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81.プラスチックカップとビール⑤

「ピンチ、ということですよね……」

「まあ、かなり」

 ボルテージを上げる向こうのチャンステーマの中でこっそり聞いてくる水音さんに頷く。

 一点差のツーアウト一塁三塁で際どいところに投げ込むも三球とも全て紙一重でのボール判定……今、ファーストストライクが入ったものの完全に様子見の体で見逃された形。

 勝負は次の一球だな、と球場全体が固唾を飲み、サインの交換の後五球目が投じられた瞬間。(あ……)

 野球というかスポーツ全般観戦を嗜む程度で詳しくはないが間合いというか場の空気で察してしまう……これは相手の術中だった。

「うぁ……」

 隣の老先生の呻き声が一瞬聞こえた後、歓声と悲鳴がそれを一気に塗り潰して。

 逆転のスリーランが弾丸ライナーでバックスクリーン横に叩き込まれていた。




「まあ、いつもこうなってしまいまして……」

「……」

 自嘲気味に笑う顔に、水音さんが言葉を探そうとして詰まったのが呼吸でわかった。

「あまり疫病神が迷惑を掛けないうちに帰ります、一応約束を果たしたことにはなったかと解釈もできるので、もうご迷惑を掛けずとも向こうに行くことが出来ると思いますので」

