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60.夏の霧と乙女心(前編)

「はい、とんこつチャーシュー大盛と冷やし中華、おつまみチャーシューです」

 いつもの笑顔と手際で注文を運んでくれたお団子ちゃんにありがとうといいつつ今週から始まったという冷やし中華を目の前に引き寄せる。

 そろそろ本格的な夏が近いな、と改めて感じながら割り箸を持つ手に力を入れる……ん、綺麗に真っ二つだ。

 そんなときに。

「そういえば、虎さ」

「うん?」

「お父さんに聞いたんだけど、やっぱりここら辺でも出たことあるみたい……ってか、ウチにも来たことあるんだって」

「え? マジで?」

 閑古鳥は寄り付きそうにないものの、忙しさはほどほどなのか始まったクラスメイト同士の会話に、おじさんはクエスチョンマークを浮かべるしかない。

「?」

「ああ、学校でちょっと話題になったんですよ」

「七不思議とかあるか、って」

「なるほど」

 いつの時代もお約束だね、と思いながら冷やし中華の上のきゅうりとハムを摘まんで口にしていると。

「それで、学校じゃないんですけど付近の飲食店でちょっとだけ噂になってる女の人の幽霊」

「ほう?」

「霧の出た夜に一人で来店して、お酒とおすすめの料理を食べたあときちんとお支払いもして帰っていくんですって」

「……フツーのお客さんっすね」

 虎と全く同じ感想なので頷くにとどめる。

「ただ、結構な美人さんだったのは何となく覚えているけれど、誰もしっかり顔を思い出せないって」

「へぇー」

 ずずっとラーメンをすすりながら相槌を打つ虎の後に疑問を挟ませてもらう。

「例えば防犯カメラとかは?」

「靄がかかっていて髪の長い女性くらいにしか見えないそうです」

「なるほど、割とシャイな方みたいだ」

「えー、何ですかそれ」

 可笑しそうに笑ってくれたお団子ちゃんについでに聞いてみる。

「ま、偶には美味しいものを食べたいんでしょうね」

「おっちゃんがいうと説得力がパナイ」

「ちなみに実害とかはない感じで?」

「ええ、むしろ評判が出ちゃうくらいの」

「ここにも来店したって話ですしね」

「そうなんですよー」

 得意げに笑った後、ごゆっくり、と言い残して去っていったエプロンの後ろ姿が充分に離れたところでチャーシューに齧り付きながら虎が聞いてくる。

「害ないなら、放置?」

「まあ、それでいいんじゃないかな?」

 こちらも麵を啜りながら答える。

 さっぱりした味がやはり夏の麵、って感じがする。

「このお店に不具合が出るなら全力で対処するけど」

「うわー、顔がマジっすね」

「お前さんだってそうだろ?」

「っす」




***




 その翌日のことだった。

「何を、やっていらっしゃるんです?」

 幽霊の正体見たり枯れ尾花……ではなく知り合いの女の子のお姉さん、もしくは義弟の知り合い。

 枯れてるどころか花盛りの年頃のお方。

「あら、征司さま」

 この状況で声を掛けてくる人が居るとは意外、と言った趣の表情で姫カットの髪を揺らしてこちらを振り返る。

 軽く周囲に認識を阻害する術を張って、護衛もなしにスーツ姿で蕎麦屋に入ってくればそりゃあ気にもなるが。

「何か、特殊な魔物か何かで……?」

 そっと懐のナイフを確認しながら緊急事態で一人で対処しているとか、人に憑くタイプを追っているとか諸々を考えたがやはり一人でというのはそぐわない気がする。

「……」

「あの?」

「別段何もないので、お気になさらず」

 やや言いにくそうな表情でそっぽを向いてUターンしようとする。

「一応、危険はないかだけは聞いて良いですか?」

「全くありませんので」

 なのにわざわざこんな手の込んだことをして……でふと思いつく。

「密会か何かかな」

 お若いながらもかなり上の方に食い込んで腕を振るっていると聞いたこともあるしそういうこともあるのかもしれない。

