第6話 【神秘なる調香】
「やりすぎました……。」
「いや、ふぉんなふぉとない」
家の外で、先ほどの騒動の間にちょっと冷めてしまったスープを温めなおしながら答える。しかし、先ほどまで付きまとっていた絶望感や悲壮感は、嘘みたいに消えてくれた。
むしろ清々しいくらいだ。
「もほはほいえふぁ、俺がといみらひふぁのわわういんわひ」
「ごめんなさいシキ、何言ってるのかほぼわかりません。」
説明しよう。なぜ俺のセリフがここまで読みづらく、失礼、聞き取りづらくなっているのかを。
ニクスの(愛の)平手打ちを受け、当然正常でいられなかった俺は、意外と同じくカッとなっていたニクスに「あわわわわわごごごごめんなさいそんなに吹っ飛ぶとは思わなくて」と泣きながら謝罪され、回復魔法をしこたまかけてもらった。
体の節々の痛みとモザイク必至の顔面状態からは回復したが、しかし左頬の腫れだけはどうしても残ってしまったのだ。ついでに真っ赤な右手の痕も。
「ううう、あとでもう一度『魔素充填薬』飲んでから、回復呪文かけてみます。」
「たふかる。」
うるうるとオパールの瞳を水に潤ませスープを啜るニクス。そんなに泣いて、涙でスープが塩辛くならなければいいけど。
無意識に上がった口の端が痛い。
*
食事が終わり、片づけを済ませた後。
俺とニクス縁側に座った状態で向かい合い、何度目とも知れない『治療』をしてもらっていた。
「【踊れ、仮初のその命。夜明ける刻まで】」
俺の左頬に右手を添えながら、瞳を閉じて彼女は唱えている。
彼女の鼓動に合わせるように溢れた細かい輝きが、透明で清らかな光を以て俺たちの周りを包んだ。そして、彼女の右手に集まっていく。
「【夜想円舞曲】。」
患部を、夜風に撫ぜられるような心地よさが包む。次いでじんじんとした熱感、疼くような痛みが引いていって、ほっと一息をついた。
しかし。
「治った?」
「あ!う?うう~~~~~ん?」
安心したのも束の間、左頬は思い出したかのようにぷく~っと再び膨れ、俺のアホみたいなセリフにニクスは顎に手を当てて難しい顔をする。
うん……改めて、顔の形が保てていただけでも奇跡だったんだな。そう感慨深い気持ちになる。
まぁ、今目にしている行為、『魔法』のほうがよっぽど奇跡に見えるわけだけど。
薄青色の液体、魔素充填薬をぐびぐびと飲みながら「もう一回やります!」と左の頬に手が添えられる。
至近距離で再び目を閉じるニクス。小動物にも見えるその可憐な表情には、汗がにじんでいる。神経を集中させているのが分かるが、なんか……。
なんとなーく。そうなんとなーーく居心地が悪く、いや悪くないのだが思わず身じろぎしたくなる感じ。いやむしろ身じろぎしかしたくない。
頬の治療をされている手前顔を背けるわけにもいかず、目線だけできるだけ彼女から逸らした。
と。その時。
(うん?)
視界に文字が浮かんだように見えた。霧が空気に溶けるように一瞬のことだったが。
顔を動かさずに見渡せる範囲、上下左右に目を走らせるが、特に変わったところはない。
気のせい……か、と再び目線を泳がせたとき。
今度ははっきり、消えることなく俺の前、ニクスの頭上に現れた。
>【神秘なる調香】による自動対象測定<
対象物:キトルスリモネ
通称:ライムン
芳香傾向:目の覚めるような、爽快感、鋭い、酸
抽出:果皮の圧搾。スキルの任意発動【抽出】により省略可能
主な効能:回復効果の向上(Lv2)、集中力向上(Lv2)、魔素充填(Lv1)。その他効能詳細は詠唱【展開】で追加分析可能
適応:間接使用、直接使用
禁忌:皮膚または毛皮への直接使用後、現地時間6時間(Lv1)は光を避ける必要あり
備考:魔素濃度92%、高品質。
突如として虚空に現れた、羅列された文字群。はじめは解読不能な文章だったそれが、目を凝らすにつれ、カメラのフォーカスを合わさっていくように、形を整えていく。それは、最終的に日本語の形をとって目の前に表示された。
ぽかん、と口を開けた後。
「うわ!?」
「ひょっ!?どどどどどどどうしたんです急に大きな声出して!」
「ちょ、にくふみへくれ、|ひまめのまへにでへふやつ《今目の前に出てるやつ》!!」
