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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

籠の中から見た空は

作者: 夏目 まどか

BLとも取れる表現と、残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。

――たすけて、たすけて。

        どうか、わたしたちを、みつけて――


           *


 彼女は、一人待っていた。

 なかなか訪れぬ夜明けを、淋しさに耐えながら。

 けれど、彼女は自分が一人ではなくなったことを知った。

 それは長い間待ち望んだ夜明けだった。

 やっと幸せになれる――彼女の顔から笑みがこぼれた。



 いつになったら、あなたに会えるのかしら?

 あぁ、待ち遠しい。

 あなたに会えたなら、きっと私は幸せになれる。今はつらいことばかりだけれど、きっと幸せになれるの。

 ……そうね、泣いてばかりじゃいけない。強くならなきゃね。あなたを守るのは、私の役目だもの――。



 しかし、彼女の――いや、彼女たちの幸せは、彼女たちを妬む者、自らの利益を求める者たちによって一瞬で奪われ消え去った。

 残されたのは亡骸と、彼女の深い哀しみの声。


 どうして、どうして私たちだけがこんな目に?

 私たちが何をしたというの?

 どこに行けば、私たちは幸せになれるの……?



 ――そして、たったひとつの願い。


 「どうか、私の分まで、幸せに――。」


           *


  かごめ かごめ

  かごのなかのとりは

  いついつでやる

  よあけのばんに

  つるとかめがすべった

  うしろのしょうめん だぁれ



 ――歌い終わるな、歌い終わるな。

 少年は心の中で呟く。

 うずくまった状態で、背後に立つ人が誰かを言い当てられるわけがない。けれど言い当てられなかったら、自分はもうこの村にはいられない。この神社の神様に、生贄として捧げられてしまうのだ。


 無常にも歌が終わる。

 感情のこもらない声が冷たく言い放つ。

「さあ、後ろの正面は誰だ。」

 少年は、しばらく黙っていたが、恫喝され、絞り出す用ような声で言った。

「……わかり、ません……」

 少年が振り返ると、仮面からのぞくいくつもの目が少年を見下ろしていた。中心にいる狐の面を付けた男が、お前を生贄に捧げると告げる。

 やめて、まだ死にたくない。そう言いたくても恐怖に支配された少年は声を出すこともできなかった。震える身体をなんとか動かして、その場から逃げ出そうとした。

「――……っ!」

 けれど、それは叶わなかった。逃げ出そうとした少年を、周囲にいた男たちが阻む。

「連れて行け」

 冷たい声が響いた。泣き叫ぶ少年を、男たちは顔色一つ変えずに運んでいく。

 一度ためらいを捨ててしまえば、あとは何も感じなくなる。

 いつからか、自分たちが幸せに生きていくためには仕方ないのだと、自らに言い聞かせる必要もなくなっていた。


 その一部始終を、遠矢は、物陰に隠れて見ていた。今すぐ男たちの眼前に出て行きたい衝動を抑えながら呟いた。

「――見つけた」

《神隠しにあって》次々と子供たちが消えていくのに、大人たちは揃って平然としていた。だから、何かがおかしいと思って大人たちの後を付けたのだ。何度か失敗して、ようやく尻尾をつかむことができた。やはり《神隠し》には、村の大人たちが関係していたのだ。

 大人たちは少年を「生贄」と言っていたが、どこかに連れていかれたということは、すぐには殺されずにいるのだろうか。そう考えて、遠矢は心の中で呟く。

 ――待ってろよみんな。必ず、助け出してみせる。誰にも知られずに死んでいくなんてこと、させてたまるか!


           *


 村から少し離れた山の中腹、村を一望できる位置にある祠。灯ひとつないそこを、夜中に訪れる者はほとんどいない。

 彼女は、その敷地をふらふらと歩き回り、誰かを探していた。


 ――どこにいるの?

