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第2話 その出会いは雪のように


 つん、つんつん。


 気持ち悪い。


(……ゔ)


 脳髄、内臓、意識。

 己を構成するすべてが攪拌され、形容しがたい嘔気が全身を支配している。

 主に胃から食道にかけて。


 つんつんつん、つんつんつん。


 誰かの気配。

 その気配の主が、何か硬いもので俺の頭皮を遠慮がちに突いてくる。

 でもまぁ正直そんなことが些事に感じるほど、前庭感覚がめちゃくちゃだ。


 つんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんぐりぐりぐり。


 指一本動かそうという気持ちにならないのだから。

 ちなみにちょっと痛い。


「……れ、ん……で……な」


 俺の頭に穴をあけようとしている何者かが、傍らで何かを呟く。

 耳に薄膜が掛かっているかのように音がぼやけて、上手く聞き取れないな。


「……ぇ!目を…………てッ!!」

(うるさい)


 何事かを耳許で叫ばれ、そう口を動かそうとした瞬間。瀬戸際で耐えていた胃と食道を収まる胴体が、細く柔らかいもので万力の如く締め付けられる。


(!?――)


 直後、ふわり、と無重力感が身体を包み込み――ジェットコースターもかくやなGと共に、脳天から足先にかけ、雷を直接喰らったかのような途轍とてつもない衝撃が走り抜ける。


「がっは……ッ」


 閉じられた瞼の奥で白目を剥く。

 持ち上げられた、と脳が理解するのに数瞬。そして頭から地面に叩きつけられたと知るのに、理解は必要ない。

 いわゆるバックドロップだ。信じ難いことに。


「あれれ、生きてますね!?」


 すぐ真隣りから、鈴蘭が喋っているのかと錯覚しそうな、華やかかつ可愛らしい声が俺の生存を喜んでいる。

 うん。

 多分勘違いでなければ、今まさにアンタにられそうだったんだけど。

 というか胃は既にやられてる。


「う、ぐぅう……」

「わ!喋ってる!」


 この人もしかして結構コワイ人なのかな?サイコパス的な。

 それとも俺って、人間に見えてない?人の形保ってないのだろうか。いや違う。もし形を失ったとしたら、確実に今行われた所業のせいだ。きっと頭がつぶれたモンスターのような風貌になってしまったんだろう。


「オニーサン……いや少年?ともかく、ごめんなさい!!生きてるのか死んでるのかわからなくて、こ、混乱してしまって、確認しなきゃって思ったら、あんなことををををををををを」

「……ゥウォエッブ」


 かの上杉謙信の名言に、「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」、という言葉がある。

 今の俺の状況をそれになぞらえて伝えるなら、「尻は天に向き、ゲロは胸に垂れ、手足は土にあり」となるだろう。

 間違いなく俺の人生で、人前で晒したくない醜態ランキング堂々の1位だ。

 もうなんでもいいや、と半ば自棄ヤケで、意識を闇へと放り投げた。



 *



 そよそよと、葉擦れの音とともに心地よい風が頬を撫ぜる。

 どうやら、木漏れ日が俺の顔を照らしているようだ。瞼の裏では、仄暗い白や黄色がちらついている。

 背中には、少し硬いけど温かいもの――木だろうか――が当たっていて。

 あと……なんかものすごく顔を見られている気がする……。


「う……んん」

「オ、オニーサン!」


 先ほども聞こえた、鈴蘭の声が今度は正面から語り掛けてきた。

 徐々に覚醒した意識のもと、重い瞼をゆっくり開けようとして――


「よ、よかった~!目が開いた!本当にちゃんと生きてる!呼吸してるーー!」


 目を瞠る、とは正にこのことを言うのだろう。

一見すると、16,17歳ほどの少女に見えるが、その容貌はおよそ人間の持ちうる美貌からは大きく離れていた。

 まず視界に飛び込んできたのは、水晶を砕いて織り込んだかと見まごうほどの、清麗せいれいな色彩の髪。一本一本が絹糸のように艶やかで、木漏れ日を受けキラキラと光る様は神々しささえ感じる。

 次にこちらを上目遣いで見てくる潤んだ瞳。その透明でありながらも魅惑的な輝きは、水面に浮かべたオパールの如く。その輝きは虹を閉じ込めたかのよう、事実、光の当たり方によって左右の虹彩の色が変わっているのだ。

 そして……瑞々しい肢体には極力目を向けないようにした。なまじ躰のラインが見て取れる服装をしているだけに、生まれてこの方恋人はおろか女友達などというモノがいたことのない俺にとってはちょっと、いやかなり刺激が強すぎるゆえ。

 だが意識的に体ごと目をそらそうとしても、当の本人は何を勘違いしたのか「まっ、まだどこか痛みますか!?かっ、回復魔法で目立つところは治したはずだけど……!」と、より距離を詰めてこようとしてくる。ヤメテクレ頼むから。


「……もう体は大丈夫です。それより、あなたは誰だ?何でここにいる?」


 警戒心から、少し声が低くなってしまう。おそらく目つきも鋭いものになっているだろう。


「あうう!?オニーサン、さっきはごめんなさい。あのあの、私……旅人で。ここで一晩過ごそうとしてたら、突然空間が歪んで、あの、比喩抜きなんです!びっくりして目を瞑ってたら、すごい甘い香りがあたりに広がって……それで目を開けたら、オニーサンがいたんです。」

「……。」


 何を言ってるんだろう。

 それが正直な感想だった。

 旅人?行脚の人とか僧侶か?お遍路さんとかなのだろうか。それともバックパッカーか。

 だが、こんな格好でしかも少女が一人で?

 ちらり、と少女の後方を見やると、少し離れたところにに大きな荷物が置いてあるのが目に入った。

 嘘は吐いてなさそう、か?大丈夫なのだろうか。


「さっきまで誰もいなかったこの廃屋の目の前に、倒れてて!てっきり私、し、し、死んじゃってるのかと思って、枝でつんつん突いてしまったんです。」

「…………。」


 オパールの瞳に湛えた水は、今にも溢れてしまいそうだ。なぜか、心がチクリと痛んだ気がする。なぜだ。俺は悪いことはしていないはず。

 もう何も感じることはないと思っていた心から、久方ぶりによくわからない罪悪感が生まれつつあった。

 が。


「そ、それでええええ!!どんなに枝でつついてもオニーサン反応しなくてぇええ!!」

(全身が世界最速洗濯機で回された後みたいになっていたからな。)

「死体なんだと思ってえええええ!!怖くなって後ろに放り投げちゃったんですうううううううううううーーーーー!!!」

(投げるなよ!!)

「投げるなよ!!」


 投げるなよ!!!!!!!

 俺の頭を潰したのはアンタか!!ついでに醜態ランキング入りさせたのは!!

 怒りとも驚きとも呆れともつかない感情が思わず口を衝いて出る。

 先ほどの罪悪感はどこへやら。いらない、そんな感情はいらない。目の前の人物においては。

 恨みがましく見つめる俺と、少女のハッとしたような視線が絡まる。


「お、オニーサン……」

「あ……ごめん。俺も、何が何だか分からなくて……。」


 ふい、と視線を切る。

 投げられたとはいえ、彼女は恩人といってもいいのではないだろうか?投げられたとはいえ。

 状況が分かっていないのは相手も同じようだ。そんな中、こうして今俺に情報を与えてくれて。

 立ち上がり自身の体を見下ろすと、先ほどの惨劇の痕(主に吐瀉物)もきれいさっぱりなくなっている。

 全身を支配していた言いようのない不快感も、まったくもって感じない。

 そんな相手に、ひどい対応をしてしま――


「ちょっと頭禿げちゃったかな?」


 恩人様とて許せぬ。

 そのセリフで禿げそうだよ。


 ――――――――――――――――――――――――――――


 少女は、名をニクスと言った。

 清麗な微笑みで「ただのニクス」と。


 これが彼女との出会い。

 軌跡のはじまり。


 ――静かに、歯車が回り始めた。





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