87.昼時
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
大きな花火大会に遭遇し、小さな花火大会を挙行した翌々日。
社屋のエントランスで今日も受付嬢姿がぴったりな立花さんと挨拶を交わす。
今日はいつもの巡回が業務の予定……気温が上がり切らないうちに済ませるのが吉かな、と考えながら一旦奥に向かおうとすれば。
「向田さん」
「はい?」
呼び止められて足を止めれば軽い手招きをされてそちらとの距離を詰める。
前を歩いていた三番隊の若手に軽く羨ましそうに見られるが……多分違うぞ?
「夜船さんから伝言です」
「おや?」
驚異の的中率を誇る占い師さんからの託……。
「何かヤバいの出たんですかね?」
「いえ、そういうのではなくて」
「?」
「今日は早めの帰社が吉、だそうですよ?」
秘密を語る声量でそんなことを言われる……神秘の結果、だからだろうか?
「暑くなりそうだからですかね?」
「理由の方は教えてもらっていないです」
「ですか」
頷きながらも、軽く肩を回す。
もともとそういう流れにしようと考えていたのを後押しして貰った格好なので、もうそのまま実行するか。
「では、早目に片付けてくることにします」
「はい、気を付けて行ってきてください」
そんなことを言われてしまったので多少注意深く回ったのだが。
手応えのある相手も討伐に掛けるくらいのモノもなく、あっさりと昼前に本社付近に戻ってくる……かなり時間は早いがもうこのまま店を選んで昼も食べて、と考えたところで足が止まる。
早めの帰社が吉、だったよな?
なら一旦戻ってしまおうか、と判断し素直に足を社屋へ向ける。
「おや、向田の兄さんも早いね」
「お」
フリーのワークスペースで各地方からの報告に見るべきことがないかをチェックしていると後ろから声を掛けられる。
顔を上げれば二番隊のロン毛さんこと格さんが片手を上げて入室してきていた。
双子の兄や副長格が修行僧や修験者の恰好なのに対して明るい色の登山アパレルの服装……まあ、現代で山に籠るならそれはそれで合理的なのだろう。
「今日は割合静かな感じだったのでね」
「それは何より! やっぱり隊が増えて対処の速度も上がった気がしてるよ」
「それこそ何よりです」
嬉しくなることを言ってくれるじゃないか、と口の端が緩むのを感じながらも、それは是非隊長として頑張っているあの子に聞かせたいな、という考えがぼんやりと浮かぶ。
「それはそうと、そろそろ良い時間じゃない?」
「ですね」
親指を社屋の外に向けるジェスチャーに頷けば「お?」という顔をされる。
「夜のサシは二回ほど振られたのに」
「……女の子の店じゃなければ付き合いますよ」
「そっちのご当主はかなりイケる口みたいだけど」
「仮に親子だとしてもそこの趣味が一致はしないでしょう」
修行のため時折かなり禁欲的な生活を送る反動……以上に街に居る時は遊んでいると聞いている。
「嫌いなん?」
「……まあ、やや苦手だ、ということにしといてください」
実際親父殿に引っ張られて行った時に向こうはこんな俺にも合わせてくれるプロフェッショナルだとは思っているが、求めて……という気はない。
「おーい、格」
「ん?」
そんな折、廊下から二番隊の副長格ことホッシーさんがかなり大柄な体を曲げて顔を出す。
「昨日の提出書類、不備だ」
「うぇ!?」
おやおや。
「大したことはないんだが、処理が滞るとアレなので昼前に済ませるぞ」
「ホッシーさんのとこでちょちょいと何とかならない?」
「ならん」
かくして彼は連行されて行き……昼食時という時間帯もあって二〇人は入れそうなスペースには俺一人、となる。
さてどうしたものか、と軽く肩を回したところで。
「……?」
部屋の入り口付近にちらりと見えるものに気付いた……スカートの、裾?
「あの……」
「!」
ちょっと最近本社の中では疎かになっていた探知に意識を遣る前に小柄な影がそっと覗いた。
「お疲れ様です、征司さん」
「ありがとうございます、水音さんは……」
確かお休み、だったよな? と思いながら椅子を回し身体を入り口側に向ける。
すると彼女の方はワークスペース内を見回して他に誰もいないことを見たのかそっと入室して扉を閉める。
「あの、征司さんは……お昼まだです、か?」
「今からどうしようかを考えていたところですが、何処かご一緒しますか?」
軽く言った後で気付く。
普段どちらかは必ず居る二人の気配が、少なくともこのフロアにはない。
「あ、そ、その……私は諸事情でもう入らない感じなんです、すみません」
「いえ、体調不良でなければそれでいいんですが」
「そういうのではないので……心配かけてすみません」
ちょっと早いがちゃんと何かを口にしているのだったらこちらが口出しすることではないよな、とか考える。
そんなことをしていると。
「あの、それで、なんですが」
「はい」
やや懐かしくなる遠慮がちに口を開く様……逆に考えればこの数か月で随分と慣れて貰えたのは貰えたんだな、と再認識する。
「今日はお休みなのでお姉ちゃんたちにお昼の差し入れをしたんです」
「ああ……皆さん、喜んだのでは?」
「はい」
「そいつは素敵ですね」
嬉しそうにはにかんだ後、一転真剣な顔になり……。
「それで、その……たくさん、作ってしまいましたので」
「……」
「それと、征司さんにはいつもお世話になったり優しくしていただいたり、なので」
「大したことはできていませんが」
「そんなことは、ないです」
この子にしてはかなりの声量に、少々驚かされる。
「色々教えて下さったり、みんなと打ち解けられるように計らって下さったり、花火とか海とか私がしてみたいなって思ったことを叶えてくれたり」
「……」
「……大事に、守って下さったり」
小柄な彼女に、やや、気圧されたところで。
「ですので、よろしかったら、征司さんも召し上がって下さい」
背中側に隠していた包みを差し出される……普段は前で揃えていることが多いのにそうしていなかったのはそれか、と腑に落ちながらそれを受け取る。
ほんのりと冷たくて……かなり大きい!?
季節は全く逆だが、御節料理を詰めた重箱サイズ……。
「征司さんは、いつも沢山食べてらっしゃるので」
「はい、まあ、そうですが」
「もしかして多すぎましたか?」
「いえ、入りますとも」
別の意味でも絶対残さない、絶対に残さない……が。
沢山作ってしまった、というにしても多すぎる、よな?
「……征司さん?」
そんなことを考えていると、戸惑うような顔で見詰められる……こちらが椅子に座ったままなので普段より高低差がない。
つまり、近い。
「ご迷惑……でしたか?」
「それは絶対にないです」
梅雨空を思い出しそうな表情に即座に否定した瞬間……本能の方も同調する。
具体的には、腹が鳴いた。
「……でしょう?」
「はい」
またやってしまった感もあるが、一転して少し余り気味のレースの袖口で口元を押さえて笑ってくれたので……まあいいか。
「お口に合わないかもしれませんが」
「それは絶対にないです」
お、我ながら説得力があるぞ。
「それと、包んでいるものは全部捨てて大丈夫なものを使っていますから」
「わかりました」
頷くと、頭を下げて彼女が踵を返す。
綺麗な黒髪が屋内の照明でも艶やかに輝いて……その先を結んでいる結い紐が揺れる。
「……」
いや、踊っているように見える。
「お仕事、お昼からも頑張って下さいね」
扉を開けながら振り返ってくれた晴れやかな表情に。
「あ……」
「……?」
「その、ありがとう」
「! ……はいっ」
そんな風に、口が動いていた。