 早く見つけなくちゃ。

 私を呼ぶ声が聞こえる。

 待ってて。今すぐに会いに行くからね。


 けれど、その声は誰にも聞こえない。


          *


 遠矢は今年で十四歳になる。住民のほとんどが農業を生業として暮らすこの村の中では、もう働き手として十分な年齢だった。この山奥の小さな村で、家族や友達と共に、毎日農作業に精を出しながら、貧しいけれど穏やかに暮らしていたはずだった。

 けれど、遠矢は最近何かがおかしいと感じていた。

 まず、昨年、今年と作物の不作が続いていた。飢えるほどではないが、生活は苦しくなる一方だった。

 そして、半年ほど前から、村の子どもたち――だいたい10歳から15歳くらいの子どもだった――が度々いなくなる。新月の夜になると誰かが消えるようになったから、もう5人いなくなった。小さな村だから、もちろん、遠矢もよく知っている子どもだ。

 その度に大人たちは神隠しだと騒いだが、遠矢の目には、誰も真剣に探そうとはしていないように見えた。……子どもたちの親さえも。

 何かがおかしい。そう思っていた矢先、2人目の子どもが消えた直後から、遠矢の耳に子どもの声が聞こえるようになった。「たすけて」と、今にも消えてしまいそうな儚い声が遠矢を呼ぶ。耳をふさいでも、まるで頭に直接語りかけてくるように声は消えなかった。

 もしかしたら、あの声はいなくなった子供たちかもしれない。そう思って、新月の夜に大人たちの後を付けた。

 最初は大人が子どもをさらうような場面を見つけることはできなかったが、どうやら大人たちは、作物の不作を改善させるため、村の守り神とされている祠に子どもたちを生贄として捧げているということを知った。

 そして、3度目の昨日、ついに現場を押さえたのだ。


「だから、やっと現場を見たんだって!もしかしてまだ生きてるかも、助けに行かなきゃ!」

 村のはずれにある大木の下。小声で、しかし興奮した様子でまくし立てる遠矢に対し、蓮見は冷静だった。蓮見は遠矢と同い年で、家も近所だったため兄弟のように育った、遠矢にとっては村の中で誰よりも信頼できる存在だった。他の村に嫁いだ母親を生まれてすぐに亡くし、村の祖父母の下で育てられた蓮見は年齢より大人びていて、遠矢はいつも彼のことを頼りにしていた。

「――けどなぁ……連れて行かれて、そう長く生かされているとも思えない。それに、大人たちが皆でやってるんだろ? 皆の様子を見ていると、知らないのは子どもだけだ。下手に動いても俺たちが消されてしまう。悔しいけど、打つ手がないよ」

 遠矢も、蓮見の言うことはもっともだと思ったが、反面、このままにしておけないという気持ちも強かった。

「けど、知らないふりして何事もなかったように暮らすなんてできねぇよ。それに、何もしなくても次は俺たちが狙われるかも」

 だから、と遠矢は続けた。

「俺一人でも行くよ。助けを呼ぶ声が聞こえるってことは、俺が行かなきゃいけないと思うんだ。

 それに、……早くしないと昨日の……春希も殺されちまう」

 昨日神隠しに遭った少年――春希は、遠矢や蓮見より3歳下の、明るい子どもだった。きょうだいは弟妹ばかりだったから、遠矢や蓮見のことを兄のように慕ってくれていた。

 春希がいなくなったと聞いて、遠矢はもちろん、蓮見も心中穏やかではなかった。遠矢は兄がいたが、蓮見にはきょうだいがいない。そのため、春希のことは本当の弟のように思っていたのだ。

「きっと祠の近くにいると思う。――俺は、今夜行く」

 遠矢は明るく素直な性格だが、こうと決めたら譲らない面もあった。幼いころから一緒だったから、蓮見はそのことを良く分かっていた。それに、大人の都合で、子どもたちの未来が奪われるのが許せないのは、蓮見も同じだった。

「……わかった。俺も行くよ」

 やるからには絶対に皆を助けようと、二人は大木の下で誓った。


          *


 遠矢と蓮見は、家族が寝静まった後そっと家を抜け出し、二人で祠に向かった。

 遠矢の頭に響く助けを求める声は、祠に近づくにつれどんどんと大きくなっている。自分が向かっている先に必ず何かがあるのだと、遠矢は確信していた。

 息を切らせながら長い石段を登り切ると、祠の前に、白い着物を来た髪の長い女性がいるのが見えた。祠の周囲に灯はない。しかし、二人の目には、女性の周りにだけ灯で照らされているように、女性の姿が細部まで見えた。

 ――なぁ、と遠矢が震える声で囁く。

「あのひとは、人間じゃ、ない……?」

 見たことのない女性だったが、なぜだか遠矢はそのように思えた。蓮見は、女性の姿を見て固まったままだ。

 後ろ向きだった女性が、二人の気配を感じたのか後ろを振り返る。遠矢と蓮見を一瞥し、そして――

「――見つけた――!」

 彼女の視線は、まっすぐに蓮見をとらえていた。


 その瞬間、二人の頭の中に、彼女の記憶が流れ込んできた。


 どうして私だけがこんな目に?

