93.海の幸と小さな幸せ
「今日のお昼がとっても楽しみになってしまいますね」
つい五分ほど前、そんな風に言っていた水音さんの顔が、釣果の調理をお願いした後昼食として予約していた海鮮バーベキューが準備されている中庭に来て固まった。
いや、驚き方の違いはそれぞれだが、俺たち全員呆気に取られてしまった……と言ってもいい。
「うちの大恩人の娘さんが来られたんですから!」
と言うおしゃべり好きなお姉さんの笑顔の下、勿論六人で予約していた量の五割増しが用意されている。
「セージ、虎ちゃん、頑張れる?」
「さすがに限度ってものがあるっす」
「成人男性で六人ならまだしも、この量は……」
顔を寄せ合って確認するが、これはもう挑む前から分かる、キャパオーバーだ。
「すみません、ご厚意は大変ありがたいのですが……」
俺にしては大変珍しいことに、量を減らすお願いをすることになった。
「いい匂い」
「見た目も美味しそうです」
いざ焼き始めれば。
ホタテやサザエが貝殻の中で煮え、エビやイカが白く焼けながら食欲をそそる香りを漂わせてくる。
いや、鼻や目もそうだが食材たちが焼けていく音で耳まで幸せになれる。
それ以前の炭火が立てる音からして何か好きで……つまりまあ、食べる前から存分に楽しんでいる。
最も。
「じゃあ、そろそろ行きますか……まずはこのイカ辺り良い加減ですね」
身の分厚いイカは丁度六個にカットされていて、各々紙皿に……。
「やっぱ七味マヨネーズだよねー!」
「塩コショウっすよ」
「オリーブオイルも美味しいんだよ?」
「レモンですね」
「お醤油、です」
「むしろ最初そのままで、では?」
バラバラ……いや、各自思い思いに。
「!」
だけれど、肉厚で歯応えのいい焼きたてのイカを口にすれば。
「んー!」
「んふふ……」
「へへっ」
その美味しさに笑みが浮かんでくるのは同じだった。
「お刺身、できましたよ」
一通り味わったところで、釣り上げた中から二尾ほど見繕って捌いて貰ったものが届けられる。
「これって、どっちもねえさまが釣ったのかな?」
「多分ですが」
大きさと種類的に一致。
数は釣れなかったものの、そこそこ大きいのをゲットしていたんだよな。
「じゃ、ねえさま最初に食べちゃいなよ」
「え?」
小さめの下足を頑張って食み終わった水音さんが差し出された醤油の入った小皿に目を白黒させるが、もうそういう流れが出来上がっていて、続いて鮮度に輝く切り身を口にする。
「……おいしい、です」
驚いた顔で箸を置いた手で口元を押さえて感動の言葉が。
もう全員で拍手をしてしまった後、隊長に続けとばかりに順に箸を伸ばす。
「歯応えが全然違います」
「プリプリだね」
「正直、今まで食べたので一番っす」
「そりゃ、セージも普通のお刺身じゃ満足しなくなるか」
「でしょう?」
胸を張って見せれば。
「なんでおっちゃんがそんな得意そうなんすか」
「ねえ?」
笑いながら前衛コンビに背中を叩かれる……テンション上がってて結構痛い。
「あ、オジサン、二枚取りは反則!」
「俺、まだ食べてなかったんですが?」
ともあれ、海まで来ないと基本味わえない贅沢に鮮魚の足は速かった。
皆の口の中に消えていく速度とという意味で。
「これも贅沢っちゃ贅沢か」
ある程度バーベキューを食べ進めた後、鉄板の上で締めの焼きそばをほぐしながら呟く。
ちょっと食べ切れなかったイカやエビ、ホタテなんかをたっぷり具材にして……これは普段やろうとしても少々腰が引けるゴージャスさだ。
どうしてもやりたくなったらやるけど。
「にしても、セージ、鉄板と焼きソバ超似合うんだけど……どうしても危険おじさんの屋台に見えるよね」
「お隣にどう見ても若い衆な人もいますしね」
「オジキ、そろそろ焼けるっすよ!」
「何でだよ!」
「二人とも法被でも着せたら完璧だよねー」
隣には「近くの農場から貰ったの」と差し入れられたトウモロコシを醤油を塗りつつ回転させていた虎がいる。