 でもこの人ならわざわざ普通の居酒屋でこんなことしなくてもそれに向いた店とか知っていそうだな、等々考えていれば。

 思わず言葉にしてしまった呟きを聞きとがめて再び振り返ると複雑そうな顔で見上げられる。

「そのように見えまして?」

「お立場的なものを考えると何となく」

「……」

 そう答えると眉を寄せた後、困った顔で溜息を吐かれる。

「ちなみに」

「ええ」

「征司さまは何をなさっていて?」

「夕食ついでに一杯やっていましたが」

 お酒の出る店で何をと聞かれても……そうなるよなぁ、と頬のあたりを掻いていると。

「ご新規のお客様ですか?」

 ようやく気付いたのか店の人から声が掛かる。

 若干焦点がぼやけているように見られるので、件の噂通り美人だとはわかっても人相までは……という認識になるのだろうか。

「大変申し訳ないのですが、お席の方が満杯でして三〇分ほどお待ちいただくことに」

「そう、なのですか?」

 困った、と表情に余計かもしれないと思いつつも口を挟む。

「いえ、連れとの合流です」




「差し出がましいことをして申し訳ないです」

「いえ」

 最初の飲み物の注文を済ませた清霞さんにまず頭を下げる。

「こちらとしてもあまり時間をかけたくはなかったので助かったのですけれど……」

 そこまで嫌悪感のあるような素振りはないので内心で胸を撫で下ろすが、それはそれとして店の通路や窓の外を気にする仕草が気にかかる。

「やはり、お忍び、ですか?」

「……わたくしにだって二か月に一度くらいは気楽に一人でお酒を飲みたい日もあります」

 あー、会食とか多そうだもんなぁ、と具体的にはわからないものの偉い人の諸々を想像しながらも軽く笑う。

「いえ、全然凄いじゃないですか」

「はい?」

「こちらの周囲には二週間どころか三日の我慢さえできない面子が揃ってますからね」

 トントン、と残り三分の一になっているジョッキを突くと苦笑いをされる。

「確かに、征司さまを含めてそのようですね」

「ははは……お一人の時間にできなかったのは申し訳ありませんが今回は諦めてください」

「いえ、そのこと自体はそこまで気にしていないのですけれど」

 と言いながらもう一度周囲を……そこでもしかして、と思い至る。

 その身近な人の代表格がこんなおっさんにもフレンドリーで少々油断というか緩んでいたかもしれない。

「まあ、偶然出くわした上司と部下、くらいにしか見えないでしょう」

 釣り合いが取れていないにも程がある、ので。

「ちなみにどちらがどちらでしょうか?」

「そりゃあどう見てもお仕事が出来そうなのはそちらで」

 大仰に肩を竦めて見せればもう少し構えを解いた感じに笑われる。

「征司さまの方も、現場の叩き上げという感じがして頼れそうですよ」

「それはどうも」

 そこに丁度冷酒のお銚子とグラスが二人分届いたのでジョッキを一気に干して店員さんに手渡した後。

「では部長、失礼して」

「あら、主任……ありがとうございます」

 互いに酌をし合って軽く合わせた後、口にする……キリリと冷えた芳醇な味が喉の奥を軽く刺激しながら下っていく。

「ふふふ……美味しい」

 そして卓の反対側には口元を隠した満足そうな呟き。

 絵になる度合ならレオさんたちも負けず劣らずだが色がある分それこそ日本酒のコマーシャルに使われそうな光景だった。

 それは多少忍んで飲まないと静かに嗜むことを周囲が許してくれないだろうなと納得できるほど。

「……」

「どうされました?」

「いえ、色々と腑に落ちていただけで」

「確かに五臓六腑に沁みる味ですね」

 ご機嫌が更によくなったのかもう一口運んで啄む様に。

「……何か、言いたげですね?」

「いえ、妹さんに比べて控えめな飲み方をされているな、と」

