第7話 目覚めのライムン、すなわち挑戦
「これは『ライムン』と呼ばれる果実です。」
丸々とした黄色い果実を、手の上に乗せられた。
すると、コゥ、と。
先程も聞こえた不思議な効果音とともに、俺の右側に文字が現れる。
『対象物に【抽出】を適応可能です。』
「なんか出たな。」
「もしや、ほにゃららを実行可能です、みたいな文言ですか?」
「ああ、そんな感じ。えーと……え、【抽出】?」
気恥ずかしくて、小さくつぶやいた言葉だったが、目の前の果実にはすぐ反応が現れた。
俺の左手に収まっていたはずのライムンが、微細な光粒に包まれながらポゥ、と僅かに浮きあがり。浮いたままミキサーに丸ごとかけられているかのような速さで、高速回転し始めたのだ。
1秒ほどでその動きは止まり、代わりに二つの瓶がころり、と手の中に落ちてきた。一つは淡く黄色い光を放つ小瓶。もう一つはさらに薄い黄色の液体が入った中くらいのものだが、そちらは光を纏ってはいなかった。
「これが、『精油』?」
左手の上に鎮座する輝く小瓶を右手でつまみ、ちゃぷ、と揺らしてみる。量にして1、2滴分くらいだろう。しかしその美しい淡黄色の光はニクスの持っている霊灯よろしく、小さいながらも圧倒的な存在感を主張していた。
ニクスは一連の光景に目を瞠って驚きながらも、何かを確認したように、ふむふむと何度もうなずいている。
「シキ、出来上がった物体の詳細を見ることはできますか?特にそちらの、光っている小瓶」
「あ、うん。やってみる。」
意識を輝く小瓶に向ける。
ほどなくして、俺の右側にまたもや文字群が現れた。内容はこうだ。
>【神秘なる調香】による自動対象測定<
対象物:キトルスリモネ(精油)
芳香傾向:目の覚めるような、爽快感、鋭い、酸
効能:回復効果の向上(Lv2)、集中力向上(Lv2)、魔素充填(Lv1)
追加効果:リジェネ(Lv1)
適応:間接使用、直接使用
禁忌:飲用不可。皮膚または毛皮への直接使用後、現地時間6時間(Lv1)は光を避ける必要あり
「いろいろ書いてあるな。」
「その中に、『回復効果の向上』って項目はあります?」
「ん、書いてあ、っ痛……」
「!、シキ!」
突然思い出したかのように、ズキズキと左頬および口の中が痛みを訴えてくる。ちょっと良くなったからって、調子に乗って喋りすぎたのが良くなかったか。今度は舌まで痺れてきたけど、後悔しても仕方がない。
慌てたニクスが左頬に手を伸ばし、「ごめ、ごめんなさいこれしか回復魔法知らなくて」と泣きながら治療を施す。
「シキ、それ、飲んでも大丈夫なものですか?回復薬みたいに、飲用で体に作用するものでしょうか?もし可能なら今すぐ飲んで……。」
「ぐ、いや、飲用不可、って表記がある。それに、皮膚に使ったら光を避けないといけないみたいだ。」
少し痛みが減ったおかげで、いくらかマシに喋ることはできるようになった。
見ててかわいそうなくらい狼狽えるニクス。
この状況をなんとか打開したい。あまりにも彼女が不憫だ。餅みたいな俺の頬もだけど。
しかし俺も正直、書いてある内容はすごそうでも、飲めない触れないなら一体どうすればいいんだ?、という気持ちだった。
「口にしてはいけない、皮膚への塗布もだめ。では……どうやって。」
彼女の言葉で、ふと、天啓が下りた。
あ、そうか。もう一つ方法があるじゃないか。
生き物の五感を用いた方法が。
「嗅いでみる」
「!」
彼女は「本当に?」と半信半疑の表情ではあるが、俺を止めることはしない。
なんで思いつかなかったんだろう。液体は無条件で飲む、または皮膚につけるものだと考えてしまっていた。スキルに散々日本語で『香』という文字が記されているにもかかわらず。
左手に持ったままの光ってない瓶を傍らに置き、小瓶に持ち替えて上部を摘まむ。
キュポ、とワインのコルクを開けるときのような音を立て、いとも簡単に蓋は開いて――
瞬間、小瓶から溢れた小さな光粒が、信じられない速度で部屋全体に広がった。
「わわ!?すごい、ライムンの香りが!」
ニクスが周囲を見回しつつ、香りを堪能するようにぱたぱたと手を仰いでいる。
それと同時に、小瓶から溢れ続ける光は俺、次いでニクスを包みこんで。
(あれ、舌の痺れが減ってる……)
ライムンの、爽やかで目が覚めるような香りに抱かれる中、俺は自分の顔、殊に左頬に違和感を感じていた。
「なんか、顔の痛みが引いてきたような。」
「ほんとですか!?――わ、シキ。左のほっぺた、すごく光が集まってますよ。」
「え」
ぴた、と自分で左頬を触るが、よくわからない。しかし、触れた際に、明らかに異なる点があった。
「ん、押してもあまり痛くない……あと、もしかして顔の腫れ引いた?」
頬をぺたぺたと触りそう呟く俺を見て、ニクスがはっとしたように身を乗り出した。
「おわっなんだよ」
「シキ!もう一度、回復魔法を唱えてもいいですか?今この状態で!」
あまりの勢いに俺の体はびくりと跳ねそうになったが、彼女は言うが早いか、右手を俺の左頬に添え、瞳を閉じて『集中』する。
「【踊れ仮初のその命夜明ける刻まで。夜想円舞曲】」
早口に淀みなく紡がれる詠唱。
夜風に撫ぜられるような心地よさに、頬の痛みがみるみる消えていくのが分かる。
しかも先ほどまでと違い、透明な澄んだ光に混ざって、淡黄色の光粒がニクスの右手――正確には俺の左頬――に集まり、眩しいくらいに輝く。さらに魔力を孕んだ光は清冽な風を巻き起こし、ニクスの水晶の髪先を弄ぶように宙へと巻き上げた。
その様は、さながら星瞬く月夜のようで。
まだ太陽は空に高く昇っているのに、俺は彼女の背後に夜闇を幻視した。
オパールの双眸がゆっくりと開かれ、言外に治療が終わった旨を伝えてくる。
治療時間よりも長く、じぃ~っとこちらを凝視するニクス。
ちょっと。そんなにみられると耐えられない。精神力が。
至近距離で見つめられること数秒。
「……痛くないよ?」
「あ、ぁあ。あわ。あわわわわわぁぁぁぁぁぁぁああああ……!」
食い入るように顔を見つめてくる視線の圧に耐えられず、思わずそう呟きを落とすと、ニクスは蕾が少しずつ花開くが如く破顔して。
ドッ、と俺に抱き着いたかと思ったら、堰を切ったように泣き始めた。
「ぐはぁッ、ニクス、ニクスさん!?ちょっと離れ」
「シキぃぃぃぃぃぃすみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁあ!!良かったぁ治った!?ちゃんと治りましたね!?もう、膨れてくることないですね!?うううわだじ、わだじもうシキを傷つけません!傷つけさせません!シキは私が守ります!!」
「お、おう。大丈夫だよ、もう大丈夫だから離れ……はぁ。」
びええええええええええっ!と俺のシャツの背中を握りしめながら、鼻水やら涙やら垂らしつつ泣き続けるニクス。こんな姿最近も見たな……とデジャヴを感じる中、聞いててこっぱずかしくなる怒涛のセリフに、俺は人知れず顔を覆った。
いつの間にか日は中天を過ぎ、縁側には香りにつられた小動物や妖精たちが集まっていた。そんな彼らの間を、自然が運ぶ秋の爽やかな風が通り抜けていく。
そよ風に乗せて、妖精の愉快な笑い声が聞こえた気がした。