回る愚痴
都会にある曲がり道、そこを少し行くとあるバーがある。表通りには人があふれているのに、不思議と人通りは少なく、このバーも寂れてはいないが人は少なく、それがまた独特の雰囲気をだしている。
そのバーで中年の男性が、バーテンダーに愚痴をこぼしている。
「今日、朝に妻にこんなこと言われましてね。やれ、帰りが遅い、食事行くなら連絡しろ。いやね、私だって普段は連絡しますよ。ここにくることだって言ってあります。それでも、急に仕事が入って連絡できない時だってあります。それをグチグチと口うるさく。朝から気分が悪くなることを言わないで欲しいものです」
中年の男性は、ロックを一杯飲み終わると、すっきりした表情で店をでていく。心の膿というものは人に話すとすっきりするものらしい。
しばらくすると、今度は若い男がやってくる。
ぶっきらぼうにウィスキーを頼み、しばらく黙って酒を飲んでいたが、酔いが回ってきたのか、バーテンダーに愚痴をこぼし始めた。
「ちょっと、バーテンさん聞いてくれますか?」
「はい、なんでしょうか?」
「今日、会社でひどいことが会ったんですよ。会社の倉庫の整理をしていたら、部長がやってきて、この商品はなぜここにある、捨てておけといったはずだ、って」
「はい、それでどうなったんですか?」
「実はその商品、その部長が取っておけっていったものなんですよ。不良在庫ってわかってるなら、違う場所にって言ってるけど。その場所って、運んだら30分ぐらいかかる場所なんですよ。そんな時間無いこと、自分で仕事割り当ててるからわかってるはずなのに、ひどいと思いません?」
「たしかにひどいですね」
「そうでしょう。部長、朝から奥さんか小言もらって不機嫌だったんですよ。そのうさを俺たちで晴らさないで欲しいものです」
若い男も、一通りバーテンダーに愚痴をこぼすと、すっきりした表情で店を出て行く。
その若い男と入れ替わるように、ヒゲを蓄えた高齢の男性が入ってくる。
かぶっていた帽子を取り、ゆっくりと椅子に座る。この男性は常連で、手馴れた手つきで、バーテンダーはウィスキーボトルを取り出し、ロックを作る。
「ありがとう。今日も、あるかい?」
この男性の、あるとは、愚痴のことだ。この男性は小説家らしく、人の愚痴を聞くのが何よりも酒のツマミになるそうだ。
普通、バーテンダーというものは、人の愚痴を聞くばかり。酒を飲むわけにもいかず、愚痴をこぼす相手もいないものだが、この男性は愚痴を聞かせてくれと言ってくる。
バーテンダーは、小説家に愚痴をこぼしてすっきりできる。この小説家も、作品という形で愚痴をこぼしているのだろう。
もしかしたら、この人の小説の愚痴を言いにくる人もいるかも知れない。
そう考えてみると、愚痴などという小さなものにも、循環が出来ている。人の社会というものは、本当によく出来ているものだ。