59.肉焼く宴(後編)
「普段なら多少生焼けくらいのレア派なんですが」
焼肉用コンロに摘まんだカルビをそっと乗せながらお向かいに尋ねる。
「ここのはそこそこしっかり火を通した方が美味いヤツですよね?」
「おっしゃる通り」
そっと熱せられた金属部に乗せればそれだけでそそる香りと音……鼻と耳が幸せになる。
それを感じながらももう一切れを乗せ、二呼吸置いてから最初の一切れを反す。
トングから割り箸に持ち替えつつそこからテンカウント数え……摘まみ上げた勢いのままタレの表面にタッチアンドゴーしたのを一息吹いて熱々のまま口の中に迎え入れる。
「!!」
牛肉の旨みとほんのりとした甘さ、を追いかけて香ばしく濃ゆいタレのパンチが。
「イケるっしょ?」
「……」
その様を見ていたたっちゃん氏が親指を立て、助さんは腕を組んで重々しく頷く。
自分の紹介した店を美味いと認められるのは小気味よいものがあるものな。
「!」
二人に親指を立てて頷き返した後、少々急いでビールを口にしその泡とキレで主に舌の上をクリアにした後……二切れ目を。
二回目故に知っていて期待していた味がビールを挟んでいたことによって強調されて……これは。
「うまい……」
今度はしみじみと呟きが口から出てしまう。
脂の付いた口の端を抜けていった息ですら旨味成分を大量に含んでいるんじゃないか、ってくらい。
「いやー、いいリアクション」
「お連れした甲斐がありましたな」
「いや、感謝しますよ、これは」
皆が突き出してきた拳には拳を、ジョッキにはジョッキを合わせつつ……さあジャンジャン行きますか、と盛り上がってきたところに。
「ハラミ、とホルモンお待ち」
更に肉が到着する……もう皿の中心にいる玉ネギですら輝いて見える。
「……卵黄を絡めてもうまいぞ?」
「「「是非!」」」
そして店主のぼそりと差し込んできた呟きに全員で挙手してしまう。
「ライスは……どうすっかな」
「腹を肉だけで満たしたいような、でもこの肉をさらに引き立てるためには捨て難いような」
「そう、それ!」
がしっと肩を組まれる、普段青龍刀ブン回しているだけあって力強いな。
「なーんだ、理解ってる側の人間じゃんか、見直したぜ!」
「……見直したって事は今まではどう思われてたんですかね」
「隊長殿が明らかに気を揉んでいる新設の所に、あまり中央に協力的でなかった家がいきなり乗り気で送り込んできた方なのでどんな不穏分子やら、ってところですかな」
「それと、年下の綺麗どころを侍らせたいけ好かないヤツぅ?」
メニュー片手に肉を見繕っているホッシーさんが朗らかに主に義弟に覚えがあることを突っ込んできた後、今度はカップ酒に切り替えた格さんがねっとりとした声で絡んでくる……まあ、口の端は笑っているので半分は冗談だろう。
半分はちょっと本気かもだけど。
「俺らのとことかこんなの、なのになぁ?」
「はっはっは」
「……もう回り始めたか」
たっちゃんが今度はホッシーさんと助さんの側に回って肩に手を回す……見た目には「笑いの絶えない職場です!」だけれど、壮絶に濃ゆい絵面なのも否めないな。
この焼肉の味のように。
「いや、色々と気を使ってるんですよ? 若い子たちから見ればゴッツイおっさんなのは間違いないし」
一人で地方を回っていた頃はもう少しラフというか大雑把な感じでいたが心掛けてマメにしている、特に髭と体臭。
「その、色々と……コンプライアンスとか、青少年条例とか」
それに女の子だから怪我はさせたくないし、ああいうことをしているとはいえ危険はなるだけ小さくしたい……という意味でも。
「え……そこまでしてるんだ」
「知らなかったじゃ済まないですからね」
マジかよ、という顔をするロン毛の格さんに重々しく頷く。
ちなみに双子のどちらがどっちの覚え方は「助平な方が格さん」と先日二番隊の隊長さんから伺っている。
「ま、あのシスターの姉ちゃんはギリギリセーフとして」
「残りのお嬢様方は何かあった日には犯罪スレスレですからなぁ」
「おっしゃる通りで」
たっちゃんとホッシーさんの言に頷きながらも……喉の辺りに小骨が刺さった感じ。
ええい、こうゆう時は酒だ酒。
「なるほどなるほど」
「ま、それもそうか」
「相談ならいくらでも乗りますぞ」
「……自分の内で消化したいなら滝行等も勧めるが」
「いや、お気持ちだけ頂いて」
二杯目を飲み干した後、それはそうと、と反論する。
「そちらこそお一人だけれど程々の年齢の美人さんがいらっしゃるでしょうに」
「「「「……」」」
一瞬で全員が真顔になることはないだろうに……理由はわかるけど。
「確かに、それはそう、なんだけどさ……?」
「まあ、黙っておしとやかにしていれば? や、姉御には無理なんだけど」
「……あと、テレビか何かで見た特訓を思い付きでやらなければ」
「崖の上から丸太転がしてきたときは何の冗談かと思いましたな!」
「他にも、もろもろ……」
「はっはっは」
色々あるんだね、やはり。
「とりあえず、飲んで食いますか?」
「……うむ」
「賛成」
今は目先の肉。
ハラミもホルモンも良い色をして焼かれるのを待っている。
「じゃあ、噂の美味い酒も頂きますか」
「ちなみにこれは常温が一番良いそうでして」
「ふむ」