 私たちが何をしたというの?

 どこに行けば、私たちは幸せになれるの……?


 ――彼女は、集落の地主の妾だった。

 彼女は身寄りがなかったが、地主に見初められ、家に迎えられた。しかし、後ろ盾もなく、妾である彼女に家人は冷たかった。正妻を中心として陰で行われていた、彼女へのひどい仕打ち。見てみぬふりをし、夜伽だけを求める主人。

 ある日彼女は子を身ごもった。お腹の中の子だけが彼女の支えだった。

「子供が無事に生まれてきますように」

 そう祈るため、夜中にこっそりとここを訪れるのが彼女の日課だった。

 しかし、出産を間近に控えたある日、彼女は、潜んでいた正妻の手の者に石段の上から突き落とされた。

 地主と正妻との間に男の子がいなかったため、仮に彼女が男の子を産めばその立場を脅かされる。そのことを恐れた正妻は、お腹の子共々彼女を殺そうとしたのだ。

 彼女を突き落とした者は、自分のしたことが恐ろしくなってすぐにそこから逃げ出した。けれど、突き落とされてしばらく、彼女には息があった。衝撃で産気付き、子どもを産み、明け方に祠を訪れた老夫婦に子どもを託して息絶えた。


「……もしかして、蓮見……」

「嘘だ、だってじいさまもばあさまもそんなこと一言も、母さんは他の村に嫁いで、俺を産んですぐに亡くなったって……」

 蓮見は目を見開いたままうわごとのように呟いた。

「……きっと、蓮見のじいさまとばあさまは、事情をなんとなく察してたんだろう。地主様にばれれば大変なことになる。だから……」

 老夫婦は彼女の遺体を発見し、弔ったと地主に報告した。そして、村に蓮見の正体が知られぬよう、遠くの村に嫁いだ娘の忘れ形見として育てた――。

 

「あぁ、やっと会えた」

 女性は涙を流して、その場から動けずにいる蓮見に駆け寄り、抱きしめた。

 そして、

「しっかりと生きているのね。それでいいわ。あなたは、生きて。幸せになってね――」

 それだけを言って、風にとけるように消えてしまった。

「――お母さん!」

 一瞬だけの邂逅。蓮見が母を呼ぶ悲しい叫び声が、遠矢の耳に焼き付いた。


 茫然と立ち尽くす蓮見を、遠矢は後ろから抱きしめた。そうしないと、蓮見まで消えてしまいそうな気がしたからだった。

 自分を育ててくれた祖父母と血の繋がりがなく、母親は村の人間に殺されていた。そんな事実を知って、蓮見の心が壊れてしまわないか心配で、彼を、ここにつなぎとめておきたくて。