 黙っておしとやかにしていれば美人、と評される流歌さんの飲み方は見かけに反して豪快だがこちらは見た目に相応しい優美さで。

「嗜み方は姉妹と言えど人それぞれ、でしょう?」

「それは確かに」

 頷いてから山葵の乗った分厚めに切られた蒲鉾を口にすれば鼻に抜ける刺激が心地いい。

 それからもう一度冷酒を口に迎えながらふと考える……ここの姉妹の末っ子は果たしてどんな飲み方をするのだろうか。

 今までの印象通りの大人しいいい子だろうか、それともはたまた抑えていたものが出るのか……先日彼女にはああ言ったものの、機会があれば楽しめそうだし、何なら多少手ほどき的なことをさせて貰えたならそれもまた一興かもしれない。

「そういえば」

「! あ、はい」

 お向かいでだし巻き卵を摘まんでいた清霞さんが思い付いた、という表情のまま口にする。

 ……仕草や表情は変わらないものの壁が緩くなる酔い方をする模様。

「会社の同僚以外にも関係がありましたね」

「と、いうと?」

「妹の……お稽古事? の、先生」

 たった今考えていたことを見透かされたような気がして。

 慌てて暴れかけたお猪口を握り直して……グイっと呷る。

「確かに、そうですね」

 平常時より熱が籠っている、息を吐きながら答える。

「家庭教師という感じではないですし……そっちは必要なさそうというか」

「学業の方もかなり頑張っているので、そちらの方の心配はしていませんね」

 箸で小さく切っただし巻き卵に今度は大根おろしを乗せる様子を見ながら。

 食べ方が平均以上に小さくというのは姉妹共通かな、とか思う。

「……何か?」

「いえ、しっかりお姉さんされているんだな、と」

「色々あってあまり表立ってはできませんし、言えた義理ではないかもしれませんが、一応は」

 お母様の代わりとはとても行きませんけれど……とそう言った後、じっとこちらを見て何かを考えている様子の後、小さく口を開く。

「なのであの人の御兄弟が派遣されてくると聞いた時は一体何を企んで……と心配したのですが、思ったより配慮のある方で安心はしています」

「それは、どうも」

 空になっていたお猪口に丁寧に注いでくれる……ある程度は合格点だと言ってもらえたのだろうか。

 というか、本当一体この人に何をしたんだ義弟よ。

「あ、そうか」

「どうされました?」

「こちらも義弟がお世話になっている方、という繋がりもありましたね」

 そう何気なく口にした瞬間。

「……」

「あ、あのう?」

「お世話……ええ、そう、かもしれませんね」

 見る間に少しは出ていた笑顔が凍り付いて、纏う空気のご機嫌が傾いていく。

 え? 先に話題に出したのはそちらだよね? 理不尽過ぎない……? と思いながらも。

「ご迷惑の間違いでした、か?」

「あら。どうしたんですか征司さま……そんな義弟さんのことをご謙遜なさらなくても、ちょっと面倒ごとを押し付けられたり上に無茶を通す際に道連れにされただけで、そんな恨みつらみなど」

 あるんですね。

「本当、あいつは出来るとみた相手にはとことん無茶振りしてくるところありますからね……」

 かるーく「兄上ならイケますよ」と言いながらB級の巣に放り込まれたこととか、諸々。

 それでも実際何とかなったから見る目というか裁量自体は間違っていないのだけれど。

「そ、そうなの……ですね」

 一瞬思い出に浸ってしまってから目の前の人に意識を戻せば……冷たいお怒りを貫こうとしつつやや口元が歪んで……。

「確かに、わたくしにしか頼めないとかいつもそんな感じには言ってはきますが……」

「なるほど」

 肩から流れている髪を一房摘まんで指先で遊びながら呟いている様子から見るに、出来るとみられていること自体は、嬉しい、のか?

 姉さん……こういう時の乙女心って実際のところどんなもんなんだい? 助けて。





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