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92.小さな堤防の上で

「使い方としてはざっとこんなところですね」

 女性陣にレンタルした釣り具の使い方を一通り説明する。

 説明が上手い方だとは自分でも思わないが、それでも概要は伝わったはずだ。

「もちろん、わからなければまた聞いてもらえればいいですし、それに」

「「「?」」」

「お昼のバーベキューの具材は別に準備して貰っているので、極論全員何にも釣れなくても問題ないです」

 なので。

「のんびりと釣り糸を垂らす時間を楽しみましょう」




「所謂疑似餌、というものですよね」

 放る前に物珍しそうにルアーを眺めている栗毛ちゃんに思わず応じる。

「一応、皆さんある程度大丈夫な方々だとは思っているんですが」

 まあ何せ生餌よりグロテスクなあれやこれやに相対することもあるわけで。

「念のため、こちらの方向で準備させてもらいました」

「それで間違いないと思います」

 頷いた後、もう一度ルアーに視線をやってからおもむろに行きます、と呟くのでそっと間合いを外す。

 手首をしならせてのキャスティングに思わず感嘆の息が漏れる、手の使い方が器用なのは勿論だが、体幹がしっかりしていて……。

「何か、変でしたか?」

「いえ。むしろお手本のような良い姿勢でびっくりしました」

「なら幸いです」

 一瞬だけ出した不安そうな顔をあっという間にいつもの澄ましたものに戻す。

「ちづちゃん、弓のお作法もいつも褒められてるもんね」

「当然です」

 そこでの賛辞よりも今の水音さんのちょっと誇らしそうな言葉が一番嬉しいんだろうな、というのがわかるくらい雰囲気が和らぐ。

 サングラスの奥の目が得意そうな色を少しさせた。

「よーし、ねえさま、杏たちもジャンジャン釣っちゃおう」

「うん」

 ワンコちゃんの堂々とした佇まいはベテラン級のと水音さんのおっかなびっくりなスタートにやっぱりそこもキャラが出るな、とか思いながら。

 小さな漁港の堤防の上をもう少し横に移動し間隔を開けて釣り糸を垂らすことにした。




「ん……」

 波間に投げ入れた仕掛けが沈むのを確認してから軽く目を閉じる。

 サングラス越しでも強烈な海面の反射がまだ瞼の裏にも残るが、視覚が休まったことにより耳からのものに意識が行く。

 堤防の内側の穏やかな波の音、外側のテトラポットが鳴らす強めの波の音、それに混じる海鳥の鳴き声……と時折届く女の子たちの談笑。

 潮の香りの風が吹いていき。

 何というか、溶けていくというか、解けていく……。

「あー……」

 今の暮らし、暮らしている場所も色々なものが手に入るという意味では悪くないけれど。

 心の根っこはこっち側だよな、と実感する。

「なーんていうか」

「ええ」

「いいね、こういう時間も」

 三人とは反対側からレオさんに話しかけられる。

「いいものでしょう?」

「入門編の入口だけど、スローライフっていうのかな?」

「ようこそ」

 ちょっと久しぶりに目を開けてそちらを見れば、何かそういう雑誌の見出しにもできそうな絵になる感じに笑っている。

 楽しめて貰えているなら良かった、とこっそり安堵の息を吐いたところで手応え。

 焦らず、だが確実に巻き上げる。

「お……」

「セージ、ヒットじゃん」

「すごいです」

 俺の手と比較で親指と小指を横に広げたのより少し大きい……なら二〇㎝強くらいか? 最初の釣果を確認しながら針を外そうとしたところで。

「はい、そのままストップ」

「?」

 レオさんの声に制止されて主の方を向けば、片手で器用にストラップ付きの防水ケースの中のスマホを構えてポーズを要求される。

「こうです?」

「お、イイね」

 右手に竿を、左手に釣果を下げてそちらを向けば面白味は無いだろうに軽く吹き出される。

「え?」

「杏ちゃんのピースが、すごくイイ感じに見切れてたの」

「ああ……」

 言われて反対側を向けば、隣だった水音さんのさらに奥に、こちらも普段のツインテールの位置をかなり下げてキャップを被った姿。

 それに似合いのイタズラが得意そうな顔が居た。

「あとで送っておくね」

「お願いします」

「ありがと!」

 その後、今度こそ針を外して借りてある大きなバケツに入れてから背中を軽く伸ばしてさて次だ、となったところで。

「お! 俺もなんか来たっす! 何か重い!!」

 狙うは大物っす! とレオさんのさらに向こうの堤防の先まで言っていた虎が声を上げる。

「おー、よかったな、最高の大物かもよ?」

「え? 主かなんかっすか?」

「いや、地球」

 あの馬力で重いとか言うならそっちか? と軽口を叩きつつヘルプが要るかと目を遣る。

「空き缶とかでもポイント高いよね」

「きっと長靴ですね」

「ひでぇ!」

 言いながらも虎がめげずに引けばあるタイミングから一気に軽くなり。

「あっれー?」

「はい、千弦ちゃん正解」

「だと思いました」

 立派な黒長靴が回収される。

「って……あれ?」

「どうした」

「タコ入ってたっす」

「……芸術点高いな」

 小振りながらも立派な釣果だ。

「はい、虎ちゃんも記念撮影」