 遠矢の目からは涙が溢れてきて、蓮見の背中に縋り付いて泣く。

「……なんでお前が泣くんだよ」

「お前が泣かないから代わりに泣いてんだよ」

「……っ、お前って、ほんと、ばか……」

 そう言った蓮見の声も、震えていた。

「……でも、ありがとう、遠矢。

 そりゃ辛いけど、これからどうしたらいいかわからないけど。でも、じいさまもばあさまも、お母さんもみんな俺のことを考えてくれてたって、それはわかるから……」

「……うん。それに、俺も。ずっと、これからもお前の友達ってことは、変わらないから」

「……くっさいこと言いやがって。――まぁ、お前のそういうとこに、俺はいつも救われてるんだけどな」

 蓮見は少し照れたように言った。

「……おう、ありがとう」

 遠矢も照れくさそうに、そっと蓮見の身体から手を離す。 

「――よし、気を取り直して、早く春樹たちを探そう」

「おう!」

 二人が駆け出そうとした、その時。


「――そこまでだ」


 冷たい声が響き渡った。


「秘密を知ったものを生かしておくわけにはいかない。悪いが消えてもらおうか」

 そこにいたのは、村の大人たち数人。真ん中に立っているのは、この村の地主――蓮見の父親だった。

 遠矢も蓮見もあまり面識はないが、何度か見かけた地主は、愛想の良い人だったと記憶している。それが今は、感情のこもらない冷たい目で二人を見ている。

「どうしてここに……」

 蓮見は震える声で尋ねた。遠矢がちらりと目をやると、蓮見の顔色は真っ青だった。

「お前らがこそこそ嗅ぎまわっていたことなんて、すべてお見通しだったんだ。まったく、勝手なことをしてくれる」

 地主は感情のこもらない声で言った。

「さぁ、茶番は終わりだ。友達の元へ、行ってもらおうか」

その言葉を聞いて二人は同時に叫んだ。

「どういうことだよ!」

「……まさか、」

 それを見て、地主は冷酷に告げる。

「さぁ、お前たちもすぐに神に捧げてやろう」

 地主が後ろに控えていた数人の男たちに合図を送ると、何人かは二人を捕まえて動きを封じ、一人は刀を二人に向けた。

 せめて蓮見だけでも助けなければ。遠矢は、絞り出すように叫んだ。

「待て、蓮見はあんたの息子なんだ!だから……!」

 周囲の大人の顔色が変わった。

「まさか、あの女の子が生きて――いや、そんなはずは……」

 顔に驚愕の色を浮かべた地主は、さらにぶつぶつとひとりこちる。

「いや、しかし確かに、あの女によく似ている……本当に……?」

 うろたえる地主の様子を見て動揺したのだろう、二人を押さえる力がわずかに緩んだ。今なら振りほどける。けれどその後をどうするか……二人が頭を巡らせていた、その時。

「――我が子よ、お前だけは助けてやる。けれどもう一人、お前はあまりに多くのことを知りすぎた。このままにしておくわけにはいかない」

 地主の無情な言葉が響いた。

「さあ、お前がこいつを殺せ。そうすればお前だけは助けてやる」

 地主は家人が持っていた刀を受け取ると、蓮見に向かって差し出した。

「早くしろ。こいつも友人の手にかかって死ねるなら本望だろう」

 蓮見は差し出された刀を受け取り、ゆっくりと遠矢の方を向いた。両手で柄を握り、ゆっくりと息を吐き出す。そして、絞り出すような声で、

「ごめん、遠矢――」

 ――そう言って、遠矢ではなく、自分の腹に刀を突き刺した。

「蓮見!」

 蓮見がゆっくりとくずおれた。服がみるみるうちに赤黒く染まっていく。

 遠矢は無我夢中で自分を取り押さえていた男を振り払い、倒れている蓮見の元へ走り寄り、蓮見の身体を抱きかかえた。

「蓮見、はすみ、なんでっ……」

 錯乱状態に陥った遠矢は、ひたすらにそれだけを繰り返した。

「ばっ、か、にげろ、遠矢……!」

 蓮見が搾り出すように叫んだ、その瞬間。

「う……っあ……」

 遠矢の背中に衝撃が走った。


 ――ウシロノショウメン、ダアレ?


 遠矢の胸の辺りから刀の先が突き出ていた。

 刀が引き抜かれ、遠矢はその場にくずおれた。


 倒れている親友。

 笑う大人たちの顔。

 赤黒く血に染まった自分。


 後 ろ の 正 面 は――。


「うわあああああああぁっ!」


 そこで遠矢の意識は途切れ……


 後には、赤く染まった人々の亡骸だけが残されていた――。


          *


 許さない。

 子どもたちの命を奪って平然としている大人を。

 彼女たちを貶め幸せを奪った大人を。

 ――俺を、殺した大人を。



 あれ?

