記録係
その村では、死者が出ると「記録係」が呼ばれる。
死因や日時を記し、村の帳面に残す役目だ。
昔から続く習わしで、誰が務めるかも決まっている。
私だ。
私はこの村で、ただ一人の記録係だった。
その日も、家の戸が叩かれた。
「来てください」
外に立っていた男が言う。
「……出ました」
私はうなずいた。
鞄を取り、帳面と筆記具を確かめる。
玄関を出ると、冷たい風が吹いていた。
案内されたのは、村外れの家だった。
古い木造。
傾いた屋根。
庭は荒れている。
男は言った。
「中です」
私は靴を脱ぎ、上がる。
土間の先の部屋。
襖が半分開いている。
私は静かに中へ入った。
布団が敷かれている。
その上に、人が横たわっていた。
老女だ。
痩せた顔。
閉じた目。
胸は動いていない。
私はそばに座る。
手首に触れる。
冷たい。
脈はない。
確認して、帳面を開く。
「氏名は」
後ろの男が答える。
「トメ」
「年齢」
「八十六」
私は書く。
名前。年齢。
死亡確認時刻。
そして死因欄で手を止める。
「……医者は」
「来てません」
私はうなずく。
この村では珍しくない。
老衰であれば、記録係の判断で記す。
私は老女の顔を見る。
静かだ。
苦悶はない。
争いもない。
ただ、終わっている。
「老衰、と」
私は書いた。
筆が紙を擦る音だけが響く。
記入を終え、帳面を閉じる。
「これで」
男が深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
私は立ち上がる。
そのとき。
違和感があった。
部屋が、静かすぎる。
いや。
静かというより、
音が吸われている。
私は振り返る。
男が立っている。
無言。
表情がない。
私は言った。
「……何か」
男は答えない。
ただ、こちらを見ている。
私は眉をひそめる。
「記録は終わりました」
男は動かない。
沈黙。
私はふと、老女を見る。
同じ姿勢。
同じ顔。
何も変わらない。
でも。
私は急に、不安になる。
何かがおかしい。
私は帳面を開く。
今書いたページ。
そこにあるはずの文字。
氏名。年齢。死因。
だが。
書いてあるのは、別の名前だった。
私は息を止める。
氏名──私の名前が入っている。
年齢── 私の年齢が入っている。
死亡確認時刻──今、この瞬間。
私は紙を見つめる。
手が震える。
書いた覚えはない。
でも筆跡は、私だ。
私は顔を上げる。
男が見ている。
無表情で。
私はかすれ声で言う。
「……これは」
男が初めて口を開く。
「あなたのです」
頭が真っ白になる。
「……何を」
「記録です」
男は言う。
「記録係の」
私は後ずさる。
「私は、生きて」
男は静かに首を振る。
「もう終わっています」
私は老女を見る。
布団。
体。
顔。
その顔が、
ゆっくりと、
私の顔に変わっていく。
皺の位置。
口元。
閉じた瞼。
私だ。
布団に横たわっているのは、
私だ。
私は叫ぼうとする。
声が出ない。
男が言う。
「あなたが記録しました」
帳面を指す。
「自分で」
私は思い出す。
さっき。
ここに来て。
触れて。
書いた。
名前を。
年齢を。
死因を。
老衰、と。
男が言う。
「記録係は」
「自分の死を、必ず記します」
私は震える。
「……そんな」
「だから続いてきた」
男は静かに言う。
「誰も欠けずに」
私は理解する。
この村の記録が途切れない理由を。
記録係は、
自分の最期を、
自分で帳面に残す。
そして。
次の記録係が来る。
男が一歩退く。
襖の向こうに人影がある。
若い女。
不安そうな顔。
帳面を抱えている。
男が言う。
「次です」
女が入ってくる。
私を見る。
いや、
布団の私を見る。
そして帳面を開く。
震える手で。
私はもう動けない。
声もない。
ただ見ている。
女が書く。
氏名。
年齢。
死亡確認時刻。
死因欄でペンが止まる。
私が書いたのと同じように。
そして。
書く。
老衰。
筆が止まる。
女の肩が震える。
男が言う。
「これで」
女がうなずく。
帳面が閉じる。
その瞬間、
私の視界が薄れる。
私は消えていく。
最後に見えたのは、
帳面の表紙。
そこに小さく刻まれた文字。
「死者記録帳」
その最後の行に、
私の名が並んでいた。
これまでの記録係たちと同じように。