小さめのカップに注いでもらい、ふと掲げて電灯の光を通す。
透明だけれど光の通し方が違う山吹色がいつまでも見ていられるような気にもなるが、味わいたい気持ちへと引っ張られて半分ほど一気に傾ける。
香りで想定していた通り強めの辛口……後を引いていく味を楽しんでいるうちに妙にタレと脂の味を欲したくなる。
「コレは、まずいかもしれない」
底なし沼の方に引っ張られる、という意味で。
口にするものに対して不適切な言葉になったが、意図は通じたのかニヤリと笑みを見せられる。
「ささ、ジャンジャン焼いてジャンジャン飲みましょう」
「ですね」
「おやっさん、カルビもう五人前ね!」
美味いものは味わわなければ失礼に当たる。
ハラミ肉を一気に二切れ摘まみプレートに乗せたところで軽くもう一口、とカップに口を付けてそこで違和感。
「おや?」
「どうかしたかい? 兄貴」
「飲んでも減らないなんて不思議なカップもあるもんだな、と思って」
不自然に背中に何かを隠しているたっちゃんを一瞥して、親指と中指、薬指でカップを摘まんで揺らしてみれば。
「おやおや」
「そいつは不思議ですなぁ」
「……狐にでも化かされたのではないかな?」
「なるほど?」
つまりそういう飲み方か? とネクタイを脇に置いて首元のボタンも一つ外す。
ついでにこっそりベルトも緩めながら。
「とことんまで、やりましょうか」
***
「おはようございます」
翌日。
こんにちは、の方が適正な時間帯だがこちらの方が言いやすかったのでエントランスでそう声を掛ける。
いつも通り受付に常駐している立花さんと、長い髪をリボンで括った後姿に。
「あ、向田さん」
受付嬢スマイル、の一方で。
もう一人は固い笑顔で振り向きつかつかとこちらに歩いてきたかと思いきや軽くネクタイを掴まれる。
「あのさ」
「はい」
「ボクの二番隊が一晩で半壊してるんだけど、これってどういうこと?」
「一応、今日は非番だと伺ってましたが」
「軽く一汗流そうとしたのに誰も出て来てくれないの!」
どんな塩梅でしょうか? と尋ねれば。
「ん」
会話アプリの画面を突き付けられる……地面に伸びたドラゴンやお墓マークなど個性豊かなスタンプが四つ並んでいるが意味合いは「無理」とか「起きれません」と言った感じか。
「皆犯人にお兄さんの名前挙げてるけど一体何してくれちゃったのさ?」
「いや、普通に友好を深めただけ、ですが?」
「具体的には?」
「ちょっと焼肉屋で派手に」
「なんでボクを呼んでくれないのさ」
「……女性をお誘いできる感じのではない店でしたので」
「!?」
やや言いづらいな、と思いながら口にするとぱっとネクタイを離して後退りされる。
「え? そ、そーいう意味の? お肉ってのも何かの隠語?」
「向田さん……?」
「違います」
エントランスでそういうリアクションは……その、こちらも困る。周囲の目、的な意味で。
「ちょっと裏路地の古い構えのところだったので……で、単なる食べ過ぎ飲み過ぎ、ですよ」
「あの四人がああなるって……どのくらい」
「一升瓶二本とビールを十数杯、くらいですかね」
「うわー、それはやったねぇ」
コロッといつもの態度に戻ってカラカラと笑った後、スッと間合いを詰めて。
「じゃあ、今日の一汗とその後の一杯は代わりに付き合ってもらおうかな~?」
「いえ、大変申し訳ないのですが」
「ん?」
「こちらも深い代償を払っていまして……お供してもご迷惑しかかけられません」
今、一ミリだって頭を動かしたくないところです。
幸い今日は内勤予定だったので誰にも迷惑を掛けてはいないが……激しい運動やこれ以上のアルコールは拙いのが自分でもわかる。
「えー、つまんない」
「そうは言われましても」
「じゃあ、代わりにアタシが」
そこに丁度レオさんが顔を出す。大学の前期日程はほぼ終わりそうだと聞いているので昼から顔を出したのだろうか。
「おー、じゃあ、軽くジムにでも行った後、お茶しよっか」
「いいですねー、セリーナもお仕事終わったら合流しない?」
「アルコール控えめでよければ、ぜひ」
一気に盛り上がる女子を少々鈍っている頭でも華やかで良いな、と眺めているとレオさんに「貸しひとつよ?」とばかりに片眼を瞑られる。
そこに軽く片手を挙げて返事にすると後ろから肩を叩かれる。
「いやー……二番隊が、とか物騒な単語を聞いて寿命が縮んだよ」
「ははは……ご心配をおかけしました」
総務部長ことレオさんのお父上がハンカチを仕舞いながら苦笑いを浮かべている……タイミング的に娘とランチして戻ってきたところ、なのかな?
「二日酔いなら良い漢方を知っているからどうしても辛かったら取りに来るといいよ」
「ありがとうございます」
この百パーセント西洋人、というジェントルマンから東洋風の出力がくるのが味わい深いな、この人。
「まあ、じきにそんなに入らなくなるから今のうちに楽しんでおくといい、特に脂ものは」
「ははは……怖いことを」
「いやいや、色々と程々に、ね」
何だか釘を刺された気がする。
現役だった頃は実際吸血鬼とかに杭を叩き込んでいたらしいが……。
ちょっと乾いた喉に今日はこれしか飲むまいと決めたミネラルウォーターを流し込んでから、現状で可能な書類仕事だけ片付けようとエレベーターに向かった。