 どこからか、歌が聞こえる。


 何もない真っ暗な空間にいた遠矢の耳に、かすかに歌が聞こえた。


 かごめ かごめ

 かごのなかのとりは

 いついつでやる

 よあけのばんに

 つるとかめがすべった

 うしろのしょうめん だぁれ


 そして、次の瞬間、

 遠矢の目の前には、かつて探し求めた子どもたちの姿があった。

「遠矢!」

「一緒に遊ぼう」


 ――でも、俺はみんなの仇をとらなきゃ。


 そして、子どもたちの後ろから、蓮見が歩いてきた。

「もう、いいんだよ。ここで、俺たちだけで生きていこう?」

 遠矢の肩に手を置いて、顔を覗き込むようにして蓮見は言った。

 ――よかった。蓮見は、生きていたんだ。やっぱりあれは夢だったんだな。

 蓮見の温かい手が触れた瞬間、遠矢は、心の中で憎しみが霧散する音を聞いたような気がした。

 そして、蓮見たちが現れた方向に、温かい光が見えた。


 そうだ、誰にも傷つけられることなく、ここで生きていこう。

 みんな一緒に。

 俺たちの〝世界〟で。


 遠矢は、蓮見の手を取り、光の方へ駆け出した。


          *


「その村ではかつて、西洋の魔女狩りのようなことが頻繁に行われていたそうです。子供を囲み、その周りを大人たちが回る。歌が止まった時に後ろにいる人を言い当てられたらそれは神に選ばれた子である。しかし外れてしまったら、神の生贄とする、と。そうして、何人もの子供たちが殺されました。本当は口減らしのためだったとか、伝染病が流行ったせいだとか、いろいろと言われていますが本当のところはよくわかりません」

「彼らは……本当に存在したんですか?」

 目の前の穏やかな老人の口から紡がれるあまりにも凄惨な話に、遠谷はたまらず口を挟んだ。

「さぁ、言い伝えられていることですから、それはわかりません。けれど何人もの人が見ているんです。もう住む人間がいなくなり廃れたはずの集落の、うら寂れた祠で子供たちを」

 やはり、彼らは今もそこにいるんでしょうね。小さな籠の中に、捉われたままなのでしょう。

 老人の言葉に対して、遠谷は何かを言おうとして言葉を探したが、なかなか言葉が出てこない。そんな遠谷を見て、老人は遠谷の言いたいことを察したようだった。

 ――お爺さんも子どもたちを見たんですか。その子達は、笑っていましたか。

「ええ、祠の傍の大木の下で、楽しそうに遊んでいましたよ。それが、せめてもの救いですね……」


 老人から聞いた話をまとめようと大学に戻った遠谷だったが、いまだ夢心地のままだった。

 遠谷は民俗学を専攻する大学生で、卒業論文の執筆のため、この地方に伝わる民話を調べていた。その一環で、かつて自身も民話を研究していたという老人に話を聞きに行ってきたのだ。

 老人は、民話が語り継がれていくことが嬉しいと快く取材を引き受けてくれ、多くの話をしてくれた。そして、最後に語られたのがこの話だった。

 登場人物皆殺しの話がラストなんて、なんて後味の悪い話だろう。まったく、あのお爺さんも相当人が悪いなと、そんなことを考えながらも、遠谷は子どもたちのことが気になって仕方なかった。

 ――それにしても、彼らは幸せになれたのだろうか。

 今もまだ、永遠の中に捉われて、かごめうたで遊んでいるのだろうか。

 案外、それでもいいかもしれない。

 誰にも邪魔されずに、笑っていてくれたらいい。

 会ったこともない子供たちだったが、そんなことを思った。大人の犠牲になるしかできなかった彼らに、せめて死後だけでも幸せでいてほしいと。


「遠谷くん」

 ぼんやりしながら研究室棟の廊下を歩いていたら後ろから声をかけられ、遠谷は我に返った。振り返ると、遠谷の研究室の教授がいた。

「どうしたんですか、教授?」

「今日、お話を伺いに行くと言っていたので、どうだったかと思いまして」

「面白い話が聞けました。これなら論文も書けそうです」

「そうですか。それはよかった」

 教授は微笑んで、そのまま遠谷とは反対の方向に歩いていく。

 遠谷が一呼吸遅れて歩き出そうとしたその時、ふいに、教授の足音が止まった。遠谷はなぜだか不安に駆られて、もう一度教授のほうを振り返る。

 教授も遠谷の方を見ていて、穏やかにこう言った。

「――どうか、背後にお気をつけて」

 それは、遠谷には、普段は穏やかで人の良い教授のものとは思えないような気味の悪い声に聞こえた。

「え……?」

 遠谷が驚きで何も言えないでいると、変わらずゆったりとした口調で教授が続ける。

「どんな化け物より何より、人間が一番恐ろしいものですね」

以前投稿した小説をリメイクしました。

読み返すと大変若気の至りではあるのですが、衝動というか情熱というか、今の自分にはないものもあって、なんとか手直しして出せればと思った次第です。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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