66.夏休みの午前中
「どぉりゃぁ!」
「!」
一気に間合いを詰めての大上段から袈裟懸けに振り下ろされる一撃。
今までの何合かは往なしていたがこれはこの場で流すにも受け止めるにも骨が折れそうな鋭さと重さがあるのが目からも耳からも肌からも伝わってくる。
「ちょっと危なかったか、な?」
「!?」
なので。
思い切り斜め後ろに跳びながら左手に持っていた竹刀を迎撃するように下から振りつつ途中で離す。
激しい音と共に弾き飛ばされた竹刀が床を転がっていくがその想像と異なる手応えと竹刀の方を一瞬目で追ったことによってこちらも着地直後の連続で攻め立てられた場合危険な状態を逃れる猶予を得ることが出来た。
「これで一本にするか?」
「いーや、全然っす! それにおっちゃんまだ二本持ってるし」
「ん、じゃあ続行で」
「了解しました」
流れで審判役をしてもらっている栗毛ちゃんに声を掛け次はどう来るかな? と虎の様子を観察する。
ベルトから紐で下げていた予備の竹刀は左手をそっと添えるだけの状態で右手に残っていた方を構え直す……二刀に戻すかどうかはギリギリまで見せない。
「来ないんすか? おっちゃん」
「よーいドンで正面衝突したら勝てないしね」
パワーはこちらに上背の力もあるので若干勝てるかもしれないといったところだがスピードは虎の方が絶対に速い。
そして何より身体の柔らかさが全然違う、打ち合いをした日には五合目くらいで回転数の違いが出てくるだろうし、こちらはぶつかっているだけで関節とかにダメージが入りそう……考えてるうちに哀しくなってきたけど。
「じゃ、こっちから行くっすよ」
気持ちいいくらいの正面突破狙いで突っ込んでくるのを見て一先ず右手の竹刀を両手で握り、振り下ろしを手首の返しと足さばきで凌ぐ……まあお若いこと、と思いながら対処していると。
「企み事じゃ年の功に勝てないっすからね」
「……言いやがったな」
安い挑発だけれど、ちょっと痛い目見せてやろうじゃないか、って気分にさせられる。
ただ、それで遮二無二打って出るほど若くはないぞ……ってそれは年寄って煽られた通りじゃねーか。
「でも、やっぱりそっちからは来ないんすね」
「剣が得意な相手にこれで勝とうとは思ってないからね」
怒涛の連撃を何とか凌いで流石に虎が一呼吸吐き一瞬間合いが外れる瞬間に柄から右手を離してそっと広げる。
虎もよく知っている炎を用いるときの構え。
「!」
それを見て弾かれるように間合いを再度詰め攻撃を放たれるより前に一撃を繰り出そうとする……術を使おうとする相手にそれは全く持って正しい反応だとは思うのだけれど。
「はい残念」
「どぅわ!?」
こちらも逆に一歩斜め前に出つつ着地する瞬間の足元を思い切り右足で払う。
「っとっとっと」
蹈鞴を踏みながら転倒を堪えつつもまだ止まれない後姿に一気に接近し、そういえばそもそも昨日から一発痛い目に合わせるつもりだったことを思い出しつつ右手を背中の虎の刺繍に思い切り叩きつける。
「んべっ!」
思い切り攻め込んで来ていた、ということは体を入れ替えればそこは道場の隅っこ、というわけで。
見事に板張りの壁に熱烈なヘッドバットをかますことになる、年寄呼ばわりの報いとしては妥当かな?
「押し出しでオジサンの勝ち~」
「どっちかって言うと突き出しでしょう」
見学というか見物していたワンコちゃんが愉快そうに宣言するけどそのジェスチャーはアンパイアのストライクじゃない?
