、なんか抜けてるよな」
キリクの呆れたまなざしがレインに突き刺さる
「レイン姉様・・・」
「・・・大丈夫よクリス。うん、大丈夫。きっと」
クリスの頭を撫でながら自分自身に言い聞かせるレインにアリアとキリク、見送りのセルゲイは苦笑する
「乗ってしまえば逃げ道ないし、早く行きましょう。
キリク兄様レインが落ちた時用に一緒に乗って、クリスは私と」
アリアが先導しまだ少し逃げ腰のレインを翼竜に乗せ自身達も乗る
「じゃ、出発!」
アリアの声に反応し二体の翼竜がコウモリ羽根を大きく広げ飛び立つ
「(高い高い高いーーーー!!!)」
声にならない悲鳴がレインから漏れたのだった
「(・・・空を飛ぶのは、苦手なのよ、本当に!!
なんて言ったって、かつて<私>が生きていた頃、空を飛ぶ手段と言えば戦闘機に乗る事で、女は乗れるはずもなく
また、戦争が終わり、一般人でも飛行機に乗れるようになった事はなったけれど、費用は高いから、とてもじゃないが庶民であった私には手が届かなかった
結局、90年以上生きたというのに飛行機に乗ることはついぞ無く死んだのよ
・・・考えて欲しいわ
90年以上生きたその魂が、真新になることなく転生したのよ
90年以上分の経験や常識というのは簡単に覆らないし、18年経った今も覆っていない
そう、白状しますとも
私は地面に足がつかない事が恐ろしい
魂年齢110つでも恐ろしい事って在るのだな、と私は今実感しているわ
実感したくなかった・・・!!・・・)」
「(あー。すっかり固まったな」」
あっという間に領民が豆サイズになり、レインは前しか見ない
ぶつぶつと顔色を悪くして呟く妹をキリクは後ろから眺めた
「(小さい背中だよな全く)」
その背中に掛かる重圧に、妹が屈したことがないことを知っている
その魂が、自身より遙かに老成していることも知っている
どこまでもまっすぐ、領地を領民を思い家族を思うその姿を知り、どうして支えないでいられようか
レインに追いつくために、努力を重ね、いつか、レインが当主に収まった暁にはアリアと共に表の両腕となることを目標に進んできた
妬みなんか感じる間もないほど、あっという間に二十を過ぎた
「(どうらん達が裏の両腕なら、俺たちは表の両腕だ。しっかり働かせてもらう)」
レインに伝えれば、喜ぶだろうか、驚くだろうか、謙遜するだろうか、遠慮するだろうか
つらつらと考えながら、キリクは案の定気絶したレインを支えた
これから向かう龍山には多くの貴族がいるだろう
「関係ないな。
他所は他所、ウチはウチだ
ソレが許されるのが、領主だ
貴族でありながら、貴族ではない
与えられる権力は大きく、動かすものも多様多岐に渡る
責任は重大だが、自由に動ける
・・・シュレイアにとって好都合な立場だよ」
キリクはクッと笑い前を向く流れる景色は他領のものになり目を細めた
「イイ顔してるわねぇ」
「アリア姉様?」
「何でもないわよクリス」
キリクに向けていた視線を前に座らせた弟に戻したアリアは笑う
「レイン姉様大丈夫でしょうか・・・?」
「ああ、たぶんもう気絶しているわよ」
「え・・・」
「寝てしまった方が良いし。それが出来るようにキリクと乗せたんだもの」
うふ、と笑うアリアにクリスは眉をハの字にする
「僕が強請ったからですよね・・・姉様・・・」
「良いのよ。どのみち、近い将来行かなきゃならなかったし。
あの子も苦手が再確認できて良かったんじゃないかしら?」
笑うアリアにクリスは首を傾げた
「さあ、クリスはエーティスの他領地を見たこと無かったでしょ?この機会に存分に眺めると良いわ」
うふふ、と笑いクリスの頭を撫でたアリアは自身も眼下に広がる他領地を見下ろした
龍山にシュレイア4兄弟が到着したのは日暮れ間近のことであった




