春の章・序章
・・・太陽は1つ、月は2つ
宇宙の概念はなく、大陸に名はなく、星にも名はない
いつからあったのか明確な記述はなく、この世で最も長く生きる存在が生まれた頃にはある程度の大陸の創世はなされていたという
地球とは幾つかの相違点がある
一つめ、空想的な存在
・・・世界には数百、或いはそれ以上の多様な生物が暮らしている
あるモノは深海に、あるモノは酸素の薄いヒマラヤも吃驚な標高高い山の頂上に、
あるモノは光の一切届かない洞窟に
少数の民族、部族、種族も在れば、多数の民族、部族、種族も勿論ある
そして、二足歩行もいれば一足歩行もいるし、三足以上の多足歩行なんかもあったりする
翼を生やすモノもいれば、鋭い角を持つモノも、鋭利な牙を持つモノも
ドラゴンだっているし、人魚もいる
鬼もいれば魔族もいるし、ユニコーンだって小人だってエルフだっている
勿論、人間も存在する
二つめ、空想的な力
科学の発展は地球ほどでなく、魔法なんてものがあったり、精霊なんてものがいたり
実に空想的で、物騒で、面白い世界
勿論、最初から面白いなんて前向きな考えは浮かばなかった、と記しておこう
三つ目、地理
この世界には地続きの一つの大きな大陸と大きな海しかないとされている
そして、地球とは違い、北だからといって寒いというわけでも、南だから暑いというわけでもない
非常に複雑で、地球式の気候区分なんかは全く役には立たない
簡単に言ってしまうとバナナ(熱帯気候)と小麦(温帯気候)が隣り合って成長する
初めて農作業を見学したときなんかは驚愕して目を丸くしていたらしい
そんなこの世界唯一の大陸の最西端にある、ドラゴン、龍という存在が治める国エーティス
そのエーティスの更に東端に位置するシュレイアという田舎領主の家に生まれた私は、所謂前世の記憶というモノがある
これが、中々に厄介だった
・・・その前世が歳を重ねていない、まだ幼いものだったならば良かったろう
しかし実際はというと、生まれは明治41年日本の関西出身で享年は92歳という中々のおばあちゃんである
そう、例えば、曾孫のように文学が好きで、空想世界に心を寄せるような者なら喜んだかもしれない
けれども私は92年という長めの人生を生きた
夫だっていたし、子も孫も曾孫も、あと少しで玄孫も生まれそうだったのだ
どうせならば、私という人格を綺麗さっぱり無くしてしまって、転生させてくれたら良かったのに、御仏というものが本当に存在するのならば、これは何かの試練なのか
・・・さておき、今では開き直ってしまったのだけれども
92年分の日本での記憶は、厄介だが全てが悪いものでもなかった
新しい人生、新しい家族は皆優しくて、私を丸ごと受け入れてくれた懐の大きな人たちだ
その家族と共に、家族を愛してくれて、家族も愛している領地の民達の生活向上のためにしっかりと記憶は知識として活用させて貰っている
私が生を受けたエーティスという国は土地が13に分割されている
そのうちの一つはエーティスを治める龍の皇帝、黄龍様をはじめとする八龍様が暮らしている皇居・八龍の宮がある龍山で、訪れたのは数度だが、標高の高い山の上、豪華絢爛な宮殿だ
残りの12にはそれぞれ領主が黄龍様によって任命され、領主による独自の治領がなされている
シュレイアも、その1つ
・・・とはいえ、領主のほぼ全ての家々が元々貴族の高位に位置していたのに対し、シュレイアは中位でかつ他所様から見れば土地だけは広い田舎であるのだが・・・
近畿ほどの土地の広さを持つシュレイアの北と東はそれぞれ国境があり外国と山を挟んで隣接し、南には内海が面している
広い土地は6割を農地に利用しておりそれが余計に田舎に見えるのだろう
勿論、間違いではない
間違いではないが、全てではない
例えば、医者はどんな辺鄙で小さな村にも二人はいる
例えば、15歳までは領負担で学舎に通わせる
例えば、上下水道などのインフラ整備の充実
挙げれば、長くなるシュレイアの特殊は、全て領内の秘密である
日本のことわざに、出る杭は打たれるというものがある
目立ちすぎれば反感を買い、余計な仕事を増やしかねない
ひっそりと、領民の生活向上が出来ればいいのだ
そのために、例え田舎領主と蔑まれても全く痛くもかゆくもない
むしろ隠せていることに安堵すら浮かぶ
?・・・あぁ、あの声は姉様の声だ
そろそろ行かなくてはならない
最後にそう書き記し、パタンと日記を閉じた
しっかりと鍵を掛けて革の鞄に仕舞う
領地を眺めるために登っていた楠の大木から1人の娘が軽い音を立てて飛び降りた
束ねた茶色の髪が揺れ、焦げ茶の瞳が少し先にいるよく似た容姿の娘を映し出す
100人いれば100人が口を揃えて平凡だと言うだろう
名はレイン・シュレイア、歳は18(精神年齢110歳)シュレイア家第三子で次女
これが娘の名前である