結構腹九分強だが、新しい美味しそうなものを出されると食べなくなってしまう。
「じゃあ、おじさん、焼きそば下さいな」
品を作りながら取り皿を差し出してくるレオさんに。
「あいよ! 五百万円ね」
「あたしたち可愛いからおまけして?」
「仕方ない、持ってきな!」
「わーい、ありがと」
思い切り栗毛ちゃんには「茶番ですね」という呆れた目で見られるが……まあこの際、良いだろう、楽しいし。
栗毛ちゃんの方だって、目はそうだけれど口元は柔らかい。
「ほら、杏。口のところ、マヨネーズ付いちゃってるから」
「ありがと、ねえさま」
そして一番冷静な子でさえそうなのだから……全員、緩みっぱなしと言っても過言ではなかった。
そんな風に盛り上がったものだから。
「ゴメン、セージ……運転必要なら代わるつもりだったけど、限界……かも」
「こちらは全く平気なので、遠慮なく休んでください」
「……ありがと」
そのやり取りから一分ばかり、バックミラーの中でレオさんがゆっくりと舟を漕ぎ始める。
ワンコちゃんと虎はかなりの速度で爆睡し、栗毛ちゃんは……瞼を閉じているだけ、か?
ともあれ走行音がメインとなった車内で元々下げ気味にしてあったカーステレオの音量をさらに二段下げる。
ボリュームに伸ばしていた手をハンドルに戻したのを見計らってか、隣から話しかけられた。
「お疲れなのに運転、ありがとうございます」
「ある程度は長距離慣れてますし、言い出しっぺですからね」
ペース配分はしてましたよ、と応じてから。
「水音さんも休んでもらって大丈夫ですよ」
そんな提案はゆっくり首を振ることで軽く拒否される。
「むしろ」
「はい」
「こちらから話し掛けていても大丈夫ですか?」
「こっちとしても助かります」
そう答えるタイミングで大きめの橋に差し掛かり、継ぎ目二回分の音がした後で改めて切り出される。
「征司さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「……俺の夏への心残りに対する我がままですよ?」
ウィンカーを出し追い越し車線に出ながらそう言ったけれど。
穏やかな視線を送りながら確認される……そう、問いかけではなくて確認するように。
「この前、海で遊ぶことはできたけれど……私が征司さんの昔の話を聞いた時に、釣りをしてみたいって言っていたからその残りの分、だったんですよね?」
「半分……いや、四割ですかね」
「?」
認めなくては仕方がないかとある程度正直に口を動かす。
「この前、仕事の合間に少し浜辺で寛いだくらいで海で遊んだって言ってほしくなかったんですよ」
「……」
「遊んだというのなら、もっと思い切り楽しみたいし楽しんで欲しい気持ちになったんですよ……それがどうしてかと言われると、もうそういう衝動だったとしか言い様がないですが」
そう言い切った後、また少しの間走行音のみの時間がやって来て。
「ふふふ……」
「?」
水音さんの笑みを含んだ声に、破られる。
「そうでした」
「?」
「征司さんって、そういう方でした」
「……どういう奴だと思われたんです? 俺は」
「そういうところにも手を抜かないというか、真面目な人ですよね、って」
「そんな褒められ方……じゃないですね、評価は初めてされましたよ」
「ちゃんと変な意味じゃなくって、上手くは言えないですけれど尊敬しています」
面映ゆい気持ちに、運転手であることをいいことにしばらく前に集中して……それから我慢できずに盗み見た、その瞬間。
「今日はとっても、楽しかったです」
言葉通りの笑顔を、目にすることになった。
***
「はぁ……」
解散して、ワンボックスを返却して、大量に持たされた海鮮物を整理して。
そのままリビングのソファーに少し乱暴に転がる。
「俺は、馬鹿か」
喉に刺さった小骨を取ろうとして、針を更に深く飲み込んでいるじゃないか、と。




