49.晩御飯を食べよう
「驚かせてすみませんでした」
「い、いえ……」
小さく灯った炎を意識して消す。
火をつけるのは割と容易いのだが燃料供給は水音さん側なので燃やし過ぎない方がこの場合大変だった。
「今の火は、私のではないですよね」
「ええ、こちらから悪さをしただけです」
「?」
不思議そうな顔をするけれど、こちらから干渉をしたのだから女の子相手には悪戯ではあると思う。
「でも」
「はい?」
「いつも熱を出してしまう時は本当に怖いくらい熱いんですけれど、今のは征司さんみたいにあったかい感じがしました」
「……一応、制御していましたから」
加減を間違えて火傷でもさせてしまわないように細心の注意は払っていた。
「あの時もこんな風に?」
「今のは水音さん本来の力に点火しましたが、あの時は水音さんに悪さをしている方に干渉して悪影響を減らしたイメージですね」
「そう、なんですか」
「乱暴な例えをすれば油田火災の消火作業ですね」
強すぎる炎が燃え続けて悪さをしているならいっそのこと、とそのように処理をさせてもらっていた。
「そちらも試していただいていいですか?」
「一応考えなくもないのですが」
「?」
「こういうとアレですけれど……前回は周りに何もありませんでしたからね」
「あ」
今はもう逆に可燃物しかない日本家屋の屋内。
小さな火ならともかく、危ない真似は避けよう。
「ここで、してみますか?」
「そうですね」
小さめとはいえ庭の真ん中にある池に掛けられた一人分の幅の石橋まで移動して改めて向かい合う。
例の本邸の庭ほどではないものの水属性の気配が強くその意味でも好ましい場所と言えた。
「では、失礼をして」
「……」
緊張に強張った表情の女の子に触れるつもりはないとはいえ手を伸ばす後ろめたさを少し感じるものの、言っている場合かと意識を集中する。
まずはその力がどのような在り様なのかを確かめるべく意識を集中するが……感じ取れない。
やはり通常とは違うところにあるのかと更に感覚を深めるが。
「征司さん?」
「……変な言い方かもしれませんが、普段の水音さんは完全に抑え込んでいらっしゃるんですね」
あると知っている上でも感じるのが難しい、普段から簡単にわかるものなら話がこうも拗れていないとも思うが。
「ええと……」
「?」
「失礼しますね」
集中していた中、彼女の額の辺りで広げていた手の平に突然の感触。
「!」
「接触したほうが、わかりやすいですよね」
「……それはまあ、そうなんですが」
自分のそれと違うサラサラの前髪に本当に髪質が違う、等と思いながらも……彼女から預けられたのだからむしろしっかりしろと集中する。
「一面の雪の下に凍った湖があって……その深い底に炎の塊がある」
「?」
「イメージとして掴むなら、やはりそんな感じです」
言いながら触れていた手を引く。
みだらに触れていい物ではない感覚がむしろ強まった。
あの埋火にではなくて、綺麗な雪原のイメージを持つ彼女に。
「奥底までアプローチするのは通常の状態ではかなり大変でしょうね……やはり」
「?」
「水音さんは、とても大きな力を本来なら使えるんでしょうね」
「そう、ですか?」
戸惑う色を見せながらも、はにかんでくれる。
そういう家の子で、そのせいで今まで寂しい思いをしたのだもんな……。
いや、今はもう俺もこちら側の価値観で生きているだろう? そんな自戒をしている間に。
「では、少し力を使った方が良いでしょうか?」
「それは……」
つまりそれは、加減を誤ればこの子が体調を崩すということ。
「出来れば避けたいですね」
「……」
「勿論、色々なことを掴みたい気持ちはわかりますが」
控えめに主張をする子の、強めの眼差しに圧されてしまう。
しかし、上手い具合に程よく……。
「そういえば」
「はい?」
「水音さんが神楽を舞われた後も、やや表れていた気が……」
「いい御身分ですね、おじさま」
「……いえ、あの」