で、その横でさっきから竹刀がぶつかり合うたびに首を竦めていた水音さんは虎の顔面がストライクする様に思わず覆っていた顔をようやく上げていた。
「……勝負あり、ですね」
そして、だったら私が審判する必要なかったじゃないですか、と顔に大書した栗毛ちゃんがそれでも律儀に判定を下してくれたのだった。
「いやー、ナイスファイトナイスファイト」
決着がついたとみて見物に来てた両手で数えられるくらいの人たちが捌けていく中、逆に拍手をしつつ流歌さんが道場の中に入ってくる。
本社に他の隊員の姿が多い時間帯にこうしている、こういったところでも学生たちが夏休みに入ったんだな、という気持ちになる。
「いやー、虎くん惜しかったね……特に四番の隊長なんかスチール缶握りつぶしながら最後まで君に無言で熱い声援を送っていたよ」
「え? そうだったんすか?」
「ああ、彼女だけが君に全ベットしてたからね」
「そっちっすかー!!」
顔を輝かせながら上げたと思いきや、今度は床に沈んでいく虎。
「ってコトは、他の皆は全員おっちゃんに賭けてたんすね……」
「逆だったら流石に沽券に係わるわ」
「だよねー」
いずれこっちのひっかけのネタも尽き、虎が熟練になるに反比例しこちらは衰えていくわけで……戦績は逆転する筈だけれど、流石にそれはいずれでないと困る。
それはそれで少し楽しみな気もするけれど、絶対に他言しない。特に本人には。
「ちなみにね」
「何っすか?」
「私たちもおやつを賭けよっかと思ったんだけど勝負が成立しなかったよ」
「……わざわざ教えてくれてありがとうっす」
ドンマイ、と言いたげに背中を叩きながらも丁寧にトドメを刺しに行くワンコちゃん……無邪気故に容赦ないな。
「床に転がっている暇があったら素振りの五回でもしたらどうです?」
「ごもっともっすね!」
ばっと跳ねるように立ち上がって竹刀を正確な型で一〇回振る。
そういう馬鹿正直なところはむしろ凄いと思うし、最終的には強い男になるんだろうな……と捻くれたおじさんは内心で拍手をする。
「んじゃ、俺昼からバイト行くんでまた明日!」
「お、頑張ってねー」
「お疲れ様でした」
「おっちゃん、そのうちリベンジ申し込むんで」
「……一月経ったら考えるわ」
片手を軽く振って答えにするとそれでいいっす、と言いたげに笑った後、きちんと頭をこちらと道場から出る時に下げて去っていく……本当、そこら辺は偉い子だ。
「バイトか、何をするんだろうね?」
「倉庫整理の仕事、っておっしゃっていました」
「なるほど」
「現場じゃ喜ばれそうですね」
栗毛ちゃんの呟きに全員がそれぞれに頷く。
力があってよく働くから大抵の所では大歓迎だろう。
「何でも、討伐での報酬とかとも合わせて纏まった額を貯めて買いたいものがあるとおっしゃっていました」
「へえ?」
当然ながら日程等の件で話を聞いていただろう水音さんが補足してくれる。
「それなりに高価なものかなぁ?」
「あの歳だし原付あたりですかね?」
でも奴さん、体力にものを言わせて自転車で原付普通に追い抜いてるから必要なさそうだが。トレーニングも兼ねているらしいし。
「まあ、あまりお年頃のプライベートの詮索は……」
しない方が、と言いかけてある可能性に思い至り言葉が止まる。
「征司さん?」
「おじさま?」
「……一応、変な壺とか絵画だったりしないかはそれとなく気を付けた方が良いかも?」
「有り得ない、と言い切れないのが嫌ですね」
栗毛ちゃんと思わず顔を見合わせた隣で流歌さんがカラカラと笑う。
「いやーお兄さん、保護者が板についてきたじゃん」
「別にそうなりたいわけじゃないんですけどね……」
雑談をするなら道場は閉じてしまおうという話になり、借用していた竹刀に破損がないかを確認して片付けに入る。
「そうそう、アルバイト、と言えばだけどさ」
「はい?」
置き場に竹刀を仕舞って後ろからついて来ていた流歌さんに振り返る。
「ボクの可愛い妹もそういう件で優しい保護者の征司お兄さんに相談事があるっぽいよ」
「へ?」
「ああ、一緒にご飯行くのでお小遣い下さいとかそういうのじゃないだろうから安心して」
悪戯っぽく言われたが、こちらは思わず本気のトーンで返す。
「……冗談でもそういうのは止めてください」
「見た目的に洒落にならないものね?」
「その通りです」
アラウンドサーティと高校生。
これでも一応気をつけてはいるので。
「ちなみに」
「はい」
「万が一そんなことがあったら二番隊動員してボッコボコに討伐するからネ」
「自分で言っといて理不尽すぎやしませんか?」
「あはは」
べしべしと背中を叩いた後。
「それはそうと、ボクともまたやろうよ?」
「……少なくとも今日は勘弁してください」
それなりに疲れて握力も集中力も下がっている、勿論必要ならやれるが、持っていかれるタイミングは早まるだろう。
まあつまり、さっきまでだって楽勝ではなかった、ということ。
「ん、仕方ないな」
「申し訳ございません」
「じゃそゆことで色々とよろしくー」
カラカラと笑った後、片手を上げて……あと、水音さんの方にウィンクして道場から去っていく。
「……」
まあでも。
昨日のコインパーキングから「ちょっと気になったので見学に来ました」と姿を見せた今朝から何か言いたそうなのは気にはなっていた。