 会釈をして力無く立ち上がって去っていこうとする背中に声を掛ける。

「ご存じですか?」

「え?」

「野球って九回まであるので、まだ試合は三分の一以上残っているんですよ」

「そんなことはとっくに知って……むしろだからこそこれ以上打たれる前に」

「それはただのジンクスでしょう」

 少々大袈裟に笑い飛ばした後、こちらを向いてくれた老先生と視線を合わせる。

「それは立証のしようもない不確実なことですが……」

「……」

「一つ確実に言えることとしては、誰かが九回まで投げる必要があって、先生の教え子は今日だけでもまだまだ投球を続けなければいけないでしょうね」

 相手バッターのホームインを確認した後、キャッチャーとグローブの影で何かを話し合っている様子。

 少なくともまだ交代されるような雰囲気ではない。

「そんな時、彼が欲しいのは一体何でしょうかね」

「……いや、しかし」

 そんな逡巡の間にも試合は再開され……今度は初球から鋭い音が響く。

「っ……」

 その音に逆隣の女の子が悲鳴を飲み込む息が聞こえたが、その直後に球場がどよめく。

 ユニフォームに土を付けながら飛び込んだショートのグローブにライナーが吸い込まれ、攻守は一度交代することになった。




 次いで五回裏、味方の攻撃は相手投手の調子が上々なのと下位打線ということが重なりテンポよく抑えられる。

 そして六回表へ……俺の隣には迷いながらもグラウンドに視線を注ぐ姿がまだあった。




「あ!」

「ヤバい」

「大丈夫、切れてます」

 初球からいきなり叩かれる、もそれなりの球威にタイミングが僅かにずれたのか特大のファールがポール際に飛び込む。

「うー、耐えてー」

 拳を握るワンコちゃんの言葉、だがそこから粘られ五球目をライト前に運ばれる。

 次のバッターには三球目の変化球の曲がり鼻を狙われ鋭い打球が再度一二塁間に。

「お!」

「やった」

 しかし今度はセカンドが飛び込みグラブトスから4‐6‐3のダブルプレーが完成しピンチを脱する。

「やっぱり、打たれて……」

「でも、バックが盛り立ててくれてますよ、あのホームラン以外はまだ点は取られてません」

「……」

「それに、彼への声援も飛んでいます」

 渋いプレーを見せたセカンドへの称賛に混じってピッチャーを激励する声が幾つか聞こえる。

「伝わる人には伝わっているんじゃないですか? ドラフト下位で三年目の高卒選手が離脱者多数で苦しい投手陣の中で自分の出来る形で貢献していることが」

「……」

「どんな結果でも応援しましょうよ」

 次のバッターへは二球目を弾き返され三塁ベースに打球が当たるという不幸も合わさってツーアウト二塁へと状況が変わる。

「またピンチ……」

「守り切れれば、この回耐えれればまだ流れは引き寄せられます」

 だが、言った端から明らかにファールながらも大飛球を放たれ……新たなボールを受け取ったピッチャーにキャッチャーがタイムを掛けて駆け寄った時、だった。

「……頑張れ」

「「「!」」」

「頑張れ、奥山!!」

 隣の席から立ち上がり、実際に空気を震わすことはできないけれど大音声での声援が飛んだ。

 決して聞こえる筈はない声援だったが。

「!」

 すぐに向き直ったものの、弾かれたように確かに彼が一瞬だけこちらを見ていた。

「……一応、その」

「杏たちからの、サービスね」

 反対の隣とその隣を確認すれば二人とも組んだ指先に仄かな光を灯していて、場を整えることによって聞こえるためのハードルをかなり下げてくれていた。

 そしてそこから再度の試合再開直後。

「やった!」

「よしっ」

 再度飛球が上がるも完全に押し負けて高く上がっただけのフライを余裕でセンターが掴む。

 六回裏の攻撃はランナーを出すものの無得点に終わり、七回表へと。

 この回は。

「うわー!」

「いいじゃないか」

 守備側の方から拍手と歓声が沸くようなまるで勢いのないゴロが一つとフライが二つでのシャットアウト、さっきまでの三分の一の時間でスリーアウトを積み重ねて。

「これは完全に流れが来たねー!」

 呼んでもないのに空になるタイミングを見抜いて補充に来た売り子さんの言葉通りの予感が周囲を包む。

 その期待通り。

「!」

「また行ったー!!」

 隣の席で女の子二人が手の平同士を合わせて喜ぶ。

 連打を絡めつつ三本のホームランが飛び出す強烈な展開で今までのビハインドを三倍返しで跳ね返していた。

 そして、そのことよりも。

「……」

 ホームに還りベンチに戻った主力選手たちが笑顔で彼の頭を小突いたり背中を叩いている様に、深く頷いている姿があった。




 試合はその後、八回裏にもソロホームランが飛び出し大量援護の下後半戦のロングリリーフを成功させた高卒三年目投手のプロ初白星の結果となる。

 声援と拍手を浴びながらのヒーローインタビューが始まるところだったが。

「あれ? おじいちゃんは?」

「少し前に満足されたようで……観戦の邪魔にならないように静かに行くので、二人にもありがとうと言っていましたよ」

「折角なら、インタビューもご覧になればよかったのに」

「多分、心残りは約束とも勝てるとかどうかとも違うところ、だったんでしょうね」

 底の方に残っていたビールを空して息を吐くと、隣から見られていたことに再度気付く。

「どうしました?」

「征司さんに来てもらってよかったな、って改めて思いました……私だと、お悩みを聞くだけであんな風に的確に、あと出るべきところは強くという形は出来なかったから」

「……」

 真っ直ぐな瞳に褒められてしまい、アルコールでよくなった血行以外の由来の熱を空いている方の手で扇いでから白状する。

「正直、野球もそんなに詳しくないですし選手の心理なんて専門外なので……自信があって言っていた訳じゃないですよ」

「そう、なんですか?」

「確かなことと言えば、頑張っている誰かを最近ずっと見ていたのでそれを応援したい気持ちくらいですか」

「!」

 我ながらビールのせいで滑らかになった舌で緩んだことを言ってしまったと思ったけれど。

 攻守は入れ替えられたので結果的に良しとする。

「だね、ねえさま最近ずっとオジサンに言われた練習したり体力付けるのにトレーニングもしてるし」

「!?」

「あとね、それ以外にもおばあちゃんに色々教わったりとか雑誌を買ってき……」

「杏!」

 じゃれ始めた二人に少し笑ってしまってから、本当に良いことだと思いつつ……さて席を立つかと考えたところで忘れ物に気付く。

 汗をかいたカップの中の、泡も抜けてすっかりぬるくなったビール。

「ん」

 普通に考えれば味の魅力は半減してしまっているところだけれど。

 掲げてから傾けたそれは何故か無性に美味く感じる一杯だった。





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