スタートから一時間後、そろそろ今日は時間だと告げに来た栗毛ちゃんに微笑まれる。
「いくらお好きだからって庭でお姉さまの舞を堪能されていただなんて」
「……いえ、その」
確かに、傍から見たらそうとしか言えない。
「一応色々模索した結果ですが……結果的にこちらだけが得をしてしまいましたね」
「……全く」
早めに良い結果を、というのをもしかすれば一番望んでいるのは栗毛ちゃんかもしれないが、流石に昨日の今日、という訳ではないだろう。
「でも、ねえさまも嬉しそうじゃん」
「それは……褒めて貰えたので」
そしてワンコちゃんも加わってさっきまで水音さんの所作の音しかしなかった静寂が嘘のように……女の子が三人だものな。
ちなみにどちらも別のベクトルで好ましいと思う。
「あ、そうそう、ねえさま」
「うん、そうだったね」
無邪気な子犬のようにじゃれつく子を一度撫でてから、こちらに改めて向き直って。
「征司さん」
「ええ、どうしました?」
「今日、この後ご予定はありますか?」
「いえ、特には」
一旦帰宅して今夜は焼き鳥でも食べに行こうか、とか考えていた程度。
気ままな、一人暮らしゆえ。
「でしたら」
両手を胸の前で合わせてにこやかに。
「お願いというか、ご提案があるんですが」
あ、もうこの時点でわかってしまったぞ……。
「晩御飯も、食べて行かれませんか?」
「いえ、そこまでご厄介になるわけには」
「征司さんなら、厄介なんてことありません」
「……」
「むしろ、ご一緒していただきたいですし、あのお部屋は広すぎますし……それに」
そこまで好意的に言われると悪い気はしないな、と思ったところに。
「それに、征司さんが言っている今夜食べたいものってお肉とか脂ものばっかりで……お野菜ちゃんと食べてるか心配で」
「!?」
想定外の一撃に、思わず言葉が詰まる。
思いっ切り、図星だ。
「い、いえ……ちゃんと野菜もフルーツも摂っています、よ?」
「独身男性のこの言い方、恐らくジュースで飲んでいるからという言い分ですね」
栗毛ちゃん、鋭いな……いや、でも。
「き、昨日はサラダも頼みましたし」
「でも外食でお酒なら他におつまみも頼んでいるでしょうからトータルでマイナスですね」
「それに、どーせレオに取り分けてもらってデレデレしてたんでしょ?」
「ははは……デレデレはしてませんよ」
まずい、全く反論できない。
「おじさま」
「はい」
「先日、御怪我の後の診断結果、傷は完治していても血液の数値に幾つか食生活を改善するように、が付いていましたよね?」
「何故それを……」
って、そうだった、一族経営の病院に行ったんだった。
もう色んなことが筒抜けと覚悟した方がいいかもしれない。
「いや、でも……」
「オジサン」
「はい?」
何とか言い訳を探すも数値には敵わないな、と思っているところに、唐突に上着の背中を引っ張られる。
「何でしょう?」
「ちょっとこっち来てみてよ」
「……?」
ゆっくりと後ろ歩きで家を回り込んで行って……。
「ほら」
小さな物音の聞こえる場所に連れて来られる。
何かが煮える音と……ほんのりと小窓から香ってくる醤油とみりんの匂い。
「とてもいい香りですね」
「おばあちゃん、すっごく料理上手だから」
「でしょうね」
「食べて行っていいんだよ?」
「……ぐっ」
「張り切っていっぱい作ってたし」
「私たちでは、きっと食べ切れませんから」
……個人的に女の子が泣くのと食事を残すのは耐え難い罪悪だと思っている。
「征司さん」
「……はい」
「本当に、ご迷惑でしたら」
そんなことを思っているときに、その表情は反則だろうと言いたくなる。
期待したことが失われる寂しさと余計なことをしたと怯えるような色のある表情。
本当に、させたくない顔。
「その……」
「……」
「ご馳走に、なっていきます」
「はい」
そうやって俺は陥落した。
「ふふっ」
「……」
けれど一転してあんな顔を見せられたなら、それで良いかとも思ってしまった。