「?そこに何かあるんです……?」
集中するために瞳を閉じていたニクスは、手を下ろしながら、つい、と細い顎を上げる。俺の指さすところを見上げた彼女は、しかし怪訝な表情を浮かべた。
「むむ、私には見えません。幽霊でもいるんですか?」
「もでぃが浮かんでる」
「もでぃ?……文字?文字……。」
慌てている俺の返答を受けた彼女は、じーっとこちらをみつつ、左手の人差し指をその可憐な唇に添えて、何事かを考えている。
ややあって。
「シキ、『力を示せ』、と唱えられますか?」
と、俺に提案した。
また難しい言葉を。口元を曖昧な形にしたのもつかの間、真剣な眼差しを受け止めて、口の中で軽く舌を動かす。痛い。
「でゅみ……【力を示せ】。」
舌を噛みそうになったが、何とかなった。
瞬間、パッとデスクトップの別ウィンドウが開かれるように、先ほどとは元なる文面が俺の右手側に現れる。
>【神秘なる調香】:熟練度Lv1<
・自動発動型スキル。項目によって任意発動権限あり
・芳香物質を内包する対象の自動効果測定、効果内容の定義、および効果の向上
・芳香物質を内包する対象の調合時に効果の合算・ランダムで追加効果(スキル熟練度によりレベルおよび個数変化)
・ランダム効果の一覧(スキル熟練度により内容変化)
『リジェネ、マナリジェネ、耐毒、耐気絶、耐光』
・任意発動項目
対象物の微細な効果分析 トリガー【展開】
精油抽出過程の省略 トリガー【抽出】
>【魔素返還】:熟練度Lv1<
・【神秘なる調香】に付随する自動発動型スキル。
・オド使用効率の向上(Lv1)
・高濃度魔素環境における悪影響のブロック
・適応環境下における、魔素微量返還によるオド充填
「な、なんらこれ。熟練度って……?」
「やっぱりスキルが顕現しているんですね。」
神妙な面持ちで俺の反応を見たニクスがつぶやく。
試しに空中、文字の表示されているところに手を伸ばしてみるが、コゥ、と不思議な音を出すだけで消えることはない。
「シキ、絶対に誰にも言わないので、少し『見』てもいいですか?もしかしたら、何か、そう……例えば、今の怪我を治す手がかりとかあるかもしれないので。」
「みへないのか、これ」
「基本的に、『力を示せ』で確認できるのはスキル所持者だけなんです。……まぁ、例外はありますが。」
ボソ、と呟かれた言葉は聞き取れなかった。
まぁ減るもんでもないし。恐らく、俺よりこの世界の仕組みについて詳しいニクスが見た方が、分かることは沢山あるだろう。
俺が「いいよ」、と頷くと、彼女は少し目を瞠り、ややあって困ったように笑った。
「ではちょっと失礼します───。」
ニクスが短い言葉を唱えると、オパールの瞳が文字通り、僅かに色を変える。白から淡蒼、薄紫。そしてすぅ、と双眸を細めた。
ジッと細めた目で見つめられるものだから、今度は先程までと違う意味で居心地が悪くなってくる。彼女に使うのは違う気もするが、分かりやすく例えるなら、蛇に睨まれた蛙?
「回復効果の向上、魔素充填……。これ……とても高度なスキルですね。内容も然ることながら、所々、私では読み取れない文字に変換されているようです。そして何者かの痕跡も感じる───。シキ、実は恋人とか居たりします?しかも結構重めの。」
「え、ないよ!?」
「じゃあ誰かに片思いされてますか?」
「分からないが10割それもないだろ」
心当たりの欠片も無さすぎて、やけに滑舌が良くなった。否定しつつ頭を振ったら腫れた左頬もフルフル震えた。痛い。胸も痛い。
スキルの『閉じ方』を教えてもらい、空間には何事も無かったかのように外の風景だけが広がっている。
先程の俺を然と見つめていた細目とは異なり、ニクスはじーっと半眼で俺を眺め……いや、ジト目で睨まれてる?なんで?オパールの瞳に色んな色が渦巻いているように見える。ちなみにこれは比喩だ。
「むぅ。真偽はともかく、シキのスキルで興味深いものがあったんです。ちょっと待っててください。」
「あ、ああ」
納得のいっていない顔で縁側から立ち上がり、彼女は、後方に置いてあったカバンから少し顔を出していたもの───黄色い果実を、俺の前に持ってきた。