「徹夜で席取ってたとかw」⇔「二段階認証とか(怒」
最近何をするにも、セキュリティが厳しいですよね。スマホでのクレジットカード利用時も、セキュリティコードや認証コード云々が求められます。
とにかくなんちゃらコードのオンパレード。
そんな現代社会に親がブチ切れていました。
「昭和に戻ってほしい! 昭和は電話掛けまくって徹夜で並んだら紙のチケット貰えたのに!」
と。
いやまて。
それは流石に元気すぎるだろ。現代人はそんなに体力も時間も無いよ……と、現代を生きる中年は思うのです。
スマホがあれば、ほとんどの操作が出来て便利です。やり方もググれば出てきます。
しかし、親は肝心なスマホの操作方法が分からない。
例えば、チケットを買うための入力を済ませて最終段階の認証コードを開くと、消えてしまうコード入力のページ。
「認証コードは出るねんけどな、入れる場所無いねん! こんなんばっかりやぁ!」
とスマホに怒り散らしていました。スマホによって個体差があるのですが、問題点は『消えてしまったタブ(ページ)を表示して入力する』だけなのでした。
何度も、何度も。
失敗しながら「なんでできへんのやー!」と怒りながら挑む親。端から見ていると本当に危なっかしいことこの上なかったです。
スクショという概念も分からなかったらしく、スマホの画面をタブレットで撮影したりとか……とにかく使い方めちゃくちゃなんですよ。
そんな親にイライラしながら「簡単なことやん」と言おうものなら親は「いや、昭和のほうが楽やった!」と言うのです。
……徹夜で並ぶ。
……電話掛けまくる。
→紙のチケットが手に入る
→認証が要らず好きな席に座れる
とにかく認証きらーい! な親。親的には今は『不親切な社会』だそうです。年齢的に『置いていかれる』とはこういうことなのかなぁと。そんな事を思いました。
◇
ここまでは、今日の私の感想です。
エッセイは、何かの物事に対して個人的な見解を書くとか何とか。
じゃあ、少しだけ考えてるふりをします。
星新一氏の小説か何かで有りそうですが……。
【本人認証ができないと、システムが正常に働き、本人が目の前に居ながら『本人』と見なされないバグが発生する恐怖】
これは、マイナンバーとかそれこそスマホの事です。これで全て紐付けるとあらゆる面で便利な一方、失くしてしまうと本人を確認する術がなくなります。
役所で「俺私ボクは本物だ!」と叫んでも、次に持って来いと言われるのは印鑑や通帳など。それさえなくなってしまったら?
だいぶ恐ろしい社会です。
目の前にいる人は本物だと知っている。だけど、秩序やシステムを守るために『正常に動く』事が必要。
時にその人を見殺しにするかもしれません。それは、失くした方が悪いのか、システムの方が悪いのか。
完璧に近いシステムをつくれば、必ず弾かれる異常値が有る。それはイレギュラーに動く『人』なのでしょう。
だから、親が昭和の様なアナログな世界(人と人とがしっかり繋がっていた世界)のほうが良かったというのも分かります。
しかし、昭和の様なタフなチケットの取り方を出来る人は限られています。平成・令和と、時を経るにつれて『どんな人でもルール通りにすればチケットを得られる様に改善された』と思えば、二段階認証やコード入力は必要最小限の手間なのですが……。
親は、
「紙のチケットが良い! その方が確実やったし!」
と、頑なです。
ここは理屈ではないのでしょうね。親にとって紙のチケットは『チケットを取ったという実感』なのだと思います。それが安心感につながるのかと。
だから、最終的に。
親「二段階認証とかめんどくさい! 昔の方が良かった!」
私「え……徹夜で席取ってたとかw」
こういう会話になるのです。
これから先、どんな未来になるかは想像し難いです。もしかしたら、情報に溺れて信じられるものが『自分の存在を感じる自分のみ』になる。そんな『我思う、故に我あり』な未来になるかもしれません。
それでは、寝る前に少し書き直しました。考えてるふりをしていますが、もっと考えてる人が世の中に沢山いるから、きっと私の描くディストピアなんて起こらないのだろうな。
……、
…………。
(あぁ、白菜をほんだしでトロトロに煮て、ご飯と玉子を入れて食べたい)
私が『私として』買い物でき、調理できる家がある。これってもしかしたらすごいことなのかもしれない。
しらんけど。