「うわー、何かくっ付いてきたんで急いで欲しいっす」

「そりゃ、蛸だしな」

 やいのやいのの合間に。

「あれ? ねえさま、引いてない?」

「え?」

 楽しそうに蛸と格闘する虎を見ていた水音さんの竿に注目が集まる。

「来てますね」

「え、えっと、引き上げれば?」

「ですよ、焦らないでも大丈夫、ゆっくり行きましょう」

「ねえさま、ファイト」

 バケツの隣の置いておいた網を掴んでそちらに向かう……その前に自分の竿を一旦置いた栗毛ちゃんがいつでもサポートできる体制に入っていて。

「当たり前かもだけど俺の時と違わないっすか?」

「大河さん、今自分で言ったじゃないですか」

「へ?」

「当たり前です」

 今にも水音さんの竿に手を添えたそうな体勢で真顔で断言する。

 気持ちはわかるが相変わらずブレないね……水音さんの細腕の方は相手の抵抗にかなり揺さぶられているが。

 一応小さいながらもライフジャケットは借りているし、近くにロープ付きの浮き輪もあったし、いざとなれば俺も飛び込めばいいか……そういえば泳げるのかな?

 そんなことを考えながら攻防を見守る。

「向こうも常に動き続けられるわけではないので、弱まったタイミングで引いてみて下さい」

「は、はいっ」

 少しずつ少しずつ……。

「お、上がってきたっすよ」

「ホントだ、水音ちゃんラストスパート」

 虎に言われて海面に目を遣れば激しく動く魚影が確かに見える。

 レオさんがまだ辛うじて竿を持ったままなだけで総出で見守る体勢に入ってしまっている。

「よい……しょ」

「いったー!」

 多分、三分くらいだと思われるけれど白熱の引き上げを経て遂に相手を引き上げた瞬間、抵抗が抜けた反動で水音さんのスニーカーがたたらを踏む。

 余計かな? とは一瞬考えたけど、ここまで来て逃がすのも……と網で再び着水される前に横から掬い取った。

「お姉さま、おめでとうございます!」

「やったね、ねえさま」

 抱きつかんばかりに……いや、たった今抱き着いたな。

 そんな妹分たちに続いて、網の中身を差し出す。

「やりましたね」

「は、はい」

 ずれかけた帽子に軽く興奮気味の表情で笑い返される。

 息を整えつつ、レオさんが三度促して釣果の写真を撮ろうとして……。

「あ、あはは……」

「ねえさま?」

「どうしたっすか?」

「あれだけ大騒ぎだったのに、そんなに大きくなかった、ですね」

 照れ苦笑いの水音さんが下げている魚はさっきの俺が釣ったものより確実に大きいが、確実に大きいとわかるだけの差で……そこまで大物かと言われればそうでもない。

「何をおっしゃるんですかお姉さま! おじさまや大河さんがマグロを釣り上げるより大変な偉業です」

「「……」」

 思わず比較された者同士顔を見合わせる……まあ、パワーウェイト比では、そうなる、のか?

 まあ、水音さんが頑張ったことは事実だから別にいいか。

「確かに今日一番の大物なのは間違いないんじゃないですか?」

「あ……」

「よーし、じゃあ頑張ってねえさま越えめざそ」

「負けないっすよ」

 そんな風に、皆自分のポイントへ戻っていく中で。

「……」

 水のペットボトルを一口飲んでキャップを閉めて顔を上げた彼女と目が合って。

 ちょっとだけあどけない満足そうな表情に、一つ頷いてからこちらも再度エントリーした。




「こんなところっすかね」

「あー、楽しかった」

 二時間を少し超えるくらいそんなこんなを楽しんで。

 遅い昼食の時間に合わせて片付けをして体験の店舗の方へ戻る。

 俺が下げているバケツと虎が持ってくれているクーラーボックスにはやや小振りながらも立派な戦果たちが入っている。

 本当の小物はリリースしたので数で言えば上出来ではないだろうか? 元々メインは楽しむことだったし……皆の表情で言えばほぼ満点を付けたっていい。

「折角だし、お店で二尾ほど捌いて貰いますか」

「やっぱりお刺身ですか」

「当然じゃないですか」

 水音さんの問いかけに反射的に答えれば、レオさんに突っ込まれる。

「あれ? セージ、飲みに行った時そんなに生魚系は注文しないのに?」

「いえ、だって」

「専門のところ以外で出る魚は鮮度がイマイチじゃないですか、って言いたそうですね、おじさま」

 中身の増したクーラーボックス分、虎の道具を持ってくれている栗毛ちゃんがさらりと指摘してくる。

「まあ、その、自分で釣り上げたり人手の要る時には漁師さんの手伝いをして売り物にならないのを貰ったりしていたので……鮮度に関してはうるさくなってしまっても仕方ないじゃないですか、例外除いて刺身なんてその方が美味いですし」

 後、引き取られた先の家には直接の買い付けから地元の知り合いからの差し入れも多かったので都合三〇年近くその点に関しては素晴らしい環境に置かれていたとは思う。

「ぜーたくな悩みね」

「でもオジサン、基本食べ物にはめっちゃ拘ってるよね」

 おや? 俄然旗色が悪く……?

「でもそれを聞いたら、今日のお昼がとっても楽しみになってしまいますね」

「確かにお姉さまのおっしゃる通りですね」

「くーっ、腹減ってきたっす!」